第九話 大敗 一
一 早い
翌朝。
コウガ軍の数が分かった。
「千八百ほどです」
伝令が言った。
ガクが地図を見る。
「こっちは?」
「今ここにいる兵だけで、二千六百ほどです」
ハクヨウが答えた。
「多いな」
リュウが言った。
「増えましたから」
東へ来たときは三百だった。
途中で兵が増えた。
城が増えた。
土地も増えた。
今では、コウガよりこちらのほうが多い。
「勝てる?」
リュウが聞いた。
「勝ちます」
ガクは昨日と同じことを言った。
*
地図の上に駒が置かれていく。
街道。
川。
南の丘。
北へ続く道。
「コウガ軍は、こちらから一日半ほどのところまで来ています」
ガクが中央の駒を指した。
「このままなら、明日の昼ごろです」
「待つのか?」
バンが聞いた。
「はい」
「攻めないのか」
「まだです」
「またか」
バンが腕を組んだ。
「バン殿には川沿いをお願いします。敵の横へ出られるところまで進んでください」
「ああ」
「こちらが動くまでは出ないでください」
「分かった」
シエンは北と南へ使者を出す。
ハクヨウは前へ出す兵糧を決める。
話はすぐに進んだ。
「俺は?」
リュウが聞いた。
「必要なところへ、紐をお願いします」
「分かった」
*
兵が動き始めた。
バンが川沿いへ向かう。
出る前に、リュウはバンへ紐を流した。
それからガクへ。
何本か。
さらに増やす。
「これくらい?」
尻をかきながら、リュウが聞いた。
「もう少しお願いします」
「まだ?」
「はい」
さらに流した。
かゆい場所が少し横へ移った。
リュウも手を移した。
ガクはもう地図を見ていた。
「前の隊を半里下げてください」
「敵はまだ来ていませんが」
「来てからでは遅いので」
兵が走る。
「何で下げた?」
リュウが聞いた。
「ここだと川が近すぎます」
「近いと駄目なのか」
「逃げる場所が減ります」
「逃げるのか」
「必要なら」
「バンが嫌がりそうだな」
「言わないでください」
「ああ」
今のところ、いつもと同じだった。
*
昼前。
北から返事が来た。
「兵三百、明朝には出せるとのことです」
シエンが紙を受け取る。
「こっちにつく?」
「つく」
「早いな」
「向こうも、どちらが勝つか見てるの」
「じゃあ勝ったら来るのか」
「勝つ前に来てもらわないと意味ないでしょ」
「ああ」
南からはまだ返事がなかった。
シエンはもう次の使者を呼んでいた。
*
午後。
最初の斥候が戻った。
「コウガ軍、街道を西へ進んでおります」
「速さは?」
ガクが聞いた。
「通常の行軍より、やや速いかと」
「隊列は」
「乱れておりません」
ガクの指が地図を動く。
「ここ?」
「はい」
「分かりました」
斥候が下がる。
「予定どおり?」
リュウが聞いた。
「今のところは」
ガクは地図を見たままだった。
*
夕方になる前に、二人目が来た。
「コウガ軍、川沿いへ進路を変えました」
ガクが顔を上げた。
「全部ですか」
「先頭の五百ほどです。後続も続いております」
ガクは少し考えた。
「バン殿へ伝令。予定より北へ」
「承知しました」
兵が走った。
「何か変わった?」
「少し」
「まずい?」
「まだです」
*
しばらくして。
三人目の斥候が戻った。
「コウガ軍、川を離れました!」
ガクの手が止まる。
「どこへ」
「西です。街道へ戻っています」
「いつ?」
「半刻ほど前です」
「半刻?」
「はい」
ガクが地図を見る。
川へ置いた駒。
街道。
その間へ、コウガの駒を置く。
「バン殿への伝令は」
「まだ戻っておりません」
リュウも地図を見る。
「戻す?」
「戻します」
すぐに別の兵が走った。
ガクは地図を見たままだった。
「どうした?」
リュウが聞いた。
「……早いです」
「何が?」
「コウガが」
地図の上では、まだ半日の距離があった。
翌朝。
ガクは地図を見ていた。
「今日の昼?」
リュウが聞いた。
「早くても、それくらいです」
昨夜、最後に報告された場所にコウガの駒がある。
そこから街道を西へ。
普通に進めば、昼。
少し急いでも、朝のうちには来ない。
「じゃあ、飯は食えるな」
「食べてください」
「ああ」
リュウが粥を口へ運んだ。
*
食べ終わる前に、斥候が来た。
「コウガ軍、こちらへ進んでおります」
ガクが位置を聞いた。
斥候が地図を指す。
「ここです」
ガクが止まった。
「ここ?」
「はい」
リュウも見る。
よく分からなかった。
「近い?」
「近いです」
「どれくらい」
「昼のはずが、朝です」
「早いな」
「はい」
ガクは駒を動かした。
「夜も進んだ?」
「いえ。火を焚いた跡があります。休んではいます」
「じゃあ何で?」
斥候は答えられなかった。
ガクも答えなかった。
*
しばらくして、また斥候が来た。
今度は馬が泡を吹いていた。
「敵、さらに西へ」
男が位置を指す。
さっきより、また近い。
「それは、いつ見た位置?」
「一刻ほど前です」
ガクが顔を上げた。
「一刻前?」
「はい」
そこから一刻。
同じ速さで進んでいるなら。
ガクの指が西へ動いた。
止まる。
「今は?」
リュウが聞いた。
「ここです」
「もうそんなに?」
「たぶん」
ガクは少し考えた。
「……いえ」
指が、もう少し西へ動いた。
「こっちかもしれません」
リュウはその指を見る。
昼に来るはずだった。
もう昼までは待ってくれないらしい。
*
「何でそんなに早いの?」
シエンが聞いた。
「分かりません」
「兵を置いてきてるとか」
「斥候の報告では、まとまっています」
「荷を減らした?」
「それだけでは」
ハクヨウが帳面から顔を上げた。
「食料を持っていない可能性は?」
「あります」
「何日分?」
「分かりません」
ガクが答えた。
珍しかった。
ガクが分からないと言うことではない。
分からないまま、相手がこちらへ近づいていることが。
*
「北の三百は?」
リュウが聞いた。
「出た」
シエンが答えた。
「来る?」
「来る」
「間に合う?」
シエンが東を見た。
「この速さなら、たぶん無理」
「せっかく来るのに」
「そうね」
交渉は成功していた。
戦のほうが、待ってくれなかった。
*
ガクは外へ出た。
リュウもついていった。
兵はもう並び始めている。
「間に合う?」
「間に合わせます」
「バンは?」
「戻っています」
「北は来ない」
「はい」
「少し変える?」
「変えます」
ガクは東を見ていた。
まだ、いつものガクだった。
*
前方から馬が来た。
一騎だった。
声が届くより先に、ガクがそちらを向く。
「敵軍――」
男が息を吸った。
「丘の向こうまで来ています!」
「丘?」
「はい!」
「全部?」
「先頭だけではありません!」
ガクは地図を受け取った。
指で距離を測る。
もう一度測る。
「おかしい」
小さく言った。
「何が?」
「早すぎます」
そのとき。
東の丘の向こうから、旗の先が見えた。
一本。
続いて、もう一本。
その後ろから次々に上がってくる。
リュウが数えようとした。
途中でやめた。
「もう来たな」
「はい」
ガクは地図を畳んだ。
朝だった。




