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天下を取るには紐がいる  作者: 古江 門


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第五話 先に入った者 三

三 そのままでいい


 西門の前で、一行は止まった。


 城壁は近くで見ると、さらに高かった。


 門は固く閉ざされている。


 その上には弓を持った兵が並んでいた。


 三百余りで落とせる城ではなかった。



          *



 使者を送った。


 しばらくして、門の上に一人の男が現れた。


「何を求める!」


 声が降ってきた。


 シエンが前へ出る。


「開門を」


「断る!」


「東では帝国軍の主力がコウガ軍と戦っている」


「知っている!」


「大街道からは、すでに敗走兵が戻っている」


 城壁の上が静かになった。


「こちらも、この門を攻めるつもりはない」


「ならば去れ!」


「去っても、次の軍が来る」


 シエンは門を見上げた。


「開けば、兵にも官吏にも手を出さない。街での略奪もさせない」


「信じられるか!」


「なら、代表を出して」


 それ以上、シエンは叫ばなかった。



          *



 長く待った。


 やがて門の脇にある小さな扉が開き、一人の官吏が出てきた。


 五十ほどの男だった。


 数人の守備兵がついている。


「本当に、降った兵には手を出さないのか」


「降りるなら」


 リュウが答えた。


「官吏にも?」


「ああ」


「家や財産は」


「取らない」


 男はリュウを見る。


「約束できるか」


「ああ」


 そこだけは、迷わなかった。


 男は深く頭を下げた。


 そして門の中へ戻った。



          *



 また待った。


 日が少し傾いたころ、重い音がした。


 太い扉の間に、細い隙間ができる。


 それが、ゆっくり広がっていった。


 西門が開いた。


 三百余りの者たちの間に、低いざわめきが広がった。



          *



 一行はゆっくり門をくぐった。


 誰も歓迎しなかった。


 誰も石を投げなかった。


 ただ、静かだった。


 家々の戸は閉まっている。


 窓の隙間から、人がこちらを見ていた。


 市場には商品が残されていた。


 道には、逃げる途中で落としたらしい籠が転がっている。


 バンが兵をまとめた。


 人の家へ入るな。


 物を取るな。


 それだけは、全員に伝えられた。


 都の将軍をはじめ、軍を動かせる者は、ほぼすべて東へ出ていた。


 コウガの進軍を止めるためだった。


 残っているのは、少数の守備兵と、都を日々動かしてきた官吏たちだった。


 官吏たちは役所に集まり、これからどうなるのか分からないまま待っていた。


 リュウたちにも、まだ分からなかった。



          *



 夕方。


 戸が一つ開いた。


 しばらくして、別の家からも人が出てきた。


 水を汲む者。


 店の商品を確かめに来る者。


 兵が家へ押し入らない。


 市場から物を持っていかない。


 捕らえられる者もいない。


 それを、まだ疑いながら確かめている。


 リュウには見えていた。


 細い紐が一本、伸びた。


 しばらくして、もう一本。


 まだ頼りない。


 すぐ切れそうなほど細い。


 そこへ東から伝令が入った。


 帝国の主力が破れた。


 コウガが勝ったという。


「やっぱり強いな」


 リュウは言った。


 シエンは答えなかった。



          *



 翌朝。


 昨日の官吏たちが、リュウのところへやってきた。


 先頭には、西門で話した男がいる。


「リュウ殿」


「何だ」


「我々は、これからどうすればよろしいのでしょう」


「どうする?」


「役所です」


 リュウは男の後ろを見る。


 官吏たちが並んでいる。


「今まで何してた」


「戸籍、徴税、倉庫の管理、裁判、通行の許可などを」


「じゃあ、それをやればいいだろ」


 官吏たちは黙った。


「駄目なのか」


「我々は帝国の官吏です」


「知ってる」


「帝国軍は敗れました。都を預かっていた方々も東へ出たままです」


 命令を出す者がいない。


 だから、昨日都へ入ったリュウのところへ来た。


 そういうことらしかった。


「なら、そのままでいいよ」


 官吏たちは、さらに困った顔をした。



          *



「新しい法は、いかがいたしますか」


 一人が尋ねた。


「新しいのが要るのか」


 官吏は少し困った顔をした。


 リュウは役所に積まれた竹簡を見る。


「これ、全部いまの法?」


「一部です」


「一部?」


「はい」


 リュウは一本手に取った。


 途中まで読んだ。


 戻した。


「これ以上増えると覚えられないな」


 官吏は返事に困った。


「そこは、そのままでも駄目ね」


 シエンが口を挟んだ。


 彼女は竹簡を何本か確認した。


「帝国は反乱を抑えるために、労役と徴発を増やしてる。反乱に加わった者の家族への処罰もある」


「そうなのか」


「あなたが知らないのは分かってる」


 シエンは竹簡を戻した。


「どうせ先に都へ入ったなら、民衆をこちらにつける」


 リュウはシエンを見る。


「どうやって」


「余計なものを止める」


 新しい労役は止める。


 戦のための徴発も止める。


 反乱に関わった者の家族への処罰も打ち切る。


 一方で、戸籍や倉庫の管理は残す。


 ハクヨウが帳面を確認した。


「税まで急に止めれば、都そのものが回りません」


「そこは残す。まず倉と収支を確認して」


「それなら可能です」


 シエンがリュウを見る。


「どうする?」


「それで困らないなら、それで」


 官吏の一人が驚いたように顔を上げる。


「よろしいのですか」


「この二人が大丈夫だって言ってる」


 それで決まった。



          *



 その日のうちに、役所は動き始めた。


 昨日まで帝国の官吏だった者が、同じ机に座る。


 倉庫の鍵を持つ者も変わらない。


 戸籍を扱う者も変わらない。


 一方で、労役のため人を集める命令は止まった。


 戦のために物を取り上げる命令も止まった。


 反乱に関わった者の家族への処罰も見直された。


 その知らせは、役所から市場へ。


 市場から路地へ。


 人から人へ伝わっていった。


 レイカは役所の外に集まる人々を見ていた。


「食べるものがない人もいるみたい」


 それだけ、ハクヨウに伝えた。


 ハクヨウは倉の残りを確認しに行った。


 シエンは東から入る情報を集めている。


 リュウは、その間にほとんど何もしていなかった。



          *



 昼を過ぎるころには、市場に人が戻っていた。


 役所へ来る者も増えた。


 昨日までとは違う旗が立っている。


 それでも、暮らしそのものは続いている。


 リュウには紐が見えた。


 昨日とは違った。


 一本、二本ではない。


 市場から。


 役所から。


 家々から。


 数が増えている。


 昨日伸びた細い紐も、少し太くなっていた。


 誰も、リュウが強いから伸ばしているわけではない。


 大きな戦に勝ったからでもない。


 今日も同じ店を開ける。


 明日も同じ家で眠れる。


 それを確かめた者たちから、紐が伸びていた。



          *



 夕方。


 東から新しい知らせが届いた。


 コウガの軍が都へ向かっている。


 帝国の主力を破り、数日もせず到着するという。


「来るわね」


 シエンが言った。


「ああ」


 リュウは窓の外を見る。


「じゃあ、ここはコウガに任せればいいか」


 シエンが振り返った。


「……何を?」


「都」


「どうして?」


「コウガのほうが偉いんだろ」


 シエンは黙った。


 しばらく、本当に何も言わなかった。


「あなた」


「何だ」


「今ここを、誰のものだと思ってるの」


 リュウは少し考えた。


 窓の外を見る。


 市場がある。


 家がある。


 人がいる。


「ここの人たちのものだろ」


 シエンは、また黙った。


「違うのか」


「……違わない」


 窓の外から伸びる紐は、消えなかった。


 むしろ、少しずつ増えている。


 シエンはそれを見た。


「もしかして」


「うん?」


「コウガより先に都へ入る意味、分かってなかった?」


「早く着いたってことじゃないのか」


 シエンは目を閉じた。


 やがて、もう一度目を開く。


「だから面倒なのよ」


「何が」


 シエンは、都からリュウへ伸びる紐を見た。


「あなたが先に入ったこと」


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