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天下を取るには紐がいる  作者: 古江 門


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第二話 立たされた男

一 兵を集める


 旗頭に決まった日の昼、リュウには旗ができた。


 軍はまだなかった。


「順番が逆じゃないか」


「旗がなければ、どこへ集まればいいか分かりません」


 ハクヨウは答えた。


 正しい。


 旗だけが、ずいぶん先に将軍らしくなった。


 朝には三十人ほどだった。


 昼を過ぎるころには五十人。


 夕方には、広場から人があふれ始めた。


 武器も増えた。


 槍。


 弓。


 斧。


 鉈。


 鍬を持ってきた男もいた。


「それも武器か」


「本人はそう言っています」


 ハクヨウは記録した。


 本人の意思が尊重された。


 集まった者を並べようとしたが、三十人ほどのところで列が曲がった。


「もう少し右だ」


「誰が?」


「そこの三人」


「俺たちか?」


「いや、その隣」


 全員が少しずつ動いた。


 さらに曲がった。


 リュウは列を眺めた。


「敵が来るまでには並べたいな」


「何やってる」


 後ろから太い声がした。


 大柄な男が歩いてくる。


 バンだった。


 幼いころからの知り合いで、町では肉を扱っている。猪も仕留めるし、喧嘩も強い。


「見れば分かるだろ。並べてる」


「分からないから聞いた」


「お前ならできるのか」


「お前よりはな」


 バンは広場へ入った。


「槍はこっち。弓は向こう。背の高いやつは後ろだ。おい、それ何だ」


「槍です」


「鍬だろ」


「槍として持ってきました」


「じゃあ槍でいい」


 しばらくすると、人の塊がそれらしい列になった。


「お前が旗頭でいいんじゃないか」


「嫌だ」


 返事が早い。


「なぜだ」


「お前がいるから来た連中だぞ」


 集まった者たちから伸びる紐の多くが、リュウへ向かっていた。


「俺が戦えないのも知ってるだろ」


「子供のころからな」


「お前なら戦える」


「戦える」


「なら前に立て」


「立つぞ」


 バンは答えた。


「お前もな」


「俺も?」


「お前の場所だろ」


リュウが並んだ人々を見る。


少し考える。


「バンだけじゃ駄目か」


「駄目だ」


 夕方には七十人近くになった。


 ハクヨウが人と食料を数え、バンが兵をまとめる。


 リュウは頭を下げられた。


「俺は何をしてるんだ」


「皆を集めています」


 ハクヨウが答えた。


「もう集まったぞ」


「では、帰らないようにしてください」


 旗頭の仕事は、思ったより受け身だった。


 広場の中央で旗が揺れている。


 その下へ人が増えるほど、リュウへ伸びる紐も増えた。


「昔の皇帝は、これをどうした」


「全部、自分へ結んだそうです」


 ハクヨウが答える。


「それで強くなったのか」


「初代皇帝は、一人で十人を倒したという話があります」


 バンがリュウを見た。


「十人か」


「そうらしい」


「まず俺に勝ってからにしろ」


「順番が逆じゃないか」


 今度はリュウがそう言った。



          *



 日が暮れる前に、試すことになった。


 広場の者たちも遠巻きに見ている。


 リュウは一本目の紐を、自分へ引いた。


 端が胸へ触れる。


 体の奥に熱が走った。


「どうだ」


「来た」


「何が」


「分からんが、来た」


 二本。


 三本。


 十本。


 引き寄せるたび、手足が軽くなった。


 疲れが抜け、力が満ちていく。


 最後の一本をつなぐ。


 リュウは木剣を握った。


 軽い。


 これまでとは明らかに違う。


「バン」


「おう」


「今なら勝てる気がする」


 広場が静まった。


 何十人もの力を受けた、紐を見る者。


 昔話の王と同じ姿である。


 バンも木剣を取った。


「来い」


 リュウは踏み込んだ。


 一合目。


 受けた。


 二合目。


 これも受けた。


 三合目。


 木剣が空を飛んだ。


 広場の端へ落ちた。


 リュウは手ぶらになった。


 誰も声を出さなかった。


 バンが木剣を下ろす。


「強くなったな」


「どこが」


「二合増えた」


 七十人分の天命は、二合ぶん働いた。



          *



 紐は増やせばいい。


 周囲はそう考えた。


 翌日には、支持する者が百五十人を超えた。


 リュウは届いた紐をまた自分へ結んだ。


 体はさらに強くなった。


 以前なら苦労した弓を、最後まで引ける。


 矢を放った。


 的の横を通り過ぎた。


 力は足りていた。


 方向が足りなかった。


 今度は地図を広げた。


「何か分かりますか」


 ハクヨウが尋ねる。


 リュウはじっと見た。


「字がよく見える」


「作戦は?」


「それはお前が考えたほうがいい」


 地図はハクヨウの側へ戻った。


 体は強くなる。


 力も増える。


 目もよくなる。


 だが、剣の腕は増えなかった。


 弓の腕も増えなかった。


 兵法も増えなかった。


「もっと集めればいいんじゃないか」


 バンが言った。


「たぶんな」


「なら集めよう」


 ハクヨウもうなずいた。


 リュウだけが、自分の手を見ていた。


 七十人で二合。


 百五十人なら、もう少しいけるかもしれない。


 それでも、初代皇帝になれる気はしなかった。


「もしかして」


 リュウは言った。


「俺に才能がないのが問題なのか」


 バンは黙った。


 ハクヨウも黙った。


「そこは否定してくれ」


 二人は顔を見合わせた。


 長い付き合いだった。


 嘘をつくには、少し長すぎた。



          *



 その日の昼前、見張りから知らせが入った。


 帝国兵が来た。


 北東の街道を、五十人ほど。


 広場の男たちが一斉にリュウを見た。


「どうする」


 バンが聞く。


「逃げ道は?」


 ハクヨウが顔を上げた。


「戦う話をしています」


「負けたら逃げるだろ」


「戦う前から負ける話をしますか」


「負けてから考えるよりいい」


 ハクヨウは地図を見た。


「西の林を抜ければ川があります。橋は狭い」


「そこだ」


「まだ勝つ方法が決まっていません」


「それはバンに聞け」


 バンが街道の狭まる場所を指した。


「ここなら一度に来られる数を減らせる」


「では、そこで受けます」


 勝つ方法も決まった。


「食事は?」


 二人がリュウを見た。


「今度は何だ」


「戻ったとき食うものだ」


「まだ出てもいません」


「腹が減ってから炊くのか」


 ハクヨウは帳面を開いた。


「用意します」


 戦の相談で、リュウの意見が初めて通った。


 食事だった。



          *



 街道の両側には低い林が続いていた。


 バンが槍を前へ、弓を後ろへ置く。


 リュウも前にいた。


「本当にそこにいるのか」


「旗頭だからな」


「昨日は逃げようとしてただろ」


「昨日は旗頭じゃなかった」


 役職には責任が伴う。


 リュウは、そういうことにしていた。


 やがて街道の向こうから兵が現れた。


 鎧は泥に汚れ、列も崩れている。


 それでも、武器を持った兵だった。


 一人が前へ出る。


「道を開けろ。食料だけだ。渡せば何もしない」


「北の村でもそう言ったのか」


 相手の顔が変わった。


 交渉は終わった。


 敵兵が走る。


 矢が飛んだ。


 槍がぶつかった。


 叫び声が上がる。


 昨日まで畑にいた者たちと、昨日まで軍にいた者たちでは、やはり違った。


 前列が押される。


 隙間から一人、敵兵が入った。


 リュウへ向かってくる。


 百人を超える力が、体に入っている。


 一度受けた。


 二度目もどうにか受けた。


 次の瞬間には、剣がなかった。


「また三合か!」


 バンが横から敵兵を殴り倒した。


「あいつ、バンくらい強いぞ!」


「一緒にするな!」


 リュウは剣を拾った。


 前では一人が倒れていた。


 肩から血を流している。


 隣の男が助けようとし、そのぶん列が崩れた。


「まだやれる」


 バンが言った。


 確かに、やれる。


 人数はこちらが多い。


 敵も疲れている。


 もう少し持ちこたえれば、押し返せるかもしれない。


 リュウは倒れた男を見た。


「退くぞ」


 バンが振り返る。


「まだやれる」


「やれるやつから死ぬ」


 一瞬だけ、バンが黙った。


「……どこへ」


「林だ。朝、決めただろ」


 次の瞬間には、バンが声を張った。


「後ろから退け! 走るな! 前はまだ動くな!」


 列が少しずつ下がる。


 林へ入った。


 途中でリュウは石につまずいた。


 転んだ。


 すぐ起き上がった。


 百人分の紐は、こういうところではよく働いた。


「丈夫だな!」


「今それを褒めるな!」


 川まで退き、狭い橋を渡る。


 対岸で弓を構えると、帝国兵は追ってこなかった。


 双方とも、そこで戦をやめた。



          *



 日が暮れる前に町へ戻った。


 死者は二人。


 重傷者が五人。


 軽い傷を負った者はもっと多い。


 広場では、レイカたちが負傷者の手当てをしていた。


 その横で、大鍋から粥が配られている。


 戦って戻った者たちは、まず黙って食べた。


 しばらくすると、少しずつ声が戻った。


 バンが椀を持ってきた。


「飯を用意したのは正解だったな」


「そこだけか」


「今日はな」


 リュウも粥を受け取った。


 そこへ村の老人が来た。


「リュウ殿。今日の話を聞きました」


「早いな」


「退路まで先に考えておられたとか」


「勝てないと思ったからだ」


 老人は深くうなずいた。


「兵を生きて帰すために」


「だから勝てないと思ったんだ」


「さすがです」


 話が通じていなかった。


 老人の紐は、昨日より太かった。


 翌朝には、さらに人が集まった。


 町を守ったという話が、周辺へ広がっていた。


 そのころには、戦場で起きたことも少し変わっていた。


 三合で剣を落とした話は消えた。


 百人の先頭に立った話は残った。


 逃げるために選んだ橋は、敵を誘い込むためにあらかじめ選んだことになっていた。


 食事を用意したことまで、兵の士気を見越した采配になっていた。


 バンが、どこかで聞いた話を持ってきた。


「お前、橋の向こうまで敵を引きつけて挟み撃ちにするつもりだったらしいぞ」


「俺は橋を渡っただけだ」


「俺もそう思う」


「止めてこい」


「もう三つ先の村まで広まった」


 手遅れだった。


 噂は、紐より自由だった。


「二百人を超えました」


 帳面を見ながら、ハクヨウが言った。


「これなら、今度こそ十分でしょう」


 リュウは答えなかった。


 ハクヨウに見えているのは人数だった。


 リュウには、その人々から伸びる紐が見えている。


 どちらも昨日より増えていた。


 それでも、十分でないことはもう分かっていた。


 いくら集めても、自分はバンにはならない。


 広場の向こうでは、バンが若者たちに槍を教えていた。


 持ち方を直す。


 足の位置を直す。


 一声かけると、ばらばらだった列が動いた。


 リュウは胸元を見た。


 何百本もの紐が、自分へ集まっている。


 その一本をつまんだ。


 そして、バンを見た。


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