表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王冠の亡命――八百日の建国戦争  作者: シルヴァン・レーデル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
68/155

第六十二話 二百人目の席



 CV9035の車幅は三・二メートル。


 旧製材所の切通しは、狭いところで三・五メートルだった。


 左右の岩壁へ、拳一つ分の余裕しかない。


 操縦手は速度を時速八キロまで落とした。右の履帯が枕木を砕き、車体側面の増加装甲が岩を擦る。火花が後方へ流れた。


「もう少し右」


 車長が指示する。


「右は岩です」


「左も岩だ」


「選択肢が豊富ですね」


 砲手は照準器から顔を離さなかった。


 その上を、Mi-24Pのローター音が横切る。


 地形に反響し、方向が分からない。


 ロマネンコは兵員室で、ヴァイガ駅の古い平面図を膝へ置いた。


 駅舎。信号塔。貨物ヤード。地下の暖房配管。


 二十年前、密輸品を構内へ入れた経路は二つあった。税関職員を買うか、配管点検口を使うか。前者は高く、後者は臭かった。


 今日は金を払う相手がいない。


「南端の信号扱所まで行け。そこからは歩く」


「列車はあと二十七分です」


「だから急げと言ってる」


「時速八キロで?」


「人生には努力でどうにもならん幅がある」


     *


 ヴァイガ駅の客車には、百九十八人しかいなかった。


 帝国軍の輸送名簿には二百人。


 車掌が数えたのは百九十八。


 列車警備隊長は、差を問題にしなかった。


 一人は前日、移送用のバスごと駅へ来なかった。


 もう一人は朝、整列に遅れた。地下倉庫へ連れていかれ、まだ戻っていない。


 書類上は乗せたことにすればよい。


 行方不明者は、輸送中の逃亡者へ変わる。


 逃亡者は、射殺許可の番号へ変わる。


 それで報告書は閉じる。


 客車の三両目で、少女の母親は空いた席を二つ見ていた。


 一つは、バスで連れ出された娘の席。


 もう一つは、地下へ連れていかれた息子の席。


 両方とも、荷物を置かせなかった。


 戻ってくる場所を他人に使わせたくなかった。


     *


 九時四十分。


 CV9035が信号扱所の外壁を押し破った。


 煉瓦が砲塔へ降り、窓枠が車体の下で潰れる。三十五ミリ砲は撃たない。駅構内へ向ければ、反対側に客車がある。


 後部扉が開いた。


 第八十八群の六名とロマネンコが飛び出す。


 扱所の帝国兵二名は、机の下からAK-74Mを取ろうとした。


「手を離せ」


 一人は従った。


 もう一人が銃床を上げる。


 二発。


 胸部へ命中し、身体が配電盤へぶつかった。スイッチが落ち、構内信号が一斉に赤へ変わる。


「信号は止めた」


 兵士が言う。


「機関車は信号を無視できる」


 ロマネンコは制御卓の下へ潜った。


 旧式の継電器。更新された遠隔制御器。配線図と実物が十三年分ずれている。


「何が必要です」


「転轍機を南へ振る。機関車だけ貨物側線へ入れる」


「客車も入ります」


「連結を切る」


「走行中に?」


 ロマネンコは顔を上げた。


「止まってくれるなら、駅へ来る必要はなかった」


     *


 貨物ヤードのBTR-82Aが動いた。


 三〇ミリ機関砲が信号扱所へ向く。


 最初の連射が煉瓦壁を貫いた。


 机が裂け、紙が白い鳥のように舞う。砲弾は室内を抜け、背後の岩壁へ食い込んだ。ロマネンコの耳から音が消えた。


 床へ伏せる。


 口の中に石灰と血の味がした。


 第八十八群の兵士が窓下からCarl Gustaf M4を出す。


「待て。客車が後ろだ」


 BTRは駅舎の陰を使い、射線を切った。


 二両目が北側へ回る。


 そのとき、線路の東からCV9035の三十五ミリ砲が撃った。


 徹甲弾四発。


 一発目がBTRの左前輪を破裂させる。二発目は車体前部を貫通し、操向装置を破壊。三発目と四発目が砲塔基部へ入り、砲塔が斜めで止まった。


 乗員が後部扉から出る。


 CVは撃ち続けない。


 もう一両は客車を盾にした。


「嫌な奴だ」


 砲手が呟く。


『撃つな』


 車長が言う。


『嫌な奴に、正しい照準を褒めてやれ』


     *


 Mi-24Pが駅上空へ入った。


 低い。


 機首右側のGSh-30-2K機関砲が、線路沿いのCV9035を捉える。


 曳光弾が地面を走った。


 最初の列が車体後方を外れ、枕木を粉にする。次の列が上面装甲へ当たり、外部カメラと無線アンテナを吹き飛ばした。車内で警報が鳴る。


「上が見えない!」


 砲手が叫ぶ。


 Mi-24Pは通過し、駅西側で機首を振った。


 二度目が来る。


 その前に、セーレ岬から飛んだAH-64Eが森の上へ現れた。


『駅上空のハインドへ。南西から接近中。離脱せよ』


 Mi-24Pは答えず、高度を下げた。


 建物の間へ入り、アパッチのレーダー視線を切る。


 両機は駅を挟んで互いを探した。


 ローターウォッシュが屋根瓦を剥がし、ホームの時刻表を折る。


 アパッチのM230が短く撃つ。


 三十ミリ弾がMi-24Pの尾部手前を通過し、倉庫の屋根へ穴を開けた。


 Mi-24Pが上昇する。


 右翼端へ一発が当たり、外板が裂けた。致命傷ではない。


 帝国機は東へ逃げた。


 アパッチは追わない。


『地上班、上空は二分だけ空ける。仕事を終えろ』


「二分で二百人か」


 ロマネンコは耳鳴りの中で立ち上がった。


「ずいぶん親切な締切だ」


     *


 列車が動き出した。


 ディーゼル機関車の回転数が上がり、連結器が一両ずつ衝撃を伝える。客車の窓で百九十八の身体が揺れた。


 警備兵はホーム側へ集中している。


 第八十八群は暖房配管の点検口から二両目の床下へ入った。


 先頭の兵士が床板を押し上げる。


 便所だった。


 中に帝国兵が一人いた。


 互いに一秒、黙った。


「最悪の入室だな」


 帝国兵が銃へ手を伸ばす前に、拳銃の銃床が顎へ入った。


 ロマネンコは後から上がり、鼻を押さえた。


「秘密の通路ってのは、たいてい臭い」


 各車両の警備兵を、前後から分断する。


 一両目で三発。


 二両目で一発。


 三両目の帝国兵は、乗客の少女を腕へ抱え、銃口をこめかみへ当てた。


「来るな」


 第八十八群の兵士は銃を下げた。


 ロマネンコには、少女の顔より男の足が見えた。


 踵が浮いている。


 床は動き、車体は揺れる。男は人質を保持するため、右足へ重心を寄せていた。


「分かった」


 ロマネンコは両手を上げる。


「俺たちは降りる。だが、その子は運賃を払ってない」


「何を言っている」


「無賃乗車だ。帝国の威信に関わる」


 男の視線が一瞬だけ下がった。


 少女が男の足を踏んだ。


 重心が崩れる。


 第八十八群の兵士が一発撃つ。


 弾丸は男の右肩へ入り、銃口が天井を向いた。発射音。窓が割れた。


 少女を引く。


 男は床へ倒れ、傷口を押さえて呻いた。


「殺さないのか」


 ロマネンコが聞く。


「訊くことがあります」


「仕事熱心で結構」


 少女は母親の胸へ飛び込んだ。


 その母親は、もう一つの空席から目を離さなかった。


「息子が地下に」


 列車は速度を上げている。


 駅北端まで八百メートル。


「名簿は百九十八だ」


 第八十八群の隊長が言った。


「命令は列車の乗客救出です」


 正しい。


 正しい命令は、二人を地下へ残せる。


 ロマネンコは車外の信号柱を見た。


「俺は命令を受けてない」


「あなたは作戦協力者です」


「便利な肩書だ。クビにしろ」


 彼は無線を取った。


「扱所。転轍を今だ」


     *


 機関車が貨物側線へ入った。


 客車との連結器には、第八十八群の兵士が切離し梃子へ結束紐を掛けている。


 分岐通過の衝撃に合わせて引いた。


 空気管が裂ける。


 圧縮空気が白く噴き、客車の非常ブレーキが作動した。車輪が甲高い音を上げ、火花を散らす。


 機関車だけが側線を進み、車止めへ突っ込んだ。


 緩衝器を押し潰し、前部台枠が持ち上がる。運転士と警備隊長は制御台へ叩きつけられた。


 客車六両は本線上で停止した。


 公国部隊がホームへ入る。


 帝国兵の抵抗は七分で終わった。


 死亡六、負傷九、投降二十一。残りは東へ逃走。


 公国側は重傷二、軽傷五。CV9035一両が航法・観測装置を損傷。


 救出百九十八。


 ロマネンコと第八十八群二名が地下倉庫へ向かった。


 扉には外から南京錠。


 中で、水道管を叩く音がした。


 鍵を撃つ。


 扉を開ける。


 十四歳の少年と、彼を庇っていた駅員がいた。少年の左目は腫れ、駅員は肋骨を折られていた。


「列車は」


 少年が聞いた。


「止めた」


「姉は」


「乗ってる」


 少年は膝から崩れた。


 ロマネンコは抱き起こさなかった。代わりに、歩けるかと聞いた。


 少年は頷いた。


 歩ける人間には、歩けるという尊厳を残す。


 歩けなくなったら運べばいい。


     *


 救出者は二百人になった。


 母親と弟は、客車の三両目へ戻った。


 母親は娘の席へ荷物を置かず、セーレ岬まで空けておくと言った。


 駅員には、空いていた二百人目の席が与えられた。


 名簿にない一人だった。


「数が合いません」


 輸送担当が言った。


「二百人の救出命令です。二百一人います」


 ロマネンコは鹵獲した帝国軍名簿を破った。


「なら、こっちの数え方を変えろ」


「報告書は?」


「二百人と、報告書より運の悪かった一人」


 列車は損傷した機関車を切り離し、ヘーチマン社の装甲回収車二両に牽かれて南へ動き始めた。


 速さは時速十二キロ。


 海岸まで三十八キロ。


 帝国軍が来る前に走り切れる速度ではない。


 だから、公国軍は線路の両側へ残った。


     *


 駅を離れて二十六分後、東の県道に帝国軍の車列が現れた。


 BTR-82A三両、軍用トラック四両。


 ヴァイガから逃げた兵が呼んだ増援だった。


 列車は切通しの中にいる。前へも後ろへも速度を変えられない。


 ヘーチマン社のM60A3二両が、線路と県道の間にある耕作地へ出た。雨を吸った土が履帯へまとわりつく。


 帝国側の先頭BTRが三〇ミリ機関砲を撃つ。


 弾着がM60A3の前を横切り、線路脇の電柱を折った。電線が客車の屋根へ落ちる。停電した区間で電気は来ていないが、乗客は悲鳴を上げた。


 M60A3一番車が発砲。


 一〇五ミリ榴弾はBTRの手前へ着弾し、道路舗装を剥がした。先頭車が穴を避けようとして横を向く。


 二番車の砲弾が、その機関室へ入った。


 車体後部から炎。乗員が脱出する。


 残る二両は散開した。


 片方が列車へ射線を取ろうとする。


 T-72M1が林の陰から一発撃った。砲弾は砲塔を外し、前輪二本と操向装置を破壊する。BTRは畑へ落ちた。


 三両目は煙幕を張り、トラックとともに東へ退く。


 公国側は追わなかった。


 列車の速さへ戻る。


 戦車が勝てる速度ではなく、二百一人が帰れる速度だった。


     *


 午後二時十四分。


 列車はセーレ岬の臨時停車場へ着いた。


 客車の扉が開く前に、九歳の少女が松葉杖を放り出しそうになった。衛生兵が襟を掴んで止める。


「走るな。骨がずれる」


「家族が」


「家族は逃げない。骨は逃げる」


 母親と弟が三両目から降りた。


 少女は今度こそ松葉杖で進んだ。


 最後の三歩だけ、弟が支えた。


 三人が抱き合う。


 ロマネンコは少し離れて見ていた。


 母親が彼へ気づき、礼を言おうとする。


「俺じゃない」


 彼は列車を牽いた回収車と、泥だらけの兵士たちを指した。


「礼は人数分に割ると安くなる。代わりに、忘れないでくれ」


「何を」


「二百じゃない。二百一人だ」


 数字は、人を消すためにも使える。


 正しく数えれば、人を戻すためにも使えた。


 助けるとは、扉を開けることではない。


 開けた扉から、最後の一人が出るまで撃たれ続けることだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ