第九十七話 十六基の行方
未回収の誘導装置十六基は、和平予備会談の三日前にアルシェールへ入った。
会談前の首都は、平和を迎える化粧と、次の攻撃へ備える包帯を同時に巻いていた。大通りには十一か国の小旗。路地には爆風で割れた窓を塞ぐ合板。雨に濡れた石畳へ報道車の発電機油が虹を作り、焼けた会議場の石粉が排水溝へ薄く残っている。
市民には、十六基という数字は見えない。
見えるのは、ごみ収集が来る時刻と、停電しない信号と、式典用の照明だった。
税関記録上は、舞台照明制御器。
四台の車両へ四基ずつ。
配送先は、閉鎖された地下貨物駅。
申告価格は一基八百ユーロ相当。
実際には、価格を付けられる市場がもう残っていない。
「日付は確定ですか」
ペトレンコが聞いた。
「入域は確定」
ソフィアが答える。
「現在位置は未確定です」
「車両番号は」
「すべて実在。二台は市清掃局、一台は電力公社、一台は劇場設備会社」
「盗難車?」
「登録上、通常稼働中です」
偽造した番号ではない。
本物の車両へ、本物の職員が乗り、本物の業務記録を残している。
どこからが灰環の仕事か、線を引けない。
「職員全員を拘束しますか」
ヴァローニュ警察長が聞いた。
「しません」
「十六基が市内にある」
「だから、知らずに運んだ者まで敵へ回しません」
ペトレンコは四台の運行履歴を重ねた。
清掃車二台は、毎朝同じ通り。
電力公社車両は、三日前から緊急点検が七件。
劇場設備車は、和平会談の報道設備を搬入している。
「止めれば相手に知らせます」
「止めなくても、明後日には会談区へ入る」
「では、業務を続けさせます」
「監視下で?」
「監視していると気づかれない範囲で」
警察長が眉を寄せた。
「一番難しい注文を、最後へ付けるのですね」
「最初に言うと、会議が長くなります」
四台の監視には、軍人より多くの市職員が必要だった。
配車係。
信号管制員。
変電所の工程管理者。
劇場組合の搬入責任者。
誰にも、誘導装置という言葉は伝えなかった。通常業務の照会に見える質問だけを送り、回答時刻と語調の変化を記録する。
市清掃局の配車係ミレイユ・バランは、二台の運転記録を印刷した。
一号は正常。
二号は、運転手の電子署名が午前二時十三分に更新されている。
本人はその時刻、自宅の集合住宅へ入った監視映像がある。
「偽造です」
ミレイユは市警察の連絡官へ言った。
「断定しないでください。端末の代理操作かもしれない」
「私の責任欄へ載ります」
「だから事実だけを」
彼女は唇を噛んだ。三か月後、市清掃局は統廃合される。重大事案を見抜いた職員と記録されれば残れるかもしれない。見落とした職員と記録されれば、住宅ローンだけが残る。
報告欄へ、《不正アクセスを発見》と書きかける。
消した。
《本人不在時刻に署名更新。代理操作権限の使用記録なし》
それだけを書いた。
市警察の連絡官は、その一文を証拠番号へ変えた。
功績はまだ付かなかった。
責任も、彼女一人へ押し付けられなかった。
*
ソフィアは医官から、六時間ごとの再評価を命じられていた。
人工心臓のポンプ速度。
人工肝臓の濾過圧。
血中酸素飽和度。
肺の炎症所見。
前二つは身体の内部端末から自動取得。
後二つは、生身の肺を測る外付けセンサーだった。
画面の並びだけ見れば、全部が同じ部品に見える。
交換できるものと、治癒を待つしかないものは違う。
「咳は」
医官が聞く。
「減りました」
「深呼吸」
ソフィアは吸った。
右胸の奥で、薄い痛み。
吸気の終わりだけ、肺の内側へ紙やすりを当てたような抵抗が残る。人工心臓はそれを無視して設定流量を送り、人工肝臓は数値として炎症負荷を処理した。痛みだけが、どの端末にも代行されずに本人へ届いた。
人工心臓は設定された流量を維持する。
人工肝臓は化学物質負荷を処理する。
肺胞は、命令を受けない。
「現地指揮は不可」
医官が言った。
「移動指揮車内です」
「現地です」
「前線から一・二キロ」
「距離の定義を変えないでください」
「共同調整室からでは、地下貨物駅の閉域網へ接続できません」
「技師を送る」
「判断を送れません」
「あなた一人しか判断できない仕組みを作ったなら、設計不良です」
言葉が止まった。
医官は正しい。
正しい指摘は、相手の階級を下げない。
ソフィアは端末を閉じた。
「遠隔担当を二人置きます。現地接続はヴァローニュ技師。私は共同調整室」
「六時間後、再評価」
「了解しました」
自分が行かない決断は、行く決断より数字へしにくい。
共同調整室へ戻る途中、ソフィアはヴォロディミルとすれ違った。
「現地へ行かないのか」
「医官に止められました」
「従った?」
「設計不良を指摘されました」
「何の」
「私一人が現地へ行かなければ動かない仕組みです」
ヴォロディミルは足を止めた。
「直せるか」
「直します」
「いつ」
「今回から」
彼は少しだけ安心した。
彼女が自分を交換不能な部品へしないことに。
同時に、彼女の判断が別の二人へ複製されることへ、不合理な寂しさを感じた。
国は、優秀な個人を必要としなくなった時に強くなる。
王は、その強さを喜ばなければならない。
「私は交換できるか」
ヴォロディミルが聞いた。
「死亡時手順は第四版です」
「そういう答えになるか」
「質問が制度上のものでしたので」
「個人として聞いた」
ソフィアは一秒考えた。
「代替者はいます。同一ではありません」
それで十分だった。
十分であることが、少し困った。
*
清掃車一号を追ったのは、ロマネンコだった。
警察の尾行車では目立つ。
彼は市のごみ収集業者から、同型の予備車を借りた。
「借りたのか」
サンソンが助手席で聞く。
「返す予定がある」
「所有者は承知している?」
「返した時に分かる」
「盗難だ」
「港では長期試用と言う」
車内は生ごみと洗浄剤の匂いがした。
圧縮板が作動するたび、車体後部から鈍い衝撃が伝わり、借りた予備車のサスペンションが一拍遅れて沈む。ダッシュボードの樹脂は長年の洗剤で白く荒れ、送風口から温い腐敗臭が絶えず出ていた。
サンソンはガスマスクを着けた。
「任務用?」
「車内用だ」
前を走る清掃車は、午前五時四十分から通常どおり収集を続けていた。
作業員二人。
運転手一人。
ごみ箱を持ち上げ、圧縮板を動かし、次の通りへ進む。
不自然なのは、三つ目の区画だけだった。
ごみを投入しても、車体重量が増えない。
「二重床」
ロマネンコが言う。
「圧縮したごみを後ろへ送らず、途中で落としている」
「どこへ」
「昨夜のうちに空にした地下集積所」
清掃車は市庁舎前を通過した。
報道車両。
警備柵。
朝の通勤者。
ここで止めれば、街の中心で銃撃になる。
サンソンは無線へ言う。
『追跡継続。停車させない』
『車内に装置がある可能性』
ペトレンコの声。
「ある」
『確定ですか』
「床が重い」
『それはロマネンコの判断ですか』
「俺も見た」
『二名一致。監視を継続』
言葉は冷静だった。
命令を出す右手だけが、地図上の市庁舎から清掃車が離れるまで止まっていた。
*
清掃車は旧地下貨物駅へ入った。
同じ時刻、電力公社車両は中央変電所の保守門を通過した。
運転手と技師は、どちらも十年以上の勤務歴。
車両も工具も本物。
作業指示書だけが、昨夜十一時に追加されている。
指示内容は、位相同期装置の緊急点検。
発行者は、三日前に心臓発作で入院した課長だった。
「本人が遠隔で出した可能性は」
分析官が聞く。
「病室端末は使われていません」
ソフィアが答える。
「認証情報だけが複製されています」
変電所警備へ停止命令を出せば、技師二人が先に拘束される。
彼らが共犯か、命令書を信じただけかは分からない。
「工具重量を監視。車両のまま作業区画へ入れないでください」
『理由を何と』
「床荷重検査」
『嘘になります』
「床荷重が不明なのは事実です」
警備員は、保守門の前で車両だけを止めた。
技師二人は工具箱を持って徒歩で入る。
車両荷台に残った四つの箱は、そのままだった。
一つ目の切り離しが成功した。
劇場設備車は、和平会談区の報道搬入口へ到着した。
搬入予定品は照明卓、ケーブル、予備電源。
警備検査では、申告重量と一致。
問題は、予備電源四台の外装だけが新品だったことだった。
「開封検査を」
ヴァローニュ警備官が求める。
『報道設備の設営が二時間遅れます』
式典担当者が抗議する。
『各国首脳の中継開始に間に合いません』
ペトレンコは映像を見ていた。
作業員七名。
全員、身元確認済み。
一人だけ、左手袋を外さない。
「金属探知を個人ごとに。設備は移動させず待機」
『理由は』
「電源装置の製造番号照合」
『どのくらい』
「十分」
実際には、十分で十六基すべての所在を確定できない。
十分あれば、相手が待てる人間かを見られる。
手袋の男は二分後、喫煙を理由に列を離れようとした。
警備官が止める。
彼は笑って戻った。
笑顔だけが、作業員名簿の写真と違った。
北部清掃集積所へ向かった二台目は、午前六時七分に車載無線を切った。
市の運行管理者が呼びかけても応答なし。
六時十一分、位置情報も停止。
最後の地点は、河川トンネル入口。
河川トンネルは、朝の配送時間だけ一方通行になる。
入口監視員は、市の運行表に従って遮断棒を上げていた。二台目の清掃車は許可番号を送っている。番号は本物。車体色も、側面の傷も登録写真と一致した。
違ったのは、助手席だった。
通常班の助手は、右肩を痛めていて窓から腕を出さない。今朝の男は、窓枠へ右肘を置いている。
「二号車、助手交代の届け出は」
監視員が管制へ聞く。
『なし。止められますか』
遮断棒は、すでに車両の後ろへ降りていた。
「トンネル内で止めれば、後続が詰まる」
『入口を閉じます。対象だけ通す』
「避難坑は」
『百八十メートルごと』




