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転生軍医、織田信勝 ―本能寺を消す処方箋―  作者: 東雲 諒杏
外伝二「蟹」 

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外伝二「蟹」(一) 労咳という答え

※外伝です。天正十九年、肥前が舞台となります。

  視点人物は、太吉丸に乗って海へ出た弟子・与一郎です。


  本編第十七話・第十九話をお読みいただいていると、より深く楽しめます。

天正十九年、七月。


 平戸ひらどの湊は、朝から騒がしかった。


 入江の奥に、船が十七、八ももやってある。みんの帆船が三隻、南蛮の丸い船腹をした船が一隻、あとは日本の弁才船だ。荷揚げ人足の掛け声と、荷車のきしむ音と、聞いたことのない言葉の罵り合いが、潮の匂いに混じって流れてくる。


 太吉丸たきちまるは、その一番奥に繋いであった。


 堺を出て、四月よつきになる。瀬戸内を抜け、豊後水道を回り、そして北へ上ってここへ入った。船腹には貝がびっしりと付き、帆布は日にけて茶色く変わっている。


 次は、海を渡る。明である。


 わたしは四十八になっていた。船に医者は一人しかいない。乗り組みは四十二名。そのうち一人が、七日前から戻ってこなかった。


          ◆


「与一郎さま。万作まんさくの件でございますが」


 水主頭かこがしらが、甲板でわたしを呼び止めた。日に灼けた四十男で、片耳が潰れている。


 万作。四十二になる船大工である。


 堺で八年、太吉丸を組んだ男だ。骨組みを立てた二十人のうちの一人で、当時のことを聞くと、いつも同じ話をした。六年目の夏に太吉という男が骨組みの上から落ちて死んだ、あの日は蝉がやかましかった、と。


「郷里がこの近くでございましてな。八年ぶりに帰ると申して、山へ入りました」


「それで」


「それきり、戻りませぬ」


「使いは出したか」


「出しました。……そして、文が来ました」


 差し出された紙は、汗で端が波打っていた。開くと、字が下手だった。筆を持つのに慣れていない者の、ひどく力の入った字である。


  ――与一郎さま。

  ――おれは、船に乗れませぬ。

  ――兄が、労咳ろうがいにて、山に籠っております。

  ――あによめも、姪も、同じ病にて。

  ――村を、追われました。


  ――おれがねば、誰も看る者がおりませぬ。

  ――八年、便りもせずにおいて、勝手を申します。

  ――どうか、お許しください。


 わたしはそれを二度読んだ。


「その山は、どれほど遠い」


「歩いて、二日ほどかと」


「出航は」


「十日後にございます」


 入江の向こうで、明の船が銅鑼どらを鳴らした。荷揚げが終わったらしい。わたしは、その音が消えるまで待ってから答えた。


「行く」


「与一郎さま。……なれど」


「わたしは、船の医者だ。乗り組みの一人が、戻れぬと言うておる。ならば、行って診るのがわたしの仕事だ」


          ◆


 その夜、わたしは船尾の狭い部屋へ行った。


 じいさまの部屋である。船大工どもが《《源三げんぞうの爺さん》》と呼ぶ男が、そこに寝起きしていた。


 五十七になる。痩せて、日に灼けて、髭が真っ白だ。麻の小袖一枚で胡座あぐらをかき、板張りの床に海図らしきものを広げて、灯明を近づけて覗き込んでいた。


 首に、傷跡がある。


「爺さま」


 九年、そう呼んでいる。


「なんだ」


 声は低く、れていた。喉を切られた者の声である。


「万作の郷里へ参りまする。往復で、四日か五日」


「行け」


 顔も上げなかった。


「出航は」


「待つ」


「なれど、風が」


「風は、また吹く」


 わたしは頭を下げた。船板の隙間から、湊の水音が上がってくる。


 部屋を出ようとしたとき、背中に声がかかった。


「与一郎」


「はい」


「労咳だと、書いてあったな」


「さようにございます」


「三人ともか」


 わたしは足を止めた。


「……はい」


「一つの家で、三人か」


「はい」


 爺さまはしばらく海図を見ていた。それから、灯明の芯を指でつまんで長さを直しながら、こう言った。


「勘十郎なら、《《何と言う》》」


          ◆


 先生が亡くなられて、七月ななつきである。


 わたしは京にいなかった。堺で、船を組んでいた。最期を看たのは宗吉だ。


 ――いや、間に合った。


 報せを受けて舟で駆けつけ、最後の五日、傍にいた。そして唄を唄った。四番の途中で、先生は息を引き取られた。唄は五番まで唄い終えた。止める者がいなかったからである。


「爺さま」


 わたしはそう答えた。


「先生なら、こう仰せになりまする。――《《それは、労咳か》》と」


 爺さまは何も言わなかった。ただ、海図の一点を指で押さえて、そこに墨で小さな印を入れた。


          ◆


 山道を、二日歩いた。


 平戸から東へ、川をさかのぼる。谷が深い。両側から山が迫り、沢が幾筋も流れ込んでくる。杉としいの混じった林で、日が差し込むのは川筋だけだった。


 水は、驚くほど澄んでいた。膝までの深さでも底の石が一つずつ数えられる。ところどころに淵があって、そこだけ青く沈んでいた。


 二日目の昼過ぎ、山が開けて、棚田が見えた。


 切畑きりはたという村である。家が三十軒ほど。斜面に貼りつくように建っていて、屋根の上に石が乗せてあった。


 わたしが名を告げると、村の者は露骨に嫌な顔をした。


 辻で薪を割っていた年寄りが、なたを下ろして言った。


「万作の家か」


「さようにござる」


「あれは、山じゃ」


「山とは」


「村には、置けぬ」


 年寄りは背を向けて、また薪を割りはじめた。刃が入るたびに、杉の香りが立つ。


「労咳じゃからな」


「いつからにござる」


久兵衛きゅうべえが咳きだしたのは、四年前じゃ」


 久兵衛。万作の兄である。


「それで、いつ山へ」


「去年の秋じゃ。嫁も咳きだし、《《娘まで咳きだした》》ゆえな。……村じゅうに移されては、かなわん」


 わたしはその言葉を黙って聞いた。


 責める気にはなれなかった。労咳は移る。それは事実である。


 先生は十七年前、竹中半兵衛どのにこう告げられた。


 ――人と、寝所を分けろ。同じ部屋に長くおれば、吸い込む。


 この村がやっていることは、それを乱暴にしただけだ。


「案内していただきたい」


「医者どのか」


「さようにござる」


「無駄じゃ。労咳は治らん」


「存じております」


 わたしはそう答えた。


「わたしは、労咳の者を《《十五年診ており申した》》」


 鉈を持つ手が止まった。年寄りは、初めてわたしの顔をまともに見た。


          ◆


 山の小屋は、村から半里ほど上ったところにあった。


 炭焼き小屋を直したものである。土壁の一部が崩れて、そこに板を打ちつけてあった。煙出しの穴から、細く煙が上がっている。


 戸口の前に、しなびた菜が干してあった。


「与一郎さま!」


 万作が飛び出してきた。痩せていた。七日で、目に見えて痩せている。


「なにゆえ、こんなところまで」


「診に来た」


 わたしはそう答えて、その顔を見た。


「万作。……お前は、咳が出るか」


「おれは、出ませぬ」


「八年、堺におったな」


「はい」


 わたしはそれを頭に留めた。


          ◆


 小屋の中は、思ったより暗かった。


 窓がない。煙出しの穴から入る光だけで、目が慣れるまでしばらくかかった。中央に囲炉裏いろりが切ってあり、灰の中で炭がわずかに赤い。壁も梁も、長年のすすで黒光りしていた。


 三人が寝ていた。


 久兵衛。四十五。その妻、さと。四十。娘の、たね。十四。


 みな痩せていた。そして、咳をしていた。乾いた咳ではない。奥から何かを掻き出すような咳で、そのたびに肩が上がった。


「久兵衛どの」


 わたしは筵の傍に膝をついた。


「京、啓迪院の与一郎と申しまする。医者にござる」


 久兵衛はわたしを見た。窪んだ眼窩の奥に、黄色く濁った眼があった。そして、笑った。


「無駄でございましょう」


 わたしは何も返さなかった。代わりに、薬箱を横に置いてこう言った。


「脱いでいただきたい」


          ◆


 まず、背中に耳を当てた。


 先生が二十七年やっておられた形である。


「大きく息を吸って、吐いてくだされ」


 肩甲骨の上、右の縁のあたり。


 ――音が、ある。


 しゃりしゃりという、細かく擦れるような音。健やかな肺なら、そこは静かに風が通るだけだ。


 わたしは背筋が冷えた。


 これは労咳の音である。十五年、この音を聞いた。竹中半兵衛どのの背中で。


 次に、指で背中を叩いた。中指を押し当て、その関節をもう一方の中指で軽く弾く。


 こんこん。場所を変える。こんこん。


 右の上――ごつ、ごつ。


 濁っている。左は澄んでいた。


 わたしはそこで手を止めた。所見は、労咳と区別がつかなかった。


「久兵衛どの。いくつか、伺いまする」


「咳は、いつからにござる」


「四年ほど前から」


「血を吐いたことは」


「ございます」


「いつからにござる」


「三年ほど前から」


 わたしはそこでふと引っかかった。


 三年。


 竹中どのは、血を吐きはじめてから十年生きられた。だがあれは例外である。食う、寝る、日に当たる、風を通す、寝所を分かつ――先生が出された五つを、あの方は十五年守り抜かれた。


 この男は山の小屋にいる。食も寝も、ろくなものではない。それで三年。


 わたしは、囲炉裏の炭を一つ、火箸で起こした。部屋が少し明るくなる。


「久兵衛どの。夕方、熱が出まするか」


「熱、でございますか」


 久兵衛は怪訝けげんな顔をした。


「いえ。熱は、出ませぬ」


 わたしの手が止まった。


「一度も、でござるか」


「風邪をひけば出まするが、毎日、夕方に、というのは……ございませぬ」


「夜、汗をかきまするか」


「いえ」


 わたしはその場に座り込みそうになった。


 労咳の三つ。長く続く咳。夕方の熱。夜の汗。そして痩せと喀血。


 この男には、二つ、ない。


「万作」


「はい」


「嫂どのと、姪御にも、同じことを聞け」


 答えは同じだった。三人とも、夕方の熱がない。三人とも、夜に汗をかかない。


          ◆


 わたしは小屋の外に出た。


 日が傾いていた。谷底に沿って風が下りてきて、汗を冷やしていく。すぐそこを沢が流れていて、水音が絶え間なく響いていた。


 二十四年前を思い出していた。


 わたしは二十一だった。岐阜城で、先生に一人の男を診ろと言われた。咳をし、痩せて、熱を出す若者だった。そして、その男の主が労咳を病んでおられた。


 わたしはこう答えた。


 ――労咳かと存じます。


 先生はこう言われた。


 ――お前は、いつからこの男を診た。答えを持って、この部屋に入ったな。それは、診察ではない。答え合わせだ。


 わたしは沢の水に手を浸けた。冷たかった。指の節が、じんと痛くなるほどに。


 四十八になった。そして今、村じゅうが「労咳」と言うている家の前に立っている。


 ――わたしは、答えを持って、この山へ来た。


「万作」


 小屋の戸口から顔を出した男に、わたしはそう呼びかけた。


「紙と筆を、村で借りてこい」


「何をなさいます」


「捨てる」


 わたしはそう言った。


「労咳という答えを、《《一度、捨てる》》。そして、初めから診る」

外伝二の題材は、肺吸虫症です。


 サワガニやモクズガニを生で食べることで感染します。寄生虫が腹腔から横隔膜を抜けて肺に到達し、そこに巣を作って卵を産みます。


 症状は、長引く咳、血痰、胸痛、体重減少。これは結核と極めてよく似ています。


 当時の日本において、労咳と診断されることは、単に病名が付くことではありませんでした。家を追われ、縁談が壊れ、村八分になる——社会的な死を意味しました。


 ですからこの病を見分けることには、治療とは別の意味があります。


 今回、与一郎が最初に気づいたのは、二つの「ない」でした。夕方の発熱がない。寝汗がない。


 結核では、この二つはほぼ必発です。長引く咳と喀血だけを見て診断してしまうと、この違いには辿り着けません。


 次話、決定的な所見が現れます。


 お読みいただきありがとうございました。

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