第四十話 一枚ではない旗
Day 68、午前五時三十分。
共同対応枠組みの第一号作戦準備指令が発出された。
作戦名《曙光線》。
準備期限、七十二時間。
目的は、アンバー海南口からカレングラード東方に至る海空域の監視回廊を確立し、移動式ミサイル部隊の補給網を特定すること。
この指令だけでは攻撃を認めない。
偵察結果を統合幕僚委員会が審査し、共同評議会が第二決議を採択して初めて、指定目標への武力行使が可能になる。
「戦争へ出す指令にしては、慎重すぎる」
国防相代理が言った。
「慎重な紙を持って出ても、海は荒れます」
ペトレンコは答えた。
「紙まで荒らす必要はありません」
*
参加部隊は国旗ごとの縦割りを捨て、任務群へ分けられた。
海上監視群。
ウリヤノフスク級重原子力航空巡洋艦を指揮・通信中枢とし、クリヴァク級警備艦、アーレイ・バーク級駆逐艦一隻、二十三型フリゲート《トーベイ》が護衛する。
機雷対処群。
サンダウン級掃海艇二隻と、SeaFox無人機。港湾水路と合流点を先行確認する。
航空監視群。
RQ-4B一機、P-8Aポセイドン二機、F-2A四機、Su-27SM六機。空母にはSu-33八機を搭載するが、初日は防空待機とし、攻撃任務へは出さない。
回転翼機群。
《スヴィターナ》のKa-27PS《ヘリックスD》救難型二機、アーレイ・バーク級のMH-60R一機、二十三型フリゲート《トーベイ》のウェストランド・リンクスHMA.8一機。任務は対潜哨戒、連絡、救難。海へ落ちた搭乗員の国籍は、救助順序へ書かない。
臨検輸送群。
西方支援艦のMH-60S二機。第88特務支援群、公国海兵、爆発物処理員と法務官を臨検海域へ運ぶ。
補給群。
給油艦一、弾薬補給艦一、病院船一。見栄えは最も悪く、失えば作戦全体が止まる。
「撃つ船より、食わせる船が少ない」
ロマネンコが一覧を見た。
「いつものことだ」
「いつも沈む理由でもある」
彼の商会は民間タンカー二隻を追加提供した。無償ではない。燃料代、危険手当、戦後の港湾契約が細かく付いていた。
ペトレンコは条件を半分削り、残りへ署名した。
*
午前八時、ヴォロディミルは政治評議会へ文書を提出した。
自分を《曙光線》の戦術指揮系統から外す申請だった。
「大公直属近衛飛行隊の資格は保持する。ただし本作戦中、戦闘航空任務へ参加しない。政治代表として《スヴィターナ》に乗艦する場合も、艦長および作戦指揮官の命令へ従う」
補佐官が文面を読み直した。
「反対が出ます。殿下が先頭に立つ映像を求める者は多い」
「映像なら過去のを使え」
「敵は臆病と宣伝します」
「国家元首が毎回戦闘機へ乗る方が、敵には親切だ」
ヴォロディミルは署名した。
操縦桿を握れば、自分の失敗は自分で引き受けられる。
政治家として残れば、他人の失敗まで引き受けなければならない。
後者の方が、ずっと怖かった。
*
統合海上作戦準備室では、ペトレンコが最後の航路案を修正していた。
隣には、西方連合海軍から派遣されたマルティネス大佐が座る。彼女より二十年長く海へ出てきた、副官兼監視役だった。
「中佐、ここは狭い」
マルティネスが合流点を指した。
「掃海艇が遅れれば、駆逐艦と補給艦が同じ水路へ入る」
「補給艦を二十分後ろへ」
「航空傘から外れる」
「Su-27SMの哨戒区を南へ四十キロ延長。空中給油は」
「一回増える。燃料が足りない」
ペトレンコは別の線を引いた。
「なら出港時刻を十三分早める」
「潮流が逆だ」
「……大佐、あなたは性格が悪いですね」
「監視役として雇われた」
扉が開き、ヴォロディミルが二人分の食事を持って入った。
「夫として補給に来た」
「三人います」
マルティネスが言った。
「監視役は自給できると思っていた」
「殿下。統合運用の第一原則は、同盟国を飢えさせないことです」
「もう一つ買ってくる」
ヴォロディミルが退室すると、ペトレンコは海図へ視線を戻した。
「あれが国家元首です」
「海軍では新任の給養員に見える」
「家庭でも似たようなものです」
*
Day 70、午前四時五十分。
《スヴィターナ》の飛行甲板に、四つの旗が上がった。
公国旗。
北方亡命政府旗。
西方連合海軍旗。
そして、作戦指揮官旗。
一枚へ縫い合わせなかった。
違う国が違う理由で来たことを、隠さないためだった。
飛行甲板ではSu-33が翼を折り畳み、牽引車に押されている。Ka-27PSの二重反転ローターがゆっくり回り始め、潮気を含んだ風を甲板へ叩きつけた。整備員の黄色い上着が照明の中で揺れる。
護衛艦艇が順に抜錨した。
アーレイ・バーク級のガスタービン排気が白く流れ、《トーベイ》が防波堤の外へ滑る。《ネポコルヌイ》は一度黒煙を吐き、機関長の悪態を無線へ乗せてから十五ノットへ達した。
『全艦、こちら曙光管制。基準時刻を送る』
戦術管制回線に時刻信号が流れた。
各艦の端末が応答する。
『アルファ、同期』
『ブラヴォー、同期』
『チャーリー、二・一秒遅延』
《スヴィターナ》の戦術指揮所で、ペトレンコは顔を上げた。
「チャーリーは《ネポコルヌイ》?」
「違います。機雷対処群の中継器です」
同時に、サンダウン級のSeaFox管制画面へ海底接触が現れた。
水路中央。円筒形。係維索らしき細い反射。
『機雷らしき目標。座標送信』
遅延した中継器が、古い航路点へ座標を重ねた。
後続の《トーベイ》はすでに旋回を開始していた。右舷百八十メートルには《ネポコルヌイ》。二隻の進路が狭まる。
『曙光管制、座標不一致!』
『《トーベイ》、機関後進。舵中央』
『《ネポコルヌイ》、左舵十五、速力八』
艦橋内通話で復唱が飛ぶ。
《トーベイ》の可変ピッチプロペラが海を噛み、艦尾から白い泡が噴いた。《ネポコルヌイ》の船体が左へ傾き、右舷外板の錆が波へ沈む。
二隻の距離、百二十メートル。
九十。
六十五。
《ネポコルヌイ》の艦長が短距離安全回線を開いた。
『西方艦、塗装代を払う気がないなら、もう少し離れろ』
『そちらの塗装はすでに海へ落ちている』
悪態の間にも、距離は縮む。
《トーベイ》が後進を効かせ、《ネポコルヌイ》が艦首を振り切った。最短距離四十八メートル。二つの航跡が白く交差し、鋼鉄は触れなかった。
ペトレンコは遅延経路を確認した。
「全群、旧中継器を切断。《スヴィターナ》直結回線へ。基準時刻は音声で復唱。機雷座標は数字を二度読む」
『了解』
「機雷対処群以外、停止。SeaFoxを出す」
サンダウン級の艦尾から、小型無人機が海へ降ろされた。ケーブルが繰り出され、推進器が暗い水中へ青白い泡を残す。
高解像度ソナーが円筒を捉えた。
古い係維機雷だった。信管部には新しい加工痕。昨夜置かれたものではないが、まだ死んでもいない。
SeaFoxが処分用弾頭を横へ置き、母艦から離れる。
数秒後、海面が内側から持ち上がった。
鈍い爆発。黒い水柱。破片が雨のように落ち、サンダウン級の船腹を細かく叩いた。
『水路、第一目標処分。追加捜索を継続』
爆発音を拾ったMH-60Rが、アーレイ・バーク級の後部甲板から上がった。
二基のターボシャフトが回転を上げ、四枚ローターが海霧を押し潰す。機体は左へ傾きながら艦尾を離れ、処分地点の外側へ低く出た。
『シーホーク21、ディッピングソナー投入点へ移動』
機内通話で戦術士官が高度を読み、操縦士がホバリングへ入る。側面扉の下でソナーケーブルが伸び、黒い円筒が海へ沈んだ。
ヘッドセットへ規則的な発信音が返る。
海底反射。
処分爆発の残響。
そして、北東へゆっくり動く細い接触。
『水中接触、方位〇四二。速度推定五ノット』
艦隊の戦術管制回線が一瞬だけ静まった。
機雷処分を見に来た潜水艦か。岩礁へ沿って動く水塊か。
『魚雷投下は許可しない。追尾、分類を継続』
作戦指揮官が命じた。
MH-60Rはソナーを引き上げ、二つ目の投入点へ走る。機首が下がり、海面すれすれの飛沫が風防へ当たった。
二回目の接触はなかった。
熱塩境界で曲げられた虚像と判定されたが、艦隊は対潜警戒を一段上げた。何もいないと証明するために、さらに燃料と時間を使う。
「撃たなくて正解だったな」
《ネポコルヌイ》の艦長が短距離回線で言った。
『魚なら外交問題になりません』
アーレイ・バーク級から返答が来た。
「この海の魚は国籍を三つ持っている。ロマネンコに聞け」
軽口の間も、ソナー員は画面から目を離さなかった。
艦隊はまだ敵を撃っていない。
それでも、出港から三十分で、時計のずれと一個の機雷が連合を壊しかけた。
*
カレングラードの帝国軍指揮所では、沿岸監視レーダーが複数の航跡を捉えていた。
「旗艦はどれだ」
参謀が訊いた。
「《スヴィターナ》です」
「公国艦隊か」
「公国だけではありません」
画面には、異なる識別符号が同じ速度で進んでいた。
帝国側は初めて気づいた。
キミロフ公国は、最大の艦を持つ国ではない。
最も多くの航空機を持つ国でもない。
だが、互いに信用していない船へ同じ海図を配り、同じ時計で動かし始めている。
一枚の旗が艦隊を率いたのではなかった。
一枚ではない旗が、同じ線の上を動き始めた。




