第五十二話 証拠になる傷
写真だけでは、戦争犯罪の証拠にならない。
撮影時刻。
位置。
原本。
撮影者。
改変されていないことの証明。
そして、その写真が何を意味するかを知る人間。
第八十八特務支援群は、最後の一つを迎えに行った。
ラトヴァ東部、ヴァイガ駅から西へ十二キロ。
森の中の農道へ、MH-47G一機が低空で入る。二基のT55-GA-714Aエンジンが木々を揺らし、前後のローターが枝先を白く裏返した。
護衛はAH-64E二機。
機上にはヴァイパー率いる回収班、ラトヴァ検察官、法医学者、映像鑑定員。銃を持つ者より、証拠袋を持つ者の方が多い。
「兵士が足りない」
チヌークの機内で検察官が言った。
「戦闘にならない計画です」
ヴァイパーが答える。
「その言葉を信じた同僚を三人埋めた」
「俺は四人だ。今日は競争をやめよう」
検察官は黙った。
彼女の膝には古い革鞄がある。中には令状、宣誓書、採取手順書。帝国軍の占領地域へ令状を持って入るのは滑稽に見える。
だが、証拠を武器にするなら、銃より厳しい手入れが必要だった。
*
回収対象は、帝国鉄道輸送局の下級技官セルゲイ・ニェドフだった。
移送列車の編成と行先を記録し、三か月前から抵抗組織へ写しを渡している。昨夜、帝国国家保安総局に身元を疑われ、家族とともに逃亡した。
合流地点は廃製材所。
チヌークが接地する前から、何かがおかしかった。
建物の扉が開いている。
予定では、白い布を二階窓へ掛けるはずだった。布がない。
『アパッチ一、熱源を確認。建物内四、北側林縁七。林縁は武装の可能性』
「着陸中止」
ヴァイパーが言った。
その瞬間、林から9K38《イグラ》携帯式地対空ミサイルが上がった。
白煙が真っ直ぐチヌークへ伸びる。
『フレア!』
後部から赤い火球が連続して落ちた。操縦士は機体を左へ倒し、出力を上げる。大きな輸送ヘリはアパッチのようには曲がらない。胴体全体が遅れてついてくる。
イグラは最初のフレアを追い、外れた。
弾頭が木立の上で爆発し、破片が右後部ローター周辺へ当たる。機体が強く震えた。
『後部変速機、振動上昇!』
「飛べるか」
『二分なら。二時間は知らん』
「二分で降ろせ」
アパッチ二機が林縁へ機首を向ける。AN/APG-78ロングボウ・レーダーが車両と人影を分離した。
『武装車両一。ZU-23-2搭載。林の北』
『民家が射線後方。ヘルファイア不可』
『三十ミリで砲架を止める』
M230機関砲が短く鳴った。三十ミリ弾が車両前方の地面を掘り、修正された次の五発が砲架を叩く。ZU-23-2の右砲身が折れ、射手が車外へ落ちた。
チヌークは製材所の南側へ強行着陸した。
後輪が先に地面を削り、機体が前へ跳ねる。後部ランプが開く前に回収班が立ち上がった。
「法医学者は機内!」
「私も行く」
検察官が革鞄を抱える。
「撃たれたら証拠が減る」
「私がいなければ証拠にならない」
「面倒な職業だ」
「傭兵に言われたくない」
ヴァイパーは彼女へ予備の防弾板を渡した。
*
製材所の内部には、ニェドフと妻、娘二人がいた。
妻は肩を撃たれている。長女が布を傷へ押し当て、次女は古い帳簿を胸に抱えていた。
「本人確認」
検察官が膝をつく。
「セルゲイ・ニェドフ?」
「そうだ」
「列車番号七一四、七二二、七三一の編成記録を作成した?」
「作った」
「原本は」
ニェドフが次女を見る。
少女は帳簿を差し出さない。
「これを渡したら、父さんを連れていく?」
検察官は答える前に、一度息をした。
「全員を連れていく。安全を約束はできない。でも、置いてはいかない」
「大人は、いつも安全だって言う」
「私は言わない」
少女はヴァイパーを見た。
「この人は?」
「撃たれないようにする人」
「失敗したら?」
「悪態をつく人」
ヴァイパーが言う。
「説明としては正確だ」
少女は帳簿を渡した。
*
外では帝国保安総局の追跡班が迫っていた。
BTR-82A一両と四輪駆動車二両。
アパッチは民家と製材所が近すぎてミサイルを使えない。二機は道路上を低空で横切り、ダウンウォッシュで先頭車の視界を奪った。
BTRの三十ミリ機関砲が空へ向く。
アパッチ二番機が横へ滑り、M230で前輪と砲塔基部を撃った。タイヤが破裂し、BTRは道路を外れて側溝へ突っ込む。砲塔は生きている。
『歩兵下車!』
ヴァイパーたちは家族をチヌークへ運んだ。負傷した妻を担架へ固定。次女は帳簿を離さない。
「それは預かる」
「嫌」
「落とすぞ」
「あなたが持つと撃たれる」
「正しい」
検察官が帳簿を防弾鞄へ入れ、自分の胸へ固定した。
最後尾の兵士がランプへ走る。
BTRが発砲した。
三十ミリ弾が製材所の壁を貫き、木屑と鋼片がチヌーク後部へ飛び込む。回収班の一人が倒れた。大腿部から血が出る。
ヴァイパーは戻った。
「置いていけ!」
負傷者が怒鳴る。
「命令するな」
「追いつかれる!」
「それは俺の台詞だ」
ヴァイパーは担架ではなく、彼のプレートキャリア背面を掴んで引きずった。検察官が反対側を持つ。革鞄が床へ当たり、重い音を立てる。
チヌークの機上銃手がM240DでBTRの観測器を撃つ。防弾ガラスに白い傷が広がり、砲撃が止まった。
『全員乗った!』
チヌークが浮く。
後部変速機の振動警報が赤へ変わる。機体は高度を取らず、林の上を西へ逃げた。アパッチが後方へフレアを撒き、追跡班との間に火の列を作る。
*
帰投後、帳簿は三人の立会いで開封された。
列車番号。
出発地。
到着地。
移送人数。
途中で減った人数。
備考欄には《逃亡》《病死》《処置》とだけある。
ニェドフの証言映像も撮影された。
検察官は、彼の左手首に残る拘束痕を撮った。
「これは証拠になるか」
ニェドフが聞く。
「傷だけでは足りない。診断、撮影時刻、証言、拘束施設の記録と組み合わせる」
「俺の傷まで書類が要るのか」
「書類がなければ、帝国は自分でつけたと言う」
ニェドフは笑わなかった。
「傷つけるのは簡単で、信じてもらうのは難しいんだな」
「だから、難しい方をやる」
ヴァイパーは廊下の椅子へ座っていた。血のついた手袋を外し、破れた箇所を見た。回収班の負傷者は手術中。家族は全員生存。
証拠は確保した。
成功だった。
成功という言葉は、手袋についた血を一滴も減らさなかった。
*
ニェドフ一家は、同じ建物の三階に保護された。
部屋にはベッドが二つしかない。娘二人が一つを使い、ニェドフは椅子。妻は手術後の病室にいる。
夕食は豆の煮込みだった。
「どこへ行っても豆だ」
長女が言う。
「平等な国ですね」
警護員が答えた。
「公国は国なの?」
「その質問で、今みんな苦労してる」
次女は防弾鞄から出された帳簿を見たがった。
「証拠室です」
「私が持ってきた」
「だから、あなたが持ってきたことも記録しました」
「名前も?」
「公開するかは、お父さんと相談する」
「私の名前なのに」
検察官は椅子へ座った。
「そう。だから最後はあなたにも聞く」
子供を証人にするのは簡単だ。
大人より短い言葉で、強い映像になる。
その代わり、映像が一生ついて回る。
「今夜は何も決めなくていい」
検察官は言った。
「今夜の仕事は食べること」
「豆を?」
「残念ながら」
次女は一匙食べ、ひどい顔をした。
「証言より難しい」
「それは記録しない」
*
法医学研究室では、ニェドフの拘束痕と礼拝堂の弾頭破片が別々の卓へ置かれた。
傷は三次元撮影される。
皮下出血の色。
手錠幅。
治癒の段階。
帝国保安総局の拘束具を押収品と照合する。
「一致しますか」
ソフィアが聞いた。
「幅は一致。断定はできない」
法医学者は答えた。
「同じ幅の金属具は他にもある」
「弾頭破片は」
「《ストリボグ》の起爆回路と製造ロットが近い。連続番号ではない」
「皇帝命令の証明には?」
「ならない」
ソフィアは頷いた。
ならないものを、なると書かない。
証拠が弱いのではない。届く距離を正確に測っている。
「公開資料は《帝国軍兵站系統との技術的一致》までにします」
「地味ですね」
「裁判は地味な方が長持ちします」
研究室の隅で、鑑定員が弾頭片の煤を綿棒で採った。一本ずつ封筒へ入れ、時刻を書き、署名する。
戦場では一秒遅れれば死ぬ。
ここでは一文字を急げば、死者が嘘つきにされる。
*
手術を終えた第八十八群隊員は、脚を失わずに済んだ。
ただし、神経損傷で復帰時期は不明。
ヴァイパーが病室へ入ると、隊員は最初に聞いた。
「帳簿は?」
「無事だ」
「家族は」
「全員生きてる」
「俺は」
「医者に聞け」
「使えない上官だ」
「撃たれた部下よりは歩ける」
隊員は毛布の下の脚を見た。
「戻れますか」
「知らん」
「戻れなかったら」
「名簿管理だ。お前、字は読めるだろ」
「人を撃つより苦手です」
「訓練しろ」
ヴァイパーは窓辺へ水差しを置いた。
慰めの代わりに、次の仕事を一つ残す。
それが彼にできる親愛だった。




