外伝三「秋疫」(三) 戦が置いていったもの
戦は、九月十五日に終わりました。
十日目、わたしは絵図を描きはじめた。
四十三年前、先生が中村という村でやられたことである。そして三年前、越後でわたしがやったことである。
「弥兵衛。村の家を、全部描け。病んだ者の家を、黒く塗れ」
半日で、紙が埋まった。
そして、散っていた。
「宗吉さま。……また、偏っておりませぬ」
「そうだな」
わたしはその紙を、長いこと見ていた。
先生は、こう言われた。――偏りが出ぬなら、《《別の軸で塗れ》》。
「弥兵衛。水だ。井戸を、書き込め」
この村には、井戸が四つあった。斜面の上から下へ、順に並んでいる。
そして、病んだ者は四つとも使っていた。
「井戸では、ない」
わたしはそう言って、次の軸を選んだ。
「弥兵衛。二十三人に、聞け。倒れる前の十日ほど、何をしておったか」
◆
答えは、ほとんど同じだった。
――田に入った。
村の者は、倒れた稲を起こしに。兵は、踏み倒された稲の下から、散らばった兵糧を拾い集めに。
「宗吉さま。……田でございます」
「だが、弥兵衛」
わたしはそう言った。
「この村で、田に入っておらぬ者が、何人おる」
弥兵衛は言葉に詰まった。
「……ほとんど、おりませぬ」
「そうだ。百姓の村だ。みな、田に入る」
わたしは絵図を膝に置いた。
「ゆえに、《《田に入ったこと》》は、答えにならん」
「ならば、何が」
「《《田に入った者のうち、病まなかった者との違い》》だ」
◆
わたしはその日から、病んでいない者を調べはじめた。
これは、越後で覚えたことである。
病んだ者ばかり見ていると、答えは出ない。八十を越えた婆が十月世話をして病まなかった――あれが、一番大きな手がかりだった。
「弥兵衛。田に入って、病んでおらぬ者を、二十人集めろ」
庭に、二十人が並んだ。
みな、怪訝な顔をしていた。病んでいないのに医者に呼ばれる意味が分からないのである。
わたしは、その二十人と、病んだ二十三人の両方に、同じことを聞いた。
――一、田に入るとき、履物を履いたか。
――二、何刻ほど、水に浸かっておったか。
――三、田の水を、飲んだか。
――四、《《足に、傷があったか》》。
四つ目を聞いたのは、なんとなくである。
先生の書に、こうあったからだ。
――一、病の元が水にあると疑うたときは、《《傷を聞け》》。水は、傷から入ることがある。甲斐の腹の膨れる病は、傷なくとも入るが、傷があれば、なお入りやすい。
◆
結果は、驚くほどはっきりしていた。
わたしは、庭の石に腰を下ろして、その紙を二度読み直した。
――病んだ二十三人のうち、《《二十一人に、足の傷があった》》。
――病まなかった二十人のうち、足に傷があったのは、《《三人》》。
「宗吉さま!」
弥兵衛が、紙を握りしめて叫んだ。
「傷でございます!」
「落ち着け」
わたしはそう言った。
「傷のない者も、二人病んでおる。そして、傷のある者でも、三人は病んでおらん。ゆえに、《《傷だけではない》》」
◆
わたしは、その二人にもう一度会いに行った。傷がないのに病んだ、二人である。
一人は本堂で寝ていた。もう一人は、すでに起き上がって粥を食っていた。
「田の水を、飲まれたか」
「飲みませぬ」
「顔を、洗われたか」
一人が、顔を上げた。
「洗いました。田の水で」
彼はそう言った。
「暑うございましたので。……眼に、入りました」
わたしは拳を握った。
「弥兵衛。書け」
――一、この病は、《《田の水から、身体へ入る》》。
――入り口は、二つ。
一、《《足の傷》》。
二、《《眼・鼻・口の粘るところ》》。
――※皮の破れておらぬところからは、たぶん入らぬ。
――ゆえに、《《傷のある者だけが病む》》。
「宗吉さま」
弥兵衛がそう聞いた。
「なれば、《《田の水に、何がおるのでございます》》」
◆
それが、次の問いだった。
わたしは田へ出た。
畦に腰を下ろして、水面を見ていた。
半日、見ていた。
甲斐の盆地で、先生が貝を見つけられたと聞いている。水際の草の根元に、七、八分の小さな巻貝がいた。
わたしは、それを探した。
いなかった。草をかき分け、石をひっくり返し、泥を掬っても、それらしいものは何も出てこなかった。
日が傾いた。畦の草の影が長くなり、水面に赤いものが差した。
そして、わたしは別のものを見た。
鼠である。
一匹ではない。畦の草の中を、次々に走っていた。
「弥兵衛。数えろ」
四半刻で、三十匹を越えた。
「宗吉さま。……多うございます」
「多い」
わたしはそう言って、立ち上がった。
「三右衛門どのを呼べ」
◆
「三右衛門どの。……この村の鼠は、いつもこれほどおるか」
三右衛門は、畦に立って田を見渡し、顔をしかめた。
「とんでもございませぬ。今年は、《《異常でございます》》」
「いつからだ」
「《《戦の後から》》でございます」
わたしは、そこで全部が繋がった。
米俵である。
退く軍が、兵糧を捨てていった。田に、畦に、道端に。破れた俵から米が散らばっている。
そして、踏み倒された稲。刈られずに、倒れたまま実っている。
鼠にとって、これほどの餌場はない。
「弥兵衛」
「はい」
「鼠は、どこで小便をする」
弥兵衛の顔が、変わった。
「……どこでも、でございましょう」
「そうだ」
わたしはそう言った。
「畦でも、田でも、水の中でも。そして――その水に、《《素足の傷が浸かる》》」
◆
わたしはその夜、寺の縁で紙を取った。そして、一気に書いた。
――一、この病の道筋、考えるところ。
一、《《鼠が、この病を持っておる》》。
二、《《鼠の小便が、田の水に混じる》》。
三、《《その水が、足の傷、あるいは眼・鼻・口より入る》》。
四、《《七日から十日して、熱が出る》》。
――※証は、立たぬ。
鼠の小便を調べる手立てを、それがしは持たぬ。
――《《証の立たぬまま、書き残す》》。
――いつか、誰かが確かめる。
「宗吉さま」
弥兵衛が、そう言った。
「なにゆえ、今年だけ。……鼠は、毎年おりまする。なれど、この病は、今年出ました」
「いい問いだ」
わたしはそう答えた。
「答えは、三つあると思う」
わたしは指を折った。
「一つ。《《鼠が、異常に増えた》》」
「二つ。《《田に入る者が、増えた》》。倒れた稲を起こすのに、男も女も、日がな一日、水に浸かっておる」
「そして、三つ目」
わたしは、そこで一度、言葉を切った。
「《《足に傷のある者が、増えた》》」
「は」
「弥兵衛。……この村を、見ろ」
わたしは、暗い村のほうへ顎をしゃくった。
焼けた家。崩れた土塀。折れた矢と、割れた槍の柄。それらが、道端にも、畑にも、そこらじゅうに落ちている。昼間、歩いていて何度も草鞋の裏に当たった。
「村じゅうが、瓦礫だ。みな、《《足を切っておる》》」
わたしはそう言った。
「戦は、九月十五日に終わった。だが――《《戦が置いていったものが、今、人を殺しておる》》」
「散らばった米が、鼠を増やした」
「踏み倒された稲が、人を水に入れた」
「割れた武具が、《《足を切った》》」
◆
わたしは、そこで手が止まった。
先生の書に、こうある。
――一、戦の死者は、《《戦の翌日から出はじめる》》。
わたしは、その項に書き足すべきものを見つけた。
「弥兵衛。書け」
――※戦の死者は、翌日から出る。
――なれど、《《一月後からも出る》》。
傷にてはあらず。――《《戦が置いていったもの》》による。
撒かれた兵糧は鼠を増やし、
踏まれた稲は人を水に入れ、
割れた武具は足を切る。
――《《戦の後始末とは、死骸を片づけることではない》》。
――《《米を拾い、稲を刈り、鉄を拾うことである》》。
弥兵衛が書き終えたとき、寺の裏でまた虫が鳴きはじめた。
わたしは筆を受け取って、その紙を膝に乗せたまま、しばらく動かなかった。
今回の中心は、疫学的な調査の方法です。
病んだ人だけを調べても、原因には辿り着けません。同じ環境にいて発症しなかった人と比較して、初めて差が見えてきます。
作中で宗吉が行ったのは、田に入った人のうち、発症した人と発症しなかった人を集めて、同じ質問をすることでした。
結果は明確でした。発症者の大半に足の傷があり、非発症者にはほとんどなかった。
レプトスピラは、健常な皮膚からは侵入しにくく、傷や、眼・鼻・口の粘膜から入ります。ですから同じ水に入っても、傷の有無で結果が変わります。
そして今回、もう一つ書きたかったのが、戦争が去った後に残るものです。
撒き散らされた兵糧はネズミを増やし、踏み倒された稲は人を長時間水に浸からせ、割れた武具は足を切ります。
これは架空の話ではありません。武力紛争の後、感染症が急増するのは現在も繰り返されている現象で、衛生インフラの破壊、人口移動、媒介動物の増加といった要因が重なります。
戦闘そのものより、その後の疾病で失われる命のほうが多い場合すらあります。
次話で完結します。
お読みいただきありがとうございました。




