第六話 宴と西 一
一 行くしかない
コウガが来た。
知らせより、一日早かった。
*
朝から東門の外が騒がしい。
城壁へ上がると、遠くの街道が黒く埋まっていた。
兵。
馬。
荷車。
旗。
その列が、まだ後ろから続いている。
「増えてないか」
リュウが言った。
「増えてますね」
ハクヨウが答えた。
「七千じゃなかったか」
「勝ったあとに加わった軍があるそうです」
「まだ増えるのか」
「勝った軍には集まりますから」
リュウは街道を見た。
自分たちが三百人を超えたときには、ずいぶん増えたと思った。
今見ると、少なかった。
「これ、飯どうするんだ」
「城内へ全部入れなければ、なんとか」
レイカが言った。
「入るの?」
「私に聞かないで」
「誰に聞けばいい」
「コウガでしょ」
「ああ」
本人が来るので、聞けばよかった。
*
昼前。
東門の外で、軍が止まった。
七千どころではなかった。
敗れた帝国兵。
途中で合流した反乱軍。
勝利を聞いて旗を持ってきた者。
それらが加わり、街道の先まで人が続いている。
その中心に、何千本もの紐が集まっていた。
コウガだった。
馬の上から後ろを振り返る。
それだけで、いくつもの命令が動いた。
軍の大半が城外へ散っていく。
野営地を作る者。
馬を移す者。
水場へ向かう者。
見張りを立てる者。
ほとんど迷いがない。
「全部入れないのか」
リュウが言った。
「入れたら都の食料がなくなるわ」
シエンが答えた。
「そうか」
「たぶん、それも考えてる」
コウガは、勝った。
帝国の主力を破った。
そのうえで、勝った軍をそのまま都へ入れなかった。
リュウは少し感心した。
「やっぱり、あいつに任せればいいな」
隣でシエンが額を押さえた。
「昨日の話、もう忘れた?」
「覚えてる」
「なら言わないで」
「でも、できそうだぞ」
「できるでしょうね」
そこは否定しなかった。
*
都へ入ったのは、コウガと側近、それに選ばれた兵だけだった。
門をくぐる前に、命令が出た。
民家へ入るな。
物を奪うな。
勝手に酒を飲むな。
揉め事を起こした者は処罰する。
声は大きくなかった。
それでも、兵は聞いた。
あれだけの人数へ、一人で命令が届いている。
紐も、ほとんどがコウガへ集まったままだった。
「便利だな」
「何が?」
シエンが聞いた。
「全部自分でできるの」
「普通は、あれを目指すのよ」
「俺には無理だった」
「知ってる」
二人は東門の内側でコウガを迎えた。
*
「先に入ったな」
コウガは馬を降りると、最初にそう言った。
「ああ」
「西の道は早かったか」
「シエンが知ってた」
リュウが横を見る。
「橋が落ちてたから、別の道を教えてもらった」
「そうか」
シエンは軽く頭を下げた。
「都は?」
「普通に動いてる」
「兵は」
「降りた」
「官吏は」
「働いてる」
「働いている?」
「ああ」
「帝国の官吏が?」
「ああ」
「お前の下で?」
リュウは考えた。
「下なのか?」
シエンが目を閉じた。
コウガは少し笑った。
「変わらんな」
「そうか?」
「ああ」
「役所を見たい」
「案内する」
「お前が?」
「場所くらいは分かる」
「そうか」
二人は並んで歩き始めた。
後ろでシエンが、長く息を吐いた。
*
市場には人が戻っていた。
コウガの兵を見ると道を空ける。
戸口へ引っ込む者もいた。
だが、すべての戸が閉じることはなかった。
商人は店にいる。
荷を運ぶ者もいる。
役所の前には、順番を待つ人間が並んでいた。
「戦の前より静かだが」
「昨日より人は増えた」
「何をした」
「俺はあまり」
「本当よ」
シエンが後ろから言った。
「余計な労役と徴発を止めた。戸籍と倉はそのまま。官吏も変えてない」
「誰が決めた」
「私とハクヨウ」
「リュウは?」
「いいって言った」
「そうか」
コウガは市場を見渡した。
*
そのさらに後ろを、ソウゲンが歩いていた。
市場から。
役所から。
通りの家々から。
細い紐が伸びている。
都へ入ったばかりのコウガにも、すでにいくつか届いていた。
帝国軍を破った英雄。
乱世を終わらせるかもしれない男。
当然だった。
だが、それとは別に、リュウへ伸びているものがある。
一つ、二つではない。
しかも、その先で終わっていなかった。
リュウを通り、兵へ。
官吏へ。
ハクヨウへ。
ほかの、名前も知らない者たちへ。
以前、コウガの陣で見たときより多い。
ずっと多い。
ソウゲンは足を止めた。
「どうした」
コウガが聞いた。
「いえ」
少し遅れて歩き出す。
「あとで、お話が」
「分かった」
リュウは少し先で、道端の食べ物を見ていた。
*
役所を見終えたあと、コウガは言った。
「今夜は兵を見る。話は明日にしよう」
「ああ」
「明日の夜、宴を開く」
「宴?」
「帝国を破った祝いだ」
「酒は出る?」
「出る」
「行く」
シエンが横を向いた。
コウガは笑った。
「来い」
「ああ」
話は決まった。
*
帰り道。
リュウは機嫌がよかった。
「酒、出るって」
「聞いてた」
「行くだろ?」
「行くわ」
「レイカも」
「それはあとで決める」
少し歩く。
「明日の宴だけど」
「ああ」
「私が話すまで、余計なこと言わないで」
「なんで」
「お願いだから」
ずいぶん真剣だった。
リュウは考えた。
「酒は飲んでいい?」
シエンは答えなかった。
翌朝。
リュウが起きると、部屋に三人いた。
シエン。
レイカ。
バン。
「何してるんだ」
「待ってたの」
レイカが言った。
「寝てたぞ」
「だから待ってたのよ」
リュウは起き上がった。
「朝飯は?」
「その前に話」
シエンが言った。
「長い?」
「長くしないために、あなたは黙って聞いて」
「分かった」
布団の上で座った。
*
シエンは簡単な地図を広げた。
都。
東門。
コウガ軍の野営地。
リュウたちが使っている役所。
「今夜の宴は、ただの祝いじゃない」
「そうなのか」
「あなたを見に来る」
「昨日見ただろ」
「そういう意味じゃない」
シエンは地図を指で叩いた。
「コウガは帝国軍を破った。今、この辺りで一番強い」
「ああ」
「あなたは、そのコウガより先に都へ入った」
「ああ」
「都の官吏をそのまま使って、住民からも紐を集めた」
「ああ」
「それを見て、何とも思わない人もいる」
「コウガとか?」
「たぶん」
「じゃあ大丈夫じゃないか」
「何とも思わない人だけならね」
「ソウゲンか」
「そう」
リュウも知っている。
コウガのそばにいる老軍師。
紐を見る男。
「昨日、あなたの紐をずっと追ってた」
「目は合った」
「そこは気づいてたのね」
「ああ」
「とにかく、何か聞かれても勝手に話を広げないで」
「分かった」
「都が欲しいとか言わない」
「いらない」
「天下を取るとか言わない」
「取らない」
「コウガより自分のほうが人望があるとか」
「思ってない」
「なら、そのままでいて」
「得意だぞ」
それだけは、シエンも否定しなかった。
*
「次」
レイカが言った。
「まだあるのか」
「ある」
荷の覚え書きを机へ置く。
「宴へ行く前に、食べて」
「宴で食べるだろ」
「何が出るか分からないでしょ」
「祝いだぞ」
「祝いでも」
レイカは続けた。
「飲みすぎない」
「それは無理じゃないか」
「無理じゃない」
「酒が出るって言ってた」
「知ってる」
「せっかく出るのに」
「生きて帰ってから飲みなさい」
リュウは少し考えた。
「そんな危ないのか」
「分からないから準備するの」
「馬は役所の裏に二頭。荷は最低限。銭と着替えと薬」
「どこか行くのか」
「行くことになったときのため」
「どこへ?」
「それが分からないから困ってるのよ」
レイカは覚え書きを畳んだ。
「今日中に戻らなかったら、兵の家族と負傷者を先に動かす」
「どこへ」
「西」
「なんで」
「東にはコウガ軍がいるから」
「ああ」
それなら分かった。
*
「俺からは一つだ」
バンが言った。
「短そうだな」
「ああ」
「何かあったら呼べ」
「どうやって」
「大声出せ」
「宴の途中で?」
「ああ」
「何て」
「何でもいい」
リュウは考えた。
「バン、とか?」
「それでいい」
「お前、外にいるのか」
「近くにいる」
「宴に呼ばれてないのに?」
「呼ばれてないから外にいる」
「入れるのか」
「何かあったら入る」
「門番に止められるぞ」
「そのとき考える」
シエンがバンを見る。
「あなたまでそれを言うようになったのね」
「誰のせいだと思ってる」
三人がリュウを見る。
「俺?」
誰も答えなかった。
*
昼。
コウガから正式な使者が来た。
宴は日が暮れてから。
場所は、帝国の高官が使っていた屋敷だった。
招かれたのはリュウとシエン。
それに数人の供。
バンは入れない。
「ほら」
リュウが言った。
「何が」
「バン、呼ばれてない」
「最初から言ってる」
「じゃあ大声出しても聞こえないんじゃないか」
「近くにいる」
「どれくらい」
「入ろうと思えば入れるくらい」
シエンが口を挟んだ。
「入らないでよ」
「何もなければな」
「何かあっても、まず私が何とかする」
「無理なら?」
シエンは少し黙った。
「そのときは入って」
「ああ」
話は早かった。
*
夕方。
レイカが服を持ってきた。
「これに着替えて」
「今のでいいだろ」
「駄目」
「昨日もこれだったぞ」
「だから駄目なの」
少しまともな上着だった。
袖を通す。
「苦しい」
「紐を結んでないから」
レイカが襟元を直した。
「じっとして」
「自分でできる」
「できてない」
紐を結ばれた。
今度は本当に少し苦しかった。
「これで酒飲めるかな」
「そこを心配してる間は大丈夫そうね」
レイカは一歩下がった。
「剣は?」
「持っていく」
「抜かないで」
「抜かない」
「向こうが抜いたら?」
リュウは考えた。
「逃げる」
「それでいい」
即答だった。
武人なら、少しは迷うところだった。
*
日が沈んだ。
リュウとシエンは、数人の供を連れて屋敷へ向かった。
門の前にはコウガの兵が並んでいる。
少し離れたところに、バンがいた。
本当にいた。
「帰らないのか」
「帰らない」
「暇だろ」
「お前を待つよりは、戦のほうが楽だな」
「悪かったな」
「まだ何も起きてない」
「じゃあ悪くないな」
「早く行け」
追い払われた。
*
門をくぐる直前。
シエンが足を止めた。
「最後に一つ」
「まだあるのか」
「これだけ」
「分からないことを聞かれたら?」
「分からないって言う」
「都が欲しいか聞かれたら?」
「いらない」
「コウガに逆らうつもりがあるか聞かれたら?」
「ない」
「天下が欲しいか聞かれたら?」
「面倒そうだからいらない」
シエンは少し考えた。
「……最後だけ、もう少し言い方を考えて」
「なんで」
「お願いだから」
門が開いた。
酒と焼いた肉の匂いが流れてくる。
リュウは鼻を動かした。
「うまそうだな」
「そうね」
二人は中へ入った。




