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王冠の亡命――八百日の建国戦争  作者: シルヴァン・レーデル


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第五十一話 一枚の写真



 高高度無人偵察機RQ-4Dフェニックスは、高度一万八千メートルを北東へ飛んでいた。


 地上から見れば点にもならない。


 帝国の捜索レーダーには細い航跡として映り、三つの防空指揮所が同じ目標へ別々の番号を付けた。


 公国側では、一つだった。


 《曙光線》情報準備室の主画面に、合成開口レーダー画像、電子情報、赤外線映像が重ねられている。


「プレスコヴ南西、S-400大隊。91N6E捜索レーダー一基、92N6E射撃管制一基、5P85TE2発射機を確認」


「昨日から発射機が二基減っています」


「道路熱痕を追って」


 ソフィアは画像を拡大した。


 森の中へ入る轍。


 途中で途切れる。


 偽装網か、硬い路面へ移ったか。推測はできる。確定はできない。


「不明のまま記録。消えた発射機を、見つけたことにしないでください」


 若い分析官が頷く。


 情報部の仕事は、知らない範囲へ輪郭を引くことだった。既知の情報量だけでは、危険の形は見えない。


     *


 同じ空域の西側を、U-2S偵察機が飛んでいた。


 細長い主翼が成層圏の薄い空気を掴む。操縦士は与圧服を着込み、狭い操縦席で数時間を過ごしていた。機体は高く飛べる。その代わり、低速と失速の間隔が狭い。姿を隠す鳥ではなく、高さで爪をかわす鳥だった。


『早期警戒よりシルク一。プレスコヴから高速機二。方位〇七五、距離百八十。上昇中』


 帝国のMiG-31BMだった。


 高度を取れば、R-37Mの射程へ入る。


『シルク一、予定航路を中止。針路二六〇』


 U-2Sが西へ旋回する。


 急には曲がらない。長い主翼がゆっくり傾き、機首が数度ずつ動く。


 護衛のF-2A二機が下方一万メートルから上昇した。増槽を投棄しない。まだ交戦距離ではない。


『帝国機、射撃管制レーダー作動』


『F-2隊、遮断位置へ。武器保持』


 敵が撃つまで待つのではない。撃たせない位置へ先に入る。


 F-2AはAAM-4Bの射程円を前へ押し出した。MiG-31BM側にも警報が出る。二機は上昇を止め、並行針路へ移った。


 公用周波数に帝国操縦士の声が入る。


『高高度機へ。領空を侵犯している。直ちに降下せよ』


 U-2Sは国際空域の西側を飛んでいた。帝国が一方的に設定した防空識別線へ入っただけだ。


『こちらシルク一。航法記録を保存している。そちらも保存を勧める』


『臆病者。戦闘機の後ろへ隠れるのか』


 U-2S操縦士は酸素マスクの中で笑った。


『この機体は遅い。待っていてくれるなら、一人で帰る』


 MiG-31の一機がさらに高度を上げようとした。


 F-2Aの火器管制レーダーが短く照射する。


『それ以上は来るな』


 声は静かだった。


 帝国機は十五秒、針路を保った。


 それから北へ反転した。


 発砲はなかった。


 戦闘記録には、撃墜数ゼロと記された。


 ソフィアはその数字を成功欄へ入れた。


     *


 RQ-4Dのカメラが、ラトヴァ東部の鉄道分岐点を通過した。


 貨車三十二両。


 T-90M戦車六両。


 BMP-3歩兵戦闘車十両。


 燃料車。


 平床貨車に載せられたパンツィリ-S1。


 列車の横に、白い長距離バスが四台止まっている。


 最初の分析では、兵員輸送と分類された。


 ソフィアは画像を止めた。


「バスを拡大」


 窓に人影がある。


 人影は私服で、荷物を膝に置き、窓へ白い紙を貼っている者もいる。文字は解像できない。


「赤外線」


 車内は満員だった。


 四台で二百人前後。


 先頭と最後尾に武装兵。鉄道駅の北側には、有刺鉄線で囲まれた倉庫群がある。


 移送施設だった。


「この列車を第一波目標から外してください」


 航空作戦班が顔を上げた。


「戦車と防空車両が同じ編成です。今夜を逃せば分散します」


「バスの乗員が民間人である可能性が高い」


「可能性です」


「だから外します」


「攻撃機会を失います」


 ソフィアは、もう一度画像を見た。


 白い紙。


 窓へ押しつけられた小さな手。


 感情は判断を曇らせる。そう教えられてきた。


 実際には、感情がなければ見落とすものもある。


 ただし、感情を命令へ変えるには手順が要る。


「列車攻撃を保留。抵抗組織へ駅の確認を依頼。S-400大隊は別経路から追跡。代替目標として北側の無人燃料集積所を追加」


「了解」


 決断は、二百人を救ったとは限らない。


 戦車六両を逃がしただけかもしれない。


 それでも、不明な人間を数字の外へ押し出さないことはできる。


     *


 三時間後、ラトヴァ抵抗組織から写真が届いた。


 古い携帯電話で、倉庫の屋根裏から撮られている。


 白いバス。


 窓に貼られた紙。


 そこには震えた字で、《助けて》と書かれていた。


 撮影者からの短い説明が添えられている。


 ――移送予定、今夜。子供三十七人を確認。


 会議室の誰も勝ち誇らなかった。


 列車攻撃中止は正しかった。


 正しい判断の先に、まだ二百人が拘束されている。


 ソフィアは写真を作戦画面の中央へ置いた。


「目標を変更します」


 次の目標は戦車でも発射機でもなかった。


 列車が出る前に、バスを止める方法を探す。


 一枚の写真が、四十機の航空作戦より先に、作戦の目的を選び直した。


     *


 抵抗組織からは、三つの案が返ってきた。


 一、線路を爆破して列車を止める。


 二、駅の信号系統へ侵入し、貨物列車を別線へ入れる。


 三、移送バスの運転手を入れ替え、列車到着前に西へ逃がす。


 第一案は簡単だった。


 ただし、列車が駅構内で脱線すれば、戦車と弾薬車がバスへ倒れる。


 第二案は、信号室へ二人が入る必要がある。帝国兵が常駐している。


 第三案は、運転手四人と門衛を同時に処理しなければならない。成功しても、二百人を乗せた白いバスは目立つ。


「どれも悪いね〜」


 シェレメートが言った。


「選べるのは悪さの種類だけ〜」


 ソフィアは写真の時刻情報を見た。


 撮影者は倉庫屋根裏へ二時間以上いる。次の写真を求めれば、発見される確率が上がる。


「追加撮影は求めません」


「列車編成が変わるかもよ〜」


「撮影者が死ねば、明日以降の情報がなくなります」


「発射機二基を逃がした上に、戦車も逃がす?」


 口調は軽い。


 問いは軽くない。


「逃がします」


 ソフィアは答えた。


「二百人を救出するための情報網を、戦車六両と交換します」


 シェレメートは椅子を回し、天井を見た。


「高いね〜」


「払えますか」


「空軍は嫌がるよ〜。でも、払う」


 彼女は航空目標表から列車番号を削除した。


「代わりに、逃げた戦車がどこへ行くか見ておく。次は人質と一緒じゃないかもしれないから〜」


 撃たない判断は、標的を永久に許すことではない。


 人間と機械が離れるまで、照準を保ったまま待つことだった。


     *


 U-2Sが帰投したのは日没後だった。


 長い主翼の機体は、着陸時に左右の補助輪を持たない。地上追走車が滑走路を並走し、操縦士へ高度を読み上げる。


『三フィート。二。接地』


 主脚が滑走路へ触れる。機体は速度を失い、片方の翼端をゆっくり下ろした。チタン製スキッドが路面を擦り、火花が短く伸びる。


 操縦士は与圧服のまま降り、整備員へ最初に言った。


「右主翼、少し重い」


「燃料差ですか」


「たぶん。だが、たぶんで次を飛ばすな」


 整備員が記録する。


 その後で、操縦士は情報士官から白い紙の写真を見せられた。


「これを撮ったのは、俺たちか」


「無人機です。あなたの機体は防空配置を撮った」


「俺は囮だった?」


「帝国機を西へ引いたため、RQ-4Dが東側を撮れました」


 操縦士は写真を見た。


「なら、飛んだ意味はあった」


「撃っていません」


「飛行士は撃つためだけに上がるんじゃない」


 彼は与圧服の手袋を外した。指先が汗で白くふやけている。


「帰って、誰を撃たないか決めるためにも飛ぶ」


     *


 深夜、抵抗組織は第二案を選んだ。


 信号室へ入る。


 線路を壊さず、貨物列車だけを北側待避線へ送る。バスは駅南門から救出班が連れ出す。


 必要なのは、沿岸からヴァイガ駅まで二十七キロの回廊だった。


 海上任務群がセーレ岬の低空レーダーを確認する。


 航空任務群が防空の穴を作る。


 地上群が岬へ上陸し、救出班を通す。


 一枚の写真から、海、空、陸の作戦が組み直された。


 作戦名はまだない。


 画面の中央には、白い紙に書かれた二文字だけが残っていた。


 《助けて》

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