第二十八話 招待状の裏側(改)
結婚式の招待状には、座席と時刻しか書かれていない。
その裏側には、防空計画、避難経路、身元照会、医療搬送表、国家元首死亡時の指揮継承順位があった。
Day 60、午前七時三十分。
キミロフ解放から十五日。
東岸の戦闘は縮小したが終わっていない。地下鉄東線では前夜も銃撃があり、北空港の一部滑走路は使用不能。市内の給水は七割まで戻り、停電区域は残っている。
その都市へ、外国代表と軍首脳と王族を同じ時刻に集める。
警備計画の表紙には婚礼と書かれていた。
内容は、敵が望む標的一覧だった。
キミロフ城大礼拝堂の地下で、警備会議が始まった。
「招待客四百十二。報道関係者八十六。城外の観覧区域は、現時点で約三千八百」
ヴォロディミルは人数を聞き、最初に考えたのが祝福ではなく死傷者推計だったことを自覚した。
礼拝堂北側へ直撃。鐘楼崩落。主出入口閉塞。
その条件なら、最初の三分で外へ出せるのは百人に届かない。
結婚式の席順を見ながら、誰から退避させるかを考える。
王冠を被る前なら、そんな自分を冷たいと思ったかもしれない。
いまは、考えない方が無責任だと知っている。
ザハルチェンコが一覧を読む。
「空域はA-50Uが監視。高高度にSu-35S四、内側の戦闘空中哨戒にF-2A四。地上はS-300V4二個中隊、近距離はパーンツィリS1三個小隊」
「低速目標は」
ソフィアが尋ねた。
ザハルチェンコは別の図面を開いた。キミロフ市街を中心に、河川、鉄道、送電線、再建工事のクレーンが重ねてある。
「小型無人機はA-50Uより地上監視を優先します。パーンツィリS1を北東、南、城西側へ配置。市警の監視カメラ、携帯電話基地局、音響監視班も統合します」
「数は」
「同時十六目標までは、小隊単位で処理可能と見積もっています」
「見積もりの前提は」
「同一方向から接近し、識別可能で、射界へ民間機と群衆が入らないことです」
結婚式当日のキミロフには、その三条件が一つもなかった。
報道ヘリは城外へ排除した。警察のクアッドコプターも飛行停止。だが救援物資の輸送車列、復旧工事の無線、携帯基地局の臨時中継波まで止めれば、都市機能の方が先に壊れる。
「妨害で落とせませんか」
儀典局員が聞いた。
「衛星航法を切っても、慣性航法と事前設定経路は残ります」
ソフィアは市街図の上へ指を置いた。
「通信を断つことと、飛翔を止めることは別です。落ちる場所を選べない妨害は、密集市街では迎撃より悪い場合があります」
「では、全部撃ち落とす」
「弾数と背景を無視すれば、簡単です」
パーンツィリS1の射界図には、礼拝堂だけでなく病院、避難所、観覧区域が入っていた。低空へ機関砲を撃てば、外れた三十ミリ弾もどこかへ落ちる。
防空部隊が恐れていたのは、迎撃できないことだけではない。
迎撃するために、自分たちが市街へ何を降らせるかだった。
「極超音速兵器への対処は」
ヴォロディミルが尋ねた。
「早期探知、発射母機の監視、着弾点推定後の退避です。迎撃は試みますが、成功を前提にできません」
「礼拝堂へ直撃する軌道なら」
「警報から着弾まで、条件次第で数分以下。地下退避は間に合いません」
誰も「安全です」とは言わなかった。
「会場を地下へ移しますか」
警備責任者が聞いた。
「礼拝堂で挙げることに意味がある、と枢密院は言う」
「礼拝堂の構造補強は」
「北壁と鐘楼基部は検査済み。先月の砲撃による亀裂を補修。ただし、直撃を想定した強度ではありません」
「地下通路」
「祭壇南側から一系統。幅一・二メートル。四百人の退避には使えません」
「俺とペトレンコだけを通す計画か」
警備責任者は答えなかった。
沈黙が肯定だった。
「その経路は負傷者搬出用へ変更。俺たちは一般退避列と同じにする」
「国家元首の生存を優先するのが警備計画です」
「国家元首二人分の幅で、担架が一つ通る」
「指揮継承の問題があります」
「継承順位を決めたのは、そのためだ」
ヴォロディミルは退避図へ線を引いた。
自分だけを助ける通路を消せば、警備側は困る。助かる可能性まで平等にすることが正義だとも思わない。
ただ、礼拝堂の入口で将官と民間人が詰まっている時、自分だけ地下へ消える映像は、国家を生かして王冠を殺す。
政治と人命が同じ線上へ置かれる。
婚礼まで、その仕事からは逃げられなかった。
「警備側には意味がありません」
「俺にもない」
ヴォロディミルは出席者名簿を閉じた。
「だが、首都へ戻ったと示す政治行事だ。外国代表も来ている。今から変えれば、帝国の脅しで城を捨てたと受け取られる」
「その一文が、攻撃側の照準点を作ります」
「分かっている」
式を行うこと自体が作戦判断になっていた。
「中止基準を決める」
ヴォロディミルが言った。
「帝国発射母機の武装確認。長距離弾道目標の探知。市内で同時多発攻撃。警備本部との通信断。いずれか一つで、式を中断して退避」
「発射母機が領空外にいる場合は」
「兵装と針路で判断。国籍だけを基準にするな」
「参列者へ事前に知らせますか」
「知らせろ。中断時に席を立つ順番も、招待状と一緒に渡せ」
祝典の雰囲気を壊す、と儀典局は反対していた。
雰囲気が人を出口へ運ぶわけではない。
警備責任者は中止基準を読み返し、議事録へ時刻を入れた。
午前七時五十二分。
後から見れば、判断が早かったか遅かったかを決める数字になる。
警備責任者は議事録へ反対意見を残した。祝福される予定の一日にも、後で誰が何を承認したか分かる記録が必要だった。
*
午前八時四十五分。
ペトレンコは控室で軍装を脱ぎ、白い衣装へ袖を通した。
西方式の長い裾ではなく、公国正教会の婚配機密に合わせた簡素なドレスだった。頭には後で冠を受けるため、重い飾りを付けない。
鏡の脇には、軍務端末が置かれていた。
画面には、オスタヴァからキミロフへ入る補給船団の報告が表示されている。
婚礼の日にも、燃料と医薬品は動く。
ペトレンコが端末を置けば、代わりの士官が処理する。それで艦隊は止まらない。
自分がいなくても回ることを確認するのは、安心より少し寂しかった。
有能な指揮官とは、自分が席を外しても部隊が動くようにする者だ。
花嫁としては、その理屈を喜びにくい。
「式の間くらい、電源を切ってください」
侍女が言った。
「艦隊から緊急通信が来たら」
「海軍中佐が結婚式を抜けて何をなさるのです」
ペトレンコは端末を見た。
Day 40の会戦後、少佐から中佐へ戦時昇進した。昇進理由は《ブレヴィス》の緊急射撃だけではない。オスタヴァ避難、セヴァル港、半島上陸を含む累積功績として審査された。
それでも、二十七歳の中佐が国家元首の配偶者になることへの反発は強い。
平民。
王室広報が用意した経歴案には、『東部の灰から立ち上がった平民の娘』と書かれていた。
ペトレンコは削除させた。
灰から拾われたのではない。軍学校へ入り、整備を覚え、飛び、失敗し、命令し、味方を撃った。
物語は長い経路を一行へ縮める。
縮められた部分に、自分が払ったものが埋まる。
海軍士官。
会戦で味方空母を撃った人物。
王室法務局には、婚姻差止めを求める請願が七件届いていた。
請願のうち三件は血統を理由にし、二件は軍法調査中であることを理由にした。一件は女性士官が婚姻後も軍務を続けることへの反対。最後の一件は、会戦遺族からだった。
『息子を殺した可能性のある人物を祝うことはできない』
その文だけは、反論できなかった。
結婚をやめれば死者が戻るわけではない。
続ければ、遺族の視界へ白い衣装で立つ。
ペトレンコは請願への回答を法務局へ任せず、自分の署名を入れた。
判断の正当性を主張しない。調査へ協力し、処分を受け入れること。婚姻が調査へ影響しないこと。
許しを求める文章にはしなかった。
遺族には、許さない権利がある。
「電源は切りません」
「緊急時、誰へ命令するのですか」
侍女が尋ねた。
「命令はしません。代理当直がいます」
「では、なぜ」
「知らないまま式を続ける方が怖いので」
言ってから、それが合理的理由ではないと分かった。
端末を持っていても、礼拝堂から艦隊を動かせるわけではない。情報を受け取ることで、不安を制御しているだけだった。
ペトレンコは通知先を緊急回線一つに絞り、他を切った。
感情を手順へ変換する。
手順が不要なら、最後は感情だけが残る。
今日は、それを完全には消さないことにした。
ペトレンコは言った。
「ただ、音は消します」
緊急回線の端末を、衣装の中へ隠すことはしなかった。
侍女ではなく、扉の外に立つ副官へ預ける。受信した場合は、内容を三段階で分類する。即時中断、式後報告、代理当直で処理。判断者の名前も記録させた。
「私が聞きたいと言っても、基準に達しなければ入らないで」
「閣下ご自身の命令でもですか」
「花嫁の私は、指揮系統にいません」
副官は端末を受け取った。
軍務から離れる時間を、自分の意志だけでは守れない。だから規則へ預ける。ソフィアなら感情を手順に変えると言うだろう。ペトレンコが変えたかったのは、感情ではなく責任の置き場所だった。
鏡台には、外した階級章が残った。
式が終わればまた着ける。終わらなかった場合に誰が命令するかも、もう決めてある。
鏡の中の自分は、花嫁というより、慣れない制服を着た兵士に見えた。
衣装の裾を直す侍女の手が、一度だけ震えた。城外に家族がいるという。ペトレンコは大丈夫とは言わず、避難区域と連絡先だけを確認した。
*
午前九時三十分。
招待客が城へ入る。
公国の閣僚、軍人、技術者。西方共同防衛機構加盟国の代表。北方被占領諸国の亡命政府使節。帝国から逃れたヴォルコフ一家。民間軍事会社を名乗る第88特務支援群の代表。
ロマネンコは招待状を持っていた。
金縁の厚紙には、彼の名前が正しく印刷されている。
港の倉庫へ入る通行証なら、偽造箇所を三つ見つけられる。透かし、番号、担当官の署名。婚礼招待状は初めてだった。
ただし、門番の心理は港も城も変わらない。
高価な紙を持つ者ほど疑いにくく、作業服の人間ほど止める。
密輸は、荷物を隠す技術より、人間が何を見落としたがるかを読む仕事だった。
持っていること自体を疑われ、入口で三度止められた。
「俺より、報道の機材箱を調べろ」
「調べています」
「開けただけだろ。底板を外したか」
警備員が顔を上げる。
ロマネンコは葉巻を取り上げられながら、報道受付を見た。
「密輸屋の忠告だ。人間は身分証より、仕事道具を信用する」
「搬入口は見たか」
「担当外です」
「だから危ない。正門に人数を並べると、裏口の一人が英雄になった気分で全部通す」
警備員は苛立った顔をした。
「あなたは参列者です。警備顧問ではありません」
「金を取らずに助言してる。珍しいぞ」
ロマネンコは葉巻を取り上げられたまま、搬入車両の列を見た。
花、聖歌隊の衣装、報道機材、厨房用食材。
花箱は軽い。衣装箱は封印済み。食材車は冷却のためエンジンを止められず、検査時間が短い。
港なら、温度管理を理由に急がせる荷物を最初に疑う。
「冷蔵車の重量票、積荷より二百キロ重い」
警備員が振り返った。
再検査の結果、床下に追加燃料タンクが見つかった。厨房車の航続を延ばすための無届け改造だった。
爆薬ではない。
それでも城内へ入れる燃料量としては規定を超えていた。
車両は外へ回された。
危険は、悪意がある時だけ生まれるわけではない。善意の近道と書類の省略でも、人は十分に死ねる。
その指摘で、機材箱の二重底が一つ見つかった。
中身は予備電池だった。
危険物ではない。
警備記録には、「異常なし」とだけ残った。
危険物ではないことと、安全であることは同じではない。だが入場列は伸び続け、検査員は次の箱を開けた。警備は疑いを解消する仕事ではなく、時間内に疑いへ順位を付ける仕事だった。
*
ロマネンコは正面玄関を使わなかった。
礼拝堂の裏手、食器と花を搬入する坂道を歩き、積み上げられた空箱の数を数えた。搬入記録では六十四箱。戻り待ちの箱は五十九。五箱ぶんの空白は、爆薬でなくても人間を殺せる。
「皿が足りないだけです」
厨房責任者は言った。
「皿なら割れた音がする」
ロマネンコは箱の底を靴先で押した。乾いている。ワイン箱なら染みが残る。花箱なら泥がつく。どちらでもなかった。
港では、積荷より空荷のほうが嘘をつく。金を払った人間は品物を見せたがる。隠したい人間は、何もなかった箱を急いで片づける。
非常口の蝶番には新しい油が差してあった。防火点検の印は先月。だが床の埃には、今朝ついた細い台車の跡が残っている。
「この扉はどこへ出る」
「旧納骨堂の通路です。今は封鎖されています」
「封鎖という言葉は、扉がある場所でしか役に立たない」
ロマネンコは警備班へ位置を送った。礼拝堂そのものより、そこへ物を運ぶ裏道のほうが多い。裏道は金と同じで、消えずに持ち主を変える。
五箱の不足を危険物と断定する証拠はなかった。それでも彼は検査済みの印を止めた。
疑わしい荷を全部捨てれば式典は成立しない。全部通せば、葬儀になる。
港湾屋が嫌うのは賭けではない。賭け金を知らされないことだった。
*
午前十時四十分。
上空のA-50U早期警戒管制機が、帝国側の航空基地から複数機の発進を捉えた。
『MiG-31Kの可能性二。Su-35S四。北東へ上昇』
近衛飛行隊長アンナ・ザハルチェンコは、針路を変えた。
高度一万二千。
アンナのF-2Aは、A-50Uの南東二十キロで哨戒していた。
MiG-31Kと推定された二機は高く、速い。領空線の外側を飛びながら、通常哨戒より南へ寄っている。護衛のSu-35S四機は、その前方と左右へ薄い扇形を作っていた。
A-50Uの回転するレドームが航跡を更新するたび、表示器上の数字が跳ね上がる。上昇率、速度、推定重量。MiG-31Kの一機だけが、上昇の割に加速が鈍い。胴体下へ大型兵装を抱えている時の挙動だった。
接近しただけでは撃てない。
武装分離を確認してからでは、着弾までの時間が足りないかもしれない。
規則が想定するのは、敵味方がもう少し礼儀正しく順番を守る戦争だった。
『領空線まで距離三百二十。通常の哨戒経路から外れています』
「発射母機の可能性を通報。式場へ警戒レベルを上げろ」
地上では、参列者の入場が続いている。
避難を始めれば群衆が城門へ殺到する。
アンナは発射母機と礼拝堂までの線を頭の中で引いた。
迎撃位置へ前進すれば、礼拝堂上空の内側哨戒が薄くなる。発射前に圧力をかけられるが、帝国護衛機に釣り出される可能性もある。
『近衛一――』
旧来の隊名を口にしかけ、止めた。
『近衛一より全機。三番、四番は礼拝堂上空の内側哨戒を維持。私と二番機で北東へ前進。領空線は越えない』
『近衛三、了解。披露宴の席は残しておいてください』
『空席は作らない。礼拝堂から目を離すな』
『近衛二。こちらは二機、向こうは六機です』
『数なら管制画面にも出ている』
『報告ではなく、愚痴です』
『帰ったら聞く。いまは右を見ろ』
『了解。右に二機、まだ遠い』
守る対象は礼拝堂だけではない。
空の目を失えば、次の飛翔体が見えなくなる。
アンナはスロットルを押し込み、二機だけを前へ出した。
F-2Aのアフターバーナーが点き、背中が射出座席へ沈む。増槽と空対空ミサイルを抱えた主翼が細かく震え、速度計の数字が上がった。二番機は右後方へ離れ、互いの死角を半分ずつ埋める。
敵機はまだ肉眼に映らない。ヘッドアップディスプレイの目標枠だけが雲の上へ浮かび、方位の変化を刻んでいた。その下には城と礼拝堂と、何も知らず鐘を聞く人間がいる。高度を取るほど地上は小さくなり、守る理由だけが重くなった。
四機で前進すれば、発射母機へ圧力を掛けやすい。二機を残す方が、礼拝堂防空全体には安全だった。
軽口を交わせるのは、まだ敵が表示器の記号だからだった。
ミサイル警報が鳴れば、会話は距離と方位へ削られる。その前に声を聞いておくことも、編隊を保つ手順の一つだった。
何も起きなければ、婚礼を自ら潰す。
警備本部は、参列者へ知らせず、医療班だけを前進配置した。
担架、輸血剤、気道確保器具。祝典の裏側で、それらが壁際へ運ばれる。写真に写らない準備は、必要になった時にだけ目立った。
礼拝堂の鐘が鳴った。
アンナのヘッドセットにも、地上中継を通して鐘の最初の一打が入った。
祝福の音に聞こえたのは一秒だけだった。
次の瞬間、A-50Uが警報を出す。
『MiG-31K推定一機、上昇率増加。兵装状態、引き続き未確認』
アンナはレーダー照準を合わせた。
まだ撃てない。
まだ退避命令も出ていない。
婚礼は始まり、敵機は発射位置へ近づいている。
判断の空白だけが、両者の間で縮んでいた。
上空では、帝国機が発射可能圏へ近づいていた。
アンナは脅威を形容しなかった。
「方位〇八七。高度九千。速度九百二十。二機編隊、針路変化なし」
怖い、近い、危険だ。その三語は、受信側の判断を一秒ずつ濁らせる。彼女が送れるのは観測値だけで、恐怖は自分の酸素マスクの内側に残すしかない。
A-50Uの表示では、二つの航跡が礼拝堂のある都市へ一直線に伸びている。F-2A二機は迎撃線へ入ったが、MiG-31Kが長射程兵器を抱えているなら、距離はまだ安心材料にならなかった。
「兵装推定は」
地上管制が問うた。
「未確定。胴体下に単一の大型反射。投棄なし」
分からないものを埋めるために推測を足すな。教官の声が、昔より冷たく聞こえた。
アンナは再走査を命じた。機首を数度振るだけで、レーダー像の輪郭が変わる。確信ではなく、誤差が少し狭まる。
「迎撃隊へ。発射兆候を優先。目標喪失時は礼拝堂方向の低高度航跡を再捜索」
彼女は最後まで、式典という言葉を使わなかった。
空には祝辞も婚礼もない。あるのは方位、高度、速度と、間に合うかどうかだけだった。
*
午前十時五十八分。
礼拝堂南側に展開したパーンツィリS1の捜索画面へ、最初の低速目標が現れた。
速度百六十。
高度百二十。
南東から一。
次の走査で三。
その次には、河川沿いと西部工業区から九つ増えた。
鳥の群れにしては速度が揃いすぎている。民間ドローンにしては機影が大きく、あらかじめ設定された曲線をなぞるように進路を変えていた。
「低速目標、多数。南東六、西四、河川沿い三。識別なし」
指揮所の表示器に十三個の記号が並んだ。
A-50Uは、その半分しか見ていなかった。低高度を飛ぶ小型機は建物と地形へ隠れ、回転翼のない機体は市街地の反射へ紛れる。上空の目が遠くを見ている間に、近くの脅威は屋根の高さで入ってきた。
城外の観覧区域で、数人が同時に空を見上げた。
最初に聞こえたのは警報ではない。
乾いた、小刻みなエンジン音だった。
一台ではない。
別々の通りで鳴る芝刈り機を、誰かが同じ場所へ集めているような音だった。
「シャヘド136系の可能性」
防空指揮官は断定しなかった。形と速度が似ているだけで、製造国も発射主体も分からない。
「全パーンツィリ、交戦準備。城外群衆を建物側へ伏せさせろ。F-2A三番、四番は高度を維持。市街上空での機関砲射撃は禁止」
戦闘機を低空へ降ろせば、無人機より速すぎる。機関砲で撃てば、弾道の先に街がある。
三番機の操縦士が、下に広がる屋根を見た。
『こちら近衛三。目視できない。音響方位を送れ』
市警の通報が一斉に入る。
南環状路。
旧市電車庫。
ドレナ川の堤防。
遠方の基地から飛んできた編隊ではなかった。
都市の周縁から、ほぼ同時に立ち上がっている。
警備本部は婚礼の中止基準を見直した。
帝国発射母機の武装は未確認。
長距離飛翔体も未確認。
だが、市内での同時多発攻撃は成立していた。
「式を中断する」
命令が礼拝堂へ届く直前、最初のパーンツィリS1が57E6系列の迎撃弾を発射した。
白煙が城壁の外から立ち上がる。
鐘の音と小型エンジンの群れと、迎撃弾の発射音が重なった。
婚礼には、二つの時計が動き始めていた。
一つは、司祭が進める儀礼の時間。
もう一つは、防空部隊が残弾で数える時間だった。




