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天下を取るには紐がいる  作者: 古江 門


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第十四話 皇帝の印 三

三 皇帝の印


 翌日。


 庭に旗が立っていた。


 その横に、大きな鍵が置かれていた。


「何これ」


 朝からまばたきが多いリュウが聞いた。


「試すのでしょう」


 ハクヨウが言った。


「二つ?」


「十分でしょう」


 シエンも来ていた。


 ガクは北にいる。


「まず旗です」


 ハクヨウが言った。


「これは誰の?」


「西を守る将軍の旗です」


「今の将軍は?」


「外にいます」


「じゃあ誰か持って」


 バンが持った。


「なんで俺だ」


「近いから」


「そうだと思った」


 リュウには、旗へ伸びる紐が見えた。


 兵たちからの細い信頼。


 バンへ伸びているものとは別だった。


「ある」


 シエンも頷く。


「ありますね」


 リュウが自分へ集まった能力の紐をほどいた。


 旗への道へ流す。


 西の隊を任されている将を呼んだ。


 バンから旗を受け取る。


 将は少しして、庭の兵を見た。


「その二列、間を詰めろ」


 兵が動く。


「右端は半歩下がれ」


 また動く。


 将が首を傾げた。


「いつもより、全体が見えます」


 リュウが旗を見る。


 能力の紐は、そのまま残っていた。


「いけるな」


 激しくまばたきをしながら言った。


「そうですね」


 シエンが答えた。



*



 次は倉だった。


 大きな倉の前で、ハクヨウが鍵を持っている。


「これにもある」


 今度は腹を押さえていた。


 鍵へ細い紐が伸びている。


 倉を使う役人。


 荷を運ぶ者。


 兵。


 商人。


 方向はばらばらだったが、何本かは確かに鍵へ届いていた。


「じゃあ、そこに流す」


 リュウが紐をほどいた。


 鍵へ流す。


 鍵を倉番へ渡した。


 帳面も渡す。


 倉番が確認する。


 米。


 干し肉。


 塩。


 布。


 荷車。


 しばらくして、倉番が言った。


「この米、三日後に足りなくなります」


 ハクヨウが顔を上げた。


「なぜです」


「北へ送る分が増えています。今のまま出せば」


 帳面を見せる。


 ハクヨウが確認した。


「合っています」


「これもいけた?」


 腹を押さえたままリュウが聞いた。


「いけています」


「じゃあいいな」


 立ち上がろうとして、右足がつった。


 しばらく座った。



*



 その後、ほかの地方官の印でも確かめた。


 正式にその役目へ就き、印を持てば、力が流れた。


 ただ似た物を持たせただけでは流れない。


 その者が役目を任されていると、周囲から認められている必要があった。


「物ではありませんね」


 シエンが言った。


「印だろ」


 リュウは左耳に指を入れながら答えた。


「印そのものではない、という意味です」


「じゃあ何」


「皆が、その印を何だと思っているかです」


 ハクヨウが頷く。


「これを持つ者が地方官である」


「この旗を預かる者が軍を率いる」


「この鍵を預かる者が倉を管理する」


 シエンが続ける。


「その認識へ紐が伸びているのでしょう」


「じゃあ偽物作ったら?」


「誰も正式な印だと思わなければ、何も起きないでしょう」


「高い材料じゃなくても?」


「皆が正式なものだと認めれば、おそらく」


「変なの」


「人の信頼ですから」


 リュウは少し考えた。


「人も似たようなもんか」


「どういう意味です」


「偉そうな服着てても、誰も任せなかったら紐来ないだろ」


 少し間があった。


「珍しく分かりやすいことを言いましたね」


「珍しくは余計だろ」


 ハクヨウが帳面を開いた。


「これなら、地方官が替わるたびに陛下が紐をつなぎ直す必要はなくなります」


「それがいい」


「将軍も同じです」


「やろう」


「倉も」


「やろう」


「裁判官にも、役目を示す印や席があります」


「やろう」


「街道の管理にも使えるかもしれません」


「やろう」


 リュウがくしゃみをした。


「全部やろう」


 シエンが笑った。


「天下を取ったときより積極的ですね」


「仕事減るんだろ」


「減るでしょうね」


「じゃあやる」


 ハクヨウはもう書き始めていた。


 どの仕事に、何を象徴として置くか。


 どこまで権限を持たせるか。


 誰がその役目を任せるか。


 誰が失敗した者を替えるか。


 仕事は増えた。


 リュウの仕事を減らすために。



*



 それから数日かけて、印と旗へ紐をつないだ。


 地方官。


 倉。


 街道。


 裁判。


 軍。


 元から役目を示すものがあるところは、それを使った。


 ないところには、新しく決めた。


 最初のうちは大変だった。


 リュウは腰を押さえたり、腹を押さえたり、柱へ背中をこすりつけたりしながら、一つずつ紐を流した。


 途中で足もつった。


 右手も震えた。


 鼻水も出た。


 それでも、終わった。



*



 数日後。


 リュウは朝から普通に歩いていた。


「腰、治った」


「よかったですね」


 ハクヨウが答えた。


「首も回る」


「それもよかったです」


 右を見る。


 左を見る。


 ちゃんと動く。


「鼻も出ない」


「健康ですね」


「久しぶりだな」


 リュウは大きく伸びをした。


 遠くでは、地方官が替わっている。


 将軍も兵を動かしている。


 倉番も交代した。


 それでも、そのたびリュウが紐を動かす必要はなかった。


 力は、すでに役目のほうへ預けてある。


 その役目が続く限り、担当者が替わっても力は流れる。


 ガクやシエンが新たに紐を振り分けることも減った。


 たまにまぶたが痙攣するくらいで、一日何も起こらない日もあった。


「いいな、これ」


 リュウが言った。


「何がです」


「何も痛くない」


「国の仕組みへの感想ですか」


「ああ」


「そうですか」


 リュウは妙に機嫌がよかった。



*



 最初に試した地方官も、すでに交代していた。


 リュウは新しい男の顔を知らない。


「問題なく働いています」


 ハクヨウが報告した。


「俺、何もしてないけど」


「それが成功です」


 リュウが頷く。


「やっぱりいい仕組みだな」


「そこだけは理解が早いですね」


「俺が何もしなくていいからな」


 西の倉も管理者が替わった。


 街道を預かる官も一人替わった。


 軍では、ガクが将を入れ替えていた。


 リュウは誰の顔も見ていない。


 紐も動かしていない。


 それでも、仕事は続いていた。


「すごいな」


「何がです」


「俺がいなくても動いてる」


 ハクヨウは少し黙った。


「……はい」


「いいことだろ」


「はい」


 リュウは嬉しそうだった。



*



 午後。


 大きな卓を囲んでいた。


 ハクヨウ。


 シエン。


 北から戻ったガク。


 レイカ。


 バン。


 ほかにも何人かいる。


「地方官の権限は、税の徴収だけでは足りません」


 ハクヨウが言った。


「治水と街道については――」


「軍から独立させたほうがいい」


 ガクが口を挟む。


「兵を使えば早いですが、平時まで軍が持つ必要はありません」


「大規模な災害時だけ、地方官から軍へ要請できる形にしましょう」


 シエンが続ける。


 レイカが帳面を見る。


「税を集める人と、困っている家を見る人は別にしたほうがいいんじゃない?」


「必要ですね」


 ハクヨウが書き留める。


 話は続いた。


 リュウは珍しく、気持ちよさそうに聞いていた。


 腰は痛くない。


 頭も痛くない。


 腹も痛くない。


 まばたきも普通だった。


 久しぶりに、自分の体が全部自分のものだった。


「後継についても決める必要があります」


 シエンが言った。


「誰の?」


「あなたのです」


「まだ死なないぞ」


「死んでから決めては遅いでしょう」


「まあな」


 ハクヨウが別の木簡を広げる。


「皇帝の子が継ぐのであれば、幼いうちから必要な教育を始めなければなりません」


「子ども?」


「あなたの家です」


「なんで俺の家の話になってるの」


「王朝ですので」


「さっきまで街道だっただろ」


「街道も王朝です」


「広いな」


 リュウは笑った。


「後継者が幼い場合、誰が政務を代行するかも必要です」


 シエンが言う。


「皇族にどこまで権限を持たせるかも決めなければなりません」


「軍を持たせすぎるのは避けるべきです」


 ガクが続ける。


「ただ、まったく持たせなければ――」


 話はどんどん先へ進んだ。


 リュウの子。


 その次の子。


 さらに、その先。


 まだ生きているリュウの前で、何代も先のリュウ家について真剣に話していた。



*



 軍権。


 地方統治。


 税。


 官吏の任命。


 皇帝の後継。


 王家の教育。


 幼い皇帝が立った場合の政務。


 話は続いた。


 リュウは途中から聞いていなかった。


 今日は体調が悪いからではない。


 むしろ、とても調子がよかった。


 椅子に深く座り、窓の外を見ていた。


 風が入ってくる。


 どこもかゆくない。


 鼻も通っている。


 足もつらない。


 ずいぶん静かだった。


「陛下」


 ハクヨウが呼んだ。


「ん?」


「ここまでで異論はありますか」


「何の話?」


「聞いていませんでしたね」


「途中までは聞いてた」


「どこまでです」


「後継」


「かなり前です」


「そうか」


 バンが笑った。


「体調よくても聞かねえんじゃねえか」


「今日は気持ちよくて」


「何だそれ」


「久しぶりに何も起きないんだぞ」


「皇帝の感想じゃないな」


「いいだろ」


 リュウはまた椅子へ深く座った。


 そのとき、卓の一番奥に置かれたものが目に入った。


 大きな印。


 即位の日に渡されたもの。


 皇帝の印だった。


 地方官の印。


 倉の印。


 将軍の旗。


 人が替わっても、役目が残る。


 その役目へ力を預ければ、自分が毎回動かす必要はない。


 リュウは皇帝の印を見た。


 それを持つ者が皇帝だと、天下の誰もが知っている。


「なあ」


「何です」


 ハクヨウが答える。


 リュウは、まっすぐ座ったまま皇帝の印を指した。


「これも、印だよな」


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