外伝四「白い小便」(二) 水の道
脂っこいものを食べた翌朝、小便が白くなる。
その夜、わたしは食い物のことを考えていた。
脂っこいものを食うと、小便が白くなる。
これは、途方もない手がかりである。
なぜなら――《《食うたものが、小便に出ておる》》からだ。
本来、そんなことは起きぬ。飯は腹で溶け、身体に入り、そして肉と力になる。小便に脂が出てくる道理がない。
だが、出ておる。
ならば――《《どこかで、道が繋がっておる》》。
◆
翌朝、わたしは南蛮寺の書庫へ行った。
この町には、南蛮の坊主がいる。日本を追われた者も、何人か混じっていた。
書庫は、湿気を嫌って高床になっていた。中は薄暗く、革表紙の書物が横積みにしてある。天井から吊るした籠に、乾燥した草を入れて虫除けにしていた。
そして、人の身体の絵がある。
先生が十四年前に手に入れられたものと、同じ版である。
わたしはそれを、丸一日繰った。頁を繰るたびに、細かい埃が舞った。
そして、見つけた。
腹の奥、背骨の前。
血の道とは別に、細い管が描かれていた。脚から上ってきて、腹の奥で束になり、胸へ上がっている。そして、首の付け根で血の道に合流していた。
わたしは、その絵を長いこと見ていた。
先生は、こう教えられた。
――一、人の身体には、《《血の道のほかに、水の道がある》》。傷が腫れるとき、そこに溜まるものである。――膿ではない。透きとおった水である。
先生は、それを《《水の道》》と呼ばれた。首の付け根や、腋の下や、股の付け根が腫れるのは、その道の節が腫れるのだと。
◆
わたしは、その場で紙を出した。そして、一気に書いた。
――一、水の道は、脚より上って腹の奥を通り、首の付け根にて血の道へ入る。
――ならば、《《腸から吸うた脂も、この道を通るはずである》》。
――※脂を食うた翌朝に小便が白くなるは、
――《《腹の奥で、水の道が破れ、小便の道へ漏れておる》》からと考える。
――※なにゆえ破れるか。
――《《詰まっておるゆえ》》である。
流れが行き場を失えば、《《手前で圧が上がり、弱きところが破れる》》。
「万作」
その晩、わたしは船へ戻って、そう呼んだ。
「六助どのの脚が、なにゆえ腫れるか、分かった」
「なにゆえで」
「《《水の道が、詰まっておるのだ》》」
わたしはそう言った。
「脚から上る道が、股の付け根で塞がっておる。ゆえに、脚に水が溜まる。そして、行き場を失うた水が、腹の奥で漏れて、小便に混じる」
「なるほど」
万作はそう言った。だが、すぐにこう聞いた。
「なれど、与一郎さま。《《なにゆえ、詰まったのでございます》》」
◆
それが、次の問いだった。
わたしは、町の者を片端から診はじめた。
脚の腫れておる者はおらぬか、と触れを出した。
誰も、来なかった。
当たり前である。六助が二十年隠していたものを、人前に出す者がおるか。
「万作」
三日目に、わたしはそう言った。
「触れを、変える」
「いかがなさいます」
「『年に何度か、股の付け根が痛んで熱が出る者』を診る、と触れろ。《《脚のことは、言うな》》」
◆
七人、来た。
日本人が四人。この島の者が三人。
診療の場所は、町の会所を借りた。竹の壁で、風がよく通る。日中は暑いので、朝と夕に分けて診た。
わたしは、一人ずつ股の付け根を診た。
そして、七人とも腫れていた。豆ほどではない。鶏卵ほどの塊が、皮の下にあった。
「脚を、診せていただきたい」
七人のうち、五人が拒んだ。
わたしは無理に見なかった。代わりに、こう言った。
「わたしは、六助どのを診申した。脚が、象のようになっておられた」
七人が、いっせいに顔を上げた。
「六助どのが、《《見せてもよいと申された》》」
わたしはそう言った。
「『同じ病の者が、隠れて死ぬのは、たまらぬ』と」
◆
五人のうち、三人が脚を出した。
三人とも、片脚だった。
一人は、まだ軽い。夕方だけ腫れる、という段階である。もう一人は、中ほど。朝も引かなくなっている。
そして一人は、六助と同じだった。
わたしは、そこで大事なことに気づいた。
――《《日本人と、この島の者が、混じっている》》。
「万作。書け」
――一、この病は、《《日本人にも、この島の者にも、同じように出る》》。
――ゆえに、《《血筋によるものではない》》。
――ゆえに、《《祟りでも、業でもない》》。
――《《この土地に、元がある》》。
「与一郎さま」
万作がそう聞いた。
「なれば、《《土地の何が》》」
「それを、これから調べる」
◆
わたしは七人に、同じことを聞いた。
――一、この島に、何年おるか。
――二、水はどこの水を飲むか。
――三、田や沼に入るか。
――四、生で食うものはあるか。
越後で、肥前で、美濃で、わたしが覚えたことである。水。土。食い物。
答えは、どれもばらばらだった。
水は違う。田に入る者も入らぬ者もいる。生で食うものも違う。
ただ、一つだけ、揃っていた。
――七人とも、《《この島に十年以上おる》》。
「与一郎さま」
万作がそう言った。
「それがしは、《《三年しかおりませぬ》》」
「そうだ」
「そして、脚はなんともない」
「そうだ」
わたしはそう答えた。
「万作。……この病は、《《ゆっくり来る》》。十年、いや、それ以上かかる」
「ゆえに、元は、《《毎日少しずつ入っておるもの》》だ。一度に大量に入るものではない」
◆
わたしは、そこでふと顔を上げた。
日が暮れかけていた。会所の竹の隙間から、赤い光が縞になって差し込んでいる。
そして、耳元で音がした。
――ぷうん。
わたしは動きを止めた。
「万作」
「はい」
「この島に、《《毎日、少しずつ、必ず身体に入るもの》》は、何だ」
万作は、首筋を叩いた。そして、掌を見た。
蚊がついていた。
◆
わたしは立ち上がった。
先生の書、第一巻に、こうある。
――一、瘧のこと。悪い気にあらず。《《蚊が運ぶ》》。病んだ者の血を吸うた蚊が、次の者を刺すときに移す。――証は立てられぬ。証の立たぬまま書き残す。
四十年前、先生が墨俣で書かれたものである。
蚊帳を五百張買い、水溜まりを埋め、蚊遣りを絶やさなかった。そして、砦の兵が溶けなかった。
「万作。七人に、もう一つ聞く」
わたしはそう言った。
「《《蚊帳を吊っておるか》》」
◆
答えは、七人とも同じだった。
――吊っておらぬ。
「なにゆえ」
「暑うございますゆえ」
一人がそう答えた。堺の出の、三十がらみの男である。
「蚊帳を吊ると、《《風が通りませぬ》》」
わたしは、その言葉に深く頷いた。
正しい。
この島の暑さで蚊帳を吊れば、眠れぬ。ゆえに、誰も吊らぬ。
そして、毎晩、刺され続ける。十年、二十年。
「万作。書け」
――一、この病の元、《《蚊》》と考える。
※理由、三つ。
一、水・土・食い物では、《《揃わぬ》》。
二、この島に《《十年以上おる者にのみ》》出る。
――毎日少しずつ入るものである。
三、《《この地では、暑さゆえ、誰も蚊帳を吊らぬ》》。
※証は立たぬ。
――蚊の腹を割いても、それがしには何も見えぬ。
――《《証の立たぬまま、書き残す》》。
――いつか、誰かが見つける。
◆
万作が、筆を止めた。
「与一郎さま」
「なんだ」
「この一行、《《いつも書いておられますな》》」
「そうだな」
「先生も、書いておられたのでございますか」
「書いておられた」
わたしはそう答えた。
「瘧のときも。甲斐の貝のときも。……そして、《《叱られて、そう書くようになられた》》」
「誰にで」
「《《先生の先生に、だ》》」
曲直瀬道三というお方である。
わたしは二十六の年に、一度だけお会いした。京の啓迪院で、先生の供をしていったときである。もう七十を越えておられて、背が丸まり、手が震えていた。
そのとき、こう言われた。
――医の書はな、《《正しいことだけ書いておっては、痩せる》》。
――「こうしたら、こうなった。理由は知らぬ」――《《これを書き残せ》》。《《百年後の誰かが、その理由を見つける》》。
今回の決め手は二つです。
一つは、痛みの走行方向です。
通常の細菌感染によるリンパ管炎では、傷のある末梢から中枢へ向かって、赤い筋が上行します。足の傷から始まって、脛、膝、太腿へと上がっていきます。
ところがこの病では、逆になります。鼠径部から膝へ向かって、上から下へ広がる。
これは病態の違いを反映しています。成虫が鼠径部のリンパ節付近に住みついているためで、極めて特徴的な所見とされています。
もう一つが、乳糜尿です。
食事に含まれる脂肪は、腸から吸収された後、血管ではなくリンパ管を通って運ばれます。脚から上ってきたリンパ管と合流し、腹部で束になり、胸を上って、鎖骨の下で静脈に合流します。
このリンパ管が閉塞すると、上流の圧が上がり、腎臓や尿路のあたりで破綻して、リンパ液が尿路へ漏れ出すことがあります。
結果、尿が乳白色に濁ります。そして脂肪分の多い食事の後ほど、顕著になります。
尿が白くなる病態は多くありません。そして「食べたもので濃くなる」という事実は、それが超自然的な現象ではないことの、何よりの証明でもあります。
次話、治せない病にどう向き合うかを書きます。
お読みいただきありがとうございました。




