表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王冠の亡命――八百日の建国戦争  作者: シルヴァン・レーデル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/154

第三話 届く牙



 午前三時五十二分。


 皇太子の亡命から、三度目の夜明けが近づいていた。


 西部の臨時政府庁舎では、夜が終わっていなかった。


 窓を覆う遮光幕の向こうで、街は眠っている。地下作戦室の壁面には、ルーデニア帝国南部の衛星画像が投影されていた。


 画像の中央にある都市が、ロドネフだった。


 人口の集中する市街地。その東と南を、軍用飛行場、燃料貯蔵施設、弾薬庫、地対空ミサイル陣地が半円状に囲んでいる。南部軍司令部は都市中心部ではなく、南東郊外の旧要塞を地下化した軍用区画に置かれていた。


 赤い印は軍事目標を示している。


 市街地には、一つもなかった。


 ヴォロディミル大公は、机の上の紙を閉じた。


 OKB-0防衛戦で死亡した二十二人の氏名だった。


 施設を守った、という報告は一行で済む。二十二人の人生は一行では終わらない。


 それでも、次の命令を出さなければならなかった。


「最終確認を始める」


 ザハルチェンコが目標図を拡大した。


「第一目標は南部軍司令部。第二目標は燃料貯蔵施設群。第三目標は弾薬集積所です。この三か所にはR-9Mを使用します」


 別の三つの区画が黄色く縁取られた。


「航空隊は南東防空区、ロドネフ軍用飛行場、強化航空機掩体を攻撃。滑走路二本の交差部と主要誘導路を破壊し、残存機の発進と移動を止めます」


「燃料施設の西側は?」


 大公が尋ねた。


「民間の貨物集積所です。目標点から除外しました」


「弾薬庫の北は」


「村落があります。最も近い弾薬壕は攻撃しません」


「南部軍司令部に民間人は」


「昨日までに確認できた出入りは軍人と軍属のみです。ただし、地下部分の全員までは識別できません」


 分からないものを、分かったことにはできない。


 大公はしばらく地図を見つめた。


「攻撃対象は、いま示した軍用区画に限定する。市街地、民間空港、鉄道駅、発電施設は攻撃しない。照準を確認できない兵器は投下するな」


「了解しました」


 壁面の通信画面に、コヴァリョフの姿が映っていた。頬には前日の傷を覆う細いテープが残っている。


「陛下。もう一つ、確認が必要です」


「R-9Mか」


「発射の瞬間、帝国の早期警戒網には戦略弾道弾として映ります。通常弾頭だと判明するのは、着弾してからです」


「核攻撃と誤認される」


「その可能性があります。発射後に説明しても、帝国が信じる保証はない。西方諸国も、公国が運用可能な戦略弾道弾を隠していたと知るでしょう」


 R-9Mデビアッカ。


 旧帝国のさらに前の時代に建設されたサイロと、そこへ残された大型弾道弾を、OKB-0が長い年月をかけて改修したものだった。核弾頭はない。搭載するのは終末誘導装置を備えた通常弾頭である。


 だが、上昇を捉える衛星に弾頭の中身は見えない。


「通常の空爆だけでは駄目なのか」


 大公は、結論を知りながら尋ねた。


 ザハルチェンコが答える。


「南部軍司令部は地下化されています。燃料施設と弾薬庫には防空部隊が隣接している。航空隊だけで全目標を破壊しようとすれば、敵防空圏内に長く留まることになります」


「損失予測は」


「R-9Mを使わない場合、攻撃隊は防空圏内に長く留まり、複数機の損失を見込まざるを得ません。使用した場合でも、損失なしとは見積もっていません」


 シェレメートが椅子の背にもたれた。


 いつもなら場違いなほど軽い声を出す女が、今朝は先に目標図を見ていた。


「大公様。聞いておきたいんだけど〜」


「何だ」


「飛んでる途中で、市街地へずれる可能性は?」


 問い方は間延びしていたが、目は笑っていなかった。


 コヴァリョフが答えた。


「許容誤差を外れた場合は、終末誘導へ入る前に自壊させる。航空隊も目標を識別できなければ持ち帰る」


「なら、いいよ〜」


 シェレメートは身体を起こした。


「飛行場だけ、しばらく眠ってもらおうか〜」


 隣に座るソーコルは、目標一覧から視線を上げなかった。


「南東防空区の移動式発射機は、昨夜から二度位置を変えています」


「追えるか」


「ソフィアの電子偵察情報があれば」


 通信画面の端で、ソフィアが口を開いた。


「三度目も追います。完全には消せませんが、攻撃隊へ照準する時間を削ることはできます」


「お前は防空圏の外にいろ」


 コヴァリョフが言った。


「先生は、また私だけ後方へ置くつもりですか」


「電子戦機を前へ出す指揮官はいない」


「前へは出ません。命令された空域の中で飛びます」


「その言い方をする時のお前は信用ならん」


「前回よりは信用してください」


 ごく短い沈黙の後、シェレメートが小さく笑った。


「仲がいいね〜」


「作戦中だ」


 コヴァリョフとソフィアの声が重なった。


 張り詰めていた作戦室の空気が、わずかに緩んだ。


 大公は、赤い目標点を一つずつ見直した。


 首都を奪われた。研究施設を襲われた。二十二人を失った。


 怒りはある。


 だが、怒りだけで撃つなら、皇帝と何も変わらない。


「これは都市への報復ではない」


 全員が大公を見た。


「次の攻撃を支える頭と手足を潰す。帝国軍の進撃を止めるために撃つ」


 大公は目標承認書へ署名した。


「同時に、教える。攻撃する側だけが安全な戦争ではないと」


     *


 午前四時二十八分。


 西部地下発射施設。


 三基のサイロでは、発射準備が最終段階へ入っていた。


 地上から見えるのは、雪解け水の残る野原と、低い管理棟だけである。その下に、冷戦期の巨大な構造物が眠っていた。


 R-9Mは、すぐに撃てる兵器ではない。


 燃料系統、誘導装置、弾頭、飛翔経路。三十時間を超える点検を終え、三基のうち一基では姿勢制御系に異常が見つかった。交換部品は、稼働を止めた四基目から外された。


 古い兵器を動かすとは、過去から部品を借りることだった。


 発射管制室の中央には、二つの鍵穴が離して設けられている。一人の意思では撃てない。


 大公と発射管制官が、それぞれの位置に立った。


「目標座標、照合」


「第一弾、南部軍司令部。第二弾、燃料貯蔵施設群。第三弾、弾薬集積所。照合一致」


「弾頭状態」


「全弾、通常弾頭。安全装置正常」


「飛翔中止手順」


「終末誘導開始前まで受け付けます。規定範囲を逸脱した場合、自動自壊」


 大公の前に、OKB-0防衛戦の死者名簿が置かれていた。


 それを弾道弾へ持ち込んだのは、自分だった。


 彼らの名を復讐の許可証にするためではない。


 自分が何人の死後に立って、この鍵を回すのか忘れないためだった。


「陛下」


 発射管制官が待っている。


 大公は鍵を握った。


「攻撃隊の位置は」


『予定空域へ進入中。電子戦機、所定位置。防空制圧隊、待機』


「発射を承認する」


 二人が同時に鍵を回した。


 まだ、ミサイルは動かない。


 発射命令が管制装置へ入り、最後の照合が始まった。


     *


 午前五時十九分。


 帝国領内へ入る直前の空で、ソフィアは受信波形を見つめていた。


 Su-24MPのコックピットは、左右二席が横に並ぶ。右席の計器の光が、ソフィアの横顔を青白く照らしている。左席の専任操縦士は飛行に集中していた。


 南東防空区の捜索レーダーは、短い間隔で周波数を変えていた。前日のOKB-0攻撃で、公国側の電子戦能力を把握したのだろう。移動式発射機も、最後に確認した林から姿を消している。


「新しい発信源。方位〇八四。断続送信です」


 ソフィアは、左席の操縦士にも受信波形を共有した。


「予備指揮所か」


「おそらく」


 ソフィアは記録を三秒分だけ巻き戻した。


 捜索レーダーとは異なる、細い信号が見える。複数の射撃隊へ目標情報を流す中継波だった。


「位置を推定。ソーコルへ送ります」


『受信した』


 返答は短かった。


『こちらジュラーヴリク。私にも見せて〜』


「送っています」


『ほんとだ。昨日より隠れるの上手になってる〜』


「褒めている場合ではありません」


『敵が上手だと、ちゃんと怖がれるからね〜』


 軽い声だった。


 だが、シェレメートは敵を侮っていない。軽口のまま、脅威を一つずつ数えている。


『南東防空区、捜索開始』


 ソーコルが告げた。


 帝国側のレーダー波が強くなった。


 攻撃隊の前方を飛ぶ無人標的機が、敵の画面へ複数の航空機として映り始める。防空部隊が沈黙したままなら、攻撃隊はその外側から兵器を放つ。レーダーを使えば、位置が露出する。


 最初の射撃管制レーダーが起動した。


『一つ目』


 ソーコル機から対レーダーミサイルが離れた。


 別の方角で二つ目が起動する。


『シェレメート元帥、右です』


「見えてるよ〜」


 二発目が発射された。


 帝国側はすぐにレーダーを切った。ミサイルは最後に記録した座標へ向かう。命中する保証はない。それでも、敵が目を閉じている間は攻撃隊が前へ出られる。


「妨害開始。味方全機、周波数跳躍表三へ」


 ソフィアは出力を上げた。


 雑音で空を塗り潰すのではない。敵の捜索信号へ似せた波形を重ね、距離と方位をわずかに誤らせる。完全に消せなくても、判断を数十秒遅らせればよい。


 今朝の戦争は、その数十秒を積み重ねるために組まれていた。


     *


 ロドネフ南東防空区の地下指揮所では、当直士官が画面上の光点を数えていた。


「目標、十二。いや、十六」


「電子妨害だ。高度を取れ」


「測れません。四千から一万二千を跳んでいます」


 映像の一部が白く崩れた。


 早期警戒レーダーは、接近する編隊を捉えている。だが、どれが航空機で、どれが囮なのか分からない。


 射撃隊の一つが独断でレーダーを起動した直後、通信一覧から消えた。


「南部軍司令部へ報告。公国軍の航空攻撃――」


 別系統の警報が鳴った。


 航空目標用ではない。


 戦略早期警戒網から送られてきた、弾道弾発射警報だった。


「発射点、西部。上昇目標、三!」


 指揮所の空気が止まった。


「弾種は」


「識別不能。予測落下域――ロドネフ」


 当直士官は受話器を取った。


 南部軍司令部へ直通する回線は、電子妨害で何度も切れた。


「戦略攻撃警報! 地下区画を閉鎖しろ!」


 ようやく繋がった相手へ叫ぶ。


 核か、通常弾頭か。


 分からない。


 分からないまま、残り時間だけが減っていった。


     *


 午前五時二十四分。


 西部地下発射施設の地上で、三枚のサイロ蓋が順に開いた。


 第一弾のエンジンが点火する。


 地中で押さえ込まれていた轟音が解放され、R-9Mが炎と蒸気の柱を引いて上昇した。


 数秒後、第二弾。


 さらに第三弾。


 夜明け前の雲が、下から赤く照らされた。


 発射管制室では、誰も歓声を上げなかった。


「第一弾、上昇正常」


「第二弾、正常」


「第三弾、姿勢制御正常」


 三本の航跡が、一つの画面へ描かれていく。


 大公は、自分の署名と鍵で飛んでいく兵器を見ていた。


 もう、命令を出す前の人間には戻れない。


「帝国戦略軍の反応は」


「早期警戒通信が急増。複数の長距離レーダーが起動しています」


「西方諸国は」


「同じく探知したはずです」


 発射から一分も経たず、公国だけの戦争ではなくなっていた。


     *


 ロドネフ軍用飛行場では、警報を受けた整備員が強化掩体の扉を開けていた。


 戦闘機を外へ出し、別の飛行場へ逃がすためだった。


 誘導路へ出た二機が、滑走路端へ向かう。


 その上空で、最初の対レーダーミサイルが南東防空区の送信施設へ突入した。


 爆発でアンテナが倒れる。


 移動式発射機は林の陰へ退避していた。破壊を免れた一個射撃隊が、攻撃隊へ向けて誘導弾を発射する。


『二発、上がった』


 ソーコルの声が飛んだ。


「攻撃隊は高度を下げて。シェレメート、左の一発を見ています」


『右は』


「私がずらします」


 ソフィアは妨害の主軸を射撃レーダーへ向けた。


 敵の誘導波が出力を上げる。Su-24MPの警報装置が鋭く鳴った。


 左席の操縦士が彼女を見る。


「ここは指示空域の東端です」


「越えていません」


「あと三キロで越えます」


「二キロで旋回します」


 誘導弾の一発が、虚偽目標へ向きを変えた。もう一発はシェレメート機を追っている。


 MiG-29OVTが急降下し、低空で機首を引き起こした。誘導弾は追随しきれず、地表近くで自爆する。


『ソフィア〜、三十秒もらえる〜?』


「二十五秒です」


『十分〜』


 シェレメート機が反転した。


 隠れていた射撃隊が、次弾を撃つため再びレーダーを起動する。


 その瞬間を待っていた対レーダーミサイルが、林へ飛び込んだ。


 画面から誘導波が消える。


「南東防空区、主指揮所沈黙。移動式一個射撃隊も送信停止」


『全滅とは限らない』


 ソーコルが言った。


「はい。帰りにも警戒してください」


 防空網に、完全ではない穴が開いた。


 四機のSu-24Mが低空から進入する。


 先頭二機は滑走路交差部へ侵入阻止用の爆弾を投下した。遅延信管が舗装下で作動し、表面を大きく持ち上げる。後続二機は主要誘導路と、扉の開いた強化掩体へ誘導兵器を放った。


 離陸滑走へ入っていた帝国機が、前方の爆発を見て急制動する。


 滑走路の中央がめくれ、破片が降り注いだ。


 掩体の一つが直撃を受け、厚い扉が内側へ折れる。別の掩体は外壁を損傷しただけで残った。駐機場の航空機すべてを破壊することはできない。


 だが、離陸できなければ同じだった。


     *


 三発のR-9Mは、ロドネフ上空へほぼ同時に到達した。


 最初の再突入体は、都市南東の軍用区画へ落ちた。


 南部軍司令部の地上棟が衝撃で潰れ、通信塔が折れる。貫通弾頭は地下区画の上層で爆発した。最深部までは届かなかったが、電源と通信幹線が寸断され、司令部は外部との連絡を失った。


 第二弾は燃料貯蔵施設群へ着弾した。


 防油堤の内側で複数のタンクが破裂する。炎が配管を走り、航空燃料の供給ポンプが停止した。西側の民間貨物集積所との間には空地があり、爆風で窓ガラスが割れたものの、火は軍用区画の防油堤内に留まった。


 第三弾は弾薬集積所の中央区画を貫いた。


 一度目の爆発より、数秒後の誘爆の方が大きかった。


 土塁で区切られた弾薬壕が、一つずつ炎を噴く。北側の村落に近い弾薬壕は攻撃対象から外されていたが、爆発音と衝撃はそこまで届いた。住民が家から出て、南の空を見上げる。


 都市そのものは攻撃されなかった。


 それでも、軍用地区で働いていた者にとっては、限定という言葉に救いはなかった。


 南部軍司令部の地下では、非常灯が点いた。


 生き残った幕僚が瓦礫を退け、携帯無線機を探している。地上へ通じる階段の一つは崩れ、もう一つには煙が流れ込んでいた。


「予備指揮所へ移る。部隊へ命令を出せ」


「回線がありません」


「伝令を走らせろ」


 近代的な軍隊が、最後には人間の足へ戻っていた。


     *


 ロドネフ北方から、帝国軍の戦闘機二機が接近した。


 別の飛行場から緊急発進したSu-30SMだった。


『攻撃隊へ。針路を西へ。離脱を優先』


 ソーコルが告げた。


「二機とも追ってくるね〜」


『止めます』


「一人で?」


『元帥は攻撃隊を連れて帰ってください』


「そういう言い方、覚えたんだ〜」


 シェレメートは四機のSu-24Mを見た。一機は近距離で爆発した地対空ミサイルの破片を受け、左翼から燃料を漏らしている。速度を上げられない。


「ソーコル、二分だけお願い」


『了解』


 ソーコル機が上昇し、帝国機二機の正面へ出た。


 長距離ミサイルを一発放つ。命中させるためではない。帝国機に回避を強制し、攻撃隊との距離を広げるためだった。


 二機が左右へ分かれる。


 片方はソーコルを追い、もう片方が低空の攻撃隊へ向かう。


『一機、抜けた』


「見えてる〜」


 シェレメート機が損傷したSu-24Mの後方へ下がった。


 帝国機のレーダー照射を受け、警報音が鳴る。


「ソフィア、帰り道まだある?」


『狭いですが、あります。方位二六八、高度を上げないでください』


「了解〜」


『右へ三度。いまです』


 シェレメートは指示どおり機首を振った。


 帝国機のレーダー画面上で、彼女とSu-24Mの反射が重なり、次の瞬間には複数へ分裂する。照準が外れた。


 シェレメートはその間に反転し、帝国機の進路へ機体を置いた。


 撃てば、落とせる距離だった。


 だが、攻撃隊の離脱が目的であって、撃墜数を増やす必要はない。


 ロックオン警報だけを送り続ける。


 帝国機は追撃を諦め、東へ旋回した。


「今日は、これで帰ってくれると助かるな〜」


『元帥、二分経過』


「はいはい。ソーコル〜、帰るよ〜」


『了解。全機、帰投』


 公国の攻撃隊は、損傷機を中央に置いて西へ向かった。


 その背後で、ロドネフ軍事地区の火災が朝の雲を赤く染めていた。


     *


 午前六時十二分。


 西部地下発射施設の管制室へ、最初の戦果報告が届いた。


「南部軍司令部は主通信系統を喪失。地下区画の完全破壊は確認できません」


「燃料貯蔵施設は複数箇所で延焼中。主要ポンプ施設の停止を確認」


「弾薬集積所は中央区画で誘爆継続。北側区画は残存」


「軍用飛行場は滑走路二本と主要誘導路が使用不能。掩体の損害は確認中です」


「敵防空部隊は」


「南東区の固定レーダーと指揮所は沈黙。ただし、移動式部隊の一部が残っています」


 目標壊滅、という便利な言葉は使われなかった。


 破壊できたもの。残ったもの。確認できないもの。


 それが戦果だった。


「攻撃隊は」


 大公が尋ねる。


「全機、国境を越えました。Su-24M一機が損傷。負傷者一名、容体は安定しています」


「ロドネフ市街地の被害は」


「現時点で大規模な被害は確認されていません。軍用区画周辺の被害と死傷者数は不明です」


 大公は目を閉じた。


 成功した、と言ってよいのだろう。


 帝国南部軍は、燃料と弾薬と指揮網を同時に損傷した。少なくとも当面、大規模な西進を続けることは難しい。


 しかし、画面の向こうでは人が死んでいる。


 自分が鍵を回した結果として。


 通信回線へ、帰投中のソフィアの声が入った。


『先生。妨害を終了します』


「聞こえている」


『今回は命令された空域を越えていません』


「報告書を読んでから判断する」


『では、少し短く書きます』


「そういうところだ」


 シェレメートの通信が割り込んだ。


『大公様〜。飛行場、ちゃんと眠ってくれたよ〜』


「こちらの損害は聞いた」


『全員連れて帰る。そこまでが仕事だから〜』


「頼む」


 大公が答えると、シェレメートの声からわずかに笑いが消えた。


『……大公様』


「何だ」


『これで、向こうも止まると思う?』


 作戦室の誰も答えなかった。


 帝国の進撃を止めることと、帝国の怒りを止めることは同じではない。


 別のオペレーターが立ち上がった。


「帝国戦略軍の通信量が急増。南部以外の航空基地でも、長距離爆撃機の発進準備を確認しました」


 続いて、北と東の防空区が一斉に警戒態勢へ入ったという報告が届く。


 ロドネフへの一撃は、帝国の進撃を鈍らせた。


 同時に、より大きな何かを目覚めさせた。


 大公は死者名簿を閉じ、立ち上がった。


「止まらない」


 シェレメートへ答えたのか、自分へ言い聞かせたのか、本人にも分からなかった。


「だから、次に備える」


 夜が明けた。


 キミロフ大公国は、初めて帝国領内を攻撃した。


 届く牙を持つ国になったその朝、帝国の報復もまた始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ