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天下を取るには紐がいる  作者: 古江 門


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第十二話 高みへ 一

一 帰ってこい


 翌朝も、北から報告が届いた。


 ガクが取った街道の先で、また一人、領主がリュウ側についた。


 コウガが北へ向かわせた兵は、街道を塞がれて進めていない。


 コウガは、広げた地図の上へ印を置いた。


「北へ出した兵は、南へ回す」


 ソウゲンが地図を見る。


「南からでは二日ほど遅れます」


「川沿いを使う」


「橋がありません」


「上流に浅瀬がある。昨日、斥候に見せた」


 ソウゲンは顔を上げた。


 コウガはもう次の印を見ていた。


「兵も五百増やす」


「いつ出します」


「夜明け前に出した」


 ソウゲンは黙った。


 言おうとしていたことだった。


 東からの返事も鈍い。


 そこにも、すでに使者を出してあった。


 センリが感心したように言った。


「全部、もう考えていたのですね」


「必要だからな」


 それだけだった。


 ソウゲンは地図を見た。


 どの判断も、むしろ妥当で早かった。


 コウガは、以前より多くのことを一度に考えられるようになっている。


 兵の配置。


 街道。


 各地の領主。


 明日の食料。


 目の前にいるリュウ。


 以前ならソウゲンが整理し、コウガへ示していたものを、今ではコウガ自身が先に見つけていた。


 コウガへ集まる紐も、まだ太い。


 何度勝ってもリュウを仕留められないことに、不安を覚える者はいる。


 それでも、戦えば勝つ。


 任せれば前へ進む。


 その事実が、残った者の信頼をさらに強くしていた。


「今日も追うのですか」


 ソウゲンが聞いた。


「追う」


「兵は昨日も戦っています」


「ランショウに確認した。まだ動ける」


 また先に聞かれていた。


 ソウゲンは小さく息を吐いた。


「北は、これでしばらく止まるでしょう」


「なら、その間にリュウを落とす」


 コウガは地図を畳んだ。


 昨日と同じ結論だった。


 だが昨日より、そのために動かせるものが増えている。


 センリが外へ出ていく。


 ソウゲンはその背を見送り、それからコウガへ目を戻した。


「コウガ様」


「なんだ」


「今朝、私はほとんど何もしておりません」


 コウガが手を止めた。


「そうだったか」


「兵も、道も、使者も、すでに決めておられた」


 コウガは少し考えた。


「楽になっただろ」


 ソウゲンは笑った。


「そうかもしれません」


「ならいい」


 コウガは地図を抱え、幕舎を出た。


 ソウゲンだけが残った。


 広げる必要のなくなった自分の地図を、しばらく見ていた。


 軍師の仕事は、以前より少なくなっていた。


 戦は、以前より難しくなっていた。



*



 その日の戦も、コウガが勝った。


 幕舎へ戻ったころには、食事は冷えていた。


 中には、妻のユラがいた。


 コウガは座るなり、卓の端に置かれた報告書へ手を伸ばした。


 その手を、ユラが叩いた。


「食べて」


 コウガは報告書を見た。


 ユラも見た。


 しばらくして、コウガは椀を取った。


 ユラは向かいに座り、頬杖をついた。


「また勝った?」


「ああ」


「その割に嬉しそうじゃないね」


 コウガは汁を飲んだ。


 冷たかった。


「北でまた一つ取られた」


「じゃあ負けたの?」


「勝った」


「難しいね」


「ああ」


 コウガも最近そう思っていた。


 目の前の敵は退く。


 城も取れる。


 兵もまだ動く。


 なのに、終わらない。


 ユラが手を伸ばした。


「動かないで」


 肩についた泥を指で払った。


 もう乾いていた。


「今日も前に出たの?」


「出てない」


「明日は?」


 コウガは答えなかった。


 ユラの手が止まった。


「出るんだ」


「早く終わる」


「そう」


 それ以上、止めなかった。


 コウガなら勝つ。


 それはユラも知っている。


 ずっと見てきた。


 人より強く、判断も早く、何を任されても大抵できた。


 だから皆が頼る。


 頼られれば、コウガも応えた。


 昔からそうだった。


 ユラは卓の端に置かれた報告書を取った。


 開いたまま、上下を逆にして置く。


「食べてる間くらい、読まないで」


 コウガは黙って食べた。


 そのまま、逆さになった報告書へ目を落とす。


 しばらくして、一枚めくった。


 ユラが報告書を少し遠ざけた。


 コウガは目を細めた。


 そのまま読む。


 さらに遠ざける。


 コウガが身を乗り出した。


 ユラが見た。


「そこまでする?」


 コウガは顔を上げた。


「何がだ」


 ユラは報告書を取り上げた。


「もういい」


 コウガは何も言わず、食事へ戻った。


 ユラから伸びる紐が見えた。


 細い紐だった。


 軍の者から伸びるものとは違う。


 大勢の兵を動かせるほどの力もない。


 戦で役立つものでもない。


 昔から、ほとんど太さが変わっていなかった。


「いつ帰るの」


 ユラが言った。


 コウガは椀から顔を上げた。


「リュウを倒したら」


「前も聞いた」


 そう言われて、少し考えた。


 たしかに言った気がした。


「今度は倒す」


「そう」


 ユラは笑わなかった。


「帰ってきてね」


「帰る」


「勝って、じゃないよ」


 コウガはユラを見る。


「帰ってきて」


 同じことを、もう一度言われた。


「ああ」


 外で馬が止まった。


 続いて、センリの声がした。


「コウガ様。北から報告です」


 コウガは椀を置いた。


 立ち上がる。


「まだ残ってる」


「戻ってから食う」


 ユラは止めなかった。


 コウガが幕舎を出る。


 しばらくして、ユラは残された椀へ手を伸ばした。


 すっかり冷えていた。



*



 翌朝、ソウゲンの馬に荷が載っていた。


 コウガは出陣前にそれを見つけた。


「どこへ行く」


「故国へ戻ります」


「なぜだ」


「ここにいても、することがありません」


「昨日も言っていたな」


「はい」


「なら休んでいればいい」


 ソウゲンは少し笑った。


「軍師は、休むためにいるものではありません」


 コウガは黙った。


 ソウゲンは長く、自分の前にいた。


 進む道を考えた。


 危険を知らせた。


 コウガが決めれば、その先を考えた。


 今は、その多くをコウガ自身ができる。


「俺の判断に不満があるのか」


「ありません」


 ソウゲンはすぐに答えた。


「昨日の判断も正しかった。今日も、おそらく勝つでしょう」


「なら残れ」


「勝つためだけなら、私がいなくてもよい」


 コウガの眉がわずかに動いた。


「では、何のためにいた」


 ソウゲンはしばらくコウガを見た。


「あなたが、勝ったあとまで見るためです」


 コウガは答えなかった。


 ソウゲンは馬の手綱を取った。


「リュウは、早く倒してください」


「ああ」


「まだ、あなたなら倒せます」


「分かっている」


 ソウゲンは馬へ乗った。


 コウガが呼び止める。


「ソウゲン」


 振り返った。


「戻ってくるのか」


 ソウゲンは少し考えた。


「私が必要になれば」


「必要になったら呼ぶ」


「それでは遅いのです」


 ソウゲンは馬を進めた。


 コウガはその背を見送った。


 止めようとは思わなかった。


 ソウゲンがいなくても、今日の戦はできる。


 それもまた、事実だった。


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