第九十八話 許可のない都市
戦争とは、退屈の合間に恐怖が訪れるものだという。
彼らは序盤で、退屈のほうを使い切った。
アルシェール市内で、四つの作戦が同時に始まった。
旧地下貨物駅。
中央電力変電所。
和平会談区の報道搬入口。
北部清掃集積所。
都市は、その四か所を同じ事件として感じなかった。
地下駅では非常灯が濡れたレールを赤く染め、変電所では碍子が雨粒を白く弾く。報道搬入口には中継車の排気と濡れたケーブルのゴム臭。清掃集積所では圧縮機の油と腐った野菜の匂いが朝の空気へ貼りついていた。
一枚の画面だけが、離れた四つの空気を同じ秒へ揃えていた。
四か所すべてに令状はあった。
四か所を一つの指揮画面へ統合する許可だけがなかった。
「市警察は警察長、国家憲兵は内務相、電力公社警備は産業相の指揮です」
ヴァローニュ法務官が言った。
「公国の第八十八群は、共同証拠保全協定」
「はい」
ペトレンコは四本の指揮線を見た。
「一本へまとめません。目標時刻だけ共通化します」
「それが事実上の指揮です」
「では、各指揮官へ別々に送ります。発動は各自判断」
「全員が従えば」
「その責任を審査してください」
「あなたの責任は」
「最初に審査対象へ入れます」
法務官は反対を続けなかった。
同意したのではない。
反対する時間がなくなっただけだった。
それをペトレンコは理解している。
理解したうえで、送信キーを押した。
『四目標、基準時刻を共有。実施判断は各指揮官』
時計が、十八分四十秒から減り始めた。
*
地下貨物駅の最初の銃撃で、第八十八群の先頭員が左腿を撃たれた。
弾丸は防弾材の下。
大腿動脈を外れ、筋肉で止まる。
後続員が止血帯を巻く。
サンソンは先頭を交代し、地下ホームへ降りた。
照明は非常灯だけ。
線路上に、舞台照明用と書かれた箱が十六。
箱の蓋は開いている。
中身はない。
ケーブルが、古い貨物列車へ伸びていた。
「列車」
ロマネンコがホーム端から言う。
「いつから動く」
「電気機関車は死んでる。後ろにディーゼル機関車を隠してる」
暗闇の奥で、エンジンが始動した。
低い排気音。
連結器が引かれ、貨車が一度後ろへ鳴る。
「止める」
サンソンが線路へ降りた。
「正面へ行くな」
「止め方は」
「ポイントを切り替える」
「操作室は」
「列車の向こう」
「面倒だな」
サンソンはホーム下の保守通路へ入った。
貨物列車が動き出す。
車輪が錆を削り、火花を散らす。
速度は歩く程度。
質量は、歩く人間を潰すのに十分ある。
*
報道搬入口では、劇場設備車が検査を拒否した。
運転手は本物の社員だった。
助手席の男だけが、社員証の発行日と生年月日を逆に答えた。
「降りてください」
市警察官が命じる。
助手席の男は笑った。
右手をダッシュボードの下へ入れる。
警察官は一歩下がり、拳銃を構えた。
「手を見せろ!」
男は起爆器ではなく、短機関銃を出した。
フロントガラス越しの射撃。
ガラスが白く割れ、警察官の肩を弾丸が抜ける。
制服の布が内側から膨らみ、警察官は肩を後ろへ引かれて舗石へ落ちた。痛みは最初に来なかった。右腕が他人の物のように動かず、次に温い血が袖口へ溜まり、その後から焼けた鉄を差し込まれた感覚が追いついた。
警備柵の内側で記者が伏せた。
国家憲兵の装甲車が、設備車の前へ斜めに入る。
銃弾が装甲板へ跳ねる。
運転手は両手を上げたまま動けない。
助手席の男が彼を引き寄せ、銃口を顎へ当てる。
生中継カメラが、その場面を撮っていた。
視聴者は、警察より先に人質を見た。
『射撃許可を』
現場指揮官が求める。
ペトレンコは映像を拡大した。
男の右肘。
運転手の頭。
車体後部の電源表示。
「後部主電源を切れますか」
『外部からは』
「運転手へ伝えてください。左足で非常遮断」
『銃口が』
「本人に選ばせます」
警察の拡声器が、短い指示を伝える。
運転手は目だけを動かした。
左足が、ゆっくり座席下へ滑る。
男は気づかない。
主電源が落ちた。
荷台から響いていた冷却ファンが止まる。
助手席の男が一瞬振り向く。
狙撃手が撃った。
弾丸は男の右上腕を砕き、短機関銃を落とした。
運転手がドアから転がり出る。
国家憲兵が突入し、男を床へ押さえた。
記者席から、誰かが拍手を始めた。
すぐに広がった。
ペトレンコは音声を切った。
歓声を聞けば、判断が正しかった気になる。
正しさは、負傷した警察官と人質になった運転手が決めるものでもない。
だが、その拍手が気持ちよくないとは言えなかった。
音声を切った後も、歓声は耳の奥に残った。命令が通り、人質が生き、群衆が同じ側を向く。その三つが重なる瞬間は、正しさではなく快感を生む。ペトレンコはその反応を疲労へ分類しかけ、やめた。
だから記録した。
《発動中、現場映像から歓声。判断者が聴取。》
*
変電所では、電力公社車両が変圧器区画へ入っていた。
積載していた四基は、巡航ミサイルではない。
送電網の位相同期装置へ接続されている。
誘導装置を高精度時計として使い、四つの変電所を同時に遮断する。
都市全域の停電。
非常電源への切替時刻を揃え、その瞬間に残る通信の穴を作る。
攻撃は、爆発から始まるとは限らない。
「遮断まで十二分」
ソフィアが言う。
「遠隔停止は」
「灰環側が制御権を取得。通常指令を拒否」
「電源を物理切断」
「変圧器保護が働きます。市北部を先に停電させれば、同期条件を崩せます」
「病院が三」
「非常電源、二病院は正常。一病院は燃料残量四十二分」
「燃料車を」
「到着まで二十八分」
「足りない」
ペトレンコは共同緊急勘定を開いた。
民間データセンターの非常用燃料が、病院から三キロ。
所有者は移送を拒否。
契約上、外部使用不可。
「徴用します」
「ヴァローニュ法では市長の命令が必要」
「市長へ連絡」
「式典会場で避難中」
「回答期限、一分」
「一分で主権を決めるのですか」
法務官が聞いた。
「一分後には、病院の燃料を決めます」
中央変電所の制御室では、主任技師が遠隔切断を試していた。
通常系は拒否。
保護系は応答。
灰環側は送電を操れても、変圧器を焼損から守る独立継電器までは置き換えていない。
「北部母線を手動で落とします」
主任技師が言った。
『病院三施設への影響を確認中です』
「確認を待てば、四母線が同時に落ちる」
『現場指揮官の許可を』
「現場指揮官は私だ」
彼はヘルメットを被り、遮断器室へ走った。
補助技師が追う。
「手動操作はアーク事故時に死亡します」
「投入ではない。切る」
「遠隔拒否の原因が遮断器側なら、切れません」
「だから二人で確認する」
遮断器室は、運転中の変圧器の低音で空気が震えていた。床の格子から熱が上がり、絶縁油とオゾンの匂いがする。
主任技師は高圧手袋を二重にし、補助技師へ復唱させた。
「北部母線、識別」
「青二。標識、青。機械表示、投入」
「隣接母線」
「青一、病院南系統。触れない」
二人の指差しが一致する。
手動解放レバーを引く。
動かない。
もう一度。
金属ばねが腹へ響く音で外れ、遮断器が開いた。
北部の街灯が一斉に消える。
同期表示が四つから三つへ減った。
「条件を崩しました」
主任技師は呼吸を戻しながら報告した。
共同画面には、《遠隔指示成功》という一行が自動生成された。
ソフィアはそれを消した。
《現場主任判断。共同調整室は病院影響情報を提供》
停電を決めた手は、画面のこちら側にはなかった。
市長の回答は来なかった。
ペトレンコは徴用勧告を出した。
民間運送会社の運転手が、自分の判断で燃料車へ乗った。
警察が道路を開ける。
データセンターは抗議文を送った。
ボンダレンコは補償金を先に振り込んだ。
「訴訟費用も予算化しろ」
彼が言う。
「負ける前提ですか」
「勝っても弁護士は請求する」
*
北部清掃集積所では、警察が到着する前に作業員たちが車両を止めていた。
二台目の清掃車が、通常と違う搬入口へ向かった。
夜勤班長は無線で理由を聞いた。
返事がない。
彼は大型ごみ用コンテナをフォークリフトで持ち上げ、通路の中央へ置いた。
清掃車は急停止。
助手席から男が降り、班長へ拳銃を向けた。
「退かせろ」
「市の備品だ。移動命令書が要る」
「撃つぞ」
「弾丸の廃棄区分は知らん」
班長は強がっていた。
両膝は震えている。
背後の作業員が非常停止ボタンを押した。
集積所の圧縮機、ベルトコンベア、門扉が同時に止まる。
重い安全シャッターが清掃車の後ろへ落ちた。
助手席の男が振り向く。
班長はホースを掴み、顔へ高圧の洗浄水を浴びせた。
拳銃が一発鳴る。
弾丸は天井へ。
作業員三人が男へ飛びついた。
一人は手首。
一人は腰。
一人は、なぜか長柄の床ブラシで足を払った。
男は汚水の中へ倒れた。
運転手は車内から出てこなかった。
警察が到着した時、助手席の男は結束バンドで分別柵へ固定されていた。
「これは何だ」
警察官が床ブラシを見た。
「制圧用具」
「清掃用具だろう」
「今日は両方だ」
清掃車の二重床から、誘導装置四基。
作業員に負傷者一名。
銃創ではない。
取り押さえる時に腰を痛めた。
救急隊員が担架へ載せる。
「英雄扱いはするな」
本人が言った。
「労災で処理しろ」
共同調整室へ報告が入る。
ペトレンコは現場映像を見た。
公国の命令は一つもない。
市民が異常を認識し、自分の職場の設備で止めた。
共同画面は、それを四作戦の一つとして吸い上げる。
中央集権がすべてを救ったわけではない。
現場の勝手な判断を、互いに殺し合わない形へ揃えた。
その違いを忘れれば、次から中央が全部を命じるようになる。
「北部集積所、現場判断で確保。記録上、共同調整室の指示なし」
ペトレンコは自分から注記した。
成功を自分の戦果へ数えないことも、制度の制動だった。
少なくとも、今は。
広報班は十分後、《共同調整室の統一指揮により四拠点を制圧》という速報案を送ってきた。
書いたのは、会談期間だけ臨時採用された二十四歳の補佐官だった。和平会談を成功させた広報実績があれば、任期後も省庁へ残れる。母親には、もう次の職を探しているとは言っていなかった。
ペトレンコは表題を読み、北部集積所の映像を添付した。
「ここへ、誰が命令していますか」
「全体の枠組みは共同調整室です」
「質問は、誰が止めたかです」
「現場班長です」
「なら、そう書いてください」
「統一感がなくなります」
「都市に統一感はありません。四か所は違う理由で動きました」
補佐官は、《四拠点で同時対処。うち一拠点は市職員が独自判断で車両を阻止》と直した。
「名前も入れますか」
「本人が英雄扱いを拒否しています。労災申請の妨げにならない範囲で」
「地味です」
「事実は、広報のために派手になる義務がありません」
補佐官は送信した。
その速報は歓声を生まなかった。
北部清掃局では、腰を痛めた班長の労災書類が同じ時刻に受理された。
*
地下貨物列車は、速度十五キロまで上がった。
サンソンは保守通路からポイント操作室へ出た。
扉は内側から鎖で固定。
HK416Fを撃てば、跳弾が操作盤へ入る。
彼は銃を背へ回し、蝶番へ油圧スプレッダーを差し込んだ。
工具が唸る。
鉄扉が枠ごと歪む。
背後から足音。
男が一人、拳銃を構えて走ってくる。
サンソンは工具を離さず、身体だけを半歩ずらした。
銃声。
弾丸が扉へ当たり、火花が頬を焼く。
二発目の前に、ロマネンコがホームから投げた消火器が男の膝へ当たった。
男が倒れる。
「港の教育資料だ」
ロマネンコが言う。
「雑だ」
「止まった」
サンソンは歪んだ扉を蹴り開けた。
ポイントを側線へ切り替える。
貨物列車は直進できず、速度を落とさないまま旧荷役線へ入った。
終端には、砂利を積んだ緩衝車がある。
機関車が衝突。
鋼の連結器が押し潰され、床から突き上げた衝撃がサンソンの膝を折った。貨車の側板が波打ち、天井から石灰粉と古い信号線が降る。制輪子の焼けた臭い、ディーゼル排気、火花で焦げた絶縁材が地下の冷気へ混じった。
連結器が潰れ、貨車同士が押し合い、地下駅全体へ金属音が走った。
列車は止まった。
止まった後の方が危険だった。
先頭貨車の床下から白煙。
連結衝撃で予備電池が潰れ、電解液が漏れている。二両目には燃料缶。三両目の扉内側から、金属を引く音がした。
「全員、車体から離れろ」
ロマネンコが叫ぶ。
扉が開き、武装員が二人飛び出した。
一人は散弾銃。
一人は、誘導装置を胸へ抱えている。
証拠を盾にしたつもりだった。
サンソンは散弾銃の射線へ古い荷車を蹴り出した。散弾が鉄板を叩き、保守通路へ鉛片を撒く。ロマネンコは消火器の粉末を貨車扉へ噴射した。
白い雲。
武装員の熱像だけが残る。
「装置を置け」
「近づけば壊す!」
「壊せば、雇い主がお前に払わないが」
サンソンの言葉で、男の腕が止まった。
忠誠ではない。
契約だった。
「もう支払い先は押さえた」
これは嘘だった。
男には確かめる回線がない。
装置を抱く力が緩む。
第八十八群の隊員が側面から入り、膝裏を払った。装置は床へ落とさず、証拠袋を持った隊員が両手で受けた。
散弾銃の男は白煙の中で二発目を撃った。
サンソンの左肩を鉛片が掠める。
防弾布を裂き、皮膚で止まった。
彼は距離を詰め、銃床で顎を上げ、壁へ押し付けた。
「拘束」
また一つ、短い報告。
左肩の血は、列車停止後の負傷者欄へ加えられた。重傷三、軽傷八という後の集計は変わらない。軽傷八の一人に、彼の名が入った。
貨車四両の中から、誘導装置四基。
電力車両から四基。
報道搬入口から四基。
十六基すべてが確認された。
だが、貨車最後尾の扉だけが開いていた。
内部に固定されていたのは、誘導装置ではない。
四発の小型巡航ミサイル。
固定具は空。
「発射済み」
サンソンが報告した。
共同調整室の航空図へ、四つの低速目標が現れた。
残り時間は、もう表示されなかった。




