第十一話 網になる 一
一 預ける
西へ戻ったリュウ軍は、追撃を振り切った。
兵は減った。武器も荷も減った。何より、一度はコウガに正面から叩き潰されている。
それでも、軍そのものは残っていた。
戻った兵は休ませ、負傷者は治療へ回した。ハクヨウは失った荷と残った食料を数え、バンは逃げ帰った兵を隊へ戻していった。
兵が動ける程度まで戻ると、また戦の話をしなければならなくなった。
リュウは、もう少し後でもよいと思っていた。
「もう一度戦えば、また負けます」
ガクが言った。
思っていたより早かった。
「そうか」
「はい」
「もう少し考えないか」
「考えました」
逃げ道がなかった。
卓の上には、西から中央へ伸びる街道と、その周辺の城や領地を書いた地図が広げられていた。
ガクがその中央を指した。
「前よりは戦えます。バン殿を強くしたまま、私も強くできる。兵も減りましたが、あのときのように一方的にはなりません」
「では、勝てる?」
レイカが聞いた。
「いいえ」
ガクは即答した。
バンが腕を組んだ。
「ずいぶんはっきり言うな」
「一度見ましたから」
ガクは地図から目を上げた。
「コウガ本人がいる限り、正面からぶつかるのは不利です」
リュウも一度見ていた。
できれば二度は見たくなかった。
コウガは強かった。
兵を動かす判断も早い。本人も強い。何より、周囲から集まる紐の数と太さが違った。
リュウのところにも多くの紐が集まっている。
だが、それを自分へ集めても大して強くならない。
ガクやバンへ分ければ、以前よりはるかに強くできる。
それでも、あのコウガを正面から越えられるとは、ガクは考えていなかった。
「なら、戦わなければいいでしょう」
シエンが言った。
リュウは顔を上げた。
「それがいい」
「まだ何も説明していません」
「戦わないところは分かった」
「そこだけです」
シエンは地図の中央を指した。
「リュウ殿がこちらへ出れば、コウガは来ます」
「出なければいい」
「その間に、コウガが別の土地を取ります」
「では出る」
「はい」
決まるのが早かった。
シエンの指が北へ動いた。
「ただし、全軍で出る必要はありません」
ガクが地図を見た。
少しして、その目が細くなる。
「軍を分けるのですか」
「ええ」
リュウが中央へ出て、コウガを引き受ける。
その間に、別の軍が北へ進む。
城を取り、街道を押さえ、こちらにつく領主を増やす。
コウガ本人には勝てなくても、コウガのいない戦場なら勝てる。
「誰が行く」
バンが聞いた。
シエンはガクを見た。
「ガクです」
ガクは驚かなかった。
リュウも驚かなかった。
バンだけが少し嫌そうな顔をした。
「こっちは誰が残る」
「あなたです」
「もっと嫌になった」
リュウはバンを見た。
「俺もいるぞ」
「だからだ」
理由は分からなかったが、任せることにした。
ガクは地図を見たまま言った。
「できます」
そこで一度、言葉を切った。
「ただ、今のままでは足りません」
リュウには、その意味が見えていた。
以前より、ガクへ伸びる紐は増えている。
一度その指揮下で戦い、ガクなら任せられると思った兵たちだった。
だが、まだ多くは細い。
リュウへ伸びているものほどではない。
ガクは自分へ届いた紐を使える。
それだけでも、以前より強くなっている。
だが、一軍を離れた場所で動かすには足りない。
「兵を多くつけるか」
バンが言った。
ガクは首を振った。
「兵数だけの問題ではありません」
「では、リュウも一緒に行く?」
レイカが言った。
今度はリュウが首を振った。
「それではコウガも来るだろ」
「でしょうね」
「では駄目だ」
珍しく、リュウが自分から正しい理由で拒否した。
誰も褒めなかった。
リュウはガクを見た。
ガクへ伸びる細い紐。
自分へ伸びる太い紐。
その中には、先日初めて見分けられるようになった二種類の紐が重なっている。
信頼と、能力。
リュウはしばらく、それを見比べた。
「ガク」
「はい」
「お前、自分に来た紐なら使えるんだよな」
「使えます」
「俺に来たのは?」
ガクが顔を上げた。
シエンもリュウを見た。
「……何をするつもりですか」
「いや」
リュウは、自分へ集まっている大量の紐を見た。
それから、ガクへ伸びている細い紐を見る。
「俺のを、お前に渡せばいいんじゃないか」
*
しばらく、誰も答えなかった。
ガクが先に口を開いた。
「私に、ですか」
「お前にだ」
「どれを」
リュウは自分へ集まる紐を見た。
「いっぱい」
「数を聞いています」
「知らん」
ガクはシエンを見た。
「いつもこうですか」
「だいたい」
リュウは聞かなかったことにした。
試すため、兵を一人呼んだ。
以前、ガクの指揮下で戦った者だった。
その兵からはリュウへ太い紐が伸び、ガクへも細い紐が伸びている。
リュウは太い紐をほどいた。
能力と、信頼。
能力の紐だけを取り出し、ガクへ伸びる細い信頼の道へ重ねる。
紐はそのままガクまで走った。
ぐう、と腹が鳴った。
リュウは腹を見た。
レイカも見た。
「お腹減った?」
「さっき食った」
ガクは自分へ届いた紐を見ていた。
「来ています」
「どうだ」
「一人分です」
「そうか」
「一人分なので」
「分かってる」
分かっていなかった。
二人、三人と流してみる。
また腹が鳴った。
今度は少し長かった。
リュウは腹を押さえた。
「……これか?」
シエンが聞いた。
「何がです」
「副作用」
ガクもリュウを見た。
「今ので?」
「たぶん」
まだ痛いほどではない。
腹の奥が落ち着かない程度だった。
ガクは、自分へ集まった能力の紐を見る。
そのうち一本へ指を伸ばした。
「これを、私から別の者へ回せるでしょうか」
シエンがバンを見た。
「試すなら、分かりやすい相手がいいでしょう」
「俺か」
「あなたがいいです」
バンは前へ出た。
「やれ」
ガクはすぐには動かなかった。
以前、紐を流したときのことを思い出していた。
全身の筋肉がつり、立っていられないほど痛んだ。
今回は、自分に届いたものを、さらに別の者へ流そうとしている。
同じことが起こるのか。
それすら分からない。
「少しだけにします」
「好きにしろ」
ガクは、自分へ届いた能力の紐を一本、バンへ伸びる信頼の道へ乗せた。
紐が流れた。
バンの肩がわずかに上がる。
ガクは身構えた。
何も起こらない。
「……何ともない」
「俺は少し軽いぞ」
バンが腕を回した。
ガクはもう一本流した。
やはり何も起こらない。
ガクが自分の手を見た。
「おかしい」
「何がだ」
「副作用がありません」
ガクが顔を上げた。
リュウを見る。
リュウは腹を押さえていた。
「……リュウ殿」
「痛くなってきた」
ガクの手が止まった。
「では、これ以上は」
「どんどんやれ」
バンが言った。
リュウが顔を上げた。
「お前は少し心配しろ」
「使えるんだろ」
「俺の腹が使われてる」
「腹で軍が強くなるなら安い」
「お前の腹ならな」
ガクはまだ躊躇していた。
ハクヨウがリュウを見た。
「よかったですね」
「何が」
「リュウ殿にも仕事ができました」
リュウはしばらく黙った。
「これは仕事なのか」
「代われる者がおりませんので」
そう言われると、断りにくかった。
「……少しずつやれ」
「はい」
ガクがもう一本流す。
リュウの顔が歪んだ。
「もっといけるぞ」
バンが言った。
「黙れ」
リュウは立ち上がった。
「どこへ行くんです」
シエンが聞いた。
「厠だ」
ガクの手が止まる。
バンが言った。
「戻ったら続きだな」
リュウは振り返らなかった。




