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転生軍医、織田信勝 ―本能寺を消す処方箋―  作者: 東雲 諒杏
第一章 尾張診療録(第1話〜第12話)

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第十一話 手当ての唄

三百人に医術を教えることになりました。

 ただし、そのうち字が読めるのは十一人です。

 永禄三年、三月。


 東から届く報せは、日を追うごとに具体的になっていった。


 駿河、遠江、三河――三国から兵が集まりつつある。総勢二万五千と称する。実数はそれより少ないだろうが、それでも織田の動員限界の、五倍は下るまい。


 清洲城の空気は、日ごとに重くなった。


 そんな中、俺は城の裏庭で、三百人を並ばせていた。


 ――全員、戦えない者たちである。


 六十を越えた老兵。片足を引きずる者。目の悪い者。荷駄しか担げぬ人足。それと、十四、五の小者ども。


 浮野で俺が借り受けた三百人。そのまま「手当組てあてぐみ」と名付けて、俺の下に置かせてもらった。


「よし。今日から、お前たちを《《医者にする》》」


 三百人が、ぽかんとした顔をした。


          ◆


「――勘十郎さま。それは、言い過ぎというものでは」


 傍らで、与一郎が小声で言った。


 十六になった。背が伸び、声も変わり、俺の助手として一通りのことはできるようになっている。


「言い過ぎだな」


 俺はあっさり認めた。


「だが、こうも言える。――《《俺一人では、次の戦で人が死ぬ》》」


「……」


「浮野で運ばれてきたのは二百七十一人だ。俺は二刻のあいだ手を止めなかった。それでもだ」


 俺は、三百人を見渡した。


「今度、東から来るのは二万五千だぞ。もし本気でぶつかれば、傷を負う者は千を超える。……俺は、千人を診られん」


 与一郎が、息を呑んだ。


「だから、増やす」


 俺は言った。


「腹を開ける医者は増やせん。あれは十年かかる。……だが、《《死なせぬだけの手》》なら、十日で覚えられる」


          ◆


 俺が教えることに決めたのは、四つだけである。


 欲張らなかった。三百人の素人に十のことを教えれば、十とも忘れる。四つなら、四つとも残る。


「――《《一の手。血を止める》》」


 俺は、地面に胡座あぐらをかいた男の腕を掴んだ。


「傷から血が出ておったら、まず何をする」


「え、えぇと……薬を」


「違う。《《押さえる》》」


 俺は、男の腕に布を当て、体重をかけて押した。


「布を当てて、上から力いっぱい押さえろ。指ではない、てのひらだ。骨に押しつけるつもりで押せ。そして――《《離すな》》」


「離す、な」


「よく血が止まったか確かめようと、途中で覗くやつがいる。あれが一番いかん。せっかく固まりかけたものが剥がれる。押さえたら、俺が来るまで押さえ続けろ」


 俺は指を二本立てた。


「それでも噴き出す傷がある。腕や足が、ざっくり裂けたときだ。そのときは《《縛る》》」


 俺は、太い紐と短い棒を掲げた。


「傷より心の臓に近い側を、こう縛って、棒を差して、ねじる。血が止まるまでねじる。生半可では止まらん、《《本人が悲鳴を上げるくらい》》締めろ」


「ひ、悲鳴」


「そして――ここからが肝心だ」


 俺は、声を落とした。


「縛ったら、《《いつ縛ったかを、必ず本人の額か胸に書け》》。炭でいい。日と、およそのときをだ」


「なにゆえ」


「縛った先の手足は、血が通わなくなる。長く放っておけば、《《その手足は死ぬ》》。二刻を越えると危うい。だから運ばれた先の医者が、いつ縛られたのかを知らねばならん」


 男たちが、真剣な顔で頷いた。


 ――止血帯しけつたいを巻いた時刻を記録する。


 現代の救急でも徹底されている手順を、俺は炭で額に書かせることにした。


          ◆


「――《《二の手。息の道を開ける》》」


 俺は、一人を仰向けに寝かせた。


「よいか。倒れて、呼びかけても答えぬ者がおる。血も出ておらん。傷も浅い。……こういう者が、《《何もせずに死ぬ》》」


「なにゆえに」


「気を失うと、舌の付け根が落ちて、喉を塞ぐ。血や吐いたものが喉に溜まっても出せん。……そのまま静かに、溺れるように死ぬ」


 俺は、寝かせた男の肩と腰を掴み、ごろりと横向きに転がした。


 そして、上になった膝を軽く曲げ、頭の下に腕を差し入れて、少しだけ顎を反らせた。


「これだけだ」


「……これだけ、にございますか」


「これだけだ。《《横向きにする》》。それで舌は落ちず、吐いたものは口から流れ出る」


 俺は、三百人を見回した。


「傷の手当ては分からんでもいい。薬も要らん。……戦場で気を失っておる者を見たら、《《まず横向きに転がせ》》。それだけで、お前たちは人を殺さずに済む」


          ◆


「――《《三の手。運ぶ》》」


 これが、一番揉めた。


「担架は二人一組。息を合わせろ。『いち、に』で持ち上げる。……そして、《《どの向きで運ぶか》》が違う」


 俺は指を折った。


「顔が真っ白で、脈が速く、汗が冷たい者。――こいつは血が足りぬ。《《足を高く》》して運べ」


「顔が赤く、頭を打っておる者。息が荒い者。――こちらは《《頭を高く》》だ。足を上げるな、余計に悪くなる」


「腹を刺された者。――膝を立てさせろ。腹の力が抜けて、少し楽になる」


「首や背を打った者。――《《動かすな》》。板に乗せて、丸太のように、身体をひとつのまま転がして乗せろ。首だけ動かすと、その場で足が利かなくなる」


「難しゅうございます」


 誰かが、正直に言った。


「――そうだな」


 俺は認めた。


 実際、難しい。ここまでで、すでに素人の許容量を超えている。


          ◆


「――《《四の手。水と、清潔》》」


 最後は、簡単だった。


「甘い塩湯を作れ。割合は覚えろ。これは何度も作らせたな」


「へえ」


「布は必ず煮る。素手で傷に触るな。触るなら、まず手を洗え。……そして、飯を握る者と、傷を触る者を《《同じにするな》》」


 ――ここまで。


 俺は、四つを板に書き出した。


 しかし書き出した瞬間に、致命的なことに気がついた。


 三百人のうち、字が読める者は――


 数えてみたら、《《十一人》》だった。


          ◆


 その晩、俺は自室で頭を抱えていた。


 絵を描くことにした。


 止血の絵。横向きの絵。担架の向きの絵。


 だが、絵にも限界がある。「二刻」も「割合」も、絵にはならない。


 行灯あんどんの下で、俺が下手な絵と格闘していると、廊下から声がした。


「――勘十郎どの。まだ起きておいでか」


 顔を上げて、俺は慌てて姿勢を正した。


 帰蝶きちょうさま。兄の正室である。


 美濃のまむし・斎藤道三の娘。年は俺と同じくらい。


 この人が、俺は少し苦手だった。理由は単純で、《《目が兄と同じ種類》》だからだ。


「これは、義姉上あねうえ。夜分に」


「殿が、笑うておられましたよ。『勘十郎が、絵を描いて唸っておる』と」


「……お耳が早い」


 帰蝶さまは、断りもなく部屋に入り、俺の描いた紙をひょいと取り上げた。


 しばらく眺めて、言った。


「下手ですね」


「……面目ない」


「これは何を描いたものです」


「気を失うた者を、横向きにしろ、と」


「あら」


 帰蝶さまは、意外そうに眉を上げた。


「それは、産屋うぶやでもいたします」


 俺は、顔を上げた。


「――なんと」


「産で気を失うた女子おなごを、そのままにしておくと、吐いたもので息が詰まると。……老いた産婆は、みな知っておりますよ。誰に教わったわけでもなく」


 俺は、しばらく言葉が出なかった。


(――《《経験は、正しい答えに辿り着く》》)


 理屈は知らずとも、無数の死を見た者は、正しい形に行き着くことがある。


「義姉上。それがしは今、字の読めぬ三百人に、これを覚えさせようとしております」


「三百」


「はい。板に書いても、読める者が十一人しかおりませなんだ」


 帰蝶さまは、紙を置いて、こちらを見た。


 そして、こともなげに言った。


「――《《うたになさいませ》》」


「は?」


「字の読めぬ者に物を覚えさせるとき、この国の者はみな唄にいたします。田植え唄も、糸繰り唄も、数え唄も、そうでございましょう」


 俺は、口を開けたまま固まった。


 ……なんてことだ。


 俺は、四十年間、医学教育というものを見てきた。教科書、講義、実習、シミュレーション。そのどれもが《《字の読める人間を前提としている》》。


 字が読めぬ者に医療を教えたことなど、俺は一度もなかった。


「義姉上」


「はい」


「――お力を、お貸しいただきたい」


 帰蝶さまは、ふ、と口の端を上げた。


 やはり、この人は兄と同じ顔で笑う。


          ◆


 三日後、清洲城の裏庭に、間の抜けた唄が響いていた。


  ――ひとつ、押さえよ 離すな覗くな


  ――ふたつ、寝た者 横向けよ


  ――みっつ、白けりゃ 足あげろ

     赤けりゃ 頭をあげてやれ


  ――よっつ、煮た布 洗うた手

     塩と甘みの 湯を飲ませ


  ――しめて、縛ったそのとき

     額に書いて 忘れるな


 節は、帰蝶さまが尾張の古い田植え唄から拝借してきたものだった。


 三百人が、くわを担ぐような調子で、これを大声で唄いながら庭を練り歩く。


 傍から見れば、完全に狂った光景である。


 通りかかった家老が、露骨に顔をしかめて去っていった。


 だが俺は、庭の隅で腕を組みながら、静かに震えていた。


 ――《《これが、教育だ》》。


 十日で、三百人全員が唄えるようになった。


 字が読めるかどうかなど、何の関係もなかった。


          ◆


 四月、俺は抜き打ちの調練をやった。


 夜中に半鐘はんしょうを鳴らし、「負傷者が四十人出た」と触れさせ、手当所を立ち上げさせる。


 ――結果は、悲惨だった。


 湯が沸くまでに一刻かかった。担架が足りず、取り合いになった。筵を三つに分ける指示が徹底されず、全員が最初の筵に運ばれ、そこで山になった。止血帯を巻いた者はいたが、《《額に刻を書いた者は一人もいなかった》》。


 俺は、集まった三百人の前で、こう言った。


「――これでは、三十人死ぬ」


 しん、となった。


「唄は覚えた。手も覚えた。だが《《段取り》》がない。段取りとは、誰が何を先にやるかだ」


 俺は、その場で役目を割り振った。


 湯を沸かす組、十人。これは戦の始まる前から沸かし続ける。

 担架組、百人。五十組。持ち場を決め、そこから動かない。

 布と糸の組、二十人。煮て、乾かして、包む。それだけをやる。

 水配りの組、三十人。塩湯を作り、前線に運ぶ。

 そして――《《筵分けの組、十人》》。


「この十人が、一番大事だ」


 俺は、選んだ十人を前に出させた。


「運ばれてきた者を見て、赤か、白か、木陰かを決める。俺の代わりに決めるのだ」


「……そんな恐ろしいこと、我らには」


「できる」


 俺は言い切った。


「見るのは三つだけだ。《《息をしているか。血が噴いているか。呼べば答えるか》》。この三つで、ほとんど決まる」


 ――呼吸、出血、意識。


 これが、後の世で災害医療の第一次選別に使われる考え方の、核心である。


「答えられぬ者、息の荒い者、血の噴いておる者は赤。歩ける者は白。……そして」


 俺は、一度言葉を切った。


「息をしておらん者は、木陰だ」


 十人は、青い顔で頷いた。


 俺は、その一人一人の肩を叩いた。


「怖いか」


「……は、はい」


「怖くていい。俺も怖い」


 俺は正直に言った。


「間違えることもある。俺も間違える。……だが、《《誰も決めなければ、全員が死ぬ》》。それだけは覚えておけ」


          ◆


 二度目の抜き打ちは、五月に入ってすぐだった。


 湯は、鐘が鳴る前から沸いていた。


 担架は取り合いにならなかった。持ち場が決まっていたからだ。


 筵は三つに分かれ、赤い布と白い布が飛び交い、止血帯の巻かれた腕の持ち主の額には、《《炭で刻が書かれていた》》。


 半刻で、四十人分の手当てが回った。


 俺は、腕を組んだまま、それを見ていた。


 ――俺は、一度も口を出さなかった。


(……できている)


 じわりと、腹の底が熱くなった。


 二年半前、俺は末森の一室で目を覚まし、ただ一人で「甘い塩湯を持て」と言った。


 今、三百人が、俺の指図なしで動いている。


 道三先生。


 ――俺は、渡しはじめております。


          ◆


 その夜、俺は縁側で酒を舐めていた。


 珍しく、兄が隣に座った。手には瓢箪ひょうたん


「勘十郎。庭で妙な唄を聞いたぞ」


「……お耳汚しを」


「よい唄だ」


 信長は、瓢箪を傾けながら言った。


「兵どもが、飯を炊きながら唄うておった。『ひとつ、押さえよ』と」


 俺は、思わず酒を吹き出しそうになった。


「手当組ではない者が、にございますか」


「そこらじゅうだ。あれは移る」


 ――《《唄は、伝染する》》。


 俺は、天を仰いだ。


 紙は焼ける。人は死ぬ。だが唄は、人の口から口へ、勝手に移っていく。


 俺が死んだ後も、たぶん、あれだけは残る。


「兄上」


「なんだ」


「今川は、いつ動きまするか」


 信長は、瓢箪を置いた。


 庭の暗がりを見つめたまま、静かに言った。


「――もう、動いておる」


 俺は、盃を置いた。


「五月には、境目の砦にかかるだろう。丸根、鷲津。……あのあたりから来る」


「兄上のお考えは」


「まだない」


 嘘だ、と俺は思った。


 この男には、たいてい、もうある。


 だが言わない。言えば漏れる。漏れれば死ぬ。


「勘十郎」


「はい」


「貴様は後ろだ。手当所を、街道沿いに置け。……前には出るな」


「――兄上」


「貴様が死ぬと、《《唄が止まる》》」


 俺は、返す言葉を失った。


 兄は瓢箪を掴んで立ち上がり、去り際に、こう言い残した。


「二十年後の話をする男が、二十日後に死ぬな」


          ◆


 その夜、俺はカルテにこう書いた。


  永禄三年 四月

  手当組三百、編成成る。

  教うるは四つのみ。押さえる・横向ける・運ぶ・煮る。

  字を読める者、十一人。ゆえに――唄にせり。

    (考案・帰蝶さま。医学は、産屋の婆たちに負けていた)

  筵を分ける役、十人。名を記す。この者どもは、俺の代わりに人を選ぶ。

  残り、二十二年。


 筆を置いた。


 東の空が、やけに静かだった。


 ――五月十九日まで、あと一月ひとつき


今回、勘十郎が教えた四つは、いずれも現代の応急処置でそのまま教えられている内容です。


 止血は、まず直接圧迫。掌で、骨に押しつけるように、そして離さない。「止まったか確認しようとして覗く」のが最もいけない、というのも実際に指導されるとおりです。それでも止まらない四肢の出血には止血帯を使いますが、巻いた時刻の記録が絶対条件になります。血流を止めた先の組織は時間とともに壊死するため、後で治療する側は「いつ巻かれたか」を知らなければ判断できません。額や胸に書く、というのは実際の災害現場でも行われる方法です。


 意識のない人を横向きにする——回復体位といいます。装備も知識も要らず、それでいて最も多くの命を救う手技かもしれません。意識を失うと舌の付け根が落ちて気道を塞ぎ、嘔吐物も排出できなくなります。外傷がなくても、これだけで人は亡くなります。


 搬送時の体位を出血性ショックと頭部外傷で変える点、脊椎損傷が疑われる場合に体を一本の丸太のように保って動かす(ログロール)点も、現在の標準です。


 そして「呼吸・出血・意識」の三点で選別する考え方は、災害医療の第一次トリアージの骨格そのものです。


 最後に、帰蝶さまの唄について。


 文字を持たない共同体が知識を保存し継承する方法は、世界中どこでも歌でした。田植え唄も、数え唄も、船乗りの唄も、すべて記憶装置です。医学教育というものが「字の読める人間」を暗黙の前提にしてきたことに、主人公はここで初めて気づかされます。産婆たちが経験だけで回復体位に辿り着いていた、という場面も同じ主題です。


 次話で第一章が終わります。そして、五月十九日が来ます。


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