第三十八話 第八十八の名
Day 66、午前七時十五分。
最初の記事は、北方の地方紙が出した。
見出しは短かった。
――キミロフ公国、外国秘密部隊を違法運用か。
本文には、第88特務支援群の隊員名簿、給与明細、装備受領記録、帝国領内での作戦報告が添付されていた。
一部は本物だった。
一部は本物を切り貼りしていた。
一部は、よくできた偽物だった。
午前七時二十二分、記事は西方連合の放送局へ転載された。
七時三十一分、公国政府の記者回線が飽和した。
七時四十分、帝国外務省が「公国による国家テロの証拠」として引用した。
嘘は走るのが速い。
本物の靴を履かせると、さらに速かった。
*
ソフィアは地下庁舎の検証室で、流出文書を三色に分けた。
緑は真正。
黄は改変。
赤は偽造。
「給与台帳は本物です」
分析官が言った。
「作戦日誌は?」
「日付と参加者は本物。目標名だけ差し替えられています。避難民輸送路の確保が、帝国軍家族の誘拐に変わっている」
「署名」
「画像としては本物。ただし別文書から抜かれています」
「地下航空廠に関する資料は」
「含まれていません。《AURORA》の名称も、XB-70Aの画像もありません」
漏洩者は政府の秘密を無差別にばら撒いたのではない。
第88特務支援群だけを選び、真正資料を混ぜて狙っている。
「なら、目的は暴露ではなく切断です」
ソフィアは言った。
「第88群と公国政府を、同じ時刻に互いから切り離す」
ソフィアは感情を分類へ変えた。
漏洩経路。
編集者の癖。
真正部分を否定できない範囲。
今後公開すべき範囲。
腹が立つ、と書く欄はない。
「全部を偽物と言えば、三時間で崩れます」
「認めるんですか」
「事実を先に認めます。第88特務支援群は存在する。公国領内で活動した。帝国領内にも入った。違法性は任務ごとに審査する」
「味方が動揺します」
「もう動揺しています。政府発表だけ静止させても意味がない」
*
午前九時、ヴァイパーは武装解除された会議室へ入った。
拳銃、短刀、暗号端末。三つを入口の箱へ置く。
壁際には公国憲兵二人。机の向こうにヴォロディミル、ソフィア、法務官、北方亡命政府の監察官がいた。
「随分と豪華な逮捕だ」
ヴァイパーが言った。
「逮捕なら椅子がもっと悪い」
ヴォロディミルは座るよう示した。
「第88特務支援群は、どの政府の命令を受けている」
「契約上は答えられない」
「契約書の相手が君を守りに来るまで、何分待てばいい」
ヴァイパーは黙った。
部下を守るために秘密を守る。
秘密を守るほど、部下は国籍も捕虜資格もない武装者になる。
彼が嫌ってきた種類の選択だった。
「本国の情報機関が設立した国外活動部隊だ」
ようやく言った。
「正式軍籍は一部だけ。残りは契約員。指令は暗号化された仲介組織を経由する」
「公国政府は、どこまで知っていた」
「名称と能力。指揮元の詳細は知らせていない」
「なぜ受け入れた」
「あなた方が滅びかけていたからだ」
「善意か」
「違う。帝国をあなた方の国境で止める方が安かった」
ヴォロディミルはわずかに頷いた。
動機は打算だった。
美しい嘘より扱いやすかった。
*
正午までに、問題は軍事から法律へ移った。
第88特務支援群が捕虜を取った場合、誰の権限で拘束したのか。
隊員が帝国側に捕まった場合、戦闘員資格を主張できるのか。
作戦中の民間損害を誰が補償するのか。
押収した資料を、どの国の裁判所が証拠として扱うのか。
秘密部隊は、存在を隠している間だけ便利だった。
存在が公になった瞬間、過去の成功がすべて未払い請求書へ変わる。
「独立行動を停止」
法務官が暫定措置を読み上げた。
「全作戦記録を封印し、共同監察団へ保全。隊員名簿を非公開で提出。公国領内の武器携行は任務命令書を要する」
「それでは動けない」
ヴァイパーが言った。
「いままで勝手に動きすぎた」
ソフィアが返した。
「選んでください。法の外で便利なまま切り捨てられるか、面倒な手続の中で兵士として残るか」
「良い選択肢を用意する気は?」
「戦争中に品切れです」
*
午後二時、第88特務支援群の仮宿舎では、隊員たちがニュースを見ていた。
映像には顔写真が並ぶ。死亡した隊員の名まであった。
「俺の写真、七年前だ」
一人が言った。
「髪があるな」
「敵の偽造技術は優秀だ」
別の隊員が笑った。
誰も長くは続けなかった。
食堂の端で、若い通信員が家族へ送る文面を消していた。所在を明かせない契約は、漏洩によって一方的に破られた。だが自分から連絡すれば、今度は家族を監視対象へ置く。
ヴァイパーは全員を集めた。
「武装を一時返納する。記録を提出する。嫌なら、今日中に離脱申請を書け」
「本国は?」
「まだ我々を知らないふりをしている」
「いつまで?」
「知る価値が出るまでだ」
悪態が二つ飛んだ。
ヴァイパーは止めなかった。それで命令が変わるわけでもない。
「俺たちは影じゃない。影なら給料を要求しない」
彼は言った。
「これからは署名して動く。遅くなる。面倒になる。だが、死んだ時に名前が残る」
離脱申請を書いた者は三人だった。
責める者はいなかった。
*
同じ時刻、ソフィアは記者会見へ出た。
百を超える質問が事前提出されていた。最初の一つは予想どおりだった。
「公国政府は秘密部隊を使って暗殺を行いましたか」
「個別任務を調査中です。現時点で否定も肯定もしません」
「逃げでは?」
「証拠のない即答を勇気と呼ぶなら、そうでしょう」
「第88特務支援群は英雄ですか、犯罪者ですか」
「部隊名に判決は出しません。行為ごとに判断します」
記者席がざわめく。
「彼らは礼拝堂襲撃で公国要人を救った」
「救った行為は記録します。別の場所で違法行為があれば、それも記録します。一つの善行は包括免責券ではありません」
最後列で、流出した隊員名簿を持つ記者が立った。
「隊員の家族は、すでに脅迫を受けています。政府は守るのですか」
ソフィアは一拍置いた。
部隊の秘密と、家族の安全は別の問題だ。別だから、片方の失敗を理由にもう片方を捨ててはいけない。
「保護します。本人への調査とは切り分けます」
「費用は公国が?」
「設立国へ請求します。払わなければ、請求書ごと公表します」
会見後、設立国の大使館から抗議が届いた。
ソフィアは受領時刻を記録し、家族保護の車両を先に出した。
*
午後六時、暫定地位協定が署名された。
第88特務支援群は三十日間、公国軍統合幕僚委員会の作戦統制を受ける。
独自の越境作戦を停止。
捕虜および押収物は共同登録。
違法行為の疑いは、公国と設立国の共同調査へ付す。
過去の任務を包括免責しない。
最後の一行で、ヴァイパーの手が止まった。
「署名すれば、部下が裁かれるかもしれない」
「署名しなくても裁かれる」
ヴォロディミルは言った。
「違いは、君たちが法廷へ兵士として入るか、身元不明の武装者として入るかだ」
ヴァイパーは署名した。
ペン先が紙を擦る音は、銃声より小さい。
その小さな音で、第88特務支援群は初めて公然の部隊になった。
英雄の称号も、免罪も与えられない。
ただ、失敗した時に責任を問える場所へ、ようやく姿を現した。




