第十九話 東の門
ハルシヴは、帝国軍にとって東部最大の集積都市だった。
鉄道、戦車工場、大学、地下鉄。公国軍が欲しいものと、帝国軍が壊して退きたいものが同じ場所に集まっている。
Day 35、午前五時。
ホロボロドコ元帥は、市西側の高架道路を双眼鏡で見た。
「敵は弱っている、という報告だったな」
「ドレナ川の補給遅延と、ドレナ航空基地喪失で、弾薬は定数の四割以下と推定」
「四割あれば、人は死ぬ」
公国軍の先頭にはT-84とT-72が並ぶ。その後ろに、クレヴァルで回収した車両と、鹵獲したT-14が一両だけいた。
T-14は目立った。
同時に、補修部品も専用診断装置もない。動けなくなれば、戦場の中央に最も高価な障害物を作る。
「アルマータは第二線から出すな」
「宣伝班が撮影を希望しています」
「宣伝班に牽引車を持たせろ」
「映像映えはします」
「燃えるところまで撮りたいなら、前へ出せ」
幕僚は撮影要請を閉じた。
*
市街西端の帝国軍は、最初の砲撃後に後退した。
抵抗が崩れたのではない。公国軍を工業区へ引き込み、立体交差と工場建屋から撃つためだった。
午前七時十八分。
先頭のT-84が側面を撃たれ、道路を塞ぐ。後続車両が急停止し、高架上へ薄い排気煙が溜まった。歩兵は地下道へ入り、帝国兵と数十メートルの距離で撃ち合った。
上空のシェレメートへ航空支援要請が入る。
『工場屋上、対戦車班。攻撃できますか』
「屋根の下に何がある〜?」
『工作機械と、避難していない作業員がいる可能性』
「じゃあ、煙だけ置く〜。見えなくなったら移動して〜」
MiG-29OVTが工場の西へ煙幕弾を落とした。
白煙が道路と建屋の間を埋める。地上の戦車兵には、敵の照準が外れたかどうかは見えない。それでも後退するには、見えない二分へ賭けるしかなかった。
万能な航空支援ではない。
地上部隊が道路を横切る二分を作った。
損傷したT-84は回収できず、乗員が暗号装置を外して放棄した。宣伝班のカメラは、その車両を撮らなかった。
*
午前九時、帝国軍の一個連隊が降伏を申し出た。
兵力約二千百。負傷者三百余り。弾薬は小銃弾を除いてほぼ尽きている。
白布を掲げた将校は、地下鉄入口から一人で歩いてきた。公国兵は銃口を下げず、彼の歩数だけを数えた。
「受け入れますか」
幕僚が尋ねた。
「受け入れる」
ホロボロドコは即答した。
「武装解除、将校と情報要員を分離。負傷者は後送。部隊名、地雷原、爆破予定施設を聴取しろ」
「捕虜を後方へ送る車両が足りません」
「敵二千人を撃ち切る弾薬より安い。市電車庫へ集め、歩哨を置け」
「食料も不足します」
「捕虜は補給表を読む。死体は政治家が読む。前者の方がまだ扱いやすい」
慈悲ではない。
降伏を受け入れれば、市内の別部隊も続く可能性がある。拒めば、残る兵は最後まで撃つ。
将校が戻って十五分後、地下鉄入口から兵士が列になって出てきた。小銃を舗道へ置く音が、銃声より長く続いた。
*
正午までに、市中心部の帝国旗は降ろされた。
だが北部車両工場と東駅では戦闘が続き、撤退した帝国軍約千六百名が郊外へ防御線を作っている。
市庁舎前へ集まった住民も、全員が公国旗を歓迎したわけではない。
占領中に帝国軍へ雇われた者。家族が帝国領へ移った者。公国軍の砲撃で家を失った者。
歓声の後ろで、窓を閉めたままの建物がいくつもあった。
帝国軍は撤退前に東変電所を爆破し、市の半分が停電した。水道ポンプも停止する。
「解放式典は」
「給水車を先に出せ」
ホロボロドコは市庁舎の階段に腰を下ろした。
「旗で水は出ない」
広場の向こうで、国旗を掲げた装甲車が歓声を浴びていた。その脇を、何の飾りもない給水車が病院へ走っていく。都市を生かすのは、たいてい後者だった。
*
夕刻の報告では、公国軍戦死百十二、負傷三百八十九。帝国軍捕虜二千四百余り。民間被害は確認中。
ハルシヴ中心部と西部工業区は公国軍が確保。
東駅、北部車両工場、郊外環状線は未確保。
ヴォロディミルは「ハルシヴ完全解放」という広報案を線で消した。
「東の門は開いた」
ザハルチェンコが言う。
「開いただけだ。通った後に閉じられないよう、蝶番を直せ」
市内では、工兵が地雷を除去し、電力技師が変電所の焼けた母線を調べていた。
夕闇の中、仮設発電機へ接続された病院の窓だけが一列に灯る。市庁舎の投光器は、その分だけ消された。
首都へ向かう道は広がった。
その背後で、奪還した都市を維持する戦いが始まっていた。




