第六話 海上の継ぎ目
オスタヴァ陥落から三日後。
ヴェルナ海中央部を、空母が南へ進んでいた。
随伴するのは巡洋艦一隻、駆逐艦三隻、補給艦一隻。損傷艦と燃料の少ない艦は、カリナ半島の小港へ分散している。
艦隊と呼ぶには小さく、逃げるには目立ちすぎた。
《ヴォルナ》の艦橋で、コヴァリョフ少将は補給状況を確認していた。
「航空燃料、二十八パーセント。艦対空ミサイルは定数の三十一パーセント。艦載機の稼働は十八機中十一機です」
「本土との通信は」
「短波は繋がります。秘話装置を通すと速度が落ち、作戦図は送れません」
海図の北側には、帝国艦隊の推定位置が記されている。
敵もロドネフとオスタヴァで補給に傷を負っている。それでも、公国艦隊よりは多い。
「次の空襲を受ければ、航空燃料より先に迎撃弾が尽きます」
艦長の報告に、コヴァリョフはうなずいた。
「逃げ切れる海域は」
「ありません。西へ行けば中立国の領海、南へ行けば海峡を監視されています」
「では、まだ艦隊でいるしかないな」
ばらばらになれば、各個に追われる。
集まれば、一度の攻撃で失う。
正解のない海だった。
その時、レーダー員が顔を上げた。
「南から複数目標。距離百八十。大型艦を含みます」
「帝国艦隊か」
「識別信号なし。針路は本艦隊へ直進」
艦橋の警報灯が赤へ変わった。
「艦載機、即応待機。各艦、射撃管制レーダーはまだ上げるな」
コヴァリョフは双眼鏡では見えない水平線を見た。
不明艦隊は、発見されることを恐れていない。
あるいは、こちらが撃てないと知っている。
「通信です」
雑音の中から、英語訛りのある共通語が聞こえた。
『ヴォルナ戦闘群へ。こちら第六十一臨時支援群、コールサイン・グレイウォーター。交戦の意思はない』
「認証符号を要求しろ」
『認証列を送信します。照合先は、OKB-0保管の西方連合緊急鍵』
艦橋の通信士が受信列を暗号端末へ入力する。
照合には十秒かかった。
「一致しました」
コヴァリョフは息を吐いた。
「こちら《ヴォルナ》。グレイウォーター、所属と目的を明らかにせよ」
『西方連合加盟国から抽出された臨時編成です。指揮官、エリアス・ヴォーン大佐。任務は、人道輸送路の維持と、機微技術の敵対勢力への流出防止』
「救援ではなく、管理か」
『両立します』
「便利な言葉だ」
不明艦隊が友軍識別信号を送信し始めた。
改装指揮支援艦一隻、駆逐艦三隻、潜水艦二隻、給油艦と弾薬補給艦。公国を勝たせるほどの戦力ではない。
だが、孤立艦隊をもう一度動かすには十分だった。
*
午後三時。
二つの艦隊は、互いの兵器射程外で針路を合わせた。
ヴォーン大佐が短距離輸送ヘリで《ヴォルナ》へ移乗する。
甲板で待っていたコヴァリョフは、差し出された手をすぐには取らなかった。
「誰の命令だ」
「西方連合安全保障会議の限定承認です」
「政治家の承認で、存在を公表できない艦隊が動くのか」
「公表できないから、限定承認なのです」
ヴォーンは声を落とした。
「実際に動かしたのは、パメラ補佐官です」
「やはり、あの女か」
「彼女の命令は二つ。避難船団を沈めさせないこと。OKB-0の技術者と戦略兵器を、ルーデニア帝国へ渡さないこと」
「公国を助けろ、ではない」
「そこはご理解いただけると思っていました」
コヴァリョフはようやく握手へ応じた。
「目的が違っても、いま必要な方向は同じだ」
「ええ。永続する同盟ではありません」
「その方が信用できる」
甲板の反対側では、補給管を接続する準備が始まっていた。
艦対空ミサイル、航空燃料、機体部品、医薬品。戦争を続けるための物資が、海上の隙間を渡ってくる。
*
シェレメートとソーコルは、《ヴォルナ》の飛行甲板から接近する支援群を見ていた。
「来たね〜」
「遅いです」
「助けに来た人へ、最初に言うことかな〜」
「オスタヴァの前なら、八百四十七人は死ななかったかもしれません」
シェレメートは返事をしなかった。
海風が二人の飛行服を揺らす。
「そうだね〜」
しばらくして、彼女は言った。
「でも、来なかった人を数えても、燃料は増えないから〜。来た分は使おう」
「了解しました」
「ソーコル、ちょっと怒ってる?」
「かなり」
「そっか〜」
それ以上、軽くしなかった。
*
同じ頃、西部の仮設財務府では、別の補給線が繋がろうとしていた。
イヴァン・ボンダレンコ財務卿の机には、銀行残高ではなく、支払期限と船積み予定の一覧が並んでいる。
「国外準備金のうち、即時に動かせるのはこれだけか」
「帝国から資産凍結の要請が出ています。中立国の銀行は審査を止めました」
「止めたんじゃない。考えてるふりをして、どっちが勝つか待ってるんだ」
ボンダレンコは鉛筆で三つの口座を囲んだ。
「戦前に組んだ資源輸出の決済枠を使う。現金で払えない分は、港湾使用権と復興債で保証する」
「戦争に負ければ紙屑です」
「だから利率が高い。金貸しは危険が嫌いなんじゃない。値段を付けられない危険が嫌いなんだ」
扉が開き、アナスタシア・オルロヴァが入ってきた。
「航空燃料と予備部品の売り手が見つかりました」
「いくらだ」
「平時価格の三倍」
「二倍まで落とせ」
「すでに二倍半まで落としました」
「さすがだな」
「褒めても価格は下がりません」
アナスタシアは契約一覧を机へ置いた。
「対艦ミサイル、航空機用弾薬、エンジン部品。商会の倉庫にある分は原価で出します。ただし、輸送船を軍が護衛してください」
「商売を捨てるのか」
「逆です。生き残った後も商売をするために、いま顧客を生かします」
「話が早い」
ボンダレンコは大きく笑った。
「敵の金で敵を殴る、とはいかんが、未来の港を担保に今の弾を買う。財務卿らしい戦争になってきた」
「あなたは、ようやく自分が財務卿だと思い出したようですね」
*
OKB-0では、イリーナとソフィアが通信網の試験を行っていた。
光ファイバーで結べる固定拠点間には、量子鍵配送装置を置く。無線区間と艦隊通信には、量子鍵をそのまま送るのではなく、耐量子計算機暗号と既存の認証方式を組み合わせる。
「盗聴されない通信網、という説明は使わないでください」
ソフィアが言った。
「量子鍵配送なら、盗聴を検知できる」
「固定回線が正常なら、です。中継器を壊されたら終わります。通信内容が読めなくても、通信量と発信位置は隠れません。妨害も受けます」
イリーナは画面を見たまま、わずかに笑った。
「夢がないわね」
「動くものを作る仕事なので」
「では、現実的な名前を付けましょう。分散鍵管理・多経路秘話網」
「長いです」
「ソフィアなら?」
「《スティナ》。壁です」
「短すぎる」
「呼びやすい方が、攻撃中に困りません」
二人は試験回線を開いた。
西部司令部から《ヴォルナ》まで、複数の中継点を経由して作戦図が送られる。途中の一経路へ妨害を入れると、通信は速度を落としながら別経路へ切り替わった。
「成功」
イリーナが言う。
「一回目です」
「成功は成功でしょう」
「先生なら、百回通してから言えと」
「では、先生に見せる前に九十九回失敗できますね」
ソフィアは一瞬黙った。
「あなた、姉上より性格が悪いですね」
「褒め言葉として受け取るわ」
*
夕方、西部の臨時政府庁舎へ三本の報告が届いた。
海上補給開始。
兵器・部品の調達枠確保。
新通信網、艦隊との接続成功。
ヴォロディミルは、その三本を机へ並べた。
艦隊だけでも戦えない。
金だけでも、技術だけでも戦えない。
離れていたものが、ようやく一つの系として繋がった。
「反攻できるか」
ザハルチェンコが地図を開く。
「一度なら」
「一度で何を壊す」
「帝国南東部、クラシナのヴェルナ海方面軍司令部。ロドネフの代替指揮所になっています」
「距離は」
「通常の戦闘機では遠い。ですが、Tu-160とKh-101なら、敵防空圏へ入らず攻撃できます」
大公は海と陸を繋ぐ新しい作戦図を見た。
「十二発しかない。報復の象徴へ使う弾はない。方面軍の通信と燃料を止めろ」
「はい」
「一度しか撃てないなら、一度で次の一度を作る」
海上の継ぎ目から、反攻の形が見え始めていた。




