第三十九話 暗号の外側
Day 67。
共同監察団の最初の質問は、単純だった。
「公国は、いつ第88特務支援群の正体を知ったのか」
単純な質問ほど、戦争では答えが長い。
ペトレンコは証言席へ座り、左手の固定具を机上へ置いた。
「正体を一度に知ったことはありません」
「では、疑った時点は」
「Day 18。彼らの装備と補給要求が一致しなかった時です」
表示されたのは、消音拳銃、暗視装置、衛星通信端末、個人用救急品の一覧だった。
「市場で買える装備も含まれます」
「個別には。しかし同じ部隊が同じ頻度で電池、暗号モジュール、止血帯を交換し、損耗分を特定の倉庫から受け取っていた。民間会社にしては補給が規則的で、正規軍にしては帳簿が存在しなかった」
「それだけで外国部隊と?」
「いいえ。だから疑いです」
ペトレンコは言葉を削った。
責任の所在は、確信した時点ではなく、疑った後に何をしたかで決まる。
「Day 22に装備番号を照会。回答なし。Day 25に任務命令の共同署名を要求。拒否。Day 28に公国施設内の武器携行を制限しました」
「それでも使い続けた」
「はい」
「なぜ」
「必要だったからです」
弁解にはしなかった。
「必要性は合法性を作りません。だから、当時の判断も審査対象にしてください」
*
次にアナスタシアが証言した。
彼女は武器を脇へ置き、金の流れを追った。
「第88特務支援群の給与は、六つの警備会社と二つの慈善団体を経由していました」
「資金洗浄ですか」
「言葉を選ぶなら、出所秘匿です。税務当局は別の言葉を選ぶでしょう」
送金額は毎月変わる。だが支払日は西方の軍人給与日と一致し、危険手当だけが作戦地域の移動後に増えていた。
「偽装会社の一つは港湾清掃業です。従業員十一人。箒を一本も買っていない」
「何を買った」
「5.56ミリ弾、衛星電話、冷凍ピザ」
監察官が顔を上げた。
「ピザ?」
「秘密部隊も食事は隠せません」
会議室に短い笑いが起きた。
アナスタシアは笑わなかった。
金は思想を持たない。だから、持ち主より正直な時がある。
*
午後、軍病院からヴォルコフが遠隔証言した。
胸部の負傷で長く話せず、酸素チューブを付けている。
「彼らは負傷者を公国軍病院へ運ばなかった」
声は掠れていた。
「いつも民間救急車を使い、同じ三つの診療所へ分散した。だが薬剤の請求は一括だった」
「それが何を意味する」
「診療所は別でも、後ろに同じ医療担当がいる」
彼は咳き込み、軍医が水を渡した。
「あと、車両だ。登録は宅配会社なのに、サスペンションが装甲重量向けだった。運転手は市街地で信号を守るが、停車位置だけ射線を避けていた」
「あなたはいつ報告した」
「Day 31」
「措置は」
「監視を付けた。逮捕はしなかった」
「理由は」
ヴォルコフは目を閉じた。
「あの時は、帝国兵の方が多かった」
それで十分だった。
*
イリーナの説明は、さらに地味だった。
壁面に通信量のグラフが出る。
「内容は読めませんでした」
「量子鍵配送を使っていた?」
「固定拠点間の一部だけです。量子鍵配送は鍵の盗聴を検知できますが、端末の位置、通信時刻、通信量、回線の物理破壊までは隠しません」
彼女は山の形をした波形を指した。
「作戦前夜、三つの端末が同時に通信を増やす。翌朝、車両が消える。二日後、負傷者用の薬品が動く。本文を読めなくても、活動周期は見えます」
「暗号を破ったのではない?」
「暗号の外側を見ました」
「無線区間は」
「耐量子計算機暗号と既存認証を併用。妨害耐性は別です。暗号化した無線も、強く妨害すれば黙る。発信位置を測れば、内容が読めなくても砲撃できます」
ソフィアが補足した。
「『盗聴されない通信網』という広報文句は、以前削除しました」
「誰が書いた」
監察官が訊いた。
イリーナがソフィアを見た。
「私ではありません」
ソフィアは答えた。
「削除前に保存しました」
「あなた、性格が悪いですね」
「監査記録へ残しますか」
「結構です」
*
夕方、ヴァイパーが再び証言席へ座った。
「あなた方は気づいていた」
「断片には」
ペトレンコが答えた。
「それでも我々を作戦へ入れた」
「あなた方も、公国が完全には信用していないと知っていた」
「信頼のない同盟だな」
「検証のない信頼より長持ちします」
ヴァイパーは机上の証拠一覧を見た。
装備番号。
給与日。
冷凍ピザ。
救急車。
通信量。
どれ一つとして、部隊の国籍を証明しない。全部を重ねると、嘘の輪郭だけが浮かんだ。
「我々は随分と秘密を守ったつもりだった」
「秘密そのものは守れています」
イリーナが言った。
「秘密を守るために動いた人間までは消せなかった」
*
夜、共同監察団は中間報告を公表した。
第88特務支援群の外国政府との関係は高い確度で認められる。
公国政府は早期から疑念を有していたが、正式な法的地位の確立を怠った。
流出文書には真正資料と改変資料が混在し、記載された犯罪行為のすべてを事実とは認定できない。
過去の個別任務について調査を継続する。
誰も完全には無罪にならなかった。
誰も一枚の記事だけで有罪にもならなかった。
*
中間報告の公表から二時間後、新しい情報会議が実地試験を受けた。
財務担当が、医療用品会社からの異常送金を見つけた。
港湾担当は、同じ会社名義の救急車が前夜、軍港の保税区へ入ったと報告した。
通信担当は、車両搭載端末が第88特務支援群の漏洩文書を最初に配布したサーバーと短時間接続していたことを示した。
「秘密部隊の残存連絡員?」
憲兵隊長が訊いた。
「決めつけない」
ソフィアは三つを時間順に並べた。
「救急車は現在どこです」
「北岸倉庫地区。公国軍病院へ向かう予定から外れています」
憲兵隊のティグル装甲車二両が出た。
港の防犯映像では、白い救急車がコンテナの間を走っている。警光灯は点けず、後部が重い。出口へ向かわず、古い冷蔵倉庫へ接近した。
『対象車両、停止せよ』
拡声器の警告に、救急車は加速した。
ティグル一号車が前へ回り込み、二号車が後ろを塞ぐ。救急車は濡れた舗装で横滑りし、積み上げた木製パレットへ突っ込んだ。板が砕け、フロントガラスへ突き刺さる。
運転手が拳銃を抜いた。
憲兵の射撃が前輪とエンジン室を叩く。ラジエーターから白い蒸気が噴き、拳銃弾がティグルの防弾ガラスへ蜘蛛の巣状の亀裂を作った。
『運転手、武器を捨てろ!』
後部扉が開き、もう一人がコンテナの隙間へ走る。二号車の隊員が追い、荷役用フォークリフトの陰で組み伏せた。
救急車の中に患者はいなかった。
あったのは暗号端末四台、偽造旅券、現金、流出文書の原画像。そして医療用品の箱だった。
正規品の止血帯と、情報工作の機材が同じ車へ載っている。善意の輸送網へ隠れるには、荷物の半分を本物にするのがいちばん安い。
「昨日までなら、財務は送金だけ、港は車両だけ、通信は接続だけを保存して終わっていました」
イリーナが言った。
「今日は三つが同じ時刻に届いた」
ソフィアは拘束報告へ署名した。
「超兵器より安いですね」
「会議は高価です」
「では請求書を敵へ回しましょう」
ソフィアは報告書を閉じた。
「国家は、何でも知っていたことにしたがります」
「実際は?」
イリーナが訊いた。
「別々の人間が別々の半分を知っていた。それを同じ机へ載せるのが遅かった」
その夜から、公国の情報会議には港湾、財務、医療、通信の担当者が同席することになった。
新しい超兵器は増えなかった。
ただ、暗号の外側に落ちていた小さな事実が、初めて同じ時刻に集められるようになった。




