表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生軍医、織田信勝 ―本能寺を消す処方箋―  作者: 東雲 諒杏
外伝三「秋疫」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
61/66

外伝三「秋疫」(三) 戦が置いていったもの

戦は、九月十五日に終わりました。

十日目、わたしは絵図を描きはじめた。


 四十三年前、先生が中村という村でやられたことである。そして三年前、越後でわたしがやったことである。


「弥兵衛。村の家を、全部描け。病んだ者の家を、黒く塗れ」


 半日で、紙が埋まった。


 そして、散っていた。


「宗吉さま。……また、偏っておりませぬ」


「そうだな」


 わたしはその紙を、長いこと見ていた。


 先生は、こう言われた。――偏りが出ぬなら、《《別の軸で塗れ》》。


「弥兵衛。水だ。井戸を、書き込め」


 この村には、井戸が四つあった。斜面の上から下へ、順に並んでいる。


 そして、病んだ者は四つとも使っていた。


「井戸では、ない」


 わたしはそう言って、次の軸を選んだ。


「弥兵衛。二十三人に、聞け。倒れる前の十日ほど、何をしておったか」


          ◆


 答えは、ほとんど同じだった。


 ――田に入った。


 村の者は、倒れた稲を起こしに。兵は、踏み倒された稲の下から、散らばった兵糧を拾い集めに。


「宗吉さま。……田でございます」


「だが、弥兵衛」


 わたしはそう言った。


「この村で、田に入っておらぬ者が、何人おる」


 弥兵衛は言葉に詰まった。


「……ほとんど、おりませぬ」


「そうだ。百姓の村だ。みな、田に入る」


 わたしは絵図を膝に置いた。


「ゆえに、《《田に入ったこと》》は、答えにならん」


「ならば、何が」


「《《田に入った者のうち、病まなかった者との違い》》だ」


          ◆


 わたしはその日から、病んでいない者を調べはじめた。


 これは、越後で覚えたことである。


 病んだ者ばかり見ていると、答えは出ない。八十を越えた婆が十月世話をして病まなかった――あれが、一番大きな手がかりだった。


「弥兵衛。田に入って、病んでおらぬ者を、二十人集めろ」


 庭に、二十人が並んだ。


 みな、怪訝けげんな顔をしていた。病んでいないのに医者に呼ばれる意味が分からないのである。


 わたしは、その二十人と、病んだ二十三人の両方に、同じことを聞いた。


  ――一、田に入るとき、履物を履いたか。

  ――二、何刻ほど、水に浸かっておったか。

  ――三、田の水を、飲んだか。

  ――四、《《足に、傷があったか》》。


 四つ目を聞いたのは、なんとなくである。


 先生の書に、こうあったからだ。


 ――一、病の元が水にあると疑うたときは、《《傷を聞け》》。水は、傷から入ることがある。甲斐の腹の膨れる病は、傷なくとも入るが、傷があれば、なお入りやすい。


          ◆


 結果は、驚くほどはっきりしていた。


 わたしは、庭の石に腰を下ろして、その紙を二度読み直した。


  ――病んだ二十三人のうち、《《二十一人に、足の傷があった》》。

  ――病まなかった二十人のうち、足に傷があったのは、《《三人》》。


「宗吉さま!」


 弥兵衛が、紙を握りしめて叫んだ。


「傷でございます!」


「落ち着け」


 わたしはそう言った。


「傷のない者も、二人病んでおる。そして、傷のある者でも、三人は病んでおらん。ゆえに、《《傷だけではない》》」


          ◆


 わたしは、その二人にもう一度会いに行った。傷がないのに病んだ、二人である。


 一人は本堂で寝ていた。もう一人は、すでに起き上がって粥を食っていた。


「田の水を、飲まれたか」


「飲みませぬ」


「顔を、洗われたか」


 一人が、顔を上げた。


「洗いました。田の水で」


 彼はそう言った。


「暑うございましたので。……眼に、入りました」


 わたしは拳を握った。


「弥兵衛。書け」


  ――一、この病は、《《田の水から、身体へ入る》》。

   ――入り口は、二つ。

    一、《《足の傷》》。

    二、《《眼・鼻・口のねばるところ》》。


  ――※皮の破れておらぬところからは、たぶん入らぬ。

   ――ゆえに、《《傷のある者だけが病む》》。


「宗吉さま」


 弥兵衛がそう聞いた。


「なれば、《《田の水に、何がおるのでございます》》」


          ◆


 それが、次の問いだった。


 わたしは田へ出た。


 あぜに腰を下ろして、水面を見ていた。


 半日、見ていた。


 甲斐の盆地で、先生が貝を見つけられたと聞いている。水際の草の根元に、七、八分の小さな巻貝がいた。


 わたしは、それを探した。


 いなかった。草をかき分け、石をひっくり返し、泥をすくっても、それらしいものは何も出てこなかった。


 日が傾いた。畦の草の影が長くなり、水面に赤いものが差した。


 そして、わたしは別のものを見た。


 ねずみである。


 一匹ではない。畦の草の中を、次々に走っていた。


「弥兵衛。数えろ」


 四半刻で、三十匹を越えた。


「宗吉さま。……多うございます」


「多い」


 わたしはそう言って、立ち上がった。


「三右衛門どのを呼べ」


          ◆


「三右衛門どの。……この村の鼠は、いつもこれほどおるか」


 三右衛門は、畦に立って田を見渡し、顔をしかめた。


「とんでもございませぬ。今年は、《《異常でございます》》」


「いつからだ」


「《《戦の後から》》でございます」


 わたしは、そこで全部が繋がった。


 米俵である。


 退く軍が、兵糧を捨てていった。田に、畦に、道端に。破れた俵から米が散らばっている。


 そして、踏み倒された稲。刈られずに、倒れたまま実っている。


 鼠にとって、これほどの餌場はない。


「弥兵衛」


「はい」


「鼠は、どこで小便をする」


 弥兵衛の顔が、変わった。


「……どこでも、でございましょう」


「そうだ」


 わたしはそう言った。


「畦でも、田でも、水の中でも。そして――その水に、《《素足の傷が浸かる》》」


          ◆


 わたしはその夜、寺の縁で紙を取った。そして、一気に書いた。


  ――一、この病の道筋、考えるところ。


   一、《《鼠が、この病を持っておる》》。

   二、《《鼠の小便が、田の水に混じる》》。

   三、《《その水が、足の傷、あるいは眼・鼻・口より入る》》。

   四、《《七日から十日して、熱が出る》》。


  ――※証は、立たぬ。

   鼠の小便を調べる手立てを、それがしは持たぬ。

   ――《《証の立たぬまま、書き残す》》。

    ――いつか、誰かが確かめる。


「宗吉さま」


 弥兵衛が、そう言った。


「なにゆえ、今年だけ。……鼠は、毎年おりまする。なれど、この病は、今年出ました」


「いい問いだ」


 わたしはそう答えた。


「答えは、三つあると思う」


 わたしは指を折った。


「一つ。《《鼠が、異常に増えた》》」


「二つ。《《田に入る者が、増えた》》。倒れた稲を起こすのに、男も女も、日がな一日、水に浸かっておる」


「そして、三つ目」


 わたしは、そこで一度、言葉を切った。


「《《足に傷のある者が、増えた》》」


「は」


「弥兵衛。……この村を、見ろ」


 わたしは、暗い村のほうへ顎をしゃくった。


 焼けた家。崩れた土塀。折れた矢と、割れた槍の柄。それらが、道端にも、畑にも、そこらじゅうに落ちている。昼間、歩いていて何度も草鞋の裏に当たった。


「村じゅうが、瓦礫だ。みな、《《足を切っておる》》」


 わたしはそう言った。


「戦は、九月十五日に終わった。だが――《《戦が置いていったものが、今、人を殺しておる》》」


「散らばった米が、鼠を増やした」


「踏み倒された稲が、人を水に入れた」


「割れた武具が、《《足を切った》》」


          ◆


 わたしは、そこで手が止まった。


 先生の書に、こうある。


 ――一、戦の死者は、《《戦の翌日から出はじめる》》。


 わたしは、その項に書き足すべきものを見つけた。


「弥兵衛。書け」


  ――※戦の死者は、翌日から出る。

   ――なれど、《《一月ひとつき後からも出る》》。


   傷にてはあらず。――《《戦が置いていったもの》》による。


   撒かれた兵糧は鼠を増やし、

   踏まれた稲は人を水に入れ、

   割れた武具は足を切る。


   ――《《戦の後始末とは、死骸を片づけることではない》》。

    ――《《米を拾い、稲を刈り、鉄を拾うことである》》。


 弥兵衛が書き終えたとき、寺の裏でまた虫が鳴きはじめた。


 わたしは筆を受け取って、その紙を膝に乗せたまま、しばらく動かなかった。

今回の中心は、疫学的な調査の方法です。


 病んだ人だけを調べても、原因には辿り着けません。同じ環境にいて発症しなかった人と比較して、初めて差が見えてきます。


 作中で宗吉が行ったのは、田に入った人のうち、発症した人と発症しなかった人を集めて、同じ質問をすることでした。


 結果は明確でした。発症者の大半に足の傷があり、非発症者にはほとんどなかった。


 レプトスピラは、健常な皮膚からは侵入しにくく、傷や、眼・鼻・口の粘膜から入ります。ですから同じ水に入っても、傷の有無で結果が変わります。


 そして今回、もう一つ書きたかったのが、戦争が去った後に残るものです。


 撒き散らされた兵糧はネズミを増やし、踏み倒された稲は人を長時間水に浸からせ、割れた武具は足を切ります。


 これは架空の話ではありません。武力紛争の後、感染症が急増するのは現在も繰り返されている現象で、衛生インフラの破壊、人口移動、媒介動物の増加といった要因が重なります。


 戦闘そのものより、その後の疾病で失われる命のほうが多い場合すらあります。


 次話で完結します。


 お読みいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ