第四話 天命の英雄 二
二 二人の天命
日が落ちる前、リュウはコウガの天幕へ呼ばれた。
「俺だけか」
「バン殿とハクヨウ殿も、と」
使者が答えた。
「よかった」
「何がです」
「一人だと話すことがない」
ハクヨウが帳面を閉じた。
「向こうが話すでしょう」
「では、もっといらないな」
「行きますよ」
バンも立ち上がった。
「お前、六千人の大将に呼ばれて嫌そうだな」
「三百人でも嫌だった」
「知ってる」
三人で天幕へ向かった。
*
中にはコウガのほか、昼の軍議にいた白髪の老人と、何人かの武将がいた。
コウガは鎧を脱いでいた。
昼間より少し若く見える。
それでも、胸元へ集まる紐の数は変わらなかった。
「座れ」
三人は向かいへ座った。
「今日の戦いは見ていたか」
「見てた」
「どうだった」
「強かった」
コウガが少し待った。
リュウも待った。
「それだけか」
「かなり強かった」
バンが横を向いた。
コウガも少し笑った。
「お前も紐を見ると聞いた」
「ああ」
「俺の紐はどう見える」
リュウはコウガの胸元を見る。
天幕の外から、まだ何本も伸びている。
「数える気がしない」
コウガはリュウを見た。
「嘘はついていないようだな」
「疑ってたのか」
「紐が見えると言う者は、たまにいる」
リュウが少し驚いた。
「いるのか」
「少ないがな」
コウガが隣を見た。
「ソウゲンにも見える」
白髪の老人が軽く頭を下げた。
リュウはソウゲンを見る。
「お前も?」
「ああ」
「王になるのか」
ソウゲンの眉が動いた。
「ならん」
「そうか」
「何だ、その納得の早さは」
「俺もなってない」
「今のところはな」
コウガが言った。
「ほかにもいる。俺の軍にも何人かいる」
「そんなにいるのか」
「数えるほどだ」
ソウゲンが答えた。
「珍しくはある。だが、それだけで王になれるわけではない」
「ああ」
バンがうなずいた。
「よく分かります」
ハクヨウも言った。
「なぜ俺を見る」
*
「それより」
ソウゲンが言った。
視線は、リュウの胸元へ向いている。
「お前の紐は何だ」
「俺の?」
「途中で分かれている」
リュウは自分の紐を見る。
人々から自分へ伸びる。
そこから先へ。
バンへ。
ハクヨウへ。
ほかの者へ。
「渡した」
ソウゲンの顔が変わった。
「渡した?」
「俺につながったやつを、できるやつへ回した」
「切ったのか」
「いや」
一本を指で追う。
「俺のところを通ってる」
ソウゲンはしばらく黙った。
バンを見る。
次にハクヨウ。
それぞれへ伸びる紐を確かめている。
「そんな使い方を、誰に教わった」
「誰にも」
「なぜ試した」
「俺につけても、あまり役に立たなかったから」
ソウゲンは答えなかった。
代わりにコウガが聞いた。
「どの程度集めた」
「最初は七十くらいだったか」
ハクヨウを見る。
「その後、百五十ほどです」
「それで?」
「剣が二合長く持った」
コウガは少し黙った。
「二合」
「ああ」
バンが口を挟む。
「元は一合で負ける」
「言わなくていい」
「分かりやすいだろ」
コウガが笑った。
「なるほど」
「何がだ」
「それなら、人へ回したくもなる」
「だろ」
そこは分かってもらえた。
*
「だが」
コウガが続ける。
「なぜ、もっと集めなかった」
「もっと?」
「百五十で足りなければ三百。三百で足りなければ千だ」
「千もつけるのか」
「必要なら」
リュウはコウガを見る。
冗談ではない。
「面倒だな」
天幕の中が静かになった。
「面倒?」
ソウゲンが聞いた。
「千本集めて俺が少し強くなるより、十本くらいバンにやったほうが早かった」
隣を指す。
「こいつは元から強い」
「おう」
「ハクヨウにやったら、帳面もたくさん覚えられるようになった」
「その説明は雑です」
「だいたい合ってるだろ」
「かなり雑です」
コウガは二人を見る。
「つまり、自分を強くする代わりに、部下を強くした」
「そうなるな」
「それで、お前には何が残る」
リュウは考えた。
「旗」
ソウゲンが目を閉じた。
ハクヨウが言った。
「最近は、それもほかの者が持っています」
「取られた」
「持たせたんです」
コウガが笑った。
*
「今日、お前の兵も見た」
笑いが収まると、コウガが言った。
「数は少ない。武具も揃っていない。だが、よく動く」
バンを見る。
「兵は、お前がまとめているのか」
「ああ」
「悪くない」
「どうも」
次にハクヨウを見る。
「食料と人員は」
「私です」
「三百なら、何日動ける」
「今の消費なら十一日です。途中の二つの村から食料を買えれば、十六日ほどまで伸ばせます」
「馬は」
「二十七頭。うち二頭は長く歩かせられません」
「負傷者は」
「重傷三人。軽傷十二人。重傷者は町へ戻す手配をしています」
コウガはうなずいた。
「よく把握している」
「仕事ですので」
それからリュウを見る。
「お前は」
「旗を持ってる」
「それはさっきも聞いた」
「では、何だ」
「軍の中で、お前は何をしている」
「最近それをよく聞かれるな」
リュウは少し考えた。
「見てる」
「何を」
「いろいろ」
「いろいろでは分からん」
「俺にもよく分からん」
ハクヨウが口を挟んだ。
「誰の仕事にも入っていないことを見つけます」
「たとえば」
「先日の戦いでは、右の列が中央へ寄りすぎていることに気づきました」
バンが続ける。
「リュウが俺に伝えた。俺が兵を戻した」
コウガがリュウへ聞く。
「なぜ戻すべきだと分かった」
「そこまでは分かってない」
「では、なぜ言った」
「人がいなかったから」
「それだけか」
「それだけだ」
コウガはしばらくリュウを見た。
ソウゲンは、リュウではなく紐を見ていた。
*
「変わった軍だな」
やがてコウガが言った。
「そうなのか」
「少なくとも、俺の軍とは違う」
コウガの胸元には、無数の紐が集まっている。
そこで終わっている。
リュウへ来た紐は、そこからまた何人もの人間へ伸びている。
「だが、お前の兵は動いている」
「俺が動かしてないからな」
「それでも、お前の旗の下にいる」
リュウは答えなかった。
「皆がお前を信じて集まった。その力を誰に使わせるかは、お前が決めた」
「使えるやつに渡しただけだ」
「それを決めたのがお前だ」
そう言われると、そうなのかもしれなかった。
「なら、それも紐の使い方なのだろう」
コウガは言った。
「ただ、俺なら自分で使う」
「ああ」
リュウはすぐ答えた。
「そのほうがいい」
コウガがわずかに眉を上げた。
「今日見た」
リュウは続ける。
「お前は自分で見つけて、自分で考えて、自分で命令できる。そのうえ戦える」
「そうだな」
「なら、人に渡す必要がない」
コウガへ集まる紐を見る。
「俺はできないから渡した。それだけだ」
コウガは少し考えた。
「お前は、自分ができないことをずいぶん簡単に認めるな」
「皆知ってる」
バンがうなずく。
「よく知ってる」
「お前は少し隠せ」
*
天幕を出るころには、外は暗くなっていた。
軍営には火が並んでいる。
リュウが歩き出そうとしたとき、天幕の中からソウゲンの声がした。
「コウガ殿」
三人の足が少し止まった。
「あの男の紐ですが」
その先は聞こえなかった。
バンがリュウを見る。
「何か言われてるぞ」
「聞かなくていいだろ」
「気にならないのか」
「悪口なら聞かないほうがいい」
そのまま歩いた。
*
「それで」
しばらくしてバンが聞いた。
「どうだった」
「何が」
「コウガだよ」
「強い」
「それは聞いた」
「頭もいい」
「それも見れば分かる」
ハクヨウが横から聞く。
「では、どう思いました」
リュウは振り返った。
大きな天幕がある。
さらにその向こうから、何千本もの紐が集まっている。
戦える。
考えられる。
人を動かせる。
紐を見る者まで、その下にいる。
「……あいつが天下を取ればいいんじゃないか」
バンが足を止めた。
ハクヨウも止まった。
「では」
ハクヨウが聞く。
「私たちは何をしているんです」
リュウも止まった。
少し考えた。
周りを見る。
自分たちの兵がいる。
馬がいる。
荷車がある。
炊事の煙が上がっている。
旗も立っていた。
「……何してるんだろうな」
「今さらですか」
三百人を連れて、六千人の軍営まで来てから考えることではなかった。




