第十話 受け取ったのなら、次へ渡せ
戦国時代、日本で最も優れた医者は、京にいました。
名を、曲直瀬道三といいます。
尾張が一つになった翌年の、正月明けである。
「勘十郎。京へ行くぞ」
いつも通り、前触れも何もなかった。
「――は?」
「将軍に会う」
信長は、干し柿をかじりながら言った。
「東から今川が来る。来る前に、《《俺が尾張の主だと、都に言わせておく》》。今川が攻めてくれば、それは公方さまの認めた守護代への謀反ということになる」
……相変わらず、頭の回転が速すぎる。
永禄二年、二月。
織田上総介信長は、供回りわずか八十騎で上洛した。
美濃の斎藤義龍が刺客を放ったという噂もあった。事実、道中で何度か妙な視線を感じたが、兄はまるで気にせず、道々で商人を捕まえては値の話ばかりしていた。
そして俺は、その八十騎の中にいた。
俺が同行を願い出たのだ。理由は二つ。
一つは、兄の身体を京まで無事に運ぶこと。
もう一つは――
「薬種を、買い込みとうござる」
◆
京は、廃墟だった。
応仁の乱から九十年。焼けた寺の礎石がそのまま残り、内裏の築地塀は崩れ、辻には物乞いが座り込んでいる。
だが同時に、そこは日本で唯一の《《知の集積地》》でもあった。
俺は兄が幕府の儀礼に忙殺されているあいだ、与一郎を連れて薬種屋を回った。
甘草。桂皮。人参。大黄。附子。
尾張では手に入らぬ、あるいは法外に高いものが、京には並んでいる。俺は片端から買い込み、産地と値と、それから《《どういうときに効くと言われているか》》を全部書き留めた。
三軒目の薬種屋で、老いた主人が言った。
「お武家さま。ずいぶんと詳しゅうございますな」
「医者だ」
「ほう。……では、道三先生のところへは」
俺の手が、止まった。
「――今、なんと」
「曲直瀬道三先生にございます。京で知らぬ者はおりませぬ。公方さまの御脈も取られるお方で」
俺は、薬包を取り落としそうになった。
――曲直瀬道三。
この時代の日本で、間違いなく《《最高の医者》》である。
関東の足利学校で田代三喜に学び、明国から入った新しい医学を日本に根づかせ、後に京で医学校を開き、数百人の弟子を育て、義輝、元就、秀吉、そして――兄をも診ることになる男だ。
俺は、書き留めていた筆を置いた。
「そのお方は、どこにおられる」
◆
案内された屋敷は、拍子抜けするほど質素だった。
だが門前に、二十人ほどが並んでいた。公家風の従者も、荷駄の人足も、裸足の子供も、同じ列に並んでいる。
俺は最後尾に並んだ。
「勘十郎さま。名を告げれば、すぐにも」
「並ぶ」
与一郎を制して、俺は二刻並んだ。
――この列の作法を、俺は知っている。
そして、通された。
文机の前に、痩せた老人が座っていた。
五十を少し過ぎたくらいか。眼が細く、しかしその奥が異様に明るい。
俺が座るなり、老人は言った。
「お前さま、医者じゃな」
「……なぜ、そう」
「入ってきて、まず《《わしの顔色を見た》》」
俺は、思わず口の端を上げた。
――ばれている。
この老人は、患者を診るのと同じ精度で、人間を診ている。
「織田勘十郎と申しまする。尾張の者にて」
「曲直瀬道三」
老人は、こともなげに名乗った。
「して。何を診てほしい」
「いえ。それがしは病んでおり申さぬ」
「知っておる。脈を取らずとも分かる。……では、何をしに来た」
俺は、少し考えて、正直に答えた。
「――教わりに参りました」
◆
道三は、俺に茶も出さず、いきなり問答を始めた。
「腹を下しておる子がおる。三つじゃ。何をする」
「まず、身体の水を見まする」
俺は即答した。
「眼が窪んでおるか。泣いても涙が出ぬか。舌が乾いておるか。皮膚をつまんで、戻りが遅いか。……そのうえで、湯冷ましに塩と甘味を溶いたものを、匙で少しずつ、絶え間なく」
「なぜ塩と甘味の両方じゃ。塩だけでは」
「……腸が、その二つを《《一緒でなければ受け取らぬ》》ゆえにござる」
道三の細い眼が、わずかに開いた。
「――ほう」
彼は、しばらく黙って俺を見た。
それから、次の問いを投げた。
「では、その子に、下痢を止める薬をやるか」
――これは、罠だ。
「やり申さぬ」
「なぜ」
「下しておるのは、身体が悪いものを外へ出そうとしておるゆえ。無理に止めれば、悪いものが腹の中に留まり申す。……止めるべきは水の不足であって、便ではござらぬ」
道三が、机を叩いた。
「そうじゃ!」
老人は、突然、少年のような顔で笑った。
「わしはそれを三十年言うておる! 医者どもは止めたがる、親も止めたがる、止まれば効いたと思う! ――違うのじゃ! 子を殺すのは下痢ではない、《《涸れることじゃ》》!」
俺は、この瞬間、この老人が好きになった。
◆
その日の夕刻、話は思わぬ方向へ転がった。
道三の屋敷に、蒼白な顔の武士が駆け込んできたのである。
「先生! お助けくださりませ! 妻が、妻が――《《狐が憑きまして》》!」
男は幕府の奉公衆で、名を彦坂といった。
話を聞くうちに、俺の背筋が冷えていった。
妻は十日ほど前に、初めての子を産んだ。産後の肥立ちも順調で、よく笑っていた。
それが四、五日前から、様子が変わった。
夜、まったく眠らなくなった。
そして、生まれたばかりの我が子を指して、こう言うのだという。
――《《この子は、わたしの子ではない》》。
――《《これは、化け物が置いていったものだ》》。
――《《この子を生かしておけば、家が滅びる》》。
「今朝がた、井戸端で赤子を抱いておるところを、女中が見つけまして」
彦坂は、震える手で顔を覆った。
「祈祷師を呼びました。今、屋敷で、その……水を浴びせて、狐を落とすと」
俺は、立ち上がっていた。
「――それは、殺しまする」
「え」
「産後の女に冷水を浴びせ、責め立て、寝かせぬ。……《《それは治療ではなく、拷問にござる》》」
俺は道三を見た。
老人も、すでに立ち上がっていた。
「駕籠を出せ。急ぐ」
◆
彦坂邸に着いたとき、庭で祈祷が始まりかけていた。
白装束の男が二人、桶を構えている。そして縁側に、髪を振り乱した女が、二人の女中に押さえつけられていた。
二十そこそこの、若い母親だった。
「――やめよ!」
道三の声は、老人とは思えぬほどよく通った。
「主の許しじゃ、退け!」
祈祷師たちが渋々下がる。
俺は女の傍に膝をついた。
脈――速い。だが力はある。熱はない。産後の悪露に異常はないと女中が言う。腹も張っていない。
(――産褥熱ではない。感染ではない)
「奥方。それがしの声が聞こえまするか」
女は、俺を見た。
……目は合う。焦点は合っている。だが、その奥が、明らかに《《おかしい》》。
「……お前も、あちらの手の者か」
「あちらとは」
「この子を、置いていった連中だ。……返しに来たのだろう。返すなら、返せばよい。だがあの子は――あの子は、わたしの子ではない」
声は、驚くほど筋道立っていた。
だからこそ、恐ろしい。
「奥方。眠っておられぬそうですな」
「眠れるものか。目を離せば、あれが動く」
俺は、道三を振り返った。
老人は、静かに言った。
「――産後の、心の病じゃな」
「はい」
俺は答えた。
「狐ではござらぬ。物の怪でもござらぬ。……《《産んだ後に、稀に起こる病》》にござる」
◆
産褥の精神病、と後の世では呼ぶ。
千の出産に、一つか二つ。
産後およそ二週のうちに、急激に起こる。
眠れなくなり、考えが乱れ、そして――《《我が子に関する、恐ろしい思い込み》》が生まれる。この子は自分の子ではない。取り替えられた。悪いものが入っている。
産後の気鬱とは、まるで違う。あれは数週から数月かけてゆっくり沈むもので、こんな激しさはない。
これは、母と子の両方が死にうる、《《数少ない、心の病の急病》》である。
そして原因は、狐でも、母の心根の弱さでも、育ちでも、まして罰でもない。
産みの前後の身体の激変と、眠りの断絶。それが引き金を引く。もともとそういう波を持ちやすい人に、起こりやすい。
「彦坂殿」
俺は、青ざめて立ち尽くす夫に向き直った。
「三つ、申し上げる。全部守っていただく」
「は、はい」
「一つ。《《奥方と赤子を、二人きりにしてはならぬ》》。一瞬もだ。抱かせるなとは申さぬ。だが、必ず誰かが傍にいること。夜も、当番を決めて」
「……はい」
「二つ。《《眠らせること》》。これが薬にござる。奥方は数日眠っておられぬ。眠らぬことが、この病をさらに悪くする。乳は当面、乳母か重湯に代わってもらう。母を寝かせるためだ」
「しかし、母の乳でなければ子が」
「《《母が壊れれば、子も死にまする》》」
俺は、はっきりと言った。
「三つ。――これが最も大事にござる」
俺は、庭に控えた家人たち、女中たち、それから祈祷師にまで聞こえるように、声を張った。
「《《これは、病である》》」
空気が、変わった。
「奥方は、狐に憑かれたのでもなければ、悪い母親でもなく、家に祟りが来たのでもない。ただ《《病んでおられる》》。腹を下すのと同じ、足を折るのと同じ、病にござる」
「そして病であるからには」
俺は、若い母親のほうを向いた。
「――《《治り申す》》」
◆
その夜、道三と俺は、彦坂邸の一室で番をした。
女は、湯を飲まされ、暗くされた部屋で、ようやくとろとろと眠りはじめた。
老人は、行灯の傍で腕を組み、長いこと黙っていた。
やがて、こう言った。
「勘十郎殿。お前さま、なぜ『これは病である』と皆に言うた」
「……治療の一部にござる」
「ほう」
「狐憑きと呼ばれた者は、《《人でなくなり》》申す。家から追われ、寺へ送られ、二度と戻らぬ。……病と呼べば、人のまま留まれる。それがしは、あの奥方が治った後に《《帰る場所》》を残しておきたかった」
道三は、しばらく黙った。
それから、細い眼をこちらへ向けた。
「――お前さま、何者じゃ」
俺の心臓が、一つ跳ねた。
「……申し上げた通り、尾張の」
「そういうことを聞いておるのではない」
老人は、行灯の炎を見ながら言った。
「わしは、五十年、病を診てきた。診て、診て、診続けて、そこからようやく『たぶんこうであろう』という理を、少しずつ、恐る恐る積み上げてきた。医とはそういうものじゃ」
「……はい」
「じゃがお前さまは――《《逆じゃ》》」
俺は、息を止めた。
「お前さまは、先に理を持っておる。腸が塩と甘味を一緒でなければ受け取らぬ。産後二週に起こる。眠らねば悪くなる。……そういう《《答え》》を、はじめから握っておる。そのうえで、病を見ておる」
老人は、静かに言った。
「それは、人にはできぬ順序じゃ」
部屋が、しんとした。
俺は、答えられなかった。
嘘をつくことはできた。夢で見た、南蛮で学んだ、いくらでも言い訳はある。
だが、この老人にそれを言うのは――
なぜだか、ひどく失礼な気がした。
「……道三先生」
俺は、正直に言える範囲で言った。
「それがしは、《《人より、ずいぶん長く生きた》》気がしております」
「ほう」
「若い身体に、老いた頭が入っておるようなもので。……それがしの持っておる理は、それがしが積み上げたものではござらぬ。誰かが、途方もない年月をかけて積み上げたものを、それがしはただ《《受け取っただけ》》にござる」
道三は、ふ、と息を吐いた。
「――それならば、話は簡単じゃ」
「は」
「渡せ」
老人は、俺をまっすぐに見た。
「受け取ったのなら、次へ渡せ。それが医の作法じゃ。お前さまがどこの誰から受け取ったかは知らぬが、《《持ったまま死ぬのが一番いかん》》」
――俺は、危うく声を上げそうになった。
(……そうか)
二年半、俺は目の前の患者を治すことしか考えていなかった。
だが、俺が死ねば、俺の知っていることは全部消える。
この時代の日本から、経口補水も、結紮止血も、麦飯も、疾病地図も、三つの筵も、全部、跡形もなく消える。
「先生」
「なんじゃ」
「先生は、いずれ、医の学び舎をお作りになるおつもりか」
道三の眼が、初めて、はっきりと見開かれた。
「……なぜ、それを」
「――そういう顔をしておられる」
老人は、しばらく俺を凝視して、それから、声を立てて笑った。
「作るとも! いつか必ず作る。書物を集め、弟子を集め、《《医を秘伝にせぬ場所》》を作る。医は一子相伝の呪いではない。学べば誰でもできるものにせねばならぬ」
「……先生」
「勘十郎殿。そのときは、尾張から弟子を寄越せ」
「――必ず」
俺は、深く頭を下げた。
◆
彦坂の奥方は、三週間で戻った。
俺たちが京を発つ前に、一度だけ会った。
彼女は、赤子を抱いて、深々と頭を下げた。
「……申し訳ございませぬ。わたくしは、あの子を」
「奥方」
俺は遮った。
「あれは、あなたではござらぬ」
「え」
「熱に浮かされた者が口走ることを、その者の本心とは申しませぬ。同じことにござる。……ただし」
俺は、少しだけ声を落とした。
「もし次のお子を産まれるときは、必ず、産む前から人に言うておかれよ。『前に一度、こうなった』と。同じことは、《《二度目のほうが起きやすい》》」
女は、赤子を抱いたまま、こくりと頷いた。
◆
尾張へ戻る道中、俺は荷駄いっぱいの薬種と、一冊の覚書と、それから――一つの宿題を抱えていた。
《《受け取ったのなら、次へ渡せ。》》
その晩の宿で、俺はカルテの最後にこう書き足した。
永禄二年 二月 京
症例・彦坂某室。産後十日、狐憑きと称される。
――狐にあらず。病なり。ゆえに治る。
「これは病である」と大声で言うことも、治療の一部なり。
※要検討
俺が死ねば、これらは全て消える。
――《《渡す相手》》を、作らねばならぬ。
残り、二十三年。
筆を置いて、俺は隣の部屋を見た。
与一郎が、俺の書いた覚書を、行灯の下で必死に書き写していた。
――ああ。
一人はもう、ここにいる。
◆
清洲に帰り着いた俺たちを待っていたのは、東からの報せだった。
駿河、遠江、三河。
今川治部大輔義元、動員令。
――永禄三年の春が、来ようとしていた。
曲直瀬道三は実在の人物です。足利学校で田代三喜に学び、明から入った新しい医学を日本に定着させ、足利義輝、毛利元就、織田信長、豊臣秀吉らを診た、戦国期最高の臨床医です。
彼が唱えた「察証弁治」——目の前の患者の証を細かく観察し、その人に合わせて治療を決める——という原則は、古典の処方を機械的に当てはめる当時の風潮への反逆であり、驚くほど近代的な考え方でした。作中で「子を殺すのは下痢ではない、涸れることじゃ」と叫ばせたのは、彼ならそう言っただろうという想像です。
そして道三は後年、京に啓迪院という医学校を開き、数百人の弟子を育てました。医術を一子相伝の秘伝にせず、学べば誰でも身につけられるものにする——これは当時、極めて異例のことでした。
今回の症例は産褥精神病です。出産千件に一〜二件と稀ですが、産後二週間以内に急激に発症し、母子ともに命が危うくなる、精神科の救急疾患です。産後の気分の落ち込み(マタニティブルーズ)や産後うつとは、発症の速さも症状の質もまったく異なります。
特徴的なのが、我が子に関する妄想です。この子は自分の子ではない、取り替えられた、悪いものが入っている——こうした確信が生まれ、最悪の場合、母が子を手にかけてしまいます。原因は憑き物でも母親の心の弱さでもなく、出産前後の急激な身体の変化と睡眠の断絶が引き金になると考えられています。もともと気分の波を持ちやすい方に起こりやすく、そして次の出産で再発しやすいことも分かっています。
勘十郎が庭中に聞こえる声で「これは病である」と宣言したのは、この時代において、それ自体が治療だからです。狐憑きと呼ばれた人は人間の側に戻れません。病と呼べば、治った後に帰る場所が残ります。
次話から、いよいよ桶狭間へ向かいます。
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