第七話 西の国 五
五 向いている
翌朝。
リュウは呼び出された。
シエンとガクがいた。
机の上には、昨日の地図が広げられている。
「何?」
「試したいことがあるの」
シエンが言った。
「俺で?」
「あなたも使うかも」
「使うのか」
「まだ分からない」
帰れなかった。
*
「昨日、ガクにどれくらい流した?」
「紐?」
「そう」
「たくさん」
「それは見れば分かる」
シエンはリュウを見る。
まだ時々、まばたきが多い。
「それだけつないで、あれで済んだ」
「あれ、けっこう邪魔だったぞ」
「まばたきでしょ」
「めちゃくちゃしたぞ」
「見てた」
ガクも見ていた。
「前から気になってたの」
シエンは自分へ伸びている紐を見る。
「私にも同じことはできる」
「できるのか」
「原理は同じでしょ」
シエンは、その一本へ手を伸ばした。
*
「ガク」
「はい」
「昨日の地図を見て」
ガクが地図へ目を落とす。
「もし、昨日の敵が西へ二百、北へ五百だったら?」
「西へ出す兵を減らします。北が動くまで――」
「そのまま考えてて」
シエンが紐をガクへ流した。
一瞬。
耳の奥で、高い音が鳴った。
シエンが耳を押さえる。
「どうした」
「耳鳴り」
「痛い?」
「うるさいだけ」
少しして消えた。
「軽いですね」
ガクが言った。
「そうね」
シエンは紐を戻した。
*
「今度は逆」
ガクがシエンを見る。
「私から?」
「そう」
ガクにも、昨日の戦いのあとで新しく伸びた紐がある。
兵から直接届いたものだ。
「同じことを考えて」
シエンが地図を見る。
ガクが一本を流した。
*
ガクの全身が硬直した。
「――っ」
息が止まる。
肩から腕へ。
背中から腰へ。
脚まで。
全身の筋肉を、内側から一度に絞られたような激痛が走った。
指が勝手に曲がる。
膝から力が抜けた。
ガクは机へ手をつき、すぐに紐を戻した。
「ガク」
リュウが近づく。
「……少し、待ってください」
歯を食いしばったまま、息を整える。
しばらくして、ようやく指が開いた。
「一本ですよね」
シエンが聞く。
「一本です」
「ずいぶん違う」
「はい」
シエンは考えた。
「軍なら、あなたのほうが上だから?」
「たぶん」
「分かった?」
リュウが聞いた。
「たぶん」
「じゃあ終わり?」
「もう一つ試す」
ガクが顔を上げた。
「まだやるんですか」
シエンの目は少し楽しそうだった。
「分かりかけてるから」
「さっき痛そうだったぞ」
「だから確かめるの」
ガクは嫌そうだった。
*
今度は地図を片づけた。
シエンが別の紙を広げる。
西と東。
いくつかの土地と、そこを治める者の名が書かれている。
「仮に、東へ出るとする」
シエンが言った。
「この三つが味方になりそう。この二つは様子を見る。こっちはコウガにつく」
ガクが紙を見る。
「どこと先に話す?」
少し考える。
「ここでしょうか」
「理由は?」
「兵が多いので」
「そこは今こちらについたら、隣の二つを敵に回す」
「あ」
「先にこっち。ここが動けば、三つまとめて話ができる」
ガクが紙を見る。
「なるほど」
「今度は、これでやる」
「また私に?」
「そう」
シエンが紐を流した。
*
「――っ」
シエンの体が折れた。
腹が縮む。
背中が引きつる。
肩から指先まで、一斉に力が入った。
脚の筋まで固まり、立っていられない。
息を吸おうとしても、胸が強く締めつけられる。
シエンは床へ膝をつき、紐を戻した。
「シエン」
ガクがしゃがむ。
「……大丈夫」
「大丈夫には見えません」
「知ってる」
額から汗が落ちた。
それでも、少しすると紙を見た。
「逆もやる」
「まだ?」
リュウが聞いた。
「ここまでやったんだから」
ガクが黙った。
「嫌ならやめてもいいぞ」
リュウが言った。
二人がリュウを見る。
「何だよ」
「今だけは正しいこと言った」
「今だけ?」
ガクは少し考えた。
「やります」
結局、続いた。
*
今度はガクからシエンへ。
シエンは、東の者たちをどう動かすか考えている。
紐を流す。
ガクが眉をひそめた。
「どう?」
「少し、熱いです」
「どこが」
「首の後ろ」
「それだけ?」
「はい」
しばらくして治った。
二人とも黙る。
「今度こそ分かった?」
リュウが聞いた。
「分かった」
シエンが言った。
「人そのものの強さじゃない」
ガクが紙を見る。
「何を任せようとしてつなぐか」
「たぶん」
シエンは昨日の地図を指した。
「少なくとも、軍を動かすならあなたのほうが上」
次に、東の紙を指す。
「こういう話なら、私のほうが得意みたいね」
「だから、逆になる」
「そういうこと」
ガクは自分の手を見る。
「同じ相手でも」
「違うみたい」
「変な紐ですね」
「今さら?」
*
「じゃあ俺は?」
リュウが聞いた。
二人が見る。
「軍を動かすなら?」
シエンが聞く。
「ガク」
「東の連中と話をつけるなら?」
「シエン」
「兵糧は?」
「ハクヨウ」
「自分で戦えと言われたら?」
「バンに頼む」
シエンはうなずいた。
「終わり」
「何が?」
「あなたの実験」
「何もつないでないぞ」
「必要ない」
「そうなのか」
「十分分かった」
*
シエンは改めて、リュウの周囲を見る。
大量の紐。
そこから。
バンへ。
ハクヨウへ。
ガクへ。
自分へ。
それぞれ違う仕事をする者へ流れている。
「あなた、ほとんど誰に渡しても、相手のほうが得意なのね」
「そうなのか」
「そうなの」
「便利だな」
ガクがリュウを見る。
「喜ぶところですか」
「便利ならいいだろ」
「まあ」
否定しづらかった。
*
シエンは、もう一度考えた。
自分なら、軍ではガクへ流せる。
だが、策を考える者へ渡せば、自分より不得手な相手はいくらでもいる。
そのたびに、さっきの痛みを受ける。
ガクも同じだ。
軍では、ほとんどの相手が自分より下になる。
誰にでも配れるわけではない。
だが、リュウは違う。
多くのことを、自分より得意な者へ渡せる。
しかも。
その元になる紐が、誰より多く集まっている。
「……おかしい」
シエンが呟いた。
「何が」
「あなた」
「またか」
「紐を集めるのは誰より得意なのに、集めた力を自分で使うのには向いてない」
「ああ」
「だから、渡せる」
「ああ」
「普通、逆なのよ」
「そうなのか」
ガクが紐を見る。
「集められる人ほど、自分でも強い」
「そう」
「だから渡しにくい」
「たぶんね」
ガクは少し考えた。
「この人だけ、集める力と使う力が合ってない」
「それが、いいのかもしれない」
二人がリュウを見る。
「何だ」
シエンが言った。
「あなたのやり方、ものすごくあなたに向いてる」
「そうか」
リュウは少し嬉しそうだった。
「俺が弱いの、役に立ったな」
シエンは否定しなかった。
*
実験が終わった。
シエンはまだ肩を回していた。
ガクも腕に少し違和感が残っている。
リュウが二人を見る。
「でも、鼻毛じゃなくてよかったな」
二人が止まった。
「何が?」
「ハクヨウにつないだときは、鼻毛が伸びたから」
シエンが自分の鼻元へ手をやった。
ガクも、少し遅れて鼻を押さえた。
二人がリュウを見る。
「何で怒るんだよ」
「黙って」
「はい」
実験は終わった。




