第十二話 高みへ 二
二 帰す
その朝、ランショウは兵を見て回った。
歩けない者は、すでに後ろへ送っている。
残っているのは、まだ戦える兵だった。
だが、疲れは隠せなくなっていた。
足取りが遅い。
傷の浅い者まで、立ち上がるのに時間がかかる。
何日も戦い、何日も追っている。
ランショウは一通り見終えてから、コウガのところへ行った。
「今日は休ませたい」
コウガは西を見ていた。
「動けない者は」
「後ろへ回した」
「残りは」
「動ける」
「なら行く」
ランショウは黙った。
「動けるのと、戦わせていいのは違う」
コウガがランショウを見る。
「何日いる」
「一日。できれば二日」
「二日は長い」
「一日でもいい」
コウガはまた西を見た。
リュウ軍は近い。
昨日も退かせた。
ここで止まれば、また距離を取られる。
北では、その間にもガクが動く。
「あと一戦だ」
ランショウの表情が変わった。
「今日で終わらせる」
「終わらなければ」
「終わらせる」
迷いはなかった。
「俺が前へ出る」
コウガが言った。
「長引かせない」
ランショウは兵を見た。
休ませること。
今日のうちに戦を終わらせること。
どちらが兵を多く生かすのか。
今は、ランショウにも分からなかった。
「分かった」
ようやく答えた。
「ただ、崩れたあとまで追わせるな」
「リュウを取れるなら追う」
「兵がついていけない」
「俺が見る」
短い返事だった。
ランショウはそれ以上言わなかった。
兵たちの間へ戻っていく。
その背へ、何本もの紐が伸びていた。
コウガには見えた。
以前からある紐だった。
だが、太くなっている。
兵たちはコウガを信じている。
戦えば勝つ。
敵を破る。
同時に、ランショウへも紐が伸びていた。
自分たちを帰す者として。
「兵から慕われていますね」
隣にいたセンリが言った。
「ああ」
「ずいぶん太くなりました」
コウガは答えなかった。
「気になりますか」
「何がだ」
「あの紐です」
コウガはランショウを見る。
「ランショウは将だ」
「はい」
「俺が兵を預けている」
センリは黙った。
「なら、あれでいい」
「……はい」
センリは頷いた。
出陣の号令がかかる。
兵が動き始めた。
昨日より遅い。
それでも隊列は崩れない。
コウガは先頭へ向かった。
今日で終わらせる。
そうすれば、兵も休める。
故郷へ帰せる。
だから今日は、休ませなかった。
*
コウガが前へ出ると、戦は早く動いた。
リュウ軍は街道を塞ぐように陣を置いていた。
バンが前を支え、その後ろで兵が少しずつ下がる。
コウガは前列が崩れる前に次を見る。
兵を回す。
空いた場所へ別の隊を入れる。
相手が下がろうとすれば、その先へ騎兵を走らせる。
命令を出しながら、自分でも前へ出た。
バンが受ける。
二人がぶつかった。
バンは以前より強かった。
それでも、コウガが押した。
一度。
二度。
三度目で、バンが大きく下がった。
その隙間へコウガ軍が入る。
リュウ軍の隊列が割れた。
左右から押し込み、逃げ道を一つだけ残す。
リュウ軍はそこへ流れた。
コウガは追った。
夕方を待たず、リュウ軍は陣を捨て、さらに西へ退いた。
残された旗を、センリが拾った。
「勝ちました」
「ああ」
コウガは西を見ていた。
遠くに、退いていく兵の列が見える。
もう一度押せば、届く。
「追いますか」
コウガは後ろを見た。
遅れてくる兵がいる。
「今日はここまでだ」
センリが少し驚いた。
「よろしいのですか」
「明日で終わらせる」
「はい」
その日の損害は、予想より少なかった。
コウガが前へ出たことで、長い押し合いにならずに済んだ。
報告を終えたランショウが言った。
「思ったより少ない」
「ああ」
「……今日はな」
コウガは頷いた。
「明日も同じようにやる」
ランショウは答えなかった。
その夜、北から伝令が来た。
ガクがさらに一つ、領地をこちらへ向かせた。
コウガは地図を開いた。
次に来たのは、故国からの使者だった。
「兵を戻す諸侯が出ています」
「なぜだ」
「故国の地は取り戻した。これより先は、コウガ様の天下のための戦だと」
コウガは地図を見た。
「同じことだ」
使者は黙った。
故国を守る。
そのために敵を倒す。
敵が残るなら、その先まで取る。
そこまで取れば、もう奪われない。
コウガには、本当に同じだった。
隣でセンリが口を結んでいる。
「戻る兵は止めなくていい」
センリが顔を上げた。
「よろしいのですか」
「追っている暇はない」
コウガは地図へ目を戻した。
「残った兵で勝つ」
「はい」
今日、リュウをこれまで以上に大きく退かせた。
北へも兵を回している。
ソウゲンに聞かなくても判断できた。
ランショウが休ませようとした兵も、自分が前へ出ることで大きな損害を出さずに済んだ。
できることが増えていた。
見えるものも増えていた。
コウガへ伸びる紐は、まだ太い。
残った兵ほど強く信じている。
コウガなら勝つ。
コウガなら終わらせる。
その期待を受けるほど、コウガはさらに強くなった。
その夜。
故国へ帰っていく兵の列が、南へ向かっていた。
コウガは目を向けなかった。
明日の戦を見ていた。
*
翌日、コウガ軍は再び西へ進んだ。
リュウ軍も下がった。
ランショウの隊が、その後を追う。
北では、ガクの軍が動いていた。
一つの大軍が回り込んだわけではない。
ガクが各地へ出していた隊が、別々の道から南へ入り始めた。
その一つが街道を押さえる。
別の隊が、その先の道を塞ぐ。
ガク自身は、そこにはいなかった。
ランショウが気づいたときには、前にリュウ軍がいた。
北からも兵が来ていた。
戻る道も塞がれていた。
「抜けられるか」
ランショウが聞いた。
副将は少し黙った。
「戦えば」
「何人残る」
返事はなかった。
兵はまだ戦える。
だが、昨日休ませたいと言った兵たちだった。
「旗を下ろせ」
副将が顔を上げた。
「降るのですか」
「ああ」
「まだ戦えます」
「知ってる」
ランショウは兵を見た。
「だから降る」
旗が下りた。
*
その日の夕方。
ランショウはリュウの前に座っていた。
「……どうした、その目」
リュウは寄り目になっていた。
「たぶんガクだ」
「ガク?」
ランショウがシエンを見る。
「気にしないでください」
「気になるだろ」
「そのうち戻ります」
ランショウは納得しなかったが、話を続けた。
「兵は」
「食わせてる」
「怪我人は」
「レイカが見てる」
ランショウは頷いた。
「俺はお前につくつもりはない」
「そうか」
「コウガを裏切ったとも思っていない」
「そうか」
「聞いているのか」
「聞いてる」
「目がこっちを見てない」
「話は聞ける」
シエンが言った。
「そのまま続けてください」
ランショウは一度黙った。
「兵を故郷へ帰したい」
「帰せばいい」
「コウガのところへ戻る者もいる」
「いるだろうな」
「止めないのか」
「武器は返しません」
シエンが言った。
「それでいい」
ランショウはリュウを見る。
「俺について残る者もいる」
「残ればいい」
「俺は忠誠を誓わないぞ」
「別にいい」
ランショウが眉を寄せた。
「本当にいいのか」
「何が」
そのとき、リュウの目が動いた。
右へ。
左へ。
ぐるりと回った。
ランショウが身を引いた。
「おい」
「……今度は何だ」
「目が回ってるぞ」
シエンがリュウを見る。
「ガクがさらに使ったようですね」
「またか」
リュウは目を閉じた。
「勝ってるのか」
「おそらく」
「ならいい」
「よくないだろ」
ランショウが言った。
リュウは目を閉じたまま答えた。
「で、お前はどうする」
「俺か」
「残るのか、帰るのか」
ランショウは少し考えた。
「まだ決めていない」
「じゃあ、決まるまでいろ」
「それでいいのか」
「今すぐ決める必要あるか?」
ランショウは答えなかった。
*
翌朝。
兵は三つに分かれた。
故郷へ帰る者。
コウガのもとへ戻る者。
ここに残る者。
ランショウは、誰も止めなかった。
*
同じころ。
コウガのもとへ報告が届いた。
「ランショウ将軍が降伏しました」
コウガは黙った。
センリが先に言った。
「裏切ったのですか」
「兵を生かすため、降伏を選んだとのことです」
「それを裏切りと言うのではありませんか」
コウガは地図を見た。
「兵は」
「多くが生きています」
「そうか」
それだけだった。
伝令が下がる。
コウガは別の帳面を開いた。
ランショウが見ていたものだった。
コウガは、一つずつ確認した。
できない仕事ではなかった。
ランショウがいなくても、軍は動かせる。
ソウゲンがいなくても、戦は考えられる。
帰った兵がいても、残った兵で勝てる。
コウガは、さらに多くのものを自分で持つようになった。
卓の端には、手をつけていない椀があった。
その夜も遅くまで、灯りは消えなかった。




