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転生軍医、織田信勝 ―本能寺を消す処方箋―  作者: 東雲 諒杏
外伝三「秋疫」

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外伝三「秋疫」(二) 二度目が来る

六日目に、熱が下がりました。

六日目の朝、熱が下がりはじめた。


 一人ではない。九人、いっぺんに下がった。


「宗吉さま!」


 弥兵衛が、本堂の板の間を走ってきた。


「熱が! 九人、下がりました!」


 わたしは一人ずつ確かめた。


 額に手を当てる。涼しい。眼を見る。赤みが引いている。ふくらはぎを握る。


「痛むか」


「……痛みませぬ」


 男は、自分でも驚いた顔をしていた。


「昨日まで、触られただけで飛び上がっておりましたのに」


「起き上がれるか」


 男は起き上がった。そして、立った。


 膝が少し笑っていたが、板の間を端まで歩いた。


 本堂に、歓声が上がった。寝ている者まで肘をついて身を起こし、その背中を見ていた。


「宗吉さま!」


 三右衛門が、庭から走り込んできた。吊った腕を押さえながら、草鞋のまま上がってきた。


「治りましたか!」


          ◆


 わたしは、そこで言葉を選んだ。


 先生の書に、こうある。


 ――症が軽くなることと、病が治ることは、《《違う》》。これを取り違えると、医者は嘘をつくことになる。


 わたしは、それを知っていた。


 先生が寝床の上で口述されたのを、わたし自身が書き取った。十三年前である。あのとき先生は、瀉血で足の腫れが引いたのを弟子が喜ぶのを見て、わざわざそれを言われた。


「三右衛門どの」


 わたしはそう言った。


「熱は、下がり申した。なれど――《《治ったとは、まだ申せませぬ》》」


 わたしは、確かにそう言った。


 言ったのだ。


 だが。


「なれど、歩いておりまする」


 三右衛門は、そう言った。庭のほうを振り返る。


「飯も食うております。宗吉さま。……《《田が、待っております》》」


          ◆


 わたしは、そこで判断した。


 この村は、稲を踏み倒されている。残った稲を刈らねば、冬に村が死ぬ。


 そして、歩ける男が九人おる。


「三右衛門どの」


 わたしはそう言った。


「無理はさせぬこと。半日で戻すこと。それと――また熱が出たら、すぐに寺へ戻すこと」


「承知いたしました」


          ◆


 九人は、田へ出た。


 その中に、太作たさくがいた。


 二十四になる、村の若い衆である。わたしが着いてから、ずっと手伝ってくれていた。湯を沸かし、筵を替え、厠を掘った。そして三日目に倒れた。


 朝、草鞋の紐を締めながら、彼は言った。


「宗吉さま。おれ、治りましたな」


 笑っていた。日に灼けた顔で、歯を見せて笑っていた。


 わたしはその顔を見て、こう言った。


「太作。……まだ、治ってはおらん」


「なれど、熱は下がった」


 そして、笑い返した。


 ――それが、間違いだった。


          ◆


 九日目の朝。


 寺の戸が、叩き壊されるかと思った。


「宗吉さま! 宗吉さま!」


 三右衛門だった。


「戻りました! 三人、戻りました!」


 運び込まれた三人を見て、わたしは立てなくなった。


 黄色かった。


 眼の白いところが黄色い。肌が黄色い。掌を返させると、そこまで黄色い。


 朝の光の中で、それは異様にはっきり見えた。


「太作」


 その一人が、太作だった。


「宗吉、さま」


 声が掠れていた。


「おれ……また、熱が」


 わたしは脈を取った。速い。そして、弱い。指を離すと、しばらく触れなくなるほど弱かった。


 腹を触った。右の肋の下。肝の縁が触れた。押すと、太作が息を詰めた。


「太作。……小便は出ておるか」


 太作は答えなかった。


「太作」


「……昨日から」


「出ておらんのか」


「……少し、しか」


 わたしは目を閉じた。


 黄疸おうだん。そして、小便が出ない。


 肝と、腎が、同時に壊れている。


「弥兵衛」


 わたしはそう言った。


「残る六人を、《《今すぐ田から呼び戻せ》》。歩けても、走れても、全員だ」


「は、はい!」


          ◆


 六人は、半刻で戻ってきた。


 息を切らして、泥の脚のまま本堂に並んだ。


 そのうち二人が、すでに眼が黄色くなっていた。


 本人たちは、気づいていなかった。


          ◆


 太作は、三日後に死んだ。


 最後の一日は、小便が一滴も出なかった。腹が張って、脚がむくんだ。


 そして、歯茎から血が出はじめた。


 止まらなかった。晒しを噛ませても、すぐに赤く染まった。


 わたしは傍にいた。それしか、できることがなかった。


 太作は、最後にこう言った。


「宗吉さま」


「……ああ」


「おれ、《《田へ行ってよかったので》》」


 わたしは答えられなかった。


 そして、嘘をつかなかった。


「分からん」


 わたしはそう答えた。


「だが、《《わたしが止めるべきだった》》」


 太作は、少し笑った。血の混じった唾が、口の端から垂れた。


「それは、違いまする」


 彼はそう言った。


「おれが、行きたかったのです」


          ◆


 その夜、わたしは寺の外に座っていた。


 石段の一番下である。月がなく、庫裏くりの灯りだけが背中から届いていた。


 虫が鳴いていた。秋の虫である。戦のあった土地でも、虫は同じように鳴く。


「宗吉さま」


 弥兵衛が、隣に来た。


「お休みになりませぬか」


「弥兵衛」


「はい」


「わたしは、『まだ治っておらん』と言うた」


「はい。……聞いておりました」


「そして、田へ出すのを、止めなかった」


 弥兵衛は黙っていた。


「弥兵衛。……言え」


「は」


「《《言え》》」


 弥兵衛は、しばらく黙っていた。膝の上で指を組んだり解いたりしていた。


 そして、こう言った。


「宗吉さまは、言葉では言われました」


「……」


「なれど――《《笑われました》》」


 わたしは息を呑んだ。


「太作どのに、『まだ治っておらん』と申された後」


 弥兵衛はそう言った。


「《《笑い返されました》》。それがしは、それを見ておりました」


          ◆


 わたしは、両手で顔を覆った。


 先生は、こう書き残された。


 ――一、告げる言葉と、《《告げる顔》》は、別のものである。患者は、《《顔のほうを信じる》》。


 それは『手当書』第五巻にある。産む女に悪い報せを告げるときの心得として、書かれている。


 わたしは、それを写した。自分の手で、写したのだ。


「弥兵衛」


 わたしはそう言った。


「書け」


「宗吉さま。今は」


「《《書け》》」


 弥兵衛は庫裏へ戻って、紙と筆を持ってきた。石段の上に紙を広げ、灯りを寄せた。


  ――一、この病は、《《一度、熱が下がる》》。

   六日ないし八日目に、熱が引き、眼の赤みが薄れ、こむらの痛みも消える。

   ――患者は起き上がり、飯を食い、歩く。

   ――周りの者は、《《治ったと言う》》。


  ――※それから、三日ないし五日して――《《二度目が来る》》。


   二度目の徴――

    一、《《眼と肌が、黄色くなる》》。

    二、《《小便が減る。やがて出なくなる》》。

    三、《《歯茎や鼻から血が出て、止まらぬ》》。

   ――ここまで来ると、たいてい死ぬ。


 わたしはそこまで口述して、手を止めさせた。


 そして、一番大事な一行を最後に言った。


  ――※《《熱が下がったことを、「治った」と言うべからず》》。

   ――そして、《《言うだけでは足りぬ》》。

    ――《《笑うな》》。


    ――それがしは、笑った。

    ――そして、一人死なせた。


 弥兵衛は、それを書き終えて、しばらく紙を見ていた。


 筆の先から墨が一滴落ちて、最後の行の下に丸い染みを作った。


 彼はそれを拭かなかった。

レプトスピラ症の恐ろしさは、経過が二相性をとることにあります。


 発症から一週間ほどで、いったん解熱します。症状が軽快し、患者は起き上がり、食事を摂り、歩けるようになります。


 そしてその数日後、再び悪化することがあります。


 第二期では、黄疸、腎障害、出血傾向が現れます。尿量が減少し、やがて出なくなる。歯肉や鼻から出血し、止まらなくなる。この段階に至った場合、致死率は高くなります。


 つまりこの病では、「熱が下がった」ことが回復の証明になりません。


 医療において、症状の改善と病の治癒を区別することは、基本でありながら、実際には難しい判断です。目の前の患者が元気に歩いているとき、それを「まだ治っていない」と言い続けるには、根拠と覚悟の両方が要ります。


 そして今回、もう一つの主題があります。


 告げる言葉と、告げる表情は別のものである、ということです。


 どれほど正確な言葉で説明しても、話す側が安堵した顔をしていれば、聞く側はそちらを信じます。医療の現場で繰り返し起こることです。


 次話、原因を追います。


 お読みいただきありがとうございました。

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