第六十六話 市庁舎より先に
エスティア第二の都市、タルヴァ。
人口九万一千。
帝国軍占領部隊、推定千四百。
市内抵抗組織、武装可能人数三百十。
地図の中央に市庁舎があり、その屋上には帝国旗がある。
西方連合の作戦案は、市庁舎を第一目標にしていた。
ホロボロドコは赤鉛筆で線を引いた。
「第一は浄水場。第二は中央変電所。第三は病院」
「市庁舎は象徴です」
エスティア亡命軍の将校が言う。
「水道も象徴だ。蛇口をひねれば分かる」
「旗を下ろせば、市民が解放を知る」
「便所が流れなければ、翌朝には別のことを知る」
ホロボロドコは四つ目に放送局、五つ目に消防署を書いた。
市庁舎は六番目。
戦争は旗を立てる仕事に見える。
占領を終わらせる仕事は、旗より下にある配管と鍵と名簿を取り戻すことだった。
*
午前五時四十分。
タルヴァ西郊。
先頭のT-84《オプロート》二両が、霧の中から幹線道路へ出た。
後方にCV9035四両、エスティア亡命軍のXA-180装甲兵員輸送車六両、工兵車、救急車。
路面電車の架線が垂れ下がり、戦車の砲塔へ触れそうになる。
「電気は」
『落ちています』
「確認したか」
『変電所の抵抗組織から』
「なら切れ。噂で感電するな」
工兵が絶縁具で架線を落とす。
その三十秒が、先頭車を交差点へ止めた。
向かいの集合住宅一階から、9M133《コルネット》が飛んだ。
誘導線のないレーザー照準式ミサイルが、朝霧へ白い筋を作る。
先頭のT-84へ正面から命中。
爆発反応装甲が連鎖して弾けた。車体前面から黒煙。操縦手用ペリスコープが割れ、砲塔内の照明が落ちる。
『一号車被弾!』
「動けるか」
『操縦手負傷。機関生存。前が見えない』
「後退するな。二号車、横へ出て盾になれ。歩兵、発射地点を取れ」
二両目のT-84が前へ出る。
砲塔を集合住宅へ向けるが、一二五ミリ砲は撃たない。窓の上には洗濯物が残り、熱画像に複数の民間人が映っている。
CV9035が建物下部へ発煙弾を撃つ。
白煙の中へエスティア兵が走る。
入口は家具で塞がれていた。
散弾銃で蝶番を撃ち、隙間へ手榴弾を投げようとした兵士を、小隊長が止める。
「上に住民がいる」
「射手もいる」
「だから入る」
バールで扉をこじ開ける。
廊下の奥からAK-74Mが撃たれた。
先頭兵の肩へ二発。防弾板の外を一発が抜ける。身体が壁へ回り、血が塗装へ扇状に散った。
後続が射手の足元へ二発返す。
帝国兵が倒れる。
もう一人が二階へ逃げた。
階段を追う。
部屋の扉が開き、老女が鍋を持って立っていた。
「撃たないで」
小隊長は銃口を下げる。
「地下へ。窓から離れて」
老女は鍋を置かなかった。
「スープが焦げる」
「戦争中です」
「昨日もよ」
その返事に、兵士たちは一秒だけ黙った。
帝国兵は屋上へ出た。
背後から取り押さえられたとき、レーザー照準器をまだ握っていた。
十九歳だった。
*
浄水場では、戦闘より先に鍵が問題になった。
帝国軍は管理棟から退き、塩素注入設備の制御盤をロックしていた。主任技師は三日前に拘束。電子鍵の管理者権限がない。
抵抗組織の女性技師が制御端末へ座る。
「停止させられます」
「稼働は」
「停止なら三分。再起動は、殺した主任に聞いてください」
ホロボロドコは周囲を見た。
塩素ガスのボンベ列。
流入ポンプ。
市街へ向かう太い配管。
帝国軍は爆薬を置いていた。
一本切れば水が止まる。ボンベを破れば周辺住民が死ぬ。
工兵が制御盤の裏から起爆線を追う。
「時限式。残り十一分」
「解除は」
「罠が二重なら間に合わない」
ホロボロドコは決めた。
「ボンベを外へ運べ。爆薬は水へ沈める」
「重いです」
「知ってる。軽ければ敵が運んでいった」
兵士と職員がボンベを一本ずつ台車へ載せる。
最後の一本で車輪が外れた。
四人が抱える。
時限装置、残り二分。
工兵は爆薬を切り離せない。制御盤ごと引き剥がし、隣の沈殿槽へ投げ込んだ。
水中で爆発。
茶色い水柱が上がり、窓ガラスが内側へ飛ぶ。工兵一名の頬へ破片が入り、技師は床へ倒れた。
塩素ボンベは無傷。
流入ポンプ二基のうち一基停止。
市内給水量は四割まで低下したが、ゼロにはならなかった。
「解放の味は」
ホロボロドコが聞く。
女性技師は濁った水を見た。
「しばらく煮沸してください」
「正直でいい」
*
中央変電所への道では、帝国軍のT-72B3二両が路面電車の車庫を拠点にしていた。
正面道路は広い。
広い道路は戦車に撃たれるためにある。
公国側は入らなかった。
抵抗組織の路面電車運転士が、整備用の後門を開ける。CV9035二両が軌道敷へ入り、車庫の裏へ回った。
T-72B3一両が気づき、砲塔を回す。
遅い。
三十五ミリ機関砲が車体後部を連射した。
エンジングリルが裂け、冷却液が噴く。戦車は前へ動き、車庫の柱へ衝突。砲は生きている。
一二五ミリ砲が発射された。
CV9035の右前方へ命中。
装甲板が内側へ膨らみ、履帯が切れる。乗員の鼓膜が破れ、砲手の額が照準器へ当たった。車内に煙が充満する。
「退避!」
後部扉が半分しか開かない。
歩兵が外から蹴る。
乗員三名と兵士六名が這い出した直後、T-72が二発目を撃った。
車体中央へ命中。
弾薬が誘爆し、砲塔上の三十五ミリ弾箱が火を噴いた。車庫の屋根へ鉄片が降る。
もう一両のCV9035が建物の陰から出る。
T-72の砲塔側面へ徹甲弾を七発。
砲塔旋回が止まり、車長ハッチから炎が出た。
残る帝国戦車は白布を砲身へ巻いた。
操縦手がハッチから手を出す。
ホロボロドコは射撃停止を命じた。
変電所は戦闘開始から一時間二十二分で確保。
主変圧器一基損傷。市の西半分へ送電再開。東側は停電継続。
*
正午。
中央病院の地下には、患者二百六十人と避難民四百人がいた。
発電機燃料は残り六時間。
帝国軍は病院を占拠していなかった。
入口の通りへ、無人のトラックを三台置き、遠隔操作のFPVドローンを屋上へ隠していた。
燃料車が近づけば撃つつもりだった。
先頭のヘーチマン社M60A3が、空中の小さな音を拾った。
「ドローン!」
砲塔上の重機関銃が撃つ。
一二・七ミリ弾が空を切る。
FPVドローンは街路樹を回り、燃料車の後部へ入った。
M60A3が車体を寄せる。
ドローンは戦車の側面へ衝突した。
成形炸薬がサイドスカートを裂き、転輪二個を傷める。戦車は止まったが、燃料車は無傷。
「会社の戦車を盾に?」
マゼパが無線で聞く。
『契約外でしたか』
「戦車を盾以外に使う契約があるなら見たい」
乗員は消火器を使い、燃えた外部収納箱を消した。
燃料車が病院地下へ入る。
発電機は止まらなかった。
*
午後三時、東部工業地帯から百十二人の工員が出てきた。
白旗ではなく、青い作業服を棒へ結んでいた。
帝国軍が組立工場の地下へ陣地を作り、工員と家族を残したまま上階へ弾薬を運び込んでいるという。
「人質か」
ホロボロドコが聞く。
「盾です」
工員長が答えた。
「逃げる者は撃つ。残る者には水をやる。人質なら交渉に使うでしょう」
言葉の違いで、撃たれる人間は変わらない。
だが、敵の目的は変わる。
交渉材料ではなく、攻撃を鈍らせる地形として使っている。
ホロボロドコは工場の図面を広げた。
「地下搬入口は」
「北に二つ。片方は溶接されています」
「換気」
「屋上機械室。止めれば地下は二時間で苦しくなる」
「止めない」
「催涙剤を入れる案もあります」
参謀が言った。
「子供も吸う」
「では正面から」
「それも子供が撃たれる」
工員長が、図面の端へ鉛筆で線を引いた。
「塗装排気の保守管があります。人一人なら」
「知っているのか」
「十二年、詰まりを掃除した」
第八十八群の四名と工員二名が、直径八十センチの保守管へ入った。
防弾板は外す。
銃は胸の前でなく、身体の横へ引く。
油と塗料の臭いが喉へ張りつく。
二十二分かけて機械室の床下へ出た。
帝国兵は外を見ていた。
最初の二人を音を立てずに押さえる。
三人目が警報を叫び、銃撃が始まった。
短い連射が配管を叩く。
蒸気が噴き、視界を白くする。
地上班が同時に北搬入口を爆破した。
帝国兵の注意が割れる。
第八十八群は上階の弾薬集積へ入り、起爆用雷管だけを抜いた。
地下の工員を先に出す。
最後の家族が出た後、帝国兵三十六名が投降した。九名は東へ逃げ、七名が死亡。
第八十八群は二名負傷。案内した工員の一人は、右手の指を二本失った。
ホロボロドコは担架の横へしゃがんだ。
「勲章を出す」
工員は麻酔の切れかけた顔で言った。
「手当を先に」
「当然だ」
「違う。手当金」
ホロボロドコは一秒置いて笑った。
「ボンダレンコへ直接言え。俺より怖いが、金は出す」
工員は目を閉じた。
「戦車より?」
「戦車は申請書を返してこない」
*
午後五時。
タルヴァ西部と中心部の主要施設は、公国・エスティア合同部隊の管理下へ入った。
市東部の工業地帯には帝国兵およそ四百が残る。
狙撃と迫撃砲射撃は続いている。
公国・エスティア側、死亡十四、重傷二十二、軽傷四十一。
帝国側、死亡推定五十三、捕虜百十八。民間人死亡は確認中。
CV9035一両全損、T-84一両中破、M60A3一両走行不能。
市庁舎はまだ帝国旗を掲げていた。
若い兵士が、いつ下ろすのかと聞いた。
「明日だ」
ホロボロドコは答えた。
「今夜では」
「今夜は消防署の無線を直す」
「旗は市民を勇気づけます」
「火事を消す方が長く効く」
夜八時、タルヴァ西部の街灯が一区画ずつ点いた。
蛇口から濁った水が出た。
病院の人工呼吸器は止まらなかった。
市庁舎の屋上では、帝国旗が暗闇に残っている。
だが、その下の都市は、もう旗の命令だけでは動いていなかった。




