第九話 母上の右手
診断が完璧についても、何もできないことがあります。
今回は、そういう話です。
永禄二年、春。
岩倉城を囲んで、ひと月が過ぎていた。
力攻めはしない。兄の指図である。堀を埋め、水の手を断ち、周囲の田を刈り、ただ待つ。城の中で兵糧と気力が尽きるのを待つ。
――兄は、勝ち方を変えた。
浮野で勝った後、信長は「兵を減らさぬ戦」に露骨な執着を見せるようになった。俺の数字を見てからだ。
俺は俺で、包囲陣の中に手当所を据え、それから毎日、陣中を歩き回っていた。厠の位置、井戸の位置、飯の中身、寝床の湿り気。長囲みの陣は、戦より疫のほうが恐ろしい。
その日も、俺が陣の厠の掘り直しを指図していたときだった。
早馬が、土煙を上げて飛び込んできた。
「勘十郎さま! 末森より! ――《《御前さまが、お倒れに》》!」
俺は、手にしていた棒を落とした。
土田御前。
――この身体の、母である。
◆
馬を替え、日暮れ前に末森に着いた。
奥の間には、女たちが折り重なるように控え、僧が二人、経を上げていた。
「どけ」
俺は経を蹴散らすようにして、褥の傍に膝をついた。
――そして、一目で分かった。
顔が、歪んでいる。
右の口角が下がり、右の頬がたるみ、そちら側だけが表情を失っている。左の眉は動くのに、右は動かない。
俺は掛け物をめくった。
右の腕が、投げ出されたまま動かない。持ち上げて手を離すと、《《どさりと落ちる》》。左の腕は、離しても空中に留まる。
右足も同じだった。
(右半身の麻痺。完全に近い)
「母上。……母上、聞こえますか」
答えはない。
いや――
「……ぶ。……さ、ぶ」
声は出ている。
「さ、ぶ……ろ」
だが、言葉になっていない。
俺は、その目を覗き込んだ。
両の眼球が、《《左に寄っている》》。まっすぐ俺を見ようとしても、右へは動かない。左を向いたまま、そこから戻らない。
俺は、すべての所見を頭の中に並べた。
――右の片麻痺。
――言葉が出ない。
――両眼が、左を向いたまま。
卒中である。この時代の言葉なら、中風。
だが「卒中」だけでは、医者の仕事は半分だ。
(――どこだ。どこがやられた)
◆
「与一郎」
俺は、後ろに控えた少年を呼んだ。
「はい」
「見ておけ。ここから先は、教えても損はない」
俺は指を立てた。
「一つ。人の身体を動かす筋は、頭から出て、首の下のあたりで《《左右が入れ替わる》》。だから右の手足が動かぬということは、やられたのは――」
「……左の、頭にございますか」
「そうだ。まず、それで半分決まる」
俺は、指を二本にした。
「二つ。頭のどこかを、さらに絞る。手立ては三つある」
「三つ」
「一つ目。《《言葉が出るか》》。物を考え、言葉を紡ぐ場所は、頭の表面、しかも多くの者は左側にある。母上は言葉を失っておられる。ゆえに――」
「頭の、表面」
「そうだ。もし奥深く、身体の芯を通る筋だけがやられたのなら、手足は動かぬが《《言葉は達者》》なままだ」
与一郎が、息を呑んだ。
「二つ目。《《眼の向き》》だ。母上の眼は左を向いたまま、右へ動かぬ。人の頭には、眼を反対側へ振り向ける場所がある。左がやられれば、右を向けなくなる。……これも、左の表面だ」
「三つ目は」
「顔と手足の《《ちぐはぐ》》だ。もし首より下の、頭の根元がやられておれば、顔は病んだ側、手足は反対側という妙な形になる。母上はそうではない。顔も手足も、揃って右だ」
俺は指を折った。
「――ゆえに、母上の病巣は、《《左の、頭の表面。太い血の管の詰まった先》》。それも、かなり広い」
部屋の女たちが、ぽかんとして俺を見ていた。
与一郎だけが、必死の顔で頷いていた。
――そして俺は、そこで黙った。
◆
診断は、ついた。
完璧に、ついた。
病巣の場所も、大きさの見当も、原因も分かる。心の臓から飛んだ血の塊が、頭の左側の太い血の管を塞いだのだ。おそらく、脈の乱れがあった。
現代であれば。
――発症から数時間以内なら、詰まった塊を溶かす薬がある。あるいは管を通し、塊を直接掴み出すことすらできる。うまくいけば、麻痺は劇的に戻る。
だが。
俺は、自分の両手を見た。
薬がない。器械がない。頭の中を覗く手立てがない。血の塊がどこにあるかを、俺は知っているのに、そこへ触れる術がない。
(――《《診断はついた。それだけだ》》)
四十年、俺は診断が全てだと思っていた。診断さえつけば、そこから先は道が決まる。
この時代は、違う。
診断がついても、道が《《ない》》。
それが、この二年で初めて、はっきりと俺の前に立ちはだかった。
「勘十郎さま」
侍女が、震える声で聞いた。
「御前さまは……もう」
「――いや」
俺は、顔を上げた。
「ここからだ」
◆
卒中で人が死ぬとき、その多くは、卒中そのもので死ぬのではない。
《《その後の三週間》》で死ぬ。
俺は、部屋の全員を集めて、指を四本立てた。
「四つ、守らせる。破った者は、俺が叱る」
「一つ。《《寝たまま、水も粥も口に入れるな》》」
「え……しかし、御前さまは何も召し上がらねば」
「飲み込む力が落ちている。寝たまま入れれば、《《飯が肺へ落ちる》》。落ちれば肺が腐って、熱が出て、それで死ぬ」
女たちが青ざめた。
「食わせるときは、必ず身体を起こせ。顎を引かせろ。少量ずつだ。飲ませてから、ひと呼吸置いて、《《喉が鳴ったのを確かめてから》》次を入れろ。むせたらすぐ止めろ」
誤嚥性肺炎。卒中後の最大の殺し屋である。
「二つ。《《二刻に一度、身体の向きを変えろ》》」
「向きを、でございますか」
「同じ場所が敷布に当たり続けると、そこの肉が腐る。腰の骨の出っ張り、踵、肩。……一度腐りはじめると、もう戻らん。二刻ごとだ。夜もだ。当番を決めて、必ずやれ」
「三つ。《《動かぬ手足を、毎日、人の手で動かせ》》」
「……それは、なんのために」
「使わぬ関節は、固まる」
俺は、御前の右腕を持ち上げ、肘をゆっくりと曲げ伸ばしして見せた。
「こうなる前に、こうしておく。一日、朝と昼と夕。肩、肘、手首、指、股、膝、足首。全部だ。……固まってしまえば、たとえ後で力が戻っても、《《もう二度と動かん》》」
「四つ。――これが一番大事だ」
俺は、女たちの顔を順に見た。
「《《母上に、話しかけ続けろ》》」
「……」
「言葉が出ぬだけで、耳は聞こえておられるかもしれん。分かるかどうかは、俺にも分からん。……だが、分からぬからこそ、聞こえている前提でやれ。目の前で『もう長くない』などと囁く者がおったら、その場で俺のところへ突き出せ」
◆
その晩、俺は御前の枕元に一人で座っていた。
女たちを下がらせ、灯明を一つだけ残して。
――正直に言えば。
俺は、この人が苦手だった。
この身体の記憶にある土田御前は、次男を溺愛し、長男を「うつけ」と呼んで嫌い、家老たちが謀反を企てたとき、それを止めようとしなかった女だ。
そして俺が家督を蹴った後、この人は俺に、ほとんど口をきかなくなった。
息子が変わってしまった、と思っていたのだろう。事実、変わっていた。中身が別人なのだから。
俺は、この人を母だと思ったことが、ただの一度もない。
(――それでいい)
俺は、御前の左手の脈を取りながら考えた。
医者は、身内を診るなと言われる。手元が狂うからだ。
俺は、狂わない。
この人にとって最大の不幸は息子が死んだことで、最大の幸運は、その息子の身体に《《他人の医者が入ったこと》》だ。
我ながら、ひどい話である。
「……さ、ぶ」
御前が、また言った。
「さぶ……ろ」
俺は、手を止めた。
言葉を失った者が、たった一つだけ、言葉の切れ端を残すことがある。
何を言おうとしても、その一つだけが口から出てくる。本人の意思とは関わりなく、あるいは、深いところの意思だけを乗せて。
――さぶろう。
三郎。
俺は、灯明の炎を見つめた。
この人が長らく疎み、うつけと呼び、家督から遠ざけようとした、長男の幼名である。
◆
兄が末森に着いたのは、三日後の夜だった。
岩倉の囲みを離れられぬはずの男が、供を三騎だけ連れて、泥だらけで現れた。
「――どうだ」
「命は取り留めまする」
俺は、廊下でそう答えた。
「なれど、右の手足は戻り申さぬ。言葉も、おそらくは」
「そうか」
信長は、それだけ言って、部屋に入ろうとした。
「兄上」
俺は、その背中に声をかけた。
「母上は、ひとつだけ、言葉を発しておられます」
兄が、足を止めた。
「――《《さぶろう》》と」
背中が、動かなくなった。
「言葉を失うた者が、一つだけ切れ端を残すことがござる。……それに意味があるのか、ただ口が勝手に動いておるだけなのか、それがしには分かり申さぬ」
俺は、正直に言った。ここで嘘をつくのは、医者として最も卑しい。
「分かり申さぬゆえ、《《そのまま》》お伝えいたす」
長い沈黙があった。
やがて信長は、振り返らずに言った。
「勘十郎」
「はい」
「――貴様は、時々、ひどく残酷だな」
そして、部屋に入っていった。
俺は廊下に残った。
中からは、何も聞こえてこなかった。話し声も、泣き声も、経も、何も。
半刻ほどして出てきたとき、兄の顔は、いつも通りだった。
「岩倉へ戻る」
「兄上」
「なんだ」
「……お顔を、拝見してもよろしいか」
信長は片眉を上げたが、黙って顔を突き出した。
俺は瞼の裏を見て、脈を取り、それから言った。
「三日、寝ておられませぬな」
「戦だ」
「兄上。人の頭の血の管は、疲れと、塩と、怒りで詰まりまする」
俺は、二年前に言ったことを、もう一度言った。
「母上と、兄上の血は同じにござる」
信長は、しばらく俺を睨んだ。
それから、ふん、と鼻を鳴らして馬に乗った。
「――麦を炊いておけ」
◆
それから、三月。
俺は末森と岩倉のあいだを往復しながら、御前の身体を診続けた。
肺は、一度も焼けなかった。誤嚥は起こさなかった。
褥ずれも、できなかった。女たちは、俺が思った以上に真面目に二刻ごとの寝返りを守った。夜中に鈴を鳴らして起きる当番まで作っていた。
関節も、固まらなかった。
◆
――《《鈴の当番を考えたのは、市だった》》。
十三になる。
この身体の妹である。俺が来たとき九つだった。四年たって、背だけ伸びて、顔はまだ子供だった。
その市が、母の枕元に座っていた。
最初の日から、ずっとである。
「――勘十郎さま。二刻でございます」
そう言って、女たちを呼ぶ。
俺が教えた通りの間合いで、俺が教えた通りの向きに、母を返させる。
飯の飲ませ方も、覚えていた。顎を上げさせ、匙は口の端から、少量ずつ。むせたら止める。
――《《この時代の十三は、もう働き手である》》。
それにしても、覚えが早かった。
◆
「――市」
俺は、あるとき言った。
「よくやっておる」
「――はい」
それだけだった。
俺は、その返事を聞いて、次の間へ行った。
――《《脳の話を、書き留めねばならなかったからである》》。
右半身が動かず、言葉が出ず、右の眼だけが動く。この組み合わせは、脳のどこが壊れたときに起こるのか。俺はそれを、この時代の言葉で書き残そうとしていた。
書けば、次に同じ患者を見た者が、助かるかもしれない。
――《《それは、正しい仕事だった》》。
◆
そして――
夏の終わり、御前は、左手で杖をつき、女に支えられて、庭に出た。
右足は引きずったままだ。右手は使えない。言葉も、ほとんど戻らなかった。
だが、歩いた。
俺は縁側からそれを見ていた。
治したわけではない。
俺は、この人の脳の壊れた場所を、一寸たりとも元に戻していない。
俺がやったのは、《《壊れなかった場所を、腐らせなかった》》。ただそれだけだ。
(……それだけ、か)
俺は、自分の手を見た。
薬もなく、器械もなく、開くことも縫うこともできず、それでも三月かけて、人を庭まで歩かせた。
四十年間、俺は「切って治す」ことを職業にしてきた。
この時代に来て、初めて分かったことがある。
――《《医療の大半は、手術ではない》》。
寝返りと、飯の飲ませ方と、関節を動かす手と、話しかける声。
地味で、面倒で、誰も褒めない、その積み重ねだ。
庭で、御前が立ち止まった。
こちらを見た。
右の顔は歪んだままで、何を思っているのかは分からない。
それでも、俺は縁側に手をついて、頭を下げた。
「――母上。ようございました」
御前は、しばらく俺を見ていた。
そして、言った。
「……さぶ、ろ」
俺は、笑ってしまった。
(そうか。母上、それでいい)
この人が生涯で最も愛したのは、たぶん、自分でも気づかぬうちに、あのうつけだったのだ。
俺は、その伝言を預かった医者に過ぎない。
◆
――《《俺は、縁側を戻るとき、次の間を通った》》。
市が、そこにいた。
柱に背をつけて、座ったまま眠っていた。
膝の上に、鈴があった。
――《《四月、夜中に起きていた娘である》》。
俺は、その顔を見た。
頬がこけていた。唇に色がなかった。
(――痩せたな)
俺は、そう思った。
思って、《《通り過ぎた》》。
◆
――《《脈を、取らなかった》》。
――《《瞼の裏も、見なかった》》。
――《《何日眠っておらぬかも、聞かなかった》》。
言い訳をするなら、いくらでもできる。
あのとき俺には患者がいた。脳の壊れた老女がいて、肺を焼かさず、褥ずれを作らせず、関節を固まらせぬために、四月を使っていた。
――《《それは、正しい仕事だった》》。
医者が正しい仕事をしているとき、《《その傍らに立っている者は、見えない》》。
◆
――《《だが、本当の理由は、それではない》》。
俺は、この時代へ来て四年目に、一つのことを決めた。
――《《この身体を、一人の男のために使う》》。
天正十年六月二日を消すために、俺は麦を食わせ、井戸を埋め、傷を洗い、書を書く。
――《《俺の患者は、一人だ》》。
妻も取らぬ。子も作らぬ。そう決めていた。俺の生きる意味は、一つの命を一日でも先へ延ばすことであって、それ以外の何ものでもない。
――《《そう決めた男の眼に、《《十三の妹は、映らなかった》》》》。
彼女は病人ではない。看ておる者である。
――《《そして、看ておる者は、《《俺の勘定に入っていなかった》》》》。
◆
――《《俺がそれを、条文として書くのは、十七年後である》》。
――《《一、病人のおる家に入ったら、まず、看ておる者を診よ。》》
――《《 病人は、診てもらえる。》》
――《《 ――《《看ておる者は、誰にも診てもらえん。》》》》
――《《そのとき俺は、明智熙子どのを、五日目まで診なかった》》。
――《《そして、あの人は死んだ》》。
――《《俺は長いこと、《《あれが最初の一人だ》》と思っていた》》。
――《《違った》》。
◆
九月、岩倉城は落ちた。
織田信賢は退去し、尾張はついに一つになった。
その報せを聞いた夜、俺はカルテにこう書いた。
永禄二年
症例・土田御前。左大脳、広範。右片麻痺・失語。
薬なし。器械なし。血の塊に触れる術なし。
――診立てはついた。それだけであった。
なれど、肺は焼けず、褥ずれもできず、関節も固まらず。
庭まで、歩かれたり。
残り、二十三年。
筆を置いて、俺は北の空を見た。
尾張は、一つになった。
そして翌年の夏。
東から、二万五千が来る。
脳卒中の「どこがやられたか」を突き止める作業を、局在診断といいます。作中で勘十郎が与一郎に教えた三つの手順は、現在も医師が実際に使っているものです。
まず、手足を動かす神経は延髄の下で左右が入れ替わるので、右半身が麻痺していれば病変は左側にあります。次に、言葉が出るかどうか。言語を司る場所は大脳の表面にあり、多くの人で左側にあります。ですから失語があれば病変は表面(皮質)で、逆に手足だけが麻痺して言葉が達者なら、もっと深い場所(内包)が疑われます。そして眼の向き。眼球を反対側へ振り向ける中枢が左にあるため、そこがやられると眼が左を向いたまま戻らなくなります。
顔と手足がちぐはぐになる場合(顔は病変と同じ側、手足は反対側)は、脳幹の病変を示します。これを交叉性徴候といいます。
現代なら、発症から数時間以内に血栓を溶かす薬を使ったり、カテーテルで直接取り除いたりできます。永禄二年には、何もありません。
それでも勘十郎が指示した四つ——誤嚥をさせない、体位を変える、関節を動かす、話しかける——は、今日の脳卒中診療でもそのまま行われている、極めて重要な看護です。実際、脳卒中後の死因の多くは脳そのものではなく、誤嚥性肺炎です。
最後の「さぶろう」について。言葉を失った方が、たった一つの言葉だけを繰り返し発することがあります。残存語、あるいは再帰性発話と呼ばれる現象です。本人の意思で選んでいるのか、それとも口が勝手に動いているだけなのか——それは、現代の医学でも簡単には答えが出ません。
次話、いよいよ尾張が一つになり、東から二万五千が動き出します。
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