第十四話 皇帝の印 一
一 帰れない
コウガの遺体は、故国へ返した。
残っていた兵も一緒に帰った。
倒れた旗も返した。
戦は終わった。
*
三日後。
*
「帰れないの?」
リュウが聞いた。
「帰れません」
ハクヨウが答えた。
「戦、終わったよな」
「終わりました」
「じゃあ帰ろう」
「ですから、帰れません」
リュウの前には、木簡が積まれていた。
右にもある。
左にもある。
後ろにもあった。
「これは?」
「北の三郡です。地方官をどうするか決めてください」
「これは」
「南の領主からです。戦の間に貸した兵の扱いを確認したいと」
「こっちは」
「旧コウガ領の倉です。誰が管理するか決まっていません」
「これ」
「裁判です」
「なんで俺に来るんだ」
「ほかに決める者がいないからです」
「いるだろ」
リュウが周りを見る。
首が右を向いたまま戻らなかった。
「ハクヨウとか」
「私は帳簿を見ます」
「シエン」
「南です」
「ガク」
「北です」
「バン」
壁際にいたバンが顔を上げた。
「俺に裁判やらせる気か」
「やめとこう」
「そうしろ」
リュウは木簡を一つ取った。
開いた。
閉じた。
「帰ろう」
「増えますよ」
「何が」
「明日は東からも届きます」
リュウは木簡を置いた。
「なんで戦ってたときより忙しいんだ」
「勝ったからです」
「負ければよかったのか」
「それは困ります」
「じゃあどうすればよかったんだ」
「勝って、仕事をしてください」
「嫌だな」
ハクヨウは次の木簡を置いた。
リュウの首がかくんと横に傾いた。
「これ、たぶんガクだよな」
「今朝、北の各隊へ紐を振り分けると報告がありました」
「あいつ、何人に回してるんだ」
「必要なだけでしょう」
ガクには、リュウから大量の能力の紐を預けてある。
遠くにいるガクが、それを将や兵へ振り分ける。
南にいるシエンにも、同じように能力の紐を預けてある。
実際に紐を動かしているのは二人でも、副作用だけはリュウへ返ってくる。
戦が終わってからは、二人とも兵だけでなく、各地を治める者へまで紐を回し始めていた。
そのためリュウは、戦が終わったのにあまり元気ではなかった。
*
昼には、シエンが戻ってきた。
「南の領主たちは、ひとまず従うそうです」
「よかった」
リュウは鼻をすすった。
「ただし」
「よくなかった」
「今後、誰の命令を正式なものとするのか決めてほしいと」
「俺でいいだろ」
「では、それを正式に決めます」
「決まったじゃないか」
「決まっていません」
シエンが座った。
「諸侯はリュウ様個人には従っています」
「ああ」
「ですが、リュウ様から命令を受けた地方官と、ガクから命令を受けた将と、元からその土地を治めていた領主が争った場合、誰の命令が上なのか決まっていません」
「話し合えば」
「それを毎回やるのですか」
「嫌だな」
「でしょう」
ハクヨウが別の帳面を開いた。
「税の取り方も地域ごとに違います」
「そっちはハクヨウで」
「最終的に誰の名で徴収するかが必要です」
「ハクヨウの名で」
「嫌です」
「俺も嫌なんだよ」
「知っています」
リュウが鼻をかんだ。
「軍も同じです」
シエンが続ける。
「戦が終わった以上、各地の兵をいつまで誰が持つのか決める必要があります」
「ガクで」
「全軍を?」
「だめ?」
「ガク本人が嫌がると思います」
「じゃあ本人に聞いて」
「その決定を誰が承認しますか」
リュウは黙った。
もう一度、鼻をかんだ。
「俺?」
「はい」
「何でもそこに戻ってくるな」
「今はそうなっています」
*
夕方には、レイカも来た。
「まだやってたの」
「やらされてる」
「みんな働いてるの」
「俺も働いてる」
ハクヨウがリュウを見た。
「今日は七つ決めました」
「ほら」
「そのうち五つは、誰かに任せるという決定です」
「決めただろ」
「はい」
レイカが木簡の山を見る。
「これ全部?」
「今日の分です」
「明日も?」
「来ます」
リュウがレイカを見る。
首が曲がっているので、少し斜めだった。
「帰ろう」
「どこへ」
「家」
「これどうするの」
「置いてく」
「追ってくるでしょ」
リュウは木簡を見る。
「木簡が?」
「人が」
「ああ」
それはもっと嫌だった。
シエンが腕を組んだ。
「このままでは、リュウ様がどこへ行っても、最終判断を求める使者がついて回ります」
「それ皇帝より忙しくない?」
誰も答えなかった。
リュウが顔を上げる。
「なんだよ」
シエンとハクヨウが顔を見合わせた。
レイカは少し嫌そうな顔をした。
バンだけが笑った。
「ちょうどいいじゃないか」
「何が」
「皇帝になれ」
リュウはしばらくバンを見た。
「誰が」
「お前が」
「嫌だよ」
すぐに答えた。
シエンが言う。
「ガクも同じ意見です」
「聞いたの?」
「北へ行く前に」
「勝手に決めてるな」
「北の諸侯も、あなたの名であれば従うと言っています」
「探せばほかにいるだろ」
「全員が従う者が必要です」
「ガク」
「従わない領主がいます」
「シエン」
「もっといます」
「ハクヨウ」
「やめてください」
「バン」
「殺すぞ」
「ほら、いるじゃないか」
「いねえよ」
シエンが言った。
「あなたを偉くしたいわけではありません」
「じゃあしなくていいだろ」
「最後に、誰の決定で終わるのかを決めたいのです」
リュウが黙った。
「地方官も、将軍も、領主も、それぞれ自分の仕事をします。その判断がぶつかったとき、最後にどこへ戻ればいいのか。それが今は、あなたです」
「嫌だな」
「分かっています」
レイカがため息をついた。
「リュウ」
「何」
「帰りたいんでしょ」
「ああ」
「だったら、ちゃんと終わらせなさい」
「戦は終わった」
「その後が残ってる」
リュウは目の前の木簡を見る。
明日も増えるらしい。
逃げても、人が追ってくる。
「皇帝になったら減る?」
ハクヨウが答えた。
「最初は増えます」
「やっぱりやめる」
「ですが、仕組みを作れます」
リュウが少しだけ顔を上げた。
「仕組み?」
「誰が何を決めるのか、先に決めておくのです」
「俺が決めなくていいように?」
「最終的には」
リュウは考えた。
「それ、先に言えよ」
シエンが笑った。
「では、皇帝になりますか」
「なりたくはない」
「はい」
「でも、ならないと帰れない?」
「おそらく」
リュウは長く息を吐いた。
「じゃあ、なる」
バンが笑う。
「軽いな」
「帰りたいんだよ」
こうしてリュウは、皇帝になることになった。
天下を欲しがった結果ではなかった。




