第九十九話 四つの航跡
四発の小型巡航ミサイルは、別々の方向へ飛んだ。
高度三十から六十メートル。
速度、時速六百二十キロ。
地形追随。
識別信号なし。
一号目標、和平会談区。
二号目標、中央変電所。
三号目標、アルシェール北部病院。
四号目標だけ、進路が定まらない。
「標的未確定ではありません」
ソフィアが航跡を見た。
「経由点を増やしています。迎撃側の予測線を分散させる囮」
「弾頭は」
ペトレンコが聞く。
「推定九十キロ。種類不明」
「市街上空で破壊できない」
「できません」
否定は一秒だった。
地上SAMが撃てば、迎撃弾と破片が住宅地へ落ちる。
戦闘機が機関砲を使っても、同じだった。
海と河川、工業地帯の上で落とすしかない。
「航路を変えさせられますか」
「データリンクへ侵入する時間はありません」
「電波妨害」
「慣性航法へ移行します」
「地形参照を狂わせる」
「都市そのものは消せません」
ペトレンコは四本の航跡を見た。
撃つ場所を選ぶ時間は、九分もない。
アルシェール進入管制所では、民間機六機を同時に空域から外していた。
着陸進入中のA320は復行。
医療搬送機は西の軍用滑走路へ変更。
貨物機二機は海上待機。
残る二機は燃料余裕が少ない。
「非常事態を宣言しますか」
若い管制官が聞いた。
「宣言すれば全機へ理由を送る。相手も聞いている」
当直主任は航跡を見た。
「滑走路点検。鳥群侵入。理由は機体ごとに分けろ」
「虚偽です」
「滑走路は、この後に破片点検が要る。鳥群は、いまレーダーにいる」
海上待機の貨物機から、燃料残り二十八分との申告。
主任は北西の予備空港へ向けた。飛行時間十九分。残り九分は規程上の最終予備を割る。
「機長が拒否しています」
「拒否を記録。代替は軍用滑走路。医療機を先行」
「着陸料の免除権限がありません」
「私の職員番号で保証する」
若い管制官は主任を見た。
「請求されたら」
「給与では足りないな」
それでも主任は送信した。
航空路を空にする作業は、迎撃画面へ撃墜記号を一つも増やさない。
六機の乗客は、自分たちが避けた四本の航跡を知らないまま、違う空港へ降りることになる。
*
シェレメートは飛行服を半分まで着た状態で警報を聞いた。
医官が腕を掴む。
「飛行許可は取り消されています」
「迎撃機は〜」
「ヴァローニュ空軍のラファールC二機が上がっています」
「南側だけ。北の二発に間に合わない〜」
「あなたの人工腱は交換待ちです」
「右脚で飛ぶ〜」
「着陸は二本必要です」
サンソンが格納庫へ入ってきた。
左頬に、地下駅で受けた浅い火傷。
防弾板には弾痕。
「飛ばすな」
医官が先に言う。
「分かっている」
サンソンはシェレメートの飛行服を脱がせ始めた。
「裏切り〜」
「乗る機体が違う」
格納庫外で、H225Mのローターが回り始めた。
「ヘリで追いつくの〜?」
「追わない。川沿いの予測点へ先回りする」
「私が何をするの〜」
「目で見る」
「レーダーがあるよ〜」
「低空の目標は、橋とクレーンへ重なる」
サンソンは彼女へ、機上観測員用のハーネスを渡した。
「七割が機械なら、一割くらい働け」
「全部働く〜」
「一割だ」
シェレメートは笑い、左側人工腱群の固定具を自分で締めた。
人工肺、待機出力七十二パーセント。
高Gインプラントは使わない。
強化胸郭の修復部には、まだ黄色い警告。
飛べない空軍元帥を、元艦載機乗りの憲兵がヘリへ載せる。
戦争は肩書の使い方を間違える。
たまに、その間違いが人を救う。
*
一号目標は、ラファールCが海岸線で捕捉した。
高度四十メートル。
ミーティアでは近すぎる。
パイロットは機体を海側から重ね、MICA IRを一発発射。
赤外線誘導弾が巡航ミサイルの排気を捕まえる。
命中。
白い閃光の後、弾頭が海面上で爆発した。
巡航ミサイルの外板が先に銀色の破片へほどけ、その内側から橙色の圧力球が膨らんだ。海面が一瞬くぼみ、次に白い壁となって持ち上がる。爆音は海岸へ遅れて届き、道路沿いの窓ガラスと駐車車両の警報器を一斉に震わせた。
水柱が二十メートル上がる。
破片が波へ突き刺さり、海岸道路の窓が遅れて震えた。
『一号撃破』
会談区の進路が消える。
二号目標は、工業港へ入った。
クレーンと煙突がレーダー像へ重なる。
短SAM班は発射できない。
迎撃線の先に、燃料タンクがある。
「撃つな」
ルツェンコが命じた。
「通過後、河口で取る」
目標が中央変電所へ向かうなら、河口を離れる。
撃てる位置を待てば、標的へ近づく。
若い照準手の指が、発射ボタンの上で固まっていた。
「少将、通過します」
「見えている」
「今なら」
「後ろが燃料タンクだ」
「次は市街です」
ルツェンコは答えなかった。
正しい秒は、過ぎてからしか証明できない。
巡航ミサイルがクレーンの間を抜け、河口上へ出る。
「撃て」
NASAMS発射機からAMRAAM-ERが上がった。
白煙が倉庫屋根を撫で、河口へ曲がる。
巡航ミサイルが右へ回避。
遅い。
迎撃弾が後方から食い込み、機体を三つに折った。
弾頭は爆発せず、河口の浅瀬へ落ちた。
『二号撃破』
照準手が息を吐く。
ルツェンコは煙草を探し、空のポケットへ手を入れた。
やめてから十二日目だった。
「くそ」
「何がです」
「平和になったら買う」
若い照準手は、発射記録を保存した。
「推薦欄へ、待射判断も入りますか」
ルツェンコが振り返る。
「何の推薦だ」
「即応射撃章です。迎撃成功は対象になります」
「俺が待てと言った」
「照準保持は私です」
「そうだ。だから射撃手欄に署名する」
照準手は少し安心した。
「章は」
「燃料タンクを背にした時に撃たなかった判断を、評価委員が読めるように書け。撃破だけ書くなら推薦しない」
「命中より、撃たなかった方を?」
「両方だ。片方だけなら機械でいい」
照準手は射撃記録へ、発射延期二十二秒を加えた。
その二十二秒は、命令への服従にも、臆病にも書ける。
彼は射界後方の燃料タンク位置と、河口へ出る予測時刻を添えた。
勲章が欲しいという動機まで、誤りではない。
欲しい物のために、事実を削らないことを求められた。
*
三号目標は、病院まで六分。
最短経路はアルシェール川。
橋を三本くぐる。
H225Mは二本目の橋の上流で待った。
サンソンが操縦。
シェレメートは右側ドアに固定され、光学照準器を持つ。
「見えた〜」
巡航ミサイルは川面から二十五メートル。
街路灯より低い。
橋脚を避け、左へ小さく蛇行する。
レーダーには水面反射と一つに見える。
肉眼では、灰色の胴体が朝日に一瞬だけ光った。
「方位一七〇、距離一・六。高度二五」
語尾は伸びない。
サンソンはヘリを右岸側へ横滑りさせた。
追いつくことはできない。
時速六百二十キロの巡航ミサイルに対して、H225Mが持てるのは、予測通過点へ先に置いた機体と数秒の射線だけだった。
右側ドアを下流へ向け、川の直線区間へ照準線を重ねる。外れ弾の先は水面と無人の保守岸壁。橋桁が射線を横切る時間まで、あと四秒。
H225Mに空対空ミサイルはない。
ドアガンのM3Mだけ。
「撃てる〜」
「弾頭へ当てるな」
「尾翼を切る〜」
シェレメートは人工腱の固定具へ右肘を押しつけた。
機体振動。
ローターウォッシュ。
橋桁が照準線を横切る。
橋桁が抜ける。
有効射撃時間、二・四秒。
12.7ミリ弾が水面へ列を作る。
最初の十数発は予測線の手前。
次の曳光弾が胴体下を抜ける。
三発が左尾翼へ当たった。
巡航ミサイルが傾く。
自動操縦が補正。
シェレメートは射撃を止めない。
左側人工腱群が負荷警告を出す。
固定具が軋む。
「あと一秒〜」
「切れ」
「まだ〜」
「シェレメート!」
彼女は最後の五発を撃った。
右尾翼の根元が砕ける。
巡航ミサイルは補正できず、川面へ翼端を打ちつけた。
水を跳ね、回転し、護岸手前で弾頭が爆発する。
川面が横へ裂けた。圧力波が護岸の濡れた石を剥がし、街路樹の枝と係留中の無人艇を同じ向きへ倒す。破裂した弾頭の外殻が倉庫壁へ突き刺さり、石粉と窓ガラスが朝の光を灰色にした。
衝撃がH225Mを下から叩いた。
機体が持ち上がり、警報が鳴る。
ローターマストから鈍い打撃が操縦席へ落ち、右ドアの床がシェレメートの腰を突き上げた。固定具が人工腱を引き、左肩の生身の筋肉へ熱い裂け目を作る。人工肺は衝撃を圧力値で返し、痛みは数値より先に喉から漏れた。
サンソンは機首を下げ、ローター回転を維持した。
護岸の石材が飛び、倉庫の窓が一列で割れる。
病院への航跡は消えた。
『三号撃破』
シェレメートは銃把から手を離せなかった。
人工腱が収縮したまま固着している。
サンソンは左手で操縦を維持し、右手を彼女の固定具へ伸ばした。
「非常解除」
「まだ四号〜」
「お前の腕を先に戻す」
接続部が開く。
人工腱の張力が抜け、シェレメートの肩が落ちた。
「痛い〜」
「知っている」
「顔に出てた〜?」
「数値に出た」
「そっちか〜」
*
四号目標は、囮ではなかった。
経由点を変えながら、最後に共同調整室へ向いた。
「こちらです」
分析官が言った。
ペトレンコは退避命令を出さなかった。
地下指揮所は直撃に耐える。
地上の通信塔は耐えない。
塔が落ちれば、四作戦の映像と指揮回線が切れる。
「全権限を各指揮官へ分散」
彼女が言う。
「統合画面は」
「切断後も現地判断を継続。私の応答を待たない」
その命令を出した直後、ヴォロディミルが共同調整室へ入った。
「逃げないのか」
「地下です」
「私にも同じことを言うだろう」
「殿下は退避してください」
「ほらな」
四号目標まで二分。
ヴァローニュ空軍の二機目が追いつく。
だが、市街上空。
射撃できない。
ソフィアが進路を見た。
「通信塔手前、旧操車場上空を通ります。無人区域、八秒」
「迎撃機へ送れ」
「送信済み」
ラファールCが高度を下げる。
ビルの屋上をかすめ、巡航ミサイルの左後方へ入る。
機関砲を一秒。
30ミリ弾が胴体中央を裂く。
弾頭が旧操車場上空で爆発した。
錆びた貨車が横倒しになり、架線柱が折れる。
爆風は住宅地へ届かない。
共同調整室の照明が一度だけ瞬いた。
『四号撃破』
室内に歓声が上がった。
ペトレンコは机へ両手を置いた。
四発、すべて撃破。
死者ゼロ。
負傷者十一。
それでも最初に感じたのは安堵ではなかった。
全員が自分の時刻で動き、間に合ったという確信だった。
その確信が、歓声より危険だった。
「記録を保全」
彼女は言った。
「違法性審査を継続。私の発動判断を第一項へ」
ヴォロディミルは彼女を見た。
「成功したのに?」
「成功したからです」
だが彼女の声には、以前ほど迷いがなかった。
*
H225Mは、迎撃から二十二分後に帰投した。
右側ドアのM3Mは銃身が焼け、弾薬箱は空。
機体下面には護岸爆発の破片痕が七つ。
右主脚の油圧配管から、細い漏れ。
サンソンは接地直前まで脚の状態を見せなかった。
「何か隠してる〜?」
シェレメートが聞く。
「着陸後に分かる」
「右脚〜?」
「黙っていろ」
機体は左主脚、右主脚の順に接地した。
右側が一度沈む。
警報。
サンソンはコレクティブを残し、機体重量をローターへ戻す。
整備員が車輪止めを持って走る。
H225Mは三メートル前へ滑り、停止した。
ローターが止まる前に、医療班が右側ドアへ付いた。
シェレメートの左腕は、解除後も胸の前で曲がったままだった。
人工腱群の制御信号は切れている。
生身の筋肉が、痛みから同じ姿勢を維持していた。
「手を開けますか」
医官が聞く。
「右は〜」
「左です」
「少し〜」
指が二センチ動き、止まる。
診断端末を接続。
人工肺、出力八十九パーセント。
強化胸郭、異常なし。
左人工腱群、過負荷遮断。
末梢神経信号、維持。
「交換で戻ります」
機械化身体技師が言った。
シェレメートはサンソンを見る。
「聞いた〜?」
「聞いた」
「交換で直る〜」
「痛みは」
「生身の方〜」
サンソンは彼女の右手を掴み、担架へ移す間だけ離さなかった。
左腕には触れない。
直せる場所と、触れてはいけない場所を、彼はもう知っていた。
「三号、見えたの私だけだったよ〜」
「知っている」
「褒めて〜」
「帰った」
「それだけ〜?」
「十分だ」
「ハグは〜?」
「担架固定中だ」
「キスでも〜」
「人工腱を先に交換する」
サンソンは右手を離し、代わりに彼女の頭頂を掌で一度押さえた。撫でる動作は短かったが、医官が固定具を締め終えるまで掌はそこに残った。
「また流した〜」
「生きて帰った報酬は支払った」
「安い〜」
「次も帰れば利息を考える」
シェレメートは目を細めた。
「言ったね〜」
シェレメートは、それ以上求めなかった。
七割の機械へ表示されたどの正常値より、その一言の方を信用した。
*
市内の被害集計は、夜までかかった。
死亡、ゼロ。
重傷、三。
軽傷、八。
港湾倉庫二棟。
護岸百十二メートル。
旧操車場の貨車九両。
送電停止、北部三十八分。
北部病院は、徴用燃料の到着六分後に商用電源へ復帰した。
燃料は一リットルも使わなかった。
進入管制所が迂回させた民間機は六機。
追加燃料、合計十九・四トン。
乗客の接続便喪失、二百七十一件。
医療搬送機は予定より七分早く地上救急車へ患者を渡した。予備空港へ向かった貨物機は、着陸時に最終予備を四分割り込んだ。
当直主任の職員番号には、軍用滑走路使用料と誘導車費用が紐付けられていた。
ボンダレンコは個人保証を外し、共同緊急勘定へ付け替えた。
「本人が保証した契約です」
会計官が言う。
「空域を空けろと求めたのはこちらだ」
「正式要請記録はありません」
「巡航ミサイルの航跡を添付しろ」
「機密です」
「請求額だけ公開し、理由は監査官へ開示する。秘密にしたいなら、その費用も秘密にする側が払え」
当直主任は翌朝、個人債務が消えた通知を受け取った。
表彰通知は来なかった。
彼はそれでよかった。
若い管制官は、主任の職員番号を使わずに緊急着陸料を免除できる様式案を起こした。
データセンターは、徴用の違法確認と営業損失を理由に訴訟を予告した。
ボンダレンコは、燃料費ではなく輸送費、運転手手当、弁護士費用の引当を計上した。
「使わなかった燃料に、これだけ払うのか」
会計官が聞く。
「使える場所へ移したことへ払う」
「訴訟には勝てますか」
「分からん」
「では、なぜ」
「負けた時に制度が潰れないよう、先に金を置く」
勝利の翌朝へ残るのは、勲章より請求書の方が多い。
公国は、その両方へ番号を付けた。
四つの航跡は消えた。
代わりに、誰が、どの権限で、何秒早く動いたかという線が残った。
その線は、翌日の法廷へ持ち込まれる。




