外伝四「白い小便」(三) 八分残っておる
治りません。
――ですが、悪くしないことはできます。
蚊帳を、百張買った。
爺さまが、銭を出した。
「爺さま。……百張は、いささか」
「足りるのか」
爺さまは、削りかけの竹から目を上げずにそう聞いた。
「いえ。……足りませぬ」
「ならば、《《二百買え》》」
六十七になった男は、そう言った。
痩せて、日に灼けて、髭が真っ白である。この島へ来てから、日本にいた頃より肌が黒くなった。首の傷跡だけが、そこだけ白く残っている。
「爺さま。……なにゆえ、そこまで」
爺さまは、面倒くさそうに答えた。
「四十年前に、《《同じことをやった》》。五百張だ」
竹の削り屑が、板の床に落ちた。
「家老どもが、蚊が病を運ぶなどと言うて笑うた。それで、《《砦の兵が、溶けなんだ》》」
わたしは深く頭を下げた。
「与一郎」
「はい」
「あのとき、勘十郎は何と言うた」
わたしは書で読んでいた。何度も読んだ箇所である。
「『間違うておっても、失うのは布代だけにござる』と。……『当たっておれば、兵が溶けずに済みまする』と」
爺さまは鼻を鳴らした。
「ならば、買え。布代など、どうということもない」
◆
だが、配るのが難物だった。
ただで配ると言うても、受け取らぬ。
「暑うございます」
「風が通りませぬ」
「蚊など、どこにでもおりまする」
先生の書に、こうある。
――一、予防の触れは、《《必ず笑われる》》。なにゆえなら、《《まだ病んでおらぬ者に、面倒を強いる》》ものだからである。――ゆえに、笑われて当然と思え。そして、《《笑わぬ者を、一人作れ》》。
越後では、刺し口を見つけられた九人がそれになった。肥前では、六十年蟹を呑ませてきた婆さまが。美濃では、黄色い手をした坊さまが。
この島では――
◆
わたしは、六助のところへ行った。
昼下がりで、家の中は蒸していた。開け放した戸から、椰子の葉の影が土間に落ちている。
「六助どの。一つ、お願いがござる」
六助は、わたしの顔を見て笑った。
「脚を、見せよと仰せでございましょう」
わたしは言葉に詰まった。
「……さようにござる」
「町の衆の前で、でございますな」
「さようにござる」
「《《ひどいことを申されます》》」
六助はそう言った。
そして、こう続けた。
「なれど――それがしは、二十年、隠しておりました。隠して、《《何もよいことがございませなんだ》》」
◆
その日、六助は町の広場に出た。
四人がかりで運ばれた。戸板の上に座り、太い右脚を前へ投げ出す形になった。
広場には、日除けに椰子の葉を渡した仮小屋がある。その下に人が集まった。百人はいたと思う。
六助は、掛け物をめくった。
町が、静まり返った。
誰かが息を呑む音がして、それから、しばらく何の音もしなかった。風で椰子の葉が擦れる音だけがしていた。
「見てくだされ」
六助はそう言った。
「それがしは、二十年前、《《ただ夕方に脚がだるうなるだけ》》でございました。朝には、引いておりました」
「それが、《《これになりました》》」
彼は、そこで町の者の顔を見渡した。
「この町に、《《夕方に脚のだるうなる者》》が、何人おられます」
誰も、答えなかった。
だが、その夜、蚊帳が四十張、出ていった。
◆
わたしは、そこで先生がやられたことを真似ようとした。
四十四年前、尾張で。
四百人をくじで二つに分けられた。片方に麦を食わせ、片方に白飯を食わせ、そして三月後に数えられた。
わたしは、同じことをやろうとした。
だが、できなかった。
「万作」
わたしは、帳面を前にしてそう言った。
「この病は、《《十年かかる》》」
「ならば、蚊帳が効いたかどうかは――《《十年後にしか分からん》》」
「わたしは、六十八になっておる。……たぶん、《《おらん》》」
万作は、しばらく黙っていた。
筆を持ったまま、天井の梁を見上げていた。
そして、こう言った。
「与一郎さま」
「なんだ」
「それがしは、《《五十二でございます》》」
「十年後は、六十二。――《《おりまする》》」
わたしは、その言葉に何も返せなかった。
「万作」
「はい」
「ならば、《《帳面をつけろ》》」
わたしはそう言った。
「蚊帳を受け取った家と、受け取らなんだ家を、名で書け。そして、《《十年後に数えろ》》。脚のだるうなった者が、どちらに多いか。それが、《《答えだ》》」
万作は、帳面を作った。
字は、下手だった。だが、一軒ずつ、名を書いた。書き終えるまで、五日かかった。
◆
六助のところへは、毎日通った。
治せぬ。それは、初日に告げてある。
だが、できることがいくつかあった。
「六助どの。……三つ、やっていただきたい」
「一つ。《《脚を、高くして寝てくだされ》》」
わたしはそう言った。
「夜のあいだ、脚の下に荷を積んで、《《胸より高くする》》。水は、低いところへ行き申す。脚を高くすれば、いくらかは戻りまする」
「二つ。《《脚を、毎日洗ってくだされ》》」
「洗う、でございますか」
「さようにござる。湯で、《《皺の間まで》》。そして、乾かしてくだされ」
「なにゆえ」
「六助どの。……年に何度か熱が出ると申されましたな」
「さようで」
「あれは、《《皮の割れ目から、悪いものが入っておる》》のだと存じまする」
わたしは、その太い脚の皺を指した。深い溝の底は、いつも湿っている。
「脚が腫れれば、皮が突っ張って割れ申す。そこから入ったものが、水の道を上ってゆく。そして、股の付け根が腫れ、熱が出る」
「その熱が出るたび、《《道がまた一つ潰れまする》》」
わたしはそう言った。
「ゆえに――《《熱を減らせば、進みが遅うなり申す》》」
六助は、わたしをじっと見ていた。
「与一郎さま。それは、《《治るということでございますか》》」
「治り申さぬ」
わたしは即座にそう答えた。
先生の書に、こうある。
――症が軽くなることと、病が治ることは、《《違う》》。これを取り違えると、医者は嘘をつくことになる。
「この脚は、《《元には戻り申さぬ》》。なれど――《《これ以上、悪くしないことはできまする》》」
◆
「三つ目は」
六助がそう聞いた。
「三つ目は――《《歩いてくだされ》》」
六助は笑った。
「歩けませぬゆえ、お呼びしたのでございますが」
「歩けまする」
わたしはそう言った。
「杖を、二本作りまする。それと、《《台車》》を」
「この町には、船大工が四十人おりまする。台車の一つや二つ、半日で作りまする」
「なにゆえ、そこまで」
六助がそう聞いた。
わたしは、こう答えた。
「六助どの。……わたしの師は、四十一年前、《《足を一本切り落とした男を診申した》》」
「その男は、足軽でござった。足がなければ、槍が持てぬ。槍が持てねば、禄がない。……そう申して泣いており申した」
「それで」
「師は、《《木の足を、七本作られました》》」
わたしはそう言った。
「七本目で、その男は歩き申した。そして――《《八百人に、医術を教えるようになり申した》》」
わたしは、そこで一度、言葉を切った。
外で、椰子の葉が鳴っていた。
「六助どの。……師は、こう申されました」
――人は、《《失うたもので生きるのではない》》。《《残ったもので、生きる》》。
「貴殿には、《《左の脚がござる》》。両手がござる。二十年、この町で商いをしてこられた頭がござる」
「――《《まだ、八分残っておる》》」
六助は、両手で顔を覆った。
そして、長いこと泣いた。
◆
台車は、三日でできた。
船大工が四人がかりで作った。車輪は、船の滑車を転用したものである。座る板の縁に、握るための取っ手まで彫ってあった。
六助は、それに乗って町へ出た。
最初の日、町の者は目を逸らした。
三日目には、見た。
十日目には、話しかけた。
そして、一月後。
六助のところへ、人が来るようになった。
「おれも、夕方になると脚が」
「見てもらえぬだろうか」
わたしのところではない。六助のところへ、である。
「与一郎さま」
六助は、困った顔でそう言った。
「それがしは、医者ではございませぬ」
「なれど、《《脚は、貴殿のほうが詳しゅうござる》》」
わたしはそう答えた。
「二十年、ご自分の脚を見てこられた。わたしは、一月しか見ておらぬ」
先生の書に、こうある。
――一、切られたる者に、最も効く薬のこと。医者の言葉にあらず。――《《先に切られ、そして歩いておる者》》の言葉なり。ゆえに、手当所には必ず、そういう者を一人置くべし。
わたしは、その項を写して、六助に渡した。
「六助どの。……貴殿が、《《その一人にござる》》」
象皮病に対して、現在も「元に戻す」治療はありません。
ですが、進行を防ぐケアは確立しています。そしてそれは、驚くほど地味なものです。
脚を心臓より高くして寝ること。毎日、患部を石鹸と水で丁寧に洗い、皺の間まで乾かすこと。そして、動くこと。
この二つ目が特に重要です。
腫れた脚では皮膚が伸展して亀裂が生じ、そこから細菌が侵入します。すると急性のリンパ管炎発作が起こり、発熱します。そして発作のたびに、残っていたリンパ管がさらに破壊され、腫れが悪化します。
つまり、洗うことが治療です。
世界保健機関が推進する象皮病のケアも、この皮膚衛生と患肢挙上、そして運動を柱としています。高価な薬ではなく、水と石鹸と、毎日続けることが、進行を左右します。
そしてもう一つ、今回書きたかったのは、隠さないことの意味です。
この病の患者が最も苦しむのは、多くの場合、症状そのものではありません。人目に触れることを避け、家に閉じこもり、そして誰にも相談できないまま二十年が過ぎる——それが被害の本体です。
次話で完結します。
お読みいただきありがとうございました。




