第七話 白鳥の射程
海上補給が始まった翌日、二機のTu-160が西部前線基地の格納庫から引き出された。
白い機体は、夜明け前の投光器を受けて青く見える。
大型の可変翼爆撃機を飛ばすには、燃料だけでは足りない。整備員、牽引車、酸素、油圧装置、電子機器、巡航ミサイルの試験装置。どれか一つが欠けても出撃できない。
第六十一臨時支援群が運んできた部品の中には、長く交換できなかった油圧系統のシールと、誘導装置用の電子部品が含まれていた。
援軍が一隻増えたから戦えるのではない。
一枚の小さな部品が届いたから、二百トンを超える機体が動く。
午前三時四十分。
作戦室の壁面には、ルーデニア帝国南東部の都市クラシナが映っていた。
攻撃目標は、郊外のヴェルナ海方面軍司令部、長距離通信局、軍用燃料の鉄道積替所、作戦用データを中継する衛星通信施設。四つの軍事区画だった。
市街中心部には省庁の出先機関もあったが、分散済みで価値が低い。十二発しかない巡航ミサイルを、政治的な建物へ使う余裕はなかった。
「Kh-101、十二発」
ザハルチェンコが航路を示す。
「二機のTu-160はヴェルナ海西部の発射空域まで進出。国境から十分な距離を残して巡航ミサイルを発射します。帝国防空圏へ爆撃機を突入させる必要はありません」
「最高速を頼みにS-400へ突っ込めば、帰りの機体がなくなるな」
ヴォロディミルは航路を見た。
「はい。Kh-101の長射程を捨てる理由がありません」
「迎撃予測は」
「クラシナ周辺の防空部隊は警戒中です。十二発すべてが到達するとは見ていません」
目標ごとに三発。
防空部隊が迎撃し、一発しか届かなかった場合でも機能を止められる照準点が選ばれている。
「司令部地下区画は破壊できるか」
「完全破壊は保証できません。地上の通信棟、出入口、電源設備を狙います。司令官が死んでも予備が継ぎます。回線と電源を同時に失わせる方が確実です」
「それでいい」
大公は目標承認書へ署名した。
「地下区画の撃破判定は成功条件から外せ。確認できない戦果へ弾を足すな」
*
午前四時二十分。
シェレメートとソーコルは、二機のTu-160が離陸するのを滑走路脇で見送った。
爆撃機の護衛は、敵地まで付いていくためではない。発射空域へ向かう途中で、帝国の長距離迎撃機や洋上哨戒機を近づけないためだった。
「大きいね〜」
シェレメートが言った。
「前にも見ています」
「今日は飛ぶところが違って見える〜」
「補給されたからですか」
「帰ってくる場所があるから〜」
ソーコルは少し考えた。
「前回もありました」
「あの時は、場所だけだったよ〜。今日は燃料も、部品も、人も待ってる」
二機のMiG-29OVTが、爆撃機の後を追って離陸した。
*
高度九千メートル。
Tu-160編隊は巡航速度を保ち、ヴェルナ海西部へ向かっていた。
操縦席の画面には、目標ではなく機体の状態が並んでいる。燃料量、油圧、エンジン温度、航法誤差。
戦略爆撃機の任務は、勇敢に防空網へ飛び込むことではない。
決められた位置へ、決められた時刻に、兵器を運ぶことだった。
『前方三百五十、長距離捜索波』
ソーコルから警告が入る。
「帝国のA-50か」
『推定一機。護衛二』
帝国側も、爆撃機の発進を見逃してはいなかった。
A-50は国境の向こう側を飛びながら、公国編隊の位置を追っている。護衛戦闘機が接近すれば、Tu-160は発射前に回避を強いられる。
『ジュラーヴリク、北へ出るよ〜。ソーコルは爆撃機の東側をお願い〜』
『了解』
二機のMiG-29OVTが間隔を広げる。
敵の護衛機へ攻撃するのではない。自機のレーダーと電子妨害を使い、実際より多い護衛がいるように見せた。
帝国側の二機は国境を越えず、A-50の周囲へ戻った。
『今日は慎重だね〜』
『ロドネフ以降、命令系統が変わっています』
『慎重な人が残ったのかな〜』
『こちらには好都合です』
爆撃機は予定航路を維持した。
*
午前五時三十六分。
発射空域へ到達する。
「目標データ、最終照合」
「十二発、照合一致」
「射線上の民間航空路」
「閉鎖済み。船舶航路にも干渉なし。第三国へ説明する航跡記録も保存します」
機長が発射を命じた。
胴体内の回転式発射装置が動き、Kh-101が一発ずつ投下される。ミサイルは機体から離れた後に翼を開き、エンジンを始動した。
第一機から六発。
第二機から六発。
十二発の巡航ミサイルは、高度を下げながら東へ向かった。
「全弾、正常」
発射後、爆撃機はすぐに西へ反転した。
結果を見届けるために空へ残る必要はない。
帰投までが任務だった。
*
クラシナ周辺の防空部隊は、最初のミサイルを海岸線の手前で捉えた。
固定レーダーはロドネフ攻撃以降、常時運用されている。低空目標の探知は地形と地球の曲率に遮られ、警報を出せる時間は長くなかった。
「巡航ミサイル、複数。沿岸を通過!」
「方面軍司令部へ警報。迎撃隊を上げろ」
S-400部隊と近距離防空部隊が射撃を始めた。
一発目が海岸近くで撃墜される。
二発目は地形追随中に航法異常を起こし、無人の山地で自壊した。
三発目と四発目が別方向から侵入する。
防空部隊は同時にすべてを追えない。
十二発のうち、四発が迎撃された。
一発が自壊。
七発が、四つの軍事区画へ到達した。
最初の二発は方面軍司令部の地上通信棟と非常電源区画へ命中した。地下指揮所そのものは残ったが、外部回線と換気設備の一部を失う。
長距離通信局には一発。
アンテナ群が倒れ、南部各地へ繋がる多重回線が切断された。
燃料積替所には二発が着弾した。一発は軍用側線とポンプ施設を破壊した。もう一発は照準点の手前で地面を叩き、破片が区画境界を越えた。隣接する民間倉庫で火災が起き、夜勤者の安否は攻撃直後には分からなかった。
衛星通信施設へ向かった二発のうち、一発は近距離防空に損傷を受けて照準点を外した。もう一発が管制棟へ命中する。
クラシナの街からは、郊外に立つ四本の煙が見えた。
方面軍の回線は切れた。軍用区画の境界線が、爆風まで止めたわけではなかった。
*
帰投中、二番機の油圧系統に圧力低下が出た。
「第二系統へ切り替え」
「圧力、回復しません」
可変翼の作動を固定し、速度を落とす。
シェレメート機が左側へ並んだ。
『二番機〜、見えてるよ〜。漏れてる感じはない〜』
「脚が降りるか分からない」
『基地へ先に知らせる。滑走路を空けてもらおう〜』
ソーコル機は爆撃機の前へ出て、飛行場との通信を中継した。
機内では、緊急降着手順が読み上げられる。
敵に撃たれなくても、機械は壊れる。
出撃前に交換した部品とは別の箇所だった。
午前七時十五分、二番機は主脚を手動降下させた。右脚の固定表示が最後まで点かなかったため、滑走路脇には消防車と救難車両が並んだ。
接地。
機体が一度右へ傾く。
機長が逆噴射を左右別々に調整し、中央へ戻した。
Tu-160は滑走路端の手前で停止した。
整備員が駆け寄る。
全員が降りて初めて、管制塔に拍手が起きた。
*
ヴォロディミルは格納庫前で、帰投した搭乗員を待っていた。
手に持っていたのは酒ではなく、基地食堂から借りた保温ポットだった。
「戦果は確認中だ」
大公は紙コップへコーヒーを注いだ。
「だが、全員戻った。それは確認できる」
二番機の機長が受け取る。
「機体は、しばらく飛べません」
「直せるか」
「部品があれば」
「また、その話か」
大公は小さく笑った。
「ボンダレンコとアナスタシアへ請求書を回せ。嫌な顔をしながら、どうにかする」
作戦室から暫定報告が届いた。
クラシナ方面軍司令部、外部通信能力を大幅に喪失。
南部戦線の部隊は、予備回線へ切り替え中。
完全な沈黙ではない。
だが、命令が届くまでの時間は延びた。
暫定報告の末尾には、軍用燃料積替所に隣接する倉庫街で火災、被害確認中、とあった。
ヴォロディミルは戦果欄にも被害欄にも丸を付けなかった。
「続報が来るまで、成功という言葉は使うな」
白鳥は二機とも戻った。
その射程の先で何人が戻らなかったかは、まだ誰にも分からなかった。




