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転生軍医、織田信勝 ―本能寺を消す処方箋―  作者: 東雲 諒杏
外伝四「白い小便」 

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外伝四「白い小便」(四・完) 七十

外伝四、最終話です。

 そして、外伝完結となります。


 ――慶長九年五月。あの人が、七十になります。

その年の秋、明の商人から妙な話を聞いた。


 薬種を扱う男である。年に二度、この島へ来る。会所の縁で、乾いた根を選り分けながら世間話をしていた。


「医者どの。……脚の腫れる病を診ておられるとか」


「さようにござる」


「あれは、《《ここだけではございませぬぞ》》」


 わたしは顔を上げた。


「どこにござる」


「明の南にも、安南にも、暹羅シャムにも」


 彼はそう言った。根を一つ、日に透かして見ながら続けた。


「それと――《《日本にも、ございましょう》》」


 わたしは、その言葉に動きを止めた。


「日本」


「琉球で、見たことがございます。それと、《《薩摩でも》》」


 わたしは、その場に座り込みそうになった。


「まことか」


「まことにございます。南の、暖かい土地にございます。北では、聞きませぬ」


          ◆


 わたしは、その夜、眠れなかった。


 ――日本にも、ある。


 薩摩。琉球。そしてたぶん、日向にも、土佐にも。


 南の、暖かい土地。《《蚊の多い土地》》である。


 先生は、行かれなかった。


 尾張。美濃。京。近江。播磨。甲斐。九州の南までは、届かなかった。


 ゆえに、『手当書』に、ない。


 わたしは起き上がって、灯りをつけた。船の板が、夜の熱でまだ温かかった。


 そして、書きはじめた。


  ――一、脚の腫れる病のこと。

   この地の者は、「象の脚」と呼ぶ。


   症――

    一、《《片脚のみ腫れる》》。(両脚ならば、別の病を考えよ)

    二、《《押しても凹まぬ》》。

    三、皮が厚く硬く、深き皺を刻む。

    四、年に数度、熱の発作あり。

    五、《《その痛みは、股より膝へ、上から下へ走る》》。

     ――腫れ物は下から上へ上がる。《《これは逆である》》。

    六、《《小便が、牛の乳のごとく白くなる》》。

     ――《《脂を食うた翌朝に、特にひどい》》。


   ※《《六が、決め手である》》。

    小便の白くなる病を、他に知らぬ。

    ――そして、《《食うたもので濃くなる祟りはない》》。


   道筋――《《水の道が、股の付け根にて詰まる》》と考える。

    脚の水が戻れず、溜まる。

    行き場を失うた水が、腹の奥にて漏れ、小便の道へ入る。

    ――ゆえに、脂が小便に出る。


   元――《《蚊》》と考える。

    ※水・土・食い物では揃わず、《《この地に十年以上おる者にのみ出る》》。

     ――毎日少しずつ入るものである。

    ※証は立たぬ。証の立たぬまま、書き残す。

     ――いつか、誰かが見つける。


   手当て――《《薬なし。治らぬ》》。

    なれど、《《進みを遅らせることはできる》》。

     一、夜、脚を胸より高くして寝かせよ。

     二、《《毎日、湯にて洗い、皺の間まで乾かせ》》。

      ――皮の割れ目より悪しきものが入り、熱の発作を起こす。

      ――発作のたびに、水の道が一つ潰れる。

      ――ゆえに、《《洗うことが、治療である》》。

     三、歩かせよ。台車でも、杖でもよい。――《《隠れさせるな》》。


   予防――《《蚊帳》》。

    ※この地は暑く、誰も吊らぬ。ゆえに笑われる。

    ――笑わぬ者を、一人作れ。


   ※この病、《《日本にもある》》と聞く。

    薩摩。琉球。おそらくは日向、土佐にも。

    ――南の、暖かき土地である。

    ――《《先生は、そこまで行かれなかった》》。


          ◆


 わたしはそこまで書いて、筆を止めた。


 そして、最後にこう書いた。


   ※この項、《《日本へ送る》》。

    ――薩摩の医者に、届くまで、何年かかるか分からぬ。

    ――それがしは、たぶん、《《届いたことを知らずに死ぬ》》。

     ――それでよい。


 書は、明の商人に託した。


 明から、日本へ。そして、京の啓迪院へ。


 宗吉が、八巻目に綴じるはずである。


          ◆


 慶長八年、五月。


 爺さまが、七十になられた。


 わたしは五十八である。


 太吉丸は、まだこの島にいた。いや――一度、暹羅まで行って、戻ってきた。


 爺さまは、その航海に乗られた。六十九であった。


 わたしは止めた。


「爺さま。……お身体が」


「与一郎」


「はい」


「俺は、《《船を作った》》。乗らずに死ぬ気か」


 わたしは何も言えなかった。そして、一緒に乗った。


          ◆


 七十の朝。


 わたしは、いつも通り脈を取った。


 整。やや硬い。六十台の後半。


 右の肘は、相変わらず伸びきらぬ。坂を登れば、息が切れる。


 だが、生きておられる。


「爺さま」


 わたしはそう言った。


「七十にございます」


 爺さまは、何も言わなかった。


 ただ、立ち上がって、外へ出ていかれた。


          ◆


 わたしは追わなかった。


 だが、四半刻して、心配になった。医者の癖である。


 爺さまは、湊にいた。


 朝の潮が引きかけていて、桟橋の杭に貝がびっしりついているのが見えた。空が、まだ白い。


 太吉丸の舳先の下に立っておられた。


 墨で書かれた三文字を、見上げておられる。


 十四年前、堺の船大工どもが勝手につけた名である。六年目に、骨組みから落ちて死んだ男の名だという。


 わたしは、柱の陰で足を止めた。


 声をかけるべきかどうか、迷った。


 そして、迷っているうちに――


 爺さまが、口を開かれた。


「勘十郎」


 わたしは息を止めた。


「七十だ」


 海の音がしていた。桟橋の下で、水が杭に当たっては返っている。


 それきり、長いこと何も言われなかった。


 わたしは動けなかった。


 やがて。


「……《《世話になった》》」


 それだけだった。


          ◆


 その日の夕、爺さまはいつも通りに飯を食われた。


 そして、船大工どもと舵の話をしておられた。舵の板をもう一寸厚くするかどうかで、若い者と言い争っていた。


 わたしは、その晩、文を書いた。宗吉宛である。


  ――宗吉どの。

  ――爺さまが、《《七十になられた》》。


  ――脈、整。やや硬し。

  ――右肘、伸展制限。坂にて息切れ。

  ――《《それ以外、なし》》。


  ――暹羅まで行って、戻ってこられた。

  ――《《六十九にてである》》。


 わたしはそこまで書いて、手を止めた。


 書くべきかどうか、迷った。


 あれは、わたしが聞くべきものではなかった。


 だが。


 先生は、こう書き残された。


 ――一、医者は、《《負けた記録を残さねばならぬ》》。文は患者のもの、《《カルテは医者のもの》》である。


 これは、負けた記録ではない。


 だが、《《残さねばならぬ記録である》》。


 わたしは筆を取り直した。


  ――それと、一つ。


  ――本日、爺さまが、《《船の舳先に向かって、こう申された》》。


   ――「勘十郎。七十だ」

   ――「……世話になった」


  ――それだけである。


  ――なれど――《《十四年前の約定は、果たされた》》。


  ――先生に、お伝え願いたい。


  ――墓は、京にあると伺うております。それがしは、《《たぶん、行けませぬ》》。


  ――ゆえに、《《宗吉どのが、行ってくださいませ》》。


 文は、翌月の船で出た。


 日本まで、早くて三月。遅ければ、一年。


          ◆


 その夜、わたしは甲板に出た。


 南の海には、冬がない。ゆえに、一年じゅう蚊がいる。そして、一年じゅう病がある。


 わたしは蚊帳の中で寝ている。暑い。風が通らぬ。だが、吊っている。


 万作が、帳面をつけている。


 蚊帳を受け取った家、八十七軒。受け取らなんだ家、百四十二軒。


 十年後に、数える。


 わたしは、たぶん、おらぬ。


 五十八である。心の臓が、時々、妙な打ち方をする。夜中に、それで目が覚めることがある。


 先生と、同じ齢に近づいている。


 先生は、五十七で亡くなられた。わたしは、1年、余分に生きている。


          ◆


 甲板の向こうで、誰かが唄っていた。


 船大工である。ふなばたに腰かけて、繕い物をしながら唄っていた。


 節は、知っているものだった。


  ――ひとつ、押さえよ 離すな覗くな


 四十七年前、岐阜城の裏庭で作られたものである。字の読めぬ三百人のために。


 作ったのは、織田の姫だと聞いている。


 その名を知る者は、もう、この船に一人もおらぬ。


 ――いや。


 一人、おられる。


 だが、その方は、何も言われぬ。


 船大工が、二番を唄った。


  ――ふたつ、寝る前 蚊帳を吊れ


 わたしはそれを聞いて、笑った。


 越後では、島虫の唄になった。肥前では、蟹の唄になった。美濃では、秋疫の唄になった。


 そして、呂宋では、蚊帳の唄になった。


 歌詞は、どこでも変わる。節だけが、変わらぬ。


 海を、越えていた。


          ◆


 先生は、こう書き残された。


 ――一、唄は、伝染する。紙は焼ける。人は死ぬ。――《《だが唄は、人の口から口へ、勝手に移ってゆく》》。


 先生は、日本を出られなかった。


 船を見に行くこともできず、戸板に乗せられて湊まで運ばれた。そして、それが最後の遠出だった。


 だが、唄は、呂宋まで来ている。


 わたしは、蚊帳の中に戻った。麻の目を通して、灯りが滲んで見える。


 そして、目を閉じた。


 十年後に、万作が数える。


 答えを、わたしは知らぬ。


 だが、《《答えが出ることは、知っている》》。


 それで、十分である。


          ◆


  ――外伝四「白い小便」 了

  ――      外伝 完

外伝四「白い小便」、これで完結です。あわせて外伝四部作も完結となります。


 リンパ系フィラリア症は、日本では一九七〇年代に根絶されました。世界的にも、集団投薬による制圧が進められています。


 ですが慶長六年の与一郎には、薬がありません。彼にできたのは、進行を遅らせるケアを教えることと、蚊帳を配ることだけでした。


 そして蚊帳の効果は、十年経たなければ分かりません。


 彼はそれを、確かめられません。


 ――


 外伝四部作を通じて書いたのは、同じ一つのことでした。


 医療において、最も多くの命を救う行為は、たいてい効果が見えません。


 手を洗うこと。刃物を煮ること。蚊帳を吊ること。傷を洗うこと。生で食べないこと。熱が下がっても寝ていること。


 どれも地味で、面倒で、そして——それを守ったおかげで発症しなかった人は、自分が救われたことを永遠に知りません。


 本編第五十話で、主人公はこう書き残しました。


 「医者は、自分が蒔いた種の実を、たいてい見ずに死ぬ」


 外伝一で宗吉は、二十年前に自分が定めた作法が越後の寺で人を生かしていたことを知りました。外伝三では、笑ったせいで一人を死なせました。外伝二と四で与一郎は、治せない病を二つ見つけ、どちらも治せませんでした。


 それでも、書きました。


 そして唄が、越後から肥前へ、美濃へ、呂宋へと渡っていきました。歌詞はどこでも変わり、節だけが変わらず、作り手の名を知る者は誰もいません。


 ――


 最後に、四十六年前の約束について。


 本編第五話で、二十四歳の勘十郎は兄にこう言いました。


 「家督は要りませぬ。代わりに、兄上の身体を、それがしに預けていただきたい」


 そして第十二話で、こう言いました。


 「人間五十年では足りぬ。六十でも足りぬ。七十まで生きていただく」


 彼はその約束を果たせないまま、五十七で亡くなりました。


 第五十話で、兄はこう答えています。


 「七十まで生きる。そして、そのときに礼を言う。……貴様がおらんでもな」


 慶長九年五月。


 果たされました。


 長らくのお付き合い、まことにありがとうございました。

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