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天下を取るには紐がいる  作者: 古江 門


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第三話 人に渡す 一

一 渡してみる


 リュウは、つまんだ紐を引いた。


 人から伸びた紐は、リュウの胸元へつながっている。


 もう一度引いてみる。


 紐は外れなかった。


 その代わり、胸元から先が伸びた。


 リュウはその先を持って、広場の向こうにいるバンへ歩いた。


「バン」


「何だ」


「少しじっとしてろ」


「嫌な頼み方だな」


 バンは若者たちの稽古を止め、こちらを向いた。


 リュウは紐の先をバンの胸元へ押しつけてみた。


 するりと入った。


「お」


 紐は切れていない。


 人からリュウへ。


 そこからさらに、バンへ伸びている。


 一本の紐が、リュウを経由して二人をつないでいた。


 見たことのない形だった。


 次の瞬間、背中がかゆくなった。


「……かゆい」


「何が」


「背中」


「俺に何をした」


「紐をつけた」


「それでお前がかゆいのか」


「そうらしい」


 肩甲骨の少し下だった。


 手を回す。


 届かない。


 反対から回す。


 やはり届かない。


 リュウは近くの柱へ背中を押しつけた。


「何か変わったか」


 背中をこすりながら聞く。


 バンは自分の手を握った。


 開く。


 もう一度握る。


「少し軽いな」


「何が」


「体が」


 リュウは柱から離れた。


 自分へ集まる紐を見る。


 まだ二百本以上ある。


「もう一本やる」


「待て」


「何だ」


「今のを試してからだ」


「一本じゃ分からんだろ」


「だから試すんだ」


 もっともだった。



          *



 バンは木剣を一本取り、若者にも一本渡した。


「普通にやればいいのか」


「普通にやれ」


 リュウが答えた。


「お前が言うと不安になるな」


「俺は戦わないぞ」


「そこは安心してる」


 二人が向かい合った。


 若者が踏み込む。


 バンが受ける。


 木剣がぶつかった。


 一合。


 二合。


 三合。


 若者の木剣が弾かれた。


 昨日まででも、バンなら同じように勝っただろう。


「分からんな」


 バンが言った。


「では増やすぞ」


「今度はいい」


 二本目をつないだ。


 また背中がかゆくなった。


 三本。


 五本。


 十本。


 つなぐたび、かゆい場所が変わった。


 右。


 左。


 真ん中。


 最後には、また手が届かなくなった。


 リュウは柱へ戻った。


「お前、さっきからそればかりだな」


「ちょっと慣れてきた」


 柱に背中をこすりつけながら言った。


 説得力はあまりなかった。


「もう一度やるぞ」


 今度は三人を相手にした。


 バンが木剣を構える。


 三人が囲む。


 広場にいた者たちも、何事かと集まってきた。


 最初の一人が前から入った。


 バンは半歩ずれた。


 木剣を払う。


 相手の手から剣が落ちた。


 二人目が横から振る。


 バンは振り向きざまに受けた。


 そのまま押し返す。


 三人目が背後へ回る。


 バンは一歩前へ出た。


 剣が空を切る。


 振り返ったときには、木剣の先が三人目の胸に触れていた。


 終わった。


 広場が静かになった。


「今のは前からできたか」


「三人同時には無理だな」


 バンが自分の腕を見る。


「力も出る。体も軽い」


「剣も上手くなったか」


「上手くなったというより、体がついてくる」


 リュウは考えた。


 昨日、自分には百五十本ほどつないだ。


 力は出た。


 目もよくなった。


 だが、剣は三合で飛んだ。


 バンには十本ほどしか回していない。


「俺に百五十本つけたときより強くないか」


「強いな」


「十本だぞ」


「そうだな」


「残りの百四十本は何だったんだ」


「お前だろ」


 バンが答えた。


 そのとおりだった。


 紐が足りなかったのではない。


 つないだ先が悪かった。



          *



 リュウは、バンへ伸びる十本の紐を見た。


 どれも、まず自分へ届いている。


 そこからバンへ流れていた。


 今までは、自分へ集まった紐は、自分で使うものだと思っていた。


 歴代の王も皇帝も、そうしてきた。


 天下から力を集め、自分が誰より強く、賢くなる。


 それが天命を持つ者の力だとされていた。


 リュウには向かなかった。


 ならば、向いている者へ流せばよい。


 自分に使えないなら、使える者へ渡す。


 簡単な理屈だった。


 数百年間、誰も実行しなかったことを除けば。


「ハクヨウ」


「はい」


「お前、計算は得意だったな」


 ハクヨウが顔を上げた。


「何をする気です」


「たくさんあるから、お前にもやる」


「何をです」


 リュウは自分へ集まる紐を一本つまんだ。


「これ」


「見えません」


「そうだったな」


 少し考える。


「とにかく、お前にも回す」


「何本です」


「分からん」


「誰のです」


「そこまでは見てない」


「少し待ってください」


 ハクヨウは帳面を閉じた。


「何だ」


「そんな感じで人に渡していいものなんですか」


 リュウはバンへ伸びる紐を見た。


 人から自分へ。


 自分からバンへ。


 そして、自分のところには、まだ何百本も残っている。


「たくさんあるんだから、分けたほうがいいだろ」


 ハクヨウは少し黙った。


「仕事みたいに言いますね」


「だいたい同じだろ」


 リュウにとっては、かなり同じだった。



          *



「では、私に回すと何が起きるんです」


 リュウは考えた。


「帳面をめくるのが速くなる」


「それだけなら要りません」


「計算も速くなるかもしれん」


「そちらを先に言ってください」


 ハクヨウは帳面から手を離した。


「試しましょう」



          *



 まず一本。


 リュウは、自分へつながった紐をハクヨウへ流した。


 鼻の下がむずむずした。


「つながった」


「分かりません」


「俺には分かる」


 ハクヨウは帳面を開いた。


 リュウが鼻の下をこする。


「お前、鼻から何か出てるぞ」


 バンが言った。


 リュウが触る。


「何だ」


「毛だな」


「毛?」


「一本だけ長い」


 引っぱった。


「痛い」


「鼻毛だ」


「なぜ伸びた」


「俺に聞くな」


 リュウは抜いた。


 背中の次は、鼻毛だった。


 紐を人へ流すことには、あまり威厳が伴わなかった。



          *



 何本か増やした。


 ハクヨウは三冊の帳面を広げた。


 しばらく目を通す。


 やがて、一冊を閉じた。


「北の村から来ている二十三人のうち、八人は明日帰します」


「なぜだ」


「収穫を止めています。このまま兵にすると、十日ほどでこちらへ運べる食料が減ります」


「十日後?」


「今ある食料と、村に残っている人手と、次の収穫を合わせると、そのあたりです」


「全部そこに書いてあるのか」


「三冊に分かれて」


「今までは?」


「三冊を行ったり来たりしていました」


「今は?」


「覚えています」


「便利だな」


「かなり」


「もっといるか」


「ください」


 今度は受け入れが早かった。


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