第七話 西の国 四
四 全部
翌朝。
ガクは城壁の上にいた。
地図。
伝令。
見張りからの報告。
それだけを前に置いている。
リュウもいた。
時々、やたらとまばたきをしている。
「まだ出てるの?」
シエンが聞いた。
「いや」
「じゃあ何で」
「癖になった」
シエンは何も言わなかった。
*
「西に敵影」
伝令が来た。
「およそ三百」
「バンは」
「接触しました」
「下がるように」
「すでに下がっています」
ガクがうなずく。
次の伝令が走ってきた。
「北にも敵です。四百ほど」
「動きは」
「止まっています」
「そのまま見ていてください」
伝令が去る。
リュウは北を見る。
街道の先に、小さく兵が見えた。
「俺は?」
「北を見ていてください」
ガクが言った。
「何か変わったら教えてください」
「何でも?」
「何でも」
「分かった」
リュウは北を見た。
*
西。
バンは逃げていた。
「まだか!」
後ろから敵が来る。
三百。
こちらは百二十。
振り返れば追いつかれる。
だから走る。
「本当に逃げるだけか!」
隣の兵が叫んだ。
「俺に聞くな!」
バンも知らない。
ガクから言われたのは、ここまで下がれということだけだった。
川が近づく。
道が狭くなる。
前方に、低い丘が見えた。
そこで旗が上がった。
「止まれ!」
バンが叫ぶ。
兵が止まる。
振り返る。
追ってきた敵が、狭い道へ入っていた。
その後ろ。
丘の陰から兵が出た。
一つ。
もう一つ。
敵の列が止まった。
「なるほど」
バンが剣を抜いた。
「ここか」
*
西の戦いは、長く続かなかった。
追ってきた帝国兵は、前にバン。
後ろに伏せていた兵。
横には川。
広がる場所がなかった。
最初に一列が崩れた。
後ろが詰まる。
バンが踏み込む。
逃げようとした兵の先には、すでに別の部隊がいた。
しばらくして、武器を捨てる者が出た。
一人。
十人。
それが広がった。
こちらにも、負傷者は出ていた。
「追うな!」
バンが叫んだ。
逃げる者はいた。
だが、追わない。
ガクからそう言われている。
「負傷者を集めろ。動けるやつは戻るぞ」
「もう?」
「北が残ってる」
バンは馬へ乗った。
馬はまだ走れる。
兵も息は上がっているが、崩れてはいない。
ここで勝つところまでではない。
戻るところまで、最初から組まれていた。
「……気に入らんな」
バンが呟いた。
少し笑っていた。
*
午後。
「ガク」
リュウが言った。
「はい」
「北、動いたぞ」
少し嬉しそうだった。
ガクが顔を上げる。
北の帝国兵が、城へ向かって動き始めている。
「速さは」
近くの見張りが答えた。
「遅いです」
「なら大丈夫」
ガクは西を見る。
まだ何も見えない。
「ちゃんと見てたぞ」
「はい」
リュウは満足そうに北を見た。
「バン、間に合う?」
「間に合わせます」
それ以上は言わなかった。
*
北の軍が城へ近づいたころ。
西から旗が見えた。
バンだった。
その後ろにも兵が続いている。
さらに。
武器を持っていない者たちもいた。
「何だあれ」
リュウが言った。
「捕虜です」
「連れてきたのか」
「見せるためです」
北の帝国兵にも見えた。
西へ分けた味方が敗れた。
その兵が捕らえられている。
そして、勝った軍が戻ってくる。
北の軍の足が止まった。
ガクが言った。
「使者を」
「何と」
「都は落ちた。西の兵も敗れた。武器を捨てれば、殺さない」
「それだけ?」
「それだけです」
リュウが口を挟んだ。
「飯も出す?」
ガクが一瞬止まった。
「……出せるんですか」
「ハクヨウなら分かる」
近くにいたハクヨウが帳面を開いた。
「二日なら」
「では、それも」
使者が走った。
*
戦いは、そこで終わった。
北の帝国兵は武器を置いた。
全員ではない。
何十人かは逃げた。
だが、追わなかった。
残った者には飯が出た。
西で捕らえた兵にも出た。
夕方には、城の外にいくつもの火が並んでいた。
敵だった者と、味方だった者が、少し離れて同じ飯を食べている。
「思ったより早かったな」
リュウが言った。
「戦わずに済んだ分は」
ガクが答えた。
「勝った?」
「勝ちました」
「そうか」
リュウは嬉しそうだった。
*
日が落ちる前。
バンが戻ってきた。
泥だらけだった。
ガクの前まで来る。
「戻った」
「お疲れさまでした」
「一つ聞く」
「はい」
「俺が最初に逃げるところまで、最初から決めてたのか」
「はい」
「敵が追ってくるのも?」
「来る可能性が高いと思いました」
「来なかったら?」
「別の場所で戦いました」
「北が先に来たら?」
「城から出ませんでした」
「俺が遅れたら?」
「北とは戦いません」
バンが黙った。
「全部、決めてたのか」
「全部ではありません」
「じゃあ何を決めてた」
「変わったとき、どうするかを」
バンはしばらくガクを見た。
「なるほど」
それだけ言った。
ガクの横を通る。
「バン」
リュウが呼んだ。
「何だ」
「どうだった?」
「強い」
「誰が?」
バンが振り返った。
ガクを見る。
「こいつが」
ガクが少し目を見開いた。
「俺より?」
「軍ならな」
「そうか」
リュウは笑った。
「じゃあ、任せてよかったな」
「お前は結果を見る前から任せてただろ」
「ああ」
「そこがおかしいんだ」
バンは行ってしまった。
*
夜。
城壁の上から、いくつもの火が見えた。
兵の火。
捕虜の火。
町の灯り。
紐も増えていた。
リュウへ。
ハクヨウへ。
バンへ。
そして。
ガクへ。
兵から直接、ガクへ伸びているものがある。
シエンがそれを見ていた。
「増えたわね」
「ああ」
「嫌じゃないの?」
「何が」
「あなたを通らず、ガクへ行ってる」
リュウも見た。
「いいんじゃないか」
「いいの?」
「ガクのほうが軍は分かるんだろ」
「ああ」
それだけだった。
シエンはしばらくリュウを見た。
役所はハクヨウたちが回している。
軍はガクが動かす。
レイカは、その全員が食べて暮らせるように走り回っていた。
シエンは東のことを考えている。
リュウだけが、城壁の上にいた。
「俺、明日は何すればいい?」
シエンは少し考えた。
「今のところ、何もしないで」
リュウは笑った。
西の国は、思ったよりうまくいきそうだった。




