第四十九話 先遣隊の朝食
アーレン島の旧沿岸警備基地には、食堂が一つ、滑走路が一本、使える便所が二つあった。
先遣隊二百十六名に対して、便所は二つ。
「帝国軍より先に衛生環境が我々を殺します」
夜鴉隊の若い工兵が言った。
ホロベッツ大佐は缶詰の蓋を開けながら答えた。
「敵情報部へ漏らすな。弱点を知られる」
「もう匂いで分かります」
朝食は豆、硬いパン、魚の油漬け。
公国海兵、北方三国の亡命兵、第八十八群、西方工兵が同じ長机を使っていた。言葉も階級章も違う。缶切りだけが足りない。
第八十八群の兵士がナイフで缶を開けようとし、リトネア工兵が専用工具を無言で差し出した。
「ありがとう」
「返せ」
「友情が短い」
「工具はもっと長く使う」
ホロベッツは食堂を見渡した。
昨日まで別々の指揮系統にいた人間が、今朝は同じ豆を憎んでいる。共同体の始まりとしては、国歌より信頼できた。
*
アーレン島は、アンバー海南部の航路を監視できる位置にある。
帝国占領地域から西へ六十キロ。
旧滑走路へC-130Jを降ろし、移動式TPS-77レーダー、燃料袋、野戦手術ユニットを展開する。港には小型掃海艇と高速艇を受け入れる。三十六時間後、主力艦隊が来る。
先遣隊の仕事は、英雄になることではない。
主力が到着したとき、給油口の規格が違うと気づくような英雄を出さないことだった。
午前七時四十分、最初のC-130Jが進入した。
四発のAE2100D3ターボプロップが低い雲を震わせる。機体は海側から滑走路へ入り、接地直前に横風を受けた。右主脚が先に着き、タイヤから白煙が上がる。
「滑走路、保持」
管制員が言った。
機体が速度を落とす。
その前方、滑走路脇の排水溝で小さな赤い光が点いた。
ホロベッツはそれを見た。
赤い光の正体は、起爆信号の中継器だった。
「輸送機、離陸しろ! 止まるな!」
C-130Jはすでに百二十ノットを切っていた。操縦士が出力レバーを前へ押し込む。プロペラ音が跳ね上がり、貨物を満載した機体が再び加速する。
滑走路中央が爆発した。
コンクリート板が二枚、下から持ち上がる。破片が左主脚格納部へ当たり、油圧管を裂いた。
C-130Jは穴の左へ避けた。左翼端が滑走路灯を刈り、透明なカバーが粉になる。速度は上がらない。前方には海。
「軽くしろ!」
機内のロードマスターが後部ランプを開く。
固定されていた水タンク二基の拘束を外した。タンクはローラー上を滑り、開いたランプから滑走路へ落ちる。プラスチック容器が破裂し、二万リットルの水が白い波になって広がった。
次に空の燃料袋。
最後に、食料パレット一つ。
「豆は残せ!」
誰かが叫んだ。
「豆から捨てろ!」
意見は統一されなかった。
機首が上がる。
C-130Jは滑走路端を越え、海面から十メートルのところで浮いた。左主脚から作動油が霧になって引く。
『降着装置損傷。近隣代替基地へ向かう』
「了解。護衛を付ける」
食堂の窓が遅れて震えた。
*
爆発と同時に、島北岸の林から小型無人機六機が上がった。
折り畳み翼。電動推進。弾頭は成形炸薬。
狙いは展開途中のTPS-77レーダーと、港の燃料袋だった。
「防空班!」
パンツィリ-S1はまだ輸送架台から降りていない。使えるのは車載一二・七ミリ機銃、携帯式妨害器、ライフル。
リトネア工兵が妨害器を起動する。二機が制御を失い、林へ落ちた。
三機目は周波数跳躍で妨害を抜ける。
第八十八群の射手がM2連装重機関銃を回した。曳光弾が無人機の前を横切る。二射目で翼が砕け、機体は滑走路脇へ落ちて爆発した。
四機目と五機目が港へ向かう。
ホロベッツは高機動車へ飛び乗った。
「燃料袋を動かせ!」
「牽引具がまだない!」
「なら車で押せ!」
装甲車が未展開の燃料袋へバンパーを当て、コンクリート防壁の陰へ押す。ゴム製袋が路面を擦り、火花ではなく黒い跡を残した。
無人機一機が車体上面へ突入する。
運転手は最後の瞬間にハンドルを切った。弾頭は車体後部へ当たり、外装箱と予備タイヤを吹き飛ばす。爆風が運転席の扉を歪ませた。
車両は横転しない。
だが、扉が開かない。
エンジン区画から煙が出る。
「中に二人!」
公国海兵が走った。続いて第八十八群、リトネア工兵。三人が歪んだ扉へバールを差し込む。熱で手袋の表面が縮む。
「一、二、三!」
扉が五センチ開く。
運転手の脚が挟まれている。助手席の兵士は額から血を流しているが意識はある。
六機目の無人機が旋回して戻ってきた。
「また来る!」
誰も手を離さない。
上空から、ウェストランド・リンクスHMA.8が入った。機首下の機関銃ポッドが短く火を噴き、無人機を空中で砕く。破片が雨のように車両周囲へ降る。
『借り一つだ』
リンクス操縦士が無線で言った。
工兵が扉をこじりながら答える。
「缶切りで返す!」
『安いな』
「軍用品だ、高い!」
扉が外れた。
二人を引き出した直後、エンジン区画へ火が回った。弾薬は積んでいない。燃料タンクが破裂する前に、全員が防壁の陰へ転がり込む。
爆発は小さかった。
小さい爆発でも、近ければ胸を殴る。
*
攻撃は十一分で終わった。
滑走路に直径九メートルの穴。
C-130J一機損傷、代替基地へ着陸。
高機動車一両全損。
重傷二名、軽傷七名。
敵工作員は島内に残っている可能性が高い。
*
午前八時十二分、島の小さな車両岸壁へ民間RO-RO船が着いた。
船首ランプが下り、最初に出てきたのは戦車ではなく、ヘーチマン社のベルゲパンツァー2だった。次が滑走路補修用の鋼製マット、移動式工作車、燃料ホース変換継手。最後に簡易便所六基。
ホロベッツは時計を見た。
「到着予定は正午だったはずだ」
ランプを降りてきたマゼパが、肋骨を庇いながら肩をすくめた。
「兵站で早着は誤配、遅着は戦死です。今回は誤配で勘弁してください」
「誰が便所を要求した」
「二百十六人に二基という偵察報告を読んだ人間です」
回収車は全損した高機動車へワイヤを掛け、滑走路から引き離した。工作車のクレーンが爆発孔の縁へ鋼製マットを並べる。公国工兵はメーカーの違う固定金具を見て顔をしかめたが、ヘーチマン社の整備員は穴を一つ増やし、別規格のボルトを通した。
「保証が切れます」
「さっき爆発しました。保証窓口が生きていたら紹介してください」
会社の人間は一発も撃たなかった。
代わりに、撃たれた後の滑走路から、次の輸送機が降りられない理由を一つずつ取り除いた。
*
爆発孔の信管から、島内の携帯電話番号が一つ復元された。
発信位置は旧灯台。
ホロベッツは夜鴉隊十二名を出した。装甲車では行かない。林道には、次の爆薬があるかもしれない。二班に分かれ、徒歩で灯台を挟む。
灯台守の家は空だった。
台所には、まだ温かい珈琲。皿に魚の燻製。ラジオから朝の音楽が小さく流れている。
「食事中に逃げた」
「我々の朝飯よりうまそうです」
「証拠だ。食うな」
裏口の泥に足跡が二人分。
一つは軍靴。
もう一つは小さい。島の郵便配達員が使う長靴だった。
ホロベッツは追跡を止めた。
「なぜです」
「小さい方は人質かもしれん。撃てる形にするまで待て」
灯台上部から、金属が擦れる音がした。
工作員は逃げていなかった。
狙撃銃の銃身が窓から出る。
最初の一発が、庭の石像を砕いた。
「上!」
夜鴉隊が壁へ張りつく。二発目は屋根瓦を飛ばす。
工作員は灯台階段を射線にしている。正面から上がれば、一人ずつ撃たれる。
ホロベッツは台所の古いガス管を見た。
「爆破する気ですか」
「昼飯を作る」
管を切らず、発煙筒を束ね、灯台基部の換気口へ入れた。黄色い煙が螺旋階段を上がる。
工作員が咳き込み、窓を割った。
狙撃手がその手元を撃つ。銃が落ちる。
「投降しろ!」
返事の代わりに拳銃弾が一発。
夜鴉隊は待った。
煙が濃くなる。
三分後、工作員が両手を上げて降りてきた。三十代の男。帝国保安総局の身分証。郵便配達員の長靴は、足跡を偽装するため荷物へ結んで引いていた。
「人質はいない」
若い工兵が息を吐く。
「撃たなくてよかったですね」
「撃たなかったから分かった」
ホロベッツは工作員の手を後ろへ回した。
「珈琲が冷める前に話せ。滑走路の爆薬は何基だ」
「弁護士を」
「法務官は八時間後に来る。それまで豆を食わせる」
工作員は初めて不安そうな顔をした。
「主力の進出を延期しますか」
参謀が聞いた。
ホロベッツは滑走路の穴を見た。
工兵隊はすでに縁を切り、急速硬化材を運んでいる。別の班が爆薬の残骸を集め、信管番号を撮影していた。食堂係は滑走路へ散った豆缶を拾っている。
「何時間で直る」
「大型機なら八時間。戦術輸送機なら六時間」
「六時間後に再開する」
「また来ます」
「朝飯もまた豆だ。それでも食う」
正午、滑走路脇に新しい標識が立った。
爆発孔を避ける黄色線。
夕方には二機目のC-130Jが着陸した。
後部ランプから、缶切りの箱が最初に降ろされた。
送り状には《先遣隊最優先要求品》と書かれていた。
誰が要求したかは、最後まで分からなかった。
捕虜の供述で、滑走路下に残る二つ目の爆薬も見つかった。
解除された爆薬は、空の食料箱へ入れて証拠庫へ運ばれる。箱には大きく《豆》と印刷されていた。
「帝国保安総局の機密兵器か」
「大量にあります」
「恐ろしいな」
工兵たちは笑った。
笑い終わると、横転車から回収した血のついたヘルメットを洗った。
軽口は損害を消さない。
損害の横で手を動かし続けるため、十一秒だけ呼吸を楽にした。




