第七話 西の国 三
三 兵を任せる
西方の城へ入って五日目。
兵が来た。
味方ではなかった。
*
「どれくらい?」
リュウが聞いた。
「七百ほど」
バンが答えた。
「多いな」
「こっちは?」
「戦えるのは五百ちょっと」
ハクヨウが帳面を見て言った。
「減った?」
「家族と職人まで兵に数えてたんですか」
数えていた。
リュウは何も言わないことにした。
「帝国兵はどこにいる」
シエンが聞いた。
バンが卓上の地図を指す。
「北の砦。逃げてきた連中が集まってる」
「攻めてくる?」
「そのつもりらしい」
「いつ」
「早ければ明日」
リュウは地図を見た。
川。
道。
山。
線が多かった。
「どうする」
「今それを考えてる」
シエンが答えた。
*
西方に残っていた武官たちも呼ばれていた。
もとは帝国の兵を率いていた者たちだ。
一人が地図を指した。
「ここで迎え撃つべきです」
城の北。
街道が少し広くなっている。
「兵を並べやすい。こちらは城から近く、補給にも困りません」
別の男がうなずいた。
「敵は長く逃げ続けております。正面から当たっても負けますまい」
バンが腕を組む。
「数は向こうが上だぞ」
「こちらには城があります」
「城の外で戦うんだろ」
「敗れれば戻れます」
「戻る前に追いつかれたら?」
男が少し黙った。
シエンは地図を見ていた。
「ほかに案は?」
返事はなかった。
「ないなら――」
「あります」
後ろから声がした。
*
若い女だった。
武官たちの列より、さらに後ろにいる。
鎧は着ているが、飾りはない。
腰に剣。
髪は後ろでまとめていた。
「誰?」
リュウが聞いた。
女が答える前に、前にいた武官が言った。
「ガクと申す下役です」
「下役?」
「兵の記録や配置を手伝わせております」
ガクは何も言わなかった。
「案があるの?」
シエンが聞いた。
「はい」
「前へ来て」
武官たちが少しざわついた。
ガクはその間を通って卓へ来た。
地図を見る。
「ここで戦えば負けます」
最初に案を出した男の顔が変わった。
「何を根拠に」
「七百全部で正面から来るなら、こちらは城から出なければいい」
ガクが北の街道を指す。
「向こうも分かっています」
「だから?」
「分けます」
次に、西の細い道を指した。
「一部をこちらへ回して、こちらの兵を引き出す」
「決めつけるのか」
「来なければ、城にいればいいだけです」
ガクの指が動く。
「来たら、こちらも分けます」
川を指す。
「西へ百二十」
次に山際。
「ここへ二百」
「残りは?」
「城の前です」
「分けすぎだ」
武官の一人が言った。
「敵より少ないのだぞ」
「同時には戦いません」
ガクが答える。
「西へ来た兵をここまで引く。川と丘で動けなくして、先に叩きます」
「北が先に来たら?」
シエンが聞いた。
「城から出ません」
「西を助けに来たら?」
「それなら敵が一つに戻るだけです」
ガクは城を指す。
「ここで待ちます」
シエンが地図へ顔を寄せた。
しばらく見た。
ガクを見る。
「面白い」
リュウはシエンを見た。
「俺、途中から分からなかった」
「でしょうね」
*
「しかし」
最初の武官が口を挟んだ。
「兵を三つに分けるなら、それぞれ誰が率いる」
ガクが答える。
「私が全体を見ます」
広間が静かになった。
「お前が?」
「はい」
「五百を?」
「はい」
「無理だ」
返事は早かった。
「なぜ」
リュウが聞いた。
男が少し困った。
「軍を率いたことがありません」
ガクが言った。
「任されたことがないので」
「では、なおさらでしょう」
男が続ける。
「実績もない女に全軍を預けるなど」
「リュウ」
シエンが言った。
「何だ」
「この戦、この人に任せてみたい」
「いいぞ」
ガクがシエンを見る。
それから、リュウを見る。
「どこまでですか」
「全部」
ガクは、しばらく返事をしなかった。
「……全部?」
「全部」
今度はシエンがリュウを見る。
「本当に全部?」
「任せるんだろ」
「そうだけど」
「なら全部でいいだろ」
シエンは少し考えた。
「……まあ、いいわ」
*
「軍のことは分かる?」
リュウがガクへ聞いた。
「分かります」
「どれくらい?」
「ここにいる誰より」
また静かになった。
バンが眉を上げた。
「俺より?」
「個人で戦うなら、あなたのほうが強いです」
「軍なら?」
「私です」
バンはガクを見た。
「言うな」
「事実なので」
シエンが小さく笑った。
*
シエンは、ガクの周囲を見ていた。
紐が見える。
だが、ガクへ向かうものは少ない。
「あなた」
シエンが言った。
「紐、見えるでしょ」
ガクの目が止まった。
「……あなたも」
「見える」
ガクがリュウを見る。
「この人も?」
「見えるぞ」
リュウが答えた。
ガクの視線が、リュウの周囲を動いた。
一本。
十本。
百本。
さらにその先。
リュウで終わらず、バンへ。
ハクヨウへ。
ほかの者へ。
ガクの表情が、初めて変わった。
「これは」
「変でしょ」
シエンが言った。
「変だな」
リュウも言った。
「あなたのことよ」
*
ガクはしばらく紐を見ていた。
「なぜ、渡しているんです」
「俺が持ってても、あまり役に立たないから」
「……それで?」
「できるやつに渡す」
ガクはバンを見る。
太い紐が、リュウを通って届いている。
次にハクヨウ。
「誰にでも?」
「できるなら」
ガクはまたリュウを見る。
「私にも?」
「軍のこと、できるんだろ?」
「できます」
「じゃあいいぞ」
リュウは、自分へ集まっている紐の一部をガクへ流した。
一本。
十本。
さらに。
リュウがまばたきをした。
もう一度。
またした。
止まらない。
何度も目を開けては閉じる。
「何してるんです」
ガクが聞いた。
「分からん」
まばたきしながら、さらに紐を流す。
ガクの目が見開かれた。
今まで届かなかったものが、一気に来る。
兵の力。
判断。
集中。
いくつもの感覚が重なる。
頭の中に散らばっていた地図が、一枚になった。
川の速さ。
兵の足。
日が落ちるまでの時間。
食料。
馬。
敵が歩ける距離。
すべてがつながっていく。
ガクは卓へ手をついた。
「大丈夫?」
リュウが何度もまばたきしながら聞いた。
「……はい」
「多かった?」
「違います」
ガクは顔を上げた。
さっきまでと目が違った。
「足りなかったんです」
「何が?」
「今まで」
ガクは地図を見た。
「任せてもらえる兵が」
*
「待て」
バンが言った。
「俺も、その女の下に入るのか」
「嫌?」
リュウが聞いた。
「嫌というか」
バンはガクを見る。
「まだ何も知らん」
「私もあなたを知りません」
「そうだろ」
「だから一度やれば分かります」
バンの眉が動いた。
「負けたら?」
「私が悪い」
「兵が死ぬ」
ガクは少し黙った。
「だから、負けないようにします」
「それで済めば苦労しない」
「そのとおりです」
言い返さなかった。
バンが腕を組む。
少し考える。
「リュウ」
「何だ」
「お前は本当に任せるのか」
「ああ」
「こいつに?」
「ああ」
「なんで」
リュウはガクを見た。
「できるって言ってるから」
バンは目を閉じた。
「お前は時々、本当に怖いな」
「何でだよ」
答えはなかった。
*
人が動き始めた。
武官。
伝令。
兵。
ガクが地図を指す。
「バン殿」
「何だ」
「あなたは西へ。百二十。足の速い者だけ連れてください」
「少なくないか」
「そこで戦わないので」
次の場所を指す。
「敵を見たら、下がってください」
バンの顔が険しくなった。
「最初の命令がそれか」
「はい」
「気に入らんな」
「生きて戻れば、次があります」
バンはしばらくガクを見た。
「……分かった」
地図を取った。
「やってみる」
ガクはうなずいた。




