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転生軍医、織田信勝 ―本能寺を消す処方箋―  作者: 東雲 諒杏
外伝三「秋疫」

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外伝三「秋疫」(一) こむらの痛み

※外伝です。慶長五年、関ヶ原の戦いの直後が舞台となります。

  視点人物は、啓迪院を継いだ弟子・宗吉です。


  戦は、終わっていました。

慶長五年、九月末。


 美濃、不破ふわ郡。


 戦は、終わっていた。


 九月十五日の関ヶ原。半日で決したという。わたしが着いたのは、その十日後である。


 三十七になっていた。連れは一人だけだった。


          ◆


「宗吉さま。……ひどい匂いでございます」


 弥兵衛やへえが、袖で鼻を押さえた。


 二十一になる。三年前、越後の普請場で拾った男である。京へ来いと言ったら、本当に来た。


「弥兵衛。……匂いの元は、言えるか」


 わたしはそう聞いた。この男は鼻がいい。


「三つ、混じっております」


 弥兵衛は、しばらく息を吸ってから答えた。


「一つは、焼けた匂い。一つは、腐った匂い。そして――《《糞の匂い》》でございます」


 その通りだった。


 村は焼けていた。いや、半分だけ焼けていた。人が住んでいる家と、炭になった家が隣り合っている。焼けた家の柱だけが、黒い杭のように何本も立っていた。


 そして、田である。


 稲が倒れていた。刈られたのではない。踏まれていた。何万という足で、根ごと踏み倒されている。実った穂が泥に埋まって、そこから発酵したような甘い匂いが立っていた。


「宗吉さま。……あれは」


 弥兵衛が、田の一角を指した。


 米俵が散乱していた。破れて、中身が水に浸かっている。膨れた米が、白く盛り上がって見えた。


「兵糧だ」


 わたしはそう言った。


退くときに、捨てていったのだ」


 わたしは、そこで妙な気持ちになった。


 先生の書に、こうある。


 ――一、戦の死者は、《《戦の翌日から出はじめる》》。


 先生は、それを傷のこととして書かれた。だが、これは傷ではない。


          ◆


 村の庄屋は、三右衛門さんえもんという男だった。


 五十がらみ。片腕を布で吊っていた。落ち武者狩りの巻き添えを食ったのだという。


「京から、まことに」


「啓迪院の宗吉と申しまする」


 わたしはそう名乗った。


「数を、伺いたい」


 これは、先生が必ず最初に問われたことである。


「村の者が、十四人。それと、駐留の御手勢が九人」


「合わせて、二十三」


「さようで」


「死んだ者は」


「まだ、おりませぬ」


 わたしは、その答えに少し安堵した。


 ――それが、間違いだった。


          ◆


 病人は、寺に集められていた。


 これは、ありがたかった。越後では、葦の囲いに放り込まれていた。


「三右衛門どの。……なにゆえ、寺に」


「この村の坊さまが、『置け』と申されまして」


 三右衛門は、吊った腕を庇いながら答えた。


「移ると、村の者が申しましたが、坊さまが『移らぬ』と言い張られました」


「なにゆえ、そう言われた」


「『書に、そう書いてある』と」


 わたしは足を止めた。


「書」


「『手当書』と申すそうにございます」


 わたしはしばらく動けなかった。


 先生が四十年前に書きはじめられたものである。写しは散らしてある。京。堺。三河。尾張。近江。そして寺という寺に。


 先生は、こう言われた。――一か所に置いたものは、《《一度の火で消える》》。


「その坊さまに、お目にかかりたい」


「それが、その」


 三右衛門は口ごもった。


「坊さまも、《《病んでおられます》》」


          ◆


 寺の本堂に、二十三人が寝ていた。


 筵が敷かれ、一人ずつの間が空けてある。厠が新しく掘られ、外で湯が沸いていた。板戸は開け放してあり、風が抜けていく。


 『手当書』の通りである。


 わたしは草鞋を脱いで上がり、一番手前の男から診はじめた。


 まず、顔。


 そして、息を呑んだ。


 眼が、真っ赤だった。白目が、血を流したように赤い。


「弥兵衛。この眼を、覚えろ」


 越後の島虫でも、眼は赤かった。だがあれは、うっすらと赤い程度である。


 これは、白いところがほとんど残っていない。


「痛みまするか」


 わたしはそう聞いた。


「痛みませぬ」


 男はそう答えた。三十そこそこの、日に灼けた百姓である。


「ただ、《《まぶしゅうございます》》」


 わたしは額に手を当てた。熱い。掌がじんと痺れるほどの熱だった。


「いつからだ」


「四日前から」


「突然か」


「突然でございます」


 男は、目を細めながら言った。


「朝、田へ出ようとして、いきなり寒気が来ました。歯の根が合わぬほどでございました。それから、熱が」


「下がる日はあるか」


 これが大事だった。おこりであれば、下がる日がある。


「ございませぬ」


 瘧ではない。


「腹は下しておるか」


「いえ」


「咳は」


「出ませぬ」


 赤痢でも、労咳でもない。


 わたしは小袖の前をはだけた。


 発疹は、なかった。島虫とは違う。


 次に、全身を見た。越後で覚えたことである。腋。臍。腰。股。膝の裏。


 黒いかさぶたは、なかった。


「宗吉さま」


 弥兵衛がそう言った。


「島虫では、ございませぬな」


「違う」


 わたしはそう答えて、そこで手が止まった。


 男が、脚を曲げていた。膝を、胸のほうへ引きつけている。


「脚が、痛むか」


「……はい」


「どこだ」


 男は、ふくらはぎを指した。


「ここが」


 わたしはそこに手を当てた。そして、軽く握った。


 男が跳ね上がった。


「ぐああっ」


 わたしは手を離した。


「許せ」


「い……いえ」


 男は脂汗を浮かべていた。


「宗吉さま。……そんなに強く握られたので」


 弥兵衛が、そう言った。


「握っておらん」


 わたしはそう答えた。


「《《触れた程度だ》》」


          ◆


 わたしは二人目に移った。同じことをした。


 跳ね上がった。


 三人目。跳ね上がった。


 二十三人、全員がそうだった。


 最後の一人を診終えたとき、日が傾いていた。開け放した板戸から、赤い光が斜めに差し込んで、寝ている者の顔を一列に照らしていた。


「弥兵衛。書け」


  ――一、この病の徴、三つ。

   一、突然の悪寒と高熱。下がる日なし。

   二、《《眼の白いところが、真っ赤になる》》。痛まぬ。眩しがる。

   三、《《ふくらはぎが、触れるだけで飛び上がるほど痛む》》。


  ――※発疹なし。黒きかさぶたなし。下痢なし。咳なし。


「宗吉さま」


 弥兵衛が、筆を止めて聞いた。


「三つ目は、そこまで大事でございますか」


「《《一番大事だ》》」


 わたしはそう答えた。


「熱を出す病は、いくらでもある。眼が赤くなる病も、いくつかある。だが、《《ふくらはぎだけが、あれほど痛む病》》を、わたしは知らん」


「先生の書にも、ない」


 わたしは、本堂の暗がりを見渡した。


「ゆえに――これは、《《書かれておらぬ病》》だ」


          ◆


 その夜、寺の坊主が目を覚ました。


 六十を越えた、痩せた僧である。奥の間に一人で寝かされていた。


「京の、お医者さまか」


「啓迪院の宗吉と申しまする」


 僧の眼が、見開かれた。真っ赤な眼だった。


「啓迪院」


「『手当書』を、お持ちと伺い申した」


「持っておりまする。三巻だけでございますが」


「どこで」


「二十年ほど前、旅の僧から写させてもらいました」


 わたしは、目のあたりが熱くなった。


 散らせ、と先生は言われた。そして、散っていた。


「お坊さま」


 わたしはそう言った。


「病人を、寺に入れられたのは、貴僧と伺い申した。『移らぬ』と、言い張られたと」


 僧は、少し笑った。乾いた唇が割れて、血が滲んだ。


「嘘でございます」


 わたしは顔を上げた。


「移るか移らぬか、拙僧は存じませぬ」


 僧はそう言った。


「なれど、《《葦の囲いに放り込めば、死にまする》》。書に、そう書いてありました。――『始末をせぬ囲いは、それだけで人を殺す』と」


 わたしは深く頭を下げた。


 そして、その僧のふくらはぎを握った。


 僧は、声も出さずに身体を折った。

外伝三の題材は、レプトスピラ症です。


 日本では古くから「秋疫」「七日熱」「用水病」などと呼ばれ、稲刈りの季節に発生する風土病として知られていました。重症型はワイル病と呼ばれます。


 病原体はネズミなどの動物の腎臓に住みつき、尿とともに排出されます。汚染された水や土に触れることで、皮膚の傷や、眼・鼻・口の粘膜から侵入します。


 症状の中で、今回とりわけ強調したのが腓腹筋の痛みです。


 ふくらはぎに強い筋痛が出るのは、この病の極めて特徴的な所見です。軽く触れただけで飛び上がるほど痛がる、と表現されることがあります。発熱する病気は数多くありますが、ここまで限局した筋痛を伴うものは多くありません。


 もう一つが結膜充血です。白眼が真っ赤になりますが、痛みはなく、目やにも出ません。眩しさを訴えることがあります。


 高熱、結膜充血、そして腓腹筋痛。この三つが揃ったとき、この病が強く疑われます。


 次話、宗吉が判断を誤ります。


 お読みいただきありがとうございました。

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