第四十八話 北へ動くもの
艦隊が出港するとき、岸から見えるのは旗と艦橋だけだ。
海へ出れば、最初に問題になるのは速度だった。
速力で選ばれた艦ではなかった。
最も遅い艦に合わせる速度。
海上任務群十八隻は、アンバー海へ通じるノルド海峡を十二ノットで北上していた。
先頭は二六六M型掃海艇二隻。
続いて二十三型フリゲート《トーベイ》、FREMM級、クリヴァク級。中央に《スヴィターナ》と《ヴォルナ》。補給艦と病院船を挟み、ウダロイ級大型対潜艦が後衛につく。
カタログ上の最大速力は、二十八から三十二ノット。
実際の艦隊速力は十二。
掃海具を曳く船と、補修中の旗艦と、満載の給油艦がいるからだ。
「帝国の宣伝放送では、逃げ腰と呼ばれています」
参謀が報告した。
ザハルチェンコは海図から顔を上げなかった。
「二十ノット出せば、明日の朝には燃料が足りん」
「回答しますか」
「給油明細を送れ。読める頭があるなら黙る」
なければ何を送っても同じだった。
*
同じころ、ノルド海峡西岸の鉄道集積地では、別の十八両編成が北を向いていた。
先頭の無蓋車にはBREM-1装甲回収車。次にM88A1、ベルゲパンツァー2。製造国も履帯幅も牽引具も違う三両が、同じ方向を向いて固定されている。後ろには一〇五ミリ砲弾、一二五ミリ砲弾、三種類のエンジンオイル、五種類の燃料フィルターを積んだ貨車が続いた。
積荷票だけを見れば、補給担当者が酔って倉庫を空にしたように見える。
「この編成は、どの部隊向けです」
鉄道管理官が訊いた。
ヘーチマン社代表のボフダン・マゼパは、貨車ごとの牽引能力表を渡した。作業服の下にはまだ肋骨の固定帯があり、段差を降りるときだけ表情が止まる。
「部隊名で分けるから余るんです。壊れた車両を引けるか、砲へ弾が入るか、朝まで走れるか。それで分けた」
「要求一覧にない車両が九両あります」
「足りない物を持ってきたのではない。余っている物で、足りる編成を作ってきた」
T-72用の班、M60A3用の班、レオパルト1用の班。車種は混ぜない。共通化したのは出発時刻、無線呼出符号、故障時の回収順序だけだった。
OKB-0研究施設を守った朝と、やっていることは変わらない。寄せ集めを同じ物へ直すのではなく、違うまま衝突させずに使う。
「これは軍隊ですか、運送会社ですか」
「請求書を見れば分かります」
管理官はそれ以上訊かず、北行き信号を青へ変えた。
海の十八隻より遅い。旗も揃っていない。
それでも、こちらも北へ動いていた。
*
海峡の幅が九海里へ狭まる地点で、先頭の掃海艇が速度を落とした。
同じ水道を、民間フェリー《ノルド・スター》が南下していた。
乗客八百四十人。トラック七十二台。帝国の攻撃警報を受けても、狭い航路内で急に反転できない。
「フェリーを退避させますか」
「どこへ」
ザハルチェンコが聞く。
「西の泊地へ」
「機雷を確認していない」
「では航路上に残す?」
「艦隊を二列に割る。中央へ民間航路を一本残せ」
十八隻の隊列が、ゆっくり左右へ開いた。
演習では予定されていない形だった。掃海艇の通路幅、空母の旋回半径、フェリーの喫水を同時に計算する。
《ノルド・スター》の船長が公用回線へ出た。
『こちら民間船。軍艦の間を通れと?』
「そうだ」
『安全なのか』
「安全なら軍艦は来ていない。今ある中で一番ましな線を引いた」
返事はなかった。
フェリーは速度を八ノットへ落とし、二列の軍艦の間へ入った。甲板の乗客が窓へ集まる。子供が《スヴィターナ》へ手を振った。
甲板員は持ち場を離れず、手袋の片手だけを短く上げた。
民間船が通過し終えるまで、艦隊は十分を使った。
帝国の潜水艦がいれば、好機になる十分だった。
それでも、民間船を危険な水域へ押し出さないために使った。
『ソナー接触。方位〇一一、距離八百。係維機雷らしき反応』
艦隊全体へ黄色警報が流れる。
後続艦が同時に減速すれば、隊列が詰まる。詰まれば、一発のミサイルが複数艦を射線へ収める。
「先頭群、十ノット。中央群は十二を維持。後衛、二ノット減速。間隔を吸収しろ」
ザハルチェンコの命令が各艦へ分かれて届く。
《スヴィターナ》の艦首がわずかに右へ振れた。左舷三百メートルを《ヴォルナ》が進む。巨大な二隻は、狭い海峡で互いの舵圧まで気にしなければならない。
掃海艇から無人処分具が降ろされた。
黄色い小型艇が海中へ沈み、ケーブルを引いて進む。ソナー画像に丸い影。係維索。信管らしき突起。
『機雷を確認。帝国製M08。敷設後二十四時間以内』
「数は」
『一基のみ』
ザハルチェンコは眉を寄せた。
一基だけの機雷原はない。
あるとすれば、機雷原へ誘う標識だ。
「全艦、対空警戒。航空任務群へ。敵は機雷を見せて止めるつもりだ」
言い終える前に、早期警戒機A-50Uが低空目標を拾った。
『北東百十二キロ、海面高度。複数。速度九百』
「対艦ミサイル!」
海峡東岸の移動発射機から、Kh-35系巡航ミサイル六発が放たれていた。
発射炎は林の陰。飛翔経路は民間フェリー航路へ重なる。
『全艦、対ミサイル戦闘!』
艦隊は散開できない。
右は浅瀬。左は処分前の機雷。前には掃海艇。
止まれない船列へ、六発が正面から来る。
《トーベイ》の九〇九型射撃指揮レーダーが二目標を捕捉。シーウルフ艦対空ミサイルが垂直発射機から上がり、白煙を折って低空へ向かう。
《アルバトロス》のアスター一五が二発。
《ネポコルヌイ》はオサ-MAの旧式レーダーを回したが、海面反射の中で一目標を失った。
「情報を渡せ」
ペトレンコが言う。
FREMM級の追尾データが変換器を通り、クリヴァク級の表示へ入る。目標方位、速度、予想着弾時刻。
古いオサ-MAの発射機が、他艦の目で見た敵へ向いた。
第一のKh-35はシーウルフに正面から砕かれた。弾頭が空中で爆発し、燃える破片が海へ長く落ちる。
第二、第三はアスターが落とす。
第四は《ネポコルヌイ》のミサイルが至近で起爆し、主翼を奪った。Kh-35は海面へ跳ね、二度水を切って沈む。
第五がチャフへ逸れた。
第六は残った。
海面上五メートル。目標は隊列中央の補給艦。航空燃料一万二千トンを積んでいる。
《ヤリナ》のAK-630が射撃を始めた。六砲身の音が一つの長い唸りになり、曳光弾がミサイル前方へ壁を作る。
弾着が後ろから追いつく。
五百メートル。
三百。
Kh-35の機首が砕けた。
残骸はそれでも慣性で飛び、補給艦の左舷へ当たった。弾頭は起爆せず、主翼とエンジンが外板を裂く。燃料管一本が切れ、霧状の航空燃料が通路へ噴き出した。
『《ヤリナ》被弾! 左舷燃料移送区画、火災!』
防火扉が閉じる。
乗員が泡消火剤を浴びせる。白い泡の上を、青い炎が走った。
補給艦は速度を落とせない。後ろには《ヴォルナ》、横には浅瀬がある。
「中央群、針路維持。《ヴォルナ》、左へ五十メートル。《ヤリナ》の風下を空けろ」
巨大な空母が左へ舵を切る。艦首波が補給艦の航跡へ重なり、二隻の距離が一時百八十メートルまで縮まった。
《ヴォルナ》甲板員は耐火服で待機し、放水銃を《ヤリナ》側へ向ける。
「近すぎる」
当直士官が言う。
「離れれば燃える」
艦長は答えた。
《ヴォルナ》からの放水が補給艦左舷へ届いた。泡消火と海水が炎を押しつぶす。黒煙が両艦の間を塞ぎ、艦橋から相手の船体が見えなくなる。
そのまま三分、二隻は煙の中を並走した。
火災は鎮圧された。
《ヤリナ》の乗員二名が熱傷。一名が破片で脚を負傷。燃料六百トンが使用不能。航行可能。
機関長は鎮火確認後も、左舷移送区画から離れなかった。
熱で歪んだ配管へ手を当て、振動を確かめる。手袋越しにも温度が分かる。
「隔離弁は保持しています」
「目で見ただけか」
「圧力計も」
「圧力計はさっき爆発を見てない」
機関長は手動弁をもう一度締めた。半回転動いた。
締まっていなかった。
「今のは報告へ?」
若い機関員が聞く。
「書く」
「俺の締付不足になります」
「次の船で誰かが同じ弁を締める。お前の評価より、そいつの手が大事だ」
機関員は黙って頷いた。
英雄的な消火の後には、締め忘れた弁が残る。
生き残る艦隊は、その両方を記録する。
「機雷処分完了」
先頭から報告が届いた。
機雷は一基だけだった。
帝国が欲しかったのは撃沈ではない。艦隊を狭い水道へ止め、補給艦を燃やす映像だった。
映像は得られなかった。
代わりに、煙の中から十八隻が一隻ずつ出てきた。
速力は十ノットへ落ちた。
隊列は崩れていない。
ザハルチェンコは海図へ被弾地点を記した。
「帝国へ返事は」
参謀が聞く。
「必要ない」
彼は前方の海を見た。
「北へ動いている。それが返事だ」
夜、先ほどの《ノルド・スター》から短い通信が届いた。
乗客全員無事。
添付画像には、子供が描いた十八隻の船があった。大きさは全部同じで、海は青く、空には対艦ミサイルではなく鳥が飛んでいる。
ザハルチェンコは画像を保存し、広報には回さなかった。
使えば美談になる。
美談にしなくても、子供が無事だった事実は変わらない。
艦隊は夜通し北へ進んだ。




