第六十七話 リグナの橋
ラトヴァ共和国の首都リグナは、ダウグラ川で二つに割れていた。
西岸に旧市街と港。
東岸に中央駅、政府庁舎、帝国軍司令部。
五本の橋のうち、二本は落ちた。
二本には爆薬がある。
残る一本は、帝国軍のT-72B3とBMP-3が封鎖している。
公国・ラトヴァ合同部隊は、西岸まで来ていた。
川幅三百二十メートル。
水温九度。
流速、毎秒一・七メートル。
「泳ぐには健康的だ」
ロマネンコが言った。
「棺桶が不要になりますね」
マゼパは双眼鏡を下ろした。
「そのまま海まで届く」
「会社の福利厚生か?」
「輸送費削減です」
二人は笑わなかった。
対岸の集合住宅から、迫撃砲弾が上がる音がした。
「伏せろ!」
八一ミリ弾が岸壁へ落ちた。
花崗岩の舗装が砕け、破片がM3水陸両用架橋車の側面へ当たる。工兵一名が倒れ、左脚から血を噴いた。
笑いは三秒で終わる。
戦場では、それで十分だった。
*
作戦は、道路橋を渡るものではなかった。
帝国軍工兵が中央径間を爆破した《南環橋》は、両岸の取付部と橋脚二基が残っている。失われたのは中央七十四メートル。
M3架橋車八両を川へ入れ、浮橋として接続する。
既存橋の切断面へ仮設ランプを掛け、CV9035と歩兵を東岸へ渡す。
所要二十八分。
帝国軍が撃たなければ。
「撃たないと思いますか」
ラトヴァ工兵大尉が聞いた。
「撃つ」
マゼパは答えた。
「では二十八分では」
「四十五分にしておけ。予定表に正直さを入れると、上司は不機嫌になるが死人は減る」
ヘーチマン社が用意したのは、装甲車より大量の小物だった。
規格の違う牽引ピン。
浮橋と橋脚を繋ぐ鋼板。
水中切断機。
予備油圧ホース。
八種類のボルトを一つの工具で回すための、見た目の悪いアダプター。
「軍隊は橋を渡る」
マゼパは言った。
「会社は、橋が橋になる前の部品を運ぶ」
*
午前四時二十分。
Su-24MP二機が西岸上空で妨害を開始した。
右席の電子戦士官が、帝国軍の砲兵観測網と無人機管制回線へ狭帯域妨害を重ねる。
全ては消せない。
民生回線まで潰せば、避難誘導と救急も止まる。
ソフィアは、妨害範囲を軍用周波数と確認済み中継器へ限定した。
「東岸の監視ドローン、三機中二機が降下」
左席の操縦士が聞く。
「残りは」
「有線中継か自律航法。電波では落ちません」
「万能じゃないな」
「万能な装置は、仕様書の中にだけあります」
残ったOrlan-10が川上を旋回した。
公国側の発煙車が岸壁へ煙幕を張る。
白い幕が橋を隠す。
赤外線では、架橋車の熱が透ける。
敵無人機は見ていた。
*
M3一番車が川へ入った。
車輪を格納し、左右の浮体を展開する。二基のウォータージェットが濁流を噛み、車体を上流へ向けた。
二番車、三番車が続く。
工兵が浮体上を走り、連結具を掛ける。
川面に砲弾が落ちた。
百五十二ミリ榴弾。
最初の一発は下流へ三十メートル。
二発目は西岸の取付部。
爆風が仮設ランプを持ち上げ、工兵二名を川へ投げた。救命胴衣が開く。一人は浮いた。もう一人は装具が橋材へ引っ掛かり、水面下へ引かれる。
ロマネンコが岸から飛び込んだ。
水温が肺を締める。
流れに身体を持っていかれながら、沈んだ工兵の背中へ手を伸ばす。救出取手を掴む。ナイフで引っ掛かった安全索を切る。
二人が下流へ流れる。
ヘーチマン社のBergepanzer 2から投げた救助索が、水面を叩いた。
ロマネンコは一度外し、二度目で掴んだ。
巻上機が二人を岸へ引く。
引き上げられたロマネンコは、四つん這いで水を吐いた。
マゼパが毛布を投げる。
「泳ぎは健康的でしたか」
「お前を落とせば、もっと健康になる」
「契約にありません」
「今作れ」
救出した工兵は呼吸していた。
ロマネンコはそれを確認してから、ようやく震え始めた。
*
帝国砲兵の位置は、発砲から二分で割り出された。
AN/TPQ-53対砲兵レーダーが弾道を逆算。
東岸工業地帯、倉庫群の間。
ラトヴァ軍のPzH 2000二両が反撃する。
M982《エクスカリバー》ではなく、通常榴弾を時限信管で撃った。倉庫には民間用の化学品タンクがあり、直撃を避ける必要がある。
最初の斉射が砲兵陣地前方へ落ちる。
帝国2S19《ムスタ-S》三両が移動を始めた。
二斉射目。
一両の履帯が切れ、もう一両は砲身を破損。三両目は倉庫の陰へ逃げる。
砲撃は止まった。
代わりに、FPVドローンが四機飛んできた。
一機が煙幕を抜け、M3四番車の操舵室へ衝突。
窓が割れ、操縦手が顔面を負傷。浮体右側へ穴が開き、浸水が始まる。
「四番車、離脱!」
「抜けば橋長が足りません!」
工兵大尉は損傷した浮体へ排水ポンプを入れた。
穴の上へ鋼板を当て、内側から油圧ジャッキで押さえる。
正規の修理ではない。
川の上で四十分だけ持てばよい修理だった。
M3は沈まず、連結位置へ入った。
*
橋の接続まで、四十三分。
マゼパの予定より二分早い。
先頭のCV9035が仮設ランプへ乗った。
浮橋全体が沈み、濁流が浮体の上へ薄く走る。車長は速度を一定に保つ。
急げば波が立つ。
止まれば荷重が一か所へ集中する。
対岸まで七十四メートル。
帝国軍のT-72B3が、東岸の橋台陰から出た。
砲口がCVへ向く。
西岸のT-84《オプロート》は橋越しに撃てない。前を行く味方車両が射線を塞いでいる。
「CV、止まるな!」
T-72が発射。
砲弾は浮橋左端へ命中し、連結部を吹き飛ばした。
M3二両の間が一メートル開く。
CV9035の左履帯が隙間へ落ちた。車体が傾き、右側の履帯だけが空転する。
後続は橋上で止まる。
「下がれ!」
車長が叫ぶ。
後方のBergepanzer 2が牽引索を飛ばす。
その間に、橋上のCVが砲塔だけを回した。
三十五ミリ徹甲弾をT-72の砲身基部へ撃つ。
最初の三発は跳ねた。
四発目が照準器を割る。
五発目と六発目が砲塔リングへ入った。
T-72の砲塔が止まる。
東岸のラトヴァ抵抗兵が地下排水路から現れ、戦車後部へCarl Gustaf M4を撃った。
エンジン区画が燃える。
乗員三名が脱出した。
CV9035は牽引され、履帯を浮橋へ戻した。
再び進む。
東岸へ到達。
後部扉が開き、歩兵が橋頭部へ散った。
*
東岸最初の建物は、河川交通局だった。
帝国軍は一階窓を土嚢で塞ぎ、二階へPKM二挺を置いている。地下には職員と周辺住民八十三人。
ラトヴァ兵が正面玄関へ爆薬を貼ろうとした。
地下から、配管を叩く音がする。
三回、間を置いて二回。
抵抗組織が使う信号だった。
「中に味方」
小隊長が言う。
「敵もいる」
工兵は爆薬を外した。
建物脇には、川へ降りる荷揚げ用クレーンがある。ロマネンコは制御箱を蹴り開けた。
「動くか」
ラトヴァの港湾職員が配線を見た。
「電気があれば」
「国家再建はいつもそれだな」
ヘーチマン社の野戦発電機を繋ぐ。
クレーンの旋回モーターが唸り、長いブームが二階窓へ動いた。先端には貨物籠。その中へ第八十八群四名が乗る。
「定員二名」
港湾職員が注意した。
「戦時特例だ」
「落ちても労災は出ません」
マゼパが横から言う。
「うちの社員じゃない」
「安心した」
第八十八群の隊員が答えた。
「死ぬ理由が一つ減った」
籠が川の上へ張り出し、二階側面へ近づく。
帝国兵は正面を見ていた。
最初の窓へ閃光手榴弾。
破裂と同時に四名が入る。
PKM射手を押さえ、廊下を切る。
一階のラトヴァ兵が裏口から突入した。
銃撃は六分。
帝国兵死亡四、負傷六、投降十九。
合同部隊は軽傷三。
地下の扉を開ける。
八十三人が階段を上がった。
最後に出た交通局長は、橋を見て泣いた。
「爆破されたと思った」
「半分はされた」
工兵大尉が言う。
「半分の橋でも、全部の人間を渡せますか」
「一度には無理です」
彼は川上の救急車列を見た。
「だから順番を決める」
交通局長は濡れた管理帳簿を胸へ抱えた。
「それなら手伝える」
解放されたばかりの職員たちは、橋の通行表を作り始めた。
戦車、救急車、燃料車、避難民バス。
橋頭部を取った最初の戦果は、建物でも捕虜でもなかった。
東西を渡る順番を、再びこの都市の人間が決め始めたことだった。
*
午後二時までに、CV9035六両、T-84二両、XA-180九両、救急車四両が東岸へ渡った。
帝国軍は中央駅へ後退。
橋頭部は幅一・六キロ、奥行き八百メートル。
政府庁舎も市庁舎も、まだ帝国側にある。
西岸の港はラトヴァ側が確保。東岸の鉄道操車場は戦闘継続。
合同部隊の死亡九、重傷十七。
M3一両中破、CV9035一両大破。帝国側の損害は確認中。
橋は完成していない。
砲撃で切れた箇所を、工兵が今も締め直している。
だが、救急車が東へ渡り、負傷者を西へ運び始めた。
ロマネンコは濡れた服のまま岸壁へ座った。
マゼパが温いコーヒーを渡す。
「請求するなよ」
「毛布とコーヒーは経費です」
「救助は」
「あなたの趣味です」
ロマネンコは対岸を見た。
仮設橋の上を、担架を載せたXA-180がゆっくり戻ってくる。
「高くつく趣味だ」
「安い趣味で、人は帰ってきません」
ダウグラ川は止まらない。
砲弾が落ちても、橋が切れても、流れはアンバー海へ向かう。
その上に、人間が四十三分で作った細い道だけが残った。




