第十三話 誰もいない英雄 一
一 全部勝っている
朝、東から敵が来た。
コウガは報告を聞き終える前に地図を開いた。
「何人だ」
「およそ八百」
「川を渡ったか」
「まだです」
コウガは川沿いを指した。
「渡らせろ」
伝令が顔を上げた。
「よろしいのですか」
「浅瀬を渡っているところを叩く」
「はい」
「センリ」
「はい」
「騎兵を二百。森へ回せ」
「すぐに」
センリが幕舎を出ていく。
コウガは次の報告書を取った。
北の街道が塞がれている。
「誰がいる」
「ガクの旗が確認されています」
「本人か」
「分かりません」
「たぶん違う」
コウガは地図へ印を置いた。
「西へ一里行ったところに細い道がある」
「荷車は通れません」
「荷を分けろ。兵で運ぶ」
「時間がかかります」
「東を片づければ人を回せる」
書記が記した。
「次」
「南の領主から返事がありません」
「昨日までは」
「兵を出すとのことでした」
「使者をもう一人出せ」
「誰を」
コウガは少し考えた。
「故国の名家出身のやつがいただろ」
「おります」
「あいつを出せ。向こうの家と縁がある」
「はい」
また一人入ってくる。
「食料が、予定より二日早く尽きます」
「なぜだ」
「北の荷が届いておりません」
「南から買え」
「値が上がっています」
「倍まで払え」
「それ以上なら」
「買うな。東を取ったあと、あちらの村から入れる」
答えながら、コウガは別の帳面を開いた。
ランショウが使っていたものだった。
兵の数。
負傷者。
馬。
矢。
昨日より少ない。
だが、まだ動く。
「今日、休ませる隊は」
「三つです」
「二つにしろ」
「一隊、動かすのですか」
「東が終わったら休ませる」
「はい」
コウガは帳面を閉じた。
ソウゲンはいない。
ランショウもいない。
それでも、決められた。
何も困らなかった。
*
昼前に東の敵が川を渡った。
半ばまで来たところで、コウガ軍が出た。
先頭が崩れる。
戻ろうとした兵へ、森からセンリの騎兵が突っ込んだ。
敵は二つに割れた。
コウガは高い場所から見ていた。
「右を下げろ」
「はい」
「追うな。川までで止めろ」
旗が動く。
敵兵が川へ逃げる。
追いすぎた一隊だけが前へ出た。
「止めろ」
太鼓が鳴る。
兵が戻る。
戦は昼を過ぎる前に終わった。
センリが馬で戻ってきた。
頬に泥がついている。
「終わりました」
「ああ」
「こちらの損害は少ないです」
「北へ回す」
「もうですか」
「街道が止まってる」
センリは少し笑った。
「本当に、何でもできますね」
コウガが見る。
「何がだ」
「ソウゲン様もいません。ランショウ将軍もいません」
「ああ」
「でも、何も変わりません」
コウガは東を見る。
逃げた敵は、もう見えなかった。
「変わる必要があるか」
「ありません」
センリは嬉しそうに答えた。
*
午後、北へ向かわせた兵から伝令が戻った。
「街道は取り返せませんでした」
「ガクがいたか」
「いません」
「誰だ」
「旗は三つ確認されました。別々の隊です」
「数は」
「合わせれば、こちらより少ないかと」
「ならなぜ取れない」
「戦おうとすると退きます。進むと、別の隊が後ろへ回ります」
コウガは地図へ三つ印を置いた。
一つを追えば、二つが動く。
止まれば、また道を塞ぐ。
「全部無視して西へ抜けろ」
「荷が」
「置け」
「食料もあります」
コウガの手が止まった。
「……食料は残せ」
そこへ、別の伝令が入ってきた。
「南からです」
「来たか」
「兵は出せないとのことです」
センリが振り返った。
「昨日は出すと言っていたでしょう」
「はい」
「理由は」
「周辺の領主が兵を出さないため、自領だけ空けることはできないと」
コウガは地図の南を見る。
「シエンだろ」
誰も答えなかった。
コウガは立ち上がった。
「南へ行く」
「今からですか」
「直接話す」
「北は」
「指示を出した」
「東は」
「終わった」
「食料は」
「南で取る」
コウガは外へ出た。
馬へ乗ろうとしたところで、北からまた伝令が来た。
「コウガ様!」
「何だ」
「西の道が塞がれました」
コウガは地図を受け取った。
「何人だ」
「三百ほどです」
「なら抜ける」
「こちらには負傷兵がいます」
「別の道へ回せ」
「その道にも敵が出たと」
コウガは地図を見た。
東。
北。
西。
南。
敵の大軍は、どこにもいなかった。
リュウもいない。
ガクも見えない。
シエンもいない。
それでも、道だけがなくなっていた。
「コウガ様」
センリが呼んだ。
「南へ向かいますか」
「先に西だ」
「はい」
「三百なら、俺が行けばすぐ終わる」
馬を西へ向けた。
その判断は正しかった。
西の三百は、コウガが着いて半刻もしないうちに退いた。
そのころには、南の領主から二度目の使者が届いていた。
話し合いには応じる。
ただし、今日は兵を出さない。
北では、別の街道が塞がれていた。
東では、昼に破った敵が別の隊と合流していた。
その日、負けた戦は一つもなかった。
夜になったころ。
朝より使える道が、三本減っていた。
明日、取り返せばいい。




