第五十七話 扉を閉める電波
レーダーを破壊する前に、レーダーへ何を信じさせるかを決める。
《曙光線》第一航空作戦は、爆撃機ではなく電波から始まった。
午前四時十二分。
アンバー海南部を、EA-18G四機が高度九千メートルで東進する。
その南側を、公国が保有する三機のうち、任務へ出せるSu-24MP電子戦機二機。
Su-24MPの操縦席は左右並列だった。左席の操縦士が機体を保持し、右席の電子戦士官が周波数表と脅威表示を見ている。前席も後席もない。
護衛は地上基地から上がったSu-35BM四機と、F-2A四機。
対レーダー攻撃はF-16CJ六機。AGM-88C《HARM》を各二発。グラウラーは妨害ポッドに加え、AGM-88E《AARGM》を各一発積んでいた。
空中早期警戒はA-50U。
海面近くにはMALD囮が八機、別々の戦闘機を装って飛ぶ。
紙の上では、整った編隊だった。
空では、速度も航続距離もデータリンクも違う機体が、同じ秒へ合わせようとしている。
「同期誤差」
ソフィアが地上管制席から聞く。
「最大一・七秒」
「一秒以内へ」
「グラウラー三が遅れています」
「理由」
「給油口閉鎖警報。手動確認中」
「囮投入を二十秒遅らせる。F-16隊へ共有」
激情は、敵のレーダーが点くまで待つ。
今は秒を揃える時間だった。
*
カレングラード防空地区のS-400連隊は、すでに警戒していた。
91N6E捜索レーダーが長距離走査。
低空監視の96L6E。
パンツィリ-S1が発射機周辺を守る。
前夜の弾道攻撃で、公国側が反撃することは分かっている。
連隊長セミョン・ヴェリチコ大佐は、指揮所で古いジャズを流していた。小さな音。ピアノとブラシドラム。
「止めますか」
副官が聞く。
「なぜ」
「戦闘です」
「戦闘だからだ。警報音だけ聞いていると、人間は警報のために働き始める」
彼は紅茶へ角砂糖を二つ入れた。
「敵は我々を黙らせに来る。まず、喋らせようとするはずだ」
レーダーを点ければ、対レーダーミサイルが来る。
消せば、巡航ミサイルと攻撃機へ空を開ける。
防空戦は扉の守り方に似ている。開けば撃たれ、閉じれば侵入される。
ヴェリチコは捜索レーダーを三十秒だけ点け、位置を変える手順を選んだ。
*
MALD八機が海岸線へ向かった。
反射信号はF-16編隊。
高度をばらつかせ、通信らしいパルスまで吐く。
帝国の96L6Eが最初の三十秒走査を行った。
「放射確認」
Su-24MP右席の電子戦士官が言う。
「周波数二帯。パルス反復、記録。グラウラーへ渡す」
左席の操縦士は高度二百メートルを保つ。夜の海は窓の外で黒い壁になり、レーダー高度計だけが地面との距離を教える。
「向こうも待っていたな」
「私たちほど性格は悪くない」
「褒めてるのか」
「残念ながら」
グラウラーが妨害を開始した。
測定したパルスを少し遅らせ、偽の距離へ返す。単純な狭帯域雑音より厄介な欺瞞で、帝国の画面では囮編隊が一つから三つへ分かれた。
ヴェリチコはすぐ気づいた。
「欺瞞妨害。出力を上げるな。周波数変更」
96L6Eが切れる。
別位置の91N6Eが点く。
「長距離レーダー、放射!」
グラウラーの脅威受信機へ方位線が出た。
『ワイルド一、マグナム』
AGM-88Eが二発、主翼下から離れた。
ヴェリチコは二十秒でレーダーを止める。
AARGMは放射が消えても、慣性航法とミリ波レーダーで最後の位置を探す。
「移動!」
91N6Eの車両が支持脚を畳む。完全収容には時間がかかる。乗員がケーブルを一本、切断して捨てた。
一発目が旧位置へ落ち、土を噴き上げた。
二発目は移動を始めたレーダー車を捉えた。
弾頭は車体後方七メートルで爆発し、破片がアンテナ面を斜めに裂いた。位相配列素子が黒く弾け、油圧支持柱が折れた。
レーダーは沈黙した。
「一基停止。破壊未確認」
ソフィアは言葉を選ぶ。
停止は一時的な成果にすぎない。明日直るかもしれない。予備があるかもしれない。
戦果を大きく言えば、次の編隊がその嘘へ入っていく。
*
帝国側は囮電波源を起動した。
廃倉庫の屋根に置かれた送信機が、S-400の射撃管制レーダーを模倣する。
F-16CJ二番機が捕捉した。
『新規放射。方位〇九一』
「撃つな」
Su-24MP右席が波形を見た。
「立上りが綺麗すぎる。走査揺らぎがない。囮だ」
『確認根拠』
「本物は暖機後に〇・三パーセントずれる。こいつは教科書どおりだ」
『性格の良いレーダーかもしれない』
「帝国軍にそんなものはいない」
F-16隊が射撃を保留する。
三十秒後、本物の92N6Eが別の林から起動した。目標はSu-24MP。
「照射!」
帝国側の48N6DMが発射される。
長いミサイルが垂直に上がり、南へ倒れた。
Su-24MP左席は機体を海面へ押し下げた。可変翼が後退し、機体が加速する。右席は妨害ポッドを最大出力へ上げ、チャフを撒く。
『ミサイル、二十五秒』
護衛のSu-35BMが前へ出た。
この距離と二十五秒では、護衛のSu-35BMが飛来する48N6DMへ迎撃の射線を作る余裕はない。できるのは、敵レーダーへ別の問題を与えることだ。
『フランカー一、Fox Three』
R-77-1が、レーダーを守る帝国MiG-29SMTへ向かう。敵戦闘機が回避し、データリンク中継が一瞬遅れる。
Su-24MPは海面八十メートルで右へ急旋回した。
48N6DMはチャフ雲を抜け、機体後方を通過する。近接信管が作動し、破片が左水平尾翼へ当たった。
操縦桿が震える。
「左水平尾翼、応答低下」
「帰れる?」
右席が聞く。
「質問の順番が違う。仕事は」
「もう二分」
「二分働いてから帰る」
機体は低空を保った。
その二分間に、右席は92N6Eの正確な位置を送った。
グラウラー二番機がAARGMを一発。
ミサイルは林へ入り、射撃管制車の十メートル手前で起爆した。アンテナが倒れ、発電車が燃える。
帝国防空の扉が、一地区だけ閉じた。
閉じたのは公国側ではない。
レーダーを点ければ撃たれ、消せば見えない。ヴェリチコは残存発射機へ移動を命じた。
ジャズは爆風で止まっていた。
彼は割れたカップを見て、副官へ言った。
「次は砂糖を一つにする」
「なぜです」
「二つ入れる前に走れる」
*
午前五時〇二分。
第一航空作戦は終了した。
確認された戦果。
長距離捜索レーダー一基大破。
射撃管制レーダー一基停止。
囮電波源一基識別。
帝国戦闘機撃墜なし。
公国側Su-24MP一機損傷。左水平尾翼系統低下。乗員負傷なし。
防空網は壊滅していない。
ただ、海岸の一角で十五分間、低空目標を追えなくなった。
十五分。
上陸部隊が海岸へ届くには、十分だった。
*
損傷したSu-24MPは、帰投基地まで百四十キロあった。
左水平尾翼の応答は半分。
油圧圧力がゆっくり下がる。
左右並列の操縦席で、左席の操縦士は両手を操縦桿へ置き、右席の電子戦士官は緊急手順書を開いた。
「脚を下ろしたら、油圧が落ち切るかもしれない」
「上げ直せない?」
「下りるだけなら問題ない」
「着陸復行は」
「できない」
基地気象は横風九ノット。滑走路は乾燥。消防車が両脇へ待機する。
『管制よりスパナ二。直線進入を許可。滑走路二七。風二六〇、九ノット』
「スパナ二、了解。着陸は一回だけ」
『分かっている』
機体は可変翼を十六度へ戻し、速度を落とす。左尾翼が震え、機首が周期的に上下した。
「高度百。速度三百二十」
右席が読む。
「速い」
「遅くすると尾翼が負ける」
脚を下ろす。
三緑灯。
油圧圧力が赤域へ入った。
「フラップは」
「二十度で止める」
通常より速い進入。
滑走路端を越える。
「十。五。接地」
主脚が路面へ強く当たり、機体が一度跳ねた。操縦士は引き起こさず、前脚を下ろす。制動傘が開く。
左へ流れる。
右ブレーキ。
タイヤが鳴る。
Su-24MPは滑走路左端から三メートルで止まった。
消防車が泡を噴き、左尾翼から立つ煙を覆う。
右席の電子戦士官は酸素マスクを外した。
「二分働いてから帰る、だったな」
「二分四十秒だ」
二人が機外へ出る前に、ヘーチマン社のMAZ-537G重牽引車が滑走路へ入った。
AA-60(7310)-160.01飛行場用消防車が左尾翼へ泡を掛け続ける。整備員は主脚と前脚を確認し、専用牽引棒を噛ませた。油圧を失ったSu-24MPは、自力では誘導路へ曲がれない。
「航空機回収は契約外です」
公国整備士がマゼパへ言った。
「機体は契約外です」
マゼパは牽引索の張りを見た。
「滑走路は全員の契約内でしょう。次の機が降りられなければ、書類の区分に意味はありません」
MAZ-537Gが低い排気音を上げ、損傷機を誘導路へ引き出した。左尾翼が揺れるたび、左右の整備員が停止合図を送る。
着陸から十一分後、滑走路は再開した。
撃つ機体を増やしたのではない。
帰ってきた機体で、次の機体まで塞がないようにした。
「残業手当を請求する」
「機体の修理費から引く」
二人は笑った。
キャノピーが開き、冷たい外気が入る。
地上へ降りると、操縦士の膝が震えた。右席の士官は何も言わず、肩を貸した。
左右に座った乗員は、恐怖も左右に分けた。
前後ではない。




