第十二話 人間五十年では足りぬ
第一章「尾張診療録」最終話です。
永禄三年五月十九日。
この日、尾張の運命が決まります。
永禄三年、五月十二日。
今川治部大輔義元、駿府を出立。
報せが清洲に届いたのは、その二日後だった。
城内は、静かだった。悲鳴も罵声も上がらない。ただ、みなの声が少しずつ低くなり、廊下を歩く足音が速くなった。
俺は、その日から熱田の湊に入り浸った。
――《《敵を診る》》ためである。
◆
湊には、駿河から来る船がある。三河や遠江を回ってきた行商がいる。今川の陣で商いをして戻ってきた者もいる。
俺は、そういう連中を片端から捕まえた。
銭を払い、酒を飲ませ、そして――《《病の話ばかりを聞いた》》。
「治部大輔さまはな、そりゃあ立派なお方よ。都のお公家さまのようでな」
白髪の塩商人が、盃を舐めながら言った。
「白粉を塗って、お歯黒までなさるとか」
「ほう。……して、馬には」
「馬?」
商人は、けらけらと笑った。
「治部大輔さまが馬になぞ乗るものか。あのお方はいつも輿じゃ。ご出陣も輿と聞いた」
俺は、盃を置いた。
「――いつからだ」
「へ?」
「いつから、輿だ。昔からか。それとも、近頃からか」
商人は、酔った頭で考え込んだ。
「そういえば……昔は馬にも乗られたと聞いたな。ここ何年かのことよ。なんでも、その、足を痛めておいでとかで」
俺は、身を乗り出した。
「足のどこだ。膝か。腰か」
「さあ、そこまでは。……ああ、いや。一度、こんな話を聞いたわ。宴の途中で、急に。それはもう、大の男が声を上げて」
「――《《いつ》》。どの季節だ」
「たしか、夏だったか。酒の席で」
俺は、そこで質問をやめた。
もう十分だった。
◆
その夜、俺は清洲城の兄の私室に通された。
人払いがしてあった。灯明が一つ。
「勘十郎。何を掴んだ」
「――症例を、一つ」
俺は、正座して両手を膝に置いた。
「《《症例・今川治部大輔義元。四十二歳》》」
信長の眼が、細くなった。
「まず、身体つき。都風の生活を好み、京の公家と交わり、食も酒も上等。……おそらく、太っておられる」
「それは知れたことだ」
「はい。問題はその先にござる」
俺は、指を一本立てた。
「輿に乗っておられる。それも、《《近年になってから》》。以前は馬にも乗られたという」
「足を病んでおるのだろう」
「では、どの足の病か」
俺は、指をもう一本立てた。
「膝の擦り減りであれば、痛みは緩やかに増しまする。ある日突然、宴の最中に絶叫するような痛みは来申さぬ」
「……絶叫」
「そう聞き申した。夏の宴席で、急に。大の男が声を上げるほどの痛みだったと」
俺は、兄の眼を見た。
「兄上。それがしの見立ては――《《痛風》》にござる」
◆
「痛風」
「京で道三先生から、この国での呼び名を教わり申した。……酒と、上等な肴を好む者が罹る病にござる」
俺は説明した。
――身体の中に、ある種の滓が溜まる。
旨いものを食い、酒を飲むほど、それは増える。溜まりすぎると、行き場を失って、身体の冷えやすい端――多くは《《足の親指の付け根》》に、細かな針のような形で沈む。
そして、あるとき、突然に。
その針が暴れ出す。
関節が焼けるように腫れ上がり、真っ赤になり、《《風が当たっても激痛が走る》》。だから痛風という。
「一晩でそうなり申す。前触れはほとんどない」
「……それが、義元に起きておると」
「起きており申した。そして――」
俺は、ここからが本題だ、という顔をした。
「兄上。この病には、《《起きやすい条件》》がござる」
「言え」
俺は、指を四本立てた。
「一つ。《《酒》》。特に、出陣の景気づけに大いに飲むような場合」
「二つ。《《汗をかいて、水が足りぬこと》》。五月の蒸し暑さの中を、鎧を着て何日も進めば、身体は干からび申す」
「三つ。《《旨いものを続けて食うこと》》。総大将ともなれば、道中、行く先々で馳走が出ましょう」
「四つ。《《慣れぬ疲れ》》」
俺は、指を握った。
「――兄上。この四つが、今、駿府から尾張へ向かう街道の上で、《《全部揃っております》》」
信長は、じっと俺を見ていた。
俺は続けた。
「それがしの見立てでは、義元公は、この行軍のどこかで足を病まれる。あるいは、すでに病んでおられるやもしれぬ」
「病んだら、どうなる」
「輿から、降りられなくなり申す」
――そこで、俺は言葉を切った。
兄が、ゆっくりと身を乗り出すのが分かった。
「もう一度言え」
「輿から、降りられなくなる」
俺は、はっきりと言った。
「痛風の発作が出た足は、地に着けることすらできませぬ。乗馬など論外にござる。……つまり」
俺は、この二年半で最も重い一文を口にした。
「《《いざというとき、逃げられませぬ》》」
◆
しばらく、誰も何も言わなかった。
灯明の芯が、じじ、と鳴った。
「――勘十郎」
信長の声は、驚くほど平坦だった。
「二万五千を、どう診る」
「病巣として診まする」
俺は即答した。
「大軍とは、大きな身体にござる。血の管が兵糧の道。細ければ、先から腐り申す」
「ふむ」
「五月の蒸し暑さ。行軍する兵は喉が渇き、目についた川や溜まりの水を飲みまする。止めても飲みまする。……三日から五日で、《《腹を下す者が出はじめる》》」
俺は、自分がこの二年半、必死に潰してきたものの話をしていた。
「そうなれば、まず速度が落ちまする。次に、隊列が伸びまする。そして、《《止まりまする》》」
「止まる」
「止まった大軍は、《《さらに腐りまする》》。糞の始末が追いつかず、水はますます汚れ、疫が広がる。……ゆえに大軍は、止まってはならぬのです。止まれば、それだけで自壊いたす」
俺は、指で畳に線を引いた。
「されば、義元公は止まりませぬ。止められませぬ。丸根、鷲津を落とし、大高へ兵糧を入れ、《《前へ前へと進み続ける》》」
そして、俺はもう一本、線を引いた。
「――なれど、人の身体は、進み続けられませぬ」
「……」
「必ず、どこかで休みまする。飯を食い、水を飲み、輿を下ろす。二万五千のうち、そのとき本陣を守っておるのは、ほんの数千」
俺は顔を上げた。
「膿は、切る場所を選びまする。周りをいくら押さえても意味がない。《《芯を、ひと突き》》にござる」
◆
信長は、長いこと黙っていた。
それから、こう言った。
「勘十郎。貴様、なぜ雨のことを言わん」
――どきり、とした。
「……雨、にございますか」
「貴様、さっきから一度も天気の話をしておらん。行軍の話も、疫の話も、腹の話もした。だが《《雨の話だけ、避けておる》》」
……この兄は、本当に、恐ろしい。
俺は、腹を括った。
「――降ります」
「ほう」
「五月の下旬、この地方は雨が多うござる。ことに、蒸し暑い日が続いた後には、《《たいそう激しい雨》》が来ることがある。夕立ではなく、天が抜けたような雨が」
「いつだ」
俺は、答えられなかった。
――知っている。
俺は、答えを知っている。
五月十九日。あの日、桶狭間には豪雨が降った。木が倒れるほどの雨だったと、後の世の記録は伝えている。
だが、それを《《どう説明すればいい》》。
空を見た。燕が低い。古傷が疼く。――そんな出鱈目で、この男を騙せるとは思えなかった。
「……分かり申さぬ」
俺は、正直に言った。
「日を当てることは、それがしにはできませぬ。ただ――近い、とだけ」
信長は、じっと俺を見つめていた。
その眼が、少しだけ、細くなった。
「勘十郎」
「はい」
「貴様は時々、《《知っていることを知らぬふりをする》》」
俺の背筋が、冷たくなった。
「……兄上」
「よい。言うな」
信長は、あっさりと手を振った。
「人には、言えぬことの一つや二つある。貴様が俺に嘘をつく男でないことは、この二年半で分かっておる。……言えぬことがあるなら、それは《《言えぬまま持っておれ》》」
俺は、深く頭を下げた。
この人が、時々、こういうことを言うから困る。
◆
五月十七日。今川本隊、沓掛城に入る。
五月十八日、夜。清洲城で軍議が開かれた。
俺も末席に連なった。
――そして、噂に聞いた通りのことが起きた。
家老たちが籠城を説き、地の利を説き、援軍の当てを説く。数字が飛び交い、声が荒くなる。
その間、上座の信長は、まったく別の話をしていた。
やれ今年の雨は多いだの、やれ堺から来た茶碗がどうだの、やれ誰それの女房が男を作っただの。
二刻ほどそれをやって、彼はあくびをした。
「――夜も更けた。皆、帰って寝よ」
家老たちは、呆然として散っていった。
廊下で、老臣の一人が吐き捨てるのを聞いた。
「運の末には知恵の鏡も曇るとは、まさにこのことよ」
――だが。
俺は、震えていた。
(この人は、《《何一つ喋らなかった》》)
軍議とは、情報が漏れる場だ。人が二十人集まれば、そのうち一人は今川に通じている。
だから兄は、《《何も決めなかったふりをした》》。決めていることは、口に出せば漏れる。漏れれば死ぬ。
人は彼をうつけと呼び、運が尽きたと嗤った。
だがこの夜、清洲城で唯一、《《正気だった》》のは、あの男だけである。
◆
俺は、その足で手当所の詰所へ向かった。
三百人が、灯を落とさずに待っていた。
「――皆、聞け」
俺は、板の間に立った。
「街道沿い、三か所に手当所を出す。中島、善照寺の後ろ、それと熱田の手前だ。竈は今から焚け。夜通し湯を沸かし続けろ。冷めたら沸かし直せ。《《絶やすな》》」
「へえ!」
「布と糸は、もう一度全部煮ろ。桶は満たせ。塩湯を、ありったけ作れ」
俺は、筵分けの十人を前に呼んだ。
「お前たちの役目は、明日、最も重い」
十人が、青い顔で立っていた。
「――手が震えるか」
一人が、正直に頷いた。
「震えて構わん」
俺は言った。
「震える手で決めろ。震えぬ手で決める者より、たぶん間違えん」
◆
五月十九日、寅の刻。
まだ夜明け前だった。
俺は詰所の板の間で、うとうとしていた。
その顔を、赤い光が撫でた。
――東の空が、赤い。
「勘十郎さま! 丸根と鷲津が!」
与一郎が転がり込んできた。
「火の手が上がっております! 今川が攻めかかったと!」
俺は、立ち上がった。
佐久間大学盛重。飯尾近江守定宗。あの砦を守る者たちは、おそらく朝までに死ぬ。
俺は、彼らを助けられない。手当所は間に合わない。あの砦へは、誰も行けない。
(――《《始まった》》)
◆
俺が本丸へ駆けつけたとき、そこには誰もいなかった。
いや、一人だけいた。
板敷きの中央で、白い小袖の男が、立っていた。
小姓が三人、片隅で息を殺している。
――そして、兄は、舞っていた。
思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる
――《《人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり》》
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
声は低く、抑えられていた。
だが、その一節を聴いた瞬間、俺の背中に、ざっと鳥肌が立った。
――《《人間五十年》》。
この男は今、自分が五十まで生きれば上等だと歌っている。
冗談ではない。
(――五十では、足りん)
俺は、心の中で怒鳴った。
(あんたには七十まで生きてもらう。俺がそう決めた。二年半前に、あんたに言った。約定だ)
舞い終えた信長は、こともなげに言った。
「法螺を吹け。具足をよこせ」
◆
立ったまま湯漬けを掻き込む兄に、俺は椀を差し出した。
「――兄上。これを」
「なんだ」
「塩湯にござる。それと、握り飯を三つ、懐に。……道中で必ず食え。空腹で戦うな」
信長は、椀を一息で干した。
「麦だな」
「はい」
「まずい」
「――結構」
彼は、湯漬けの椀を放り出して立ち上がった。
供は、まだ五騎しかいない。あとの兵は、追いかけてくるしかない。
馬に足をかけたところで、兄は振り返った。
「勘十郎」
「はい」
「輿の話だが」
「……はい」
「――《《当たっておれよ》》」
俺は、平伏した。
「御武運を」
顔を上げると、もう馬は門を出ていた。
夜明け前の闇の中へ、五騎が吸い込まれていく。
◆
俺は、その場に立ち尽くしていた。
――ここから先、俺にできることは、何もない。
この二年半、俺は必死にやってきた。井戸を直し、麦を炊かせ、傷を括り、筵を三つに分け、唄を作り、三百人を鍛えた。
だが今日この日、《《俺は前線にいない》》。
兄が死ぬか生きるかを、俺は決められない。
歴史では、兄は勝つ。
――だが、《《歴史はもう、俺が変えてしまった》》。
稲生の戦いは起きなかった。勝家は死にかけていない。兵は麦を食い、水を煮ている。俺が触ったことで、この世界は、俺の知っている歴史と少しずつずれている。
ずれた先で、兄が今日死なない保証が、どこにある。
俺の手が、震えていた。
――四十年、俺は手術室で手が震えたことがない。
「勘十郎さま」
与一郎が、隣に立った。
十六の少年は、俺の手を見て、それから、少し笑った。
「震えて構わぬ、と仰せになりました」
「……」
「震える手で決めろと。震えぬ手で決める者より、たぶん間違えぬと」
俺は、しばらく黙っていた。
それから、自分の手を握り込んだ。
「――そうだったな」
俺は、東の空を見た。
丸根と鷲津の火が、まだ燃えている。
その上に、重く垂れ込めた雲があった。
(――来い)
俺は、空に向かって念じた。
(降れ。あの日と同じだけ、降れ)
「与一郎。手当所へ戻るぞ」
「はい!」
「今日は、長い一日になる。……いや」
俺は、走り出しながら言い直した。
「《《この国で一番長い一日》》だ」
◆
永禄三年 五月十九日 寅の刻
丸根・鷲津、炎上。
兄上、敦盛を舞い、五騎にて出立。
――「人間五十年」と歌われたり。断じて足りぬ。
症例・今川治部大輔義元、四十二歳。痛風の疑い濃厚。
所見あらば、輿より降りられぬはず。
すなわち――《《逃げられぬはず》》。
残り、二十二年。
――第一章「尾張診療録」 了
今回、勘十郎が今川義元に下した見立ては痛風です。
体内に尿酸という物質が増えすぎると、行き場を失った分が結晶になって関節に沈着します。とりわけ足の親指の付け根に溜まりやすく、あるとき突然、関節が赤く腫れ上がって激痛を起こします。風が当たっても痛いから痛風、という名は誇張ではありません。ほとんどの場合、一晩で発症します。
発作の引き金になるのは、飲酒、脱水、豪華な食事、そして疲労です。作中で勘十郎が指摘したとおり、この四つは長距離の行軍でそろって揃います。
義元が輿に乗っていたことは史実として伝わっており、その理由については公家風の権威づけとする説、肥満とする説などがあります。痛風であったという確たる史料はありません。今回はあくまで、限られた伝聞から現代の医師が組み立てた推論として描きました。ただ「輿から降りられないということは、いざというとき逃げられない」——この一点は、実際に起きたことと不気味なほど噛み合います。
もう一つ。大軍を一個の身体として診る、という視点について。前近代の軍隊で最も多くの兵を殺したのは戦闘ではなく、赤痢や腸チフスなどの消化器感染症でした。大軍ほど排泄物の処理が追いつかず、水源が汚染され、そして行軍が止まった瞬間に自壊が始まります。「止まった大軍は腐る」というのは、比喩ではなく実際の疫学です。
そして、あの軍議について。
信長が何も決めずに雑談で解散させたのは史実です。当時の家臣は「運の末には知恵の鏡も曇る」と嘆いたと伝わります。ですが人が二十人集まる場に、内通者が一人もいないと考えるほうが不自然でしょう。あの夜、清洲城で唯一正気だったのは誰か——という読み方も、できると思います。
第一章「尾張診療録」は、これで完結です。
次話より第二章「桶狭間の輿」が始まります。空が、そろそろ落ちてきます。
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