第十話 二本の紐 二
二 道
「試せばいい」
リュウが言った。
「何を?」
バンが嫌そうな顔をする。
「太いほう」
「また俺か」
「ああ」
「何でだ」
「分かりやすいから」
「何が」
「強くなるのが」
バンは少し考えた。
「それならまあいい」
リュウは兵からほどいた太い紐を持った。
そのままバンへ伸ばす。
途中で止まった。
「あれ」
もう少し押す。
動かない。
「行かないな」
「じゃあ終わりだな」
「待て」
リュウはバンを見る。
細い紐がある。
自分からバンへ伸びている、先ほどの紐だった。
太い紐を、その横へ近づける。
触れた。
「お」
太い紐が動いた。
細い紐に沿って、するすると先へ進んでいく。
そのままバンまで届いた。
バンが肩を動かした。
拳を握る。
「来た」
「来たか」
リュウが言った。
妙に低く、濁った声が出た。
バンは剣の柄を握る。
「力が入る。前と同じだ」
リュウは兵を見る。
「何も変わらない?」
「はい」
リュウは紐を見る。
兵から自分へ伸びる細い紐は、そのまま。
太いほうだけが、リュウからバンへ伸びる細い紐に沿って先へ流れている。
「こっちが力ね」
シエンが言った。
バンがリュウを見る。
「お前、声どうした」
「声?」
またダミ声だった。
シエンがリュウを見る。
「副作用じゃない?」
リュウは喉を押さえた。
「あー」
「汚いな」
バンが言った。
リュウは黙ってバンを見た。
*
「つまり」
シエンが紐を見る。
「その兵は、リュウに任せてる」
兵からリュウへ、細い紐が伸びている。
「リュウは、バンに任せてる」
その先にも、同じ細い紐がある。
「だから、力だけバンまで行った」
「道みたいなものですか」
ガクが言った。
「そうね」
シエンは二本の紐を目で追う。
「任せる相手へ、力が流れる」
リュウがうなずいた。
「じゃあ、俺に来た力を、俺が任せたい奴のところへ流せばいいってことだろ」
低く濁った声が、妙に長く続いた。
バンがリュウを見る。
「お前、その声で長く喋るな」
リュウは黙った。
*
「私にもお願いします」
ガクが言った。
リュウはガクを見る。
意識して見ると、バンへ伸びるものとは別に、細い紐がガクへも伸びていた。
「あった」
別の兵の紐をほどく。
太いほうを、ガクへ伸びる細い紐へ重ねた。
少し抵抗があった。
押す。
太い紐が動いた。
細い紐に沿って、ガクまで伸びる。
ガクが目を細めた。
「来ました」
地図を見る。
少しして、顔を上げた。
「前と同じです」
リュウはしゃくれたままうなずいた。
バンにも力がある。
ガクにもある。
兵から伸びる細い紐は、まだリュウへ向いていた。
シエンがそれを見ている。
「これなら」
言いかけて、止まった。
東から馬の音がした。
*
一騎が駆けてくる。
ガクがすぐに立った。
「敵ですか」
斥候は馬を止めながら叫んだ。
「追撃です!」
周囲の兵が顔を上げる。
「数は?」
「三百ほど!」
「コウガは?」
「旗は見えません!」
ガクは東を見る。
バンが剣を取った。
「来たな」
リュウも東を見た。
それから、バンとガクへ伸びる紐を見る。
二人とも、まだ強くなったままだった。
「コウガがいないなら、止められます」
ガクが地図を広げた。
「勝てる?」
まだ少しダミ声で、しゃくれたままのリュウが聞いた。
「勝つ必要はありません」
「ああ」
「ここで少し止めます。その間に本隊を先へ」
道の脇を指す。
低い丘。
その先に、細い川がある。
「バン殿」
「行く」
「まだ何も言ってません」
「前だろ」
「前です」
「ああ」
バンが剣を持った。
「紐は?」
リュウが聞く。
「今のをそのまま」
「足りる?」
「増やせるなら、少し」
リュウは兵たちを見る。
一本ずつ紐をほどく。
太いほうを、バンへ伸びる細い紐へ乗せる。
一本。
もう一本。
さらに。
今度はガクへ。
同じように太い紐を流していく。
昨日は、ガクへ回すためにバンから切った。
今は、切らなくていい。
ガクが地図を見る。
「百人、丘の手前へ。弓は後ろ。残りは川を渡ってください」
兵が動き始めた。
*
追撃隊が見えた。
旗は三本。
コウガの旗はない。
「来ます」
ガクが言った。
バンは丘の手前にいる。
百人ほどがその後ろに並ぶ。
「弓」
ガクが手を上げる。
敵が近づく。
「まだ」
さらに近づく。
「放って」
矢が上がった。
先頭へ落ちる。
敵の足が止まる。
「バン殿」
「ああ」
バンが前へ出た。
兵が続く。
ぶつかった。
*
リュウは後ろから見ていた。
バンが押す。
ガクの旗が動く。
「右、少し下げて」
兵が下がる。
「左はそのまま」
敵が右へ寄った。
「今」
バンが向きを変える。
横から入った。
敵の列が崩れる。
「お」
リュウが久しぶりに声を出した。
妙に喉へ引っかかる、濁った声だった。
シエンが一度だけ横を見る。
「治ってないわね」
「これは違うやつ」
「そう」
シエンは戦場へ目を戻した。
リュウも黙った。
*
追撃隊が下がった。
バンが追おうとする。
「追わないで!」
ガクの声が飛ぶ。
バンが止まった。
少し不満そうに振り返る。
「戻ってください!」
「ああ!」
今度はすぐ戻った。
ガクが本隊を見る。
「もう十分です。行きます」
兵が川を渡る。
バンの隊も少しずつ下がる。
追撃隊はもう一度前へ出ようとしたが、距離が開いていた。
*
川を渡り終えたころには、敵の姿は小さくなっていた。
「バンは?」
リュウが聞いた。
「いるぞ」
すぐ後ろから声がした。
振り返る。
バンがいた。
泥だらけだった。
「早いな」
「遅いほうがいいのか」
「いや」
リュウは前を向いた。
少し歩く。
「勝った?」
「逃げただけです」
ガクが答えた。
「逃げられた?」
「はい」
「ああ」
リュウはうなずいた。
それで十分だった。
*
一方、東では、コウガ軍が足を止めていた。
追撃に出ていた兵が、順に戻ってくる。
「追わないのですか」
若い女が聞いた。
センリ。
コウガのそばに仕える若い従者だった。
「もういい」
「まだ追えます」
「戻したかっただけだ」
リュウの軍は西へ退いた。
東へ出てきた分を、押し戻した。
コウガにとっては、それで目的を果たしていた。
「ですが、今なら倒せます」
「兵を見ろ」
戻ってくる兵の列は長かった。
歩けている。
隊列も崩れてはいない。
だが、昨日より明らかに遅かった。
*
古参の将、ランショウが来た。
鎧のまま、負傷した兵を見て回っていたらしい。
「今日は休ませたい」
「動けない者は」
「後ろへ回した」
「残りは」
「動ける」
「なら――」
「動けるのと、戦わせていいのは違う」
コウガがランショウを見る。
「昨日、荷を置いて走らせただろ。川へ振って、すぐ街道へ戻して、そのまま戦わせた」
「ああ」
「今日も朝から追わせた」
「ああ」
「コウガ様は平気でも、兵は違う」
コウガは戻ってくる列を見た。
「間に合った」
「間に合わせたんだ」
ランショウも同じ列を見る。
「今いる兵を帰すのが、俺の仕事だ」
コウガは少し黙った。
「分かった。休ませろ」
「一日?」
「明日までだ」
「十分だ」
ランショウはそのまま負傷兵のほうへ戻っていった。
*
「私は、ここで終わらせるべきではないと思います」
ソウゲンが言った。
「リュウをです」
「西へ戻したぞ」
「今は」
ソウゲンは西を見る。
「昨日あれだけ負けたのに、あの男のところから人が離れていない」
「負けたのに?」
センリが聞いた。
「だからです」
「それでも、今なら勝てます」
センリは迷わなかった。
「コウガ様なら」
ソウゲンはセンリを見た。
「そこが怖い」
センリには、何が怖いのか分からなかった。
コウガは西を見た。
今日は追わない。
兵を休ませる。
それで軍は、まだ正しく動いていた。
*
夕方。
軍はさらに西へ進んだ。
バンも、その列の中にいた。
リュウは馬の上で紐を見る。
これまで一本に見えていた。
今は、二本に見えた。




