外伝一「島虫」(一) 河原の熱
※外伝です。本編完結後、慶長二年の越後が舞台となります。
視点人物は、啓迪院を継いだ弟子・宗吉です。
本編を未読でもお読みいただけますが、
第七話・第二十二話・第五十話をお読みいただいていると、より深く楽しめます。
慶長二年、六月。
――《《越後は、暑かった》》。
◆
京を出て、十二日。
北国街道を延々と歩いて、わたしは蒲原の在に着いた。
――《《信濃川の、河口に近い在である》》。
◆
――《《川が、でかい》》。
わたしは、堤の上からそれを見て、しばらく動けなかった。
京の桂川も、大坂の淀川も見てきた。
――《《だが、これは、《《違う》》》》。
◆
――《《対岸が、霞んでいた》》。
――《《そして、《《河原が、途方もなく広かった》》》》。
葦と、柳と、名も知らぬ草が、《《見渡す限り生えていた》》。
◆
「――《《宗吉どのと申されるか》》」
声をかけてきたのは、四十半ばの武士だった。
「――《《戸倉と申す。この普請の奉行にござる》》」
「――《《京、啓迪院の宗吉にございます》》」
わたしは、そう名乗った。
――《《三十四になっていた》》。
◆
「――《《遠路、かたじけない》》」
戸倉どのは、そう言って頭を下げた。
「――《《正直に申し上げる。……もう、《《手が尽きており申す》》》》」
◆
「――《《数を、伺いたい》》」
わたしは、そう言った。
――《《これは、先生が必ず最初に聞いたことである》》。
「――《《倒れた者、《《十九名》》》》」
戸倉どのは、そう答えた。
「――《《うち、《《四名が死に申した》》》》」
◆
「――《《いつからにございます》》」
「――《《五月の末からにござる》》」
「――《《今日までに、二十日ほど》》」
「――《《さようにござる》》」
◆
「――《《普請の人足は、全部で何名》》」
「――《《三百二十ほど》》」
わたしは、頭の中で計算した。
――《《三百二十のうち、十九》》。
――《《まだ、一割に届かぬ》》。
――《《だが、《《二十日で四人死んだ》》》》。
◆
「――《《止まっておりませぬな》》」
わたしは、そう言った。
「――《《さようにござる》》」
戸倉どのは、苦い顔をした。
「――《《昨日も、二人倒れ申した》》」
◆
――《《病人は、堤の裏の小屋にいた》》。
――《《いや、《《小屋》》と呼べるものではなかった》》。
――《《葦を編んだだけの、囲いである》》。
◆
「――《《なにゆえ、こんなところに》》」
わたしは、そう聞いた。
「――《《移ると申す者がおりまして》》」
戸倉どのは、目を伏せた。
「――《《人足どもが、《《近寄らぬのです》》》》」
◆
「――《《飯は》》」
「――《《置いてはおりまする。……小屋の外に》》」
「――《《水は》》」
「――《《同じく》》」
◆
――《《わたしは、その囲いに近づいた》》。
――《《そして、《《臭いで、状況が分かった》》》》。
◆
――《《糞尿の臭いである》》。
――《《誰も、始末をしていない》》。
◆
「――《《戸倉どの》》」
わたしは、そう言った。
「――《《人を、《《五人》》お貸しいただきたい》》」
「――《《なれど、近寄る者が》》」
「――《《それがしが、先に入りまする》》」
◆
――《《わたしは、囲いの中へ入った》》。
――《《先生は、いつもそうしていた》》。
◆
――《《中には、《《十五人》》いた》》。
――《《筵の上に、転がっていた》》。
◆
――《《わたしは、一人ずつ見ていった》》。
◆
――《《まず、《《顔》》》》。
――《《赤い》》。
――《《みな、《《顔が赤かった》》》》。
――《《そして、《《眼が、充血していた》》》》。
◆
――《《次に、《《額に手を当てた》》》》。
――《《熱い》》。
――《《異様に、熱い》》。
◆
「――《《いつからだ》》」
わたしは、一番手前の男に聞いた。
三十がらみの、日に焼けた男である。
「――《《……六日、ほど》》」
男は、掠れた声で答えた。
「――《《ずっと、この熱か》》」
「――《《……はい》》」
◆
「――《《下がる日はあるか》》」
わたしは、そう聞いた。
――《《これが、大事だった》》。
――《《瘧であれば、《《下がる日がある》》》》。
◆
「――《《ございませぬ》》」
男は、そう答えた。
「――《《ずっと、《《熱うございます》》》》」
◆
――《《瘧では、ない》》。
わたしは、そう判断した。
◆
「――《《腹は下しておるか》》」
「――《《いえ》》」
「――《《咳は》》」
「――《《出ませぬ》》」
「――《《血を吐いたことは》》」
「――《《ございませぬ》》」
◆
――《《赤痢でもない》》。
――《《労咳でもない》》。
◆
「――《《頭は、痛むか》》」
◆
――《《男の顔が、《《歪んだ》》》》。
「――《《……割れるように》》」
◆
わたしは、その小袖の前をはだけた。
――《《そして、《《息を呑んだ》》》》。
◆
――《《胸と腹に、《《赤い斑が出ていた》》》》。
――《《小さい》》。
――《《米粒ほどの赤い点が、《《数え切れぬほど》》》》。
◆
わたしは、それを指で押した。
――《《消えなかった》》。
◆
――《《先生は、こう教えられた》》。
――《《『発疹を見たら、必ず指で押せ』》》。
――《《『押して消える斑は、《《血の道が広がっておるだけ》》だ』》》。
――《《『押しても消えぬ斑は、《《血が、血の道の外へ漏れておる》》』》》。
◆
――《《これは、《《漏れている》》》》。
◆
わたしは、次に、《《首の付け根》》に指を当てた。
――《《腫れていた》》。
――《《豆ほどの塊が、いくつも触れる》》。
◆
――《《腋の下も、腫れていた》》。
――《《股の付け根も》》。
◆
「――《《痛むか》》」
「――《《押されると、痛みまする》》」
◆
――《《わたしは、十五人全員を、同じ順序で診た》》。
――《《半刻かかった》》。
◆
――《《そして、《《所見は、全員ほぼ同じだった》》》》。
◆
――《《一、突然の高熱。下がる日がない。》》
――《《二、割れるような頭痛。》》
――《《三、胸と腹の、押しても消えぬ赤い斑。》》
――《《四、首・腋・股の付け根の、腫れ。》》
――《《五、眼の充血。》》
◆
――《《そして、《《下痢も、咳も、喀血もない》》》》。
◆
――《《わたしは、囲いを出て、《《その場に座り込んだ》》》》。
◆
――《《分からなかった》》。
◆
「――《《宗吉どの》》」
戸倉どのが、恐る恐る近づいてきた。
「――《《いかがでござった》》」
「――《《……分かり申さぬ》》」
わたしは、正直にそう答えた。
◆
――《《先生は、こう言われていた》》。
――《《『分からぬときは、分からぬと言え』》》。
――《《『分かったふりをした瞬間に、《《医者はただの祈祷師になる》》』》》。
◆
「――《《宗吉どの》》」
戸倉どのは、そう言った。
「――《《一つだけ、伺いたい》》」
「――《《なんなりと》》」
◆
「――《《《《移り申すか》》》》」
◆
――《《わたしは、答えられなかった》》。
◆
――《《これが、《《一番大事な問い》》である》》。
――《《そして、《《一番答えられぬ問い》》である》》。
◆
「――《《戸倉どの。それがしは、今、《《分かり申さぬ》》》》」
わたしは、そう言った。
「――《《なれど、一つ、申し上げられることがござる》》」
◆
「――《《病人の始末を、《《誰もしておられぬ》》》》」
わたしは、そう言った。
「――《《糞尿が、そのままにござる》》」
「……」
「――《《《《それは、移りまする》》》》」
◆
「――《《この病が移るかどうかは、まだ分かり申さぬ》》」
わたしは、続けた。
「――《《なれど、《《糞は、確実に移りまする》》》》」
わたしは、立ち上がった。
「――《《人を、五人》》」
◆
――《《その日から、わたしは囲いの中で寝た》》。
◆
――《《それが、一番早いと思ったからである》》。
――《《『移る』と言われている場所に、医者が寝る》》。
――《《それだけで、人足たちの態度が変わる》》。
◆
――《《先生が、二十七年やってきたことだ》》。
◆
――《《三日で、囲いは変わった》》。
◆
――《《厠を掘った》》。
――《《湯を沸かした》》。
――《《筵を替えた》》。
――《《甘い塩湯を作らせた》》。
◆
――《《そして、《《人足の中から、五人が手伝いに残った》》》》。
◆
「――《《先生。……いや、宗吉さま》》」
その一人が、そう言った。
――《《十八くらいの、痩せた男である》》。
「――《《おれ、《《字が読めます》》》》」
◆
「――《《ほう》》」
「――《《寺で、少し》》」
彼は、そう言った。
「――《《何か、お手伝いできることはございませぬか》》」
◆
「――《《名を》》」
「――《《弥兵衛と申します》》」
◆
「――《《弥兵衛》》」
わたしは、そう言った。
「――《《書け》》」
◆
――《《わたしは、紙を渡した》》。
――《《そして、《《倒れた十九人の、名と、齢と、持ち場を書かせた》》》》。
◆
「――《《持ち場、でございますか》》」
「――《《そうだ》》」
わたしは、そう言った。
「――《《この普請には、持ち場があろう。……堤を築く者、土を運ぶ者、石を割る者、飯を炊く者》》」
「……」
「――《《全部、書け》》」
◆
――《《先生の、《《絵図》》である》》。
――《《『手当書』第一巻に、こう書いてある》》。
◆
――《《一、疫の元を探すこと。》》
――《《 まず、病みたる者の家を、絵図に記し、黒く塗るべし。》》
――《《 ――《《偏りが出れば、そこに元がある。》》》》
◆
――《《だが、この普請場に、《《家はなかった》》》》。
――《《みな、同じ小屋に寝て、同じ釜の飯を食っている》》。
◆
――《《ゆえに、《《持ち場》》で塗るしかない》》。
◆
――《《六日目》》。
――《《弥兵衛が、書き上げた紙を持ってきた》》。
◆
「――《《宗吉さま。……妙でございます》》」
◆
「――《《言え》》」
「――《《倒れた者の持ち場が、《《ばらばらでございます》》》》」
◆
わたしは、その紙を受け取った。
――《《そして、《《眉をひそめた》》》》。
◆
――《《堤を築く組から、六名。》》
――《《土を運ぶ組から、五名。》》
――《《石を割る組から、二名。》》
――《《飯を炊く者から、三名。》》
――《《見張りの足軽から、三名。》》
◆
――《《偏っていない》》。
◆
「――《《宗吉さま。……これでは、絵図にならぬのでは》》」
弥兵衛が、そう言った。
◆
――《《わたしは、その紙を、《《長いこと見ていた》》》》。
◆
――《《先生なら、どうされたか》》。
◆
――《《『偏りが出ぬなら、《《別の軸で塗れ》》』》》。
――《《先生は、そう言われるだろう》》。
◆
「――《《弥兵衛》》」
「はい」
「――《《持ち場では、駄目だ》》」
わたしは、そう言った。
「――《《《《別のもので、塗り直す》》》》」
◆
「――《《何で、でございますか》》」
「――《《分からん》》」
わたしは、正直に答えた。
「――《《だから、《《全部書け》》》》」
◆
「――《《どこで寝ておるか。何を食うておるか。どこの水を飲んでおるか》》」
わたしは、指を折った。
「――《《どこで用を足しておるか。どこで身体を洗っておるか》》」
「……」
「――《《そして、《《どこで、休んでおるか》》》》」
◆
「――《《休む、でございますか》》」
「――《《そうだ》》」
わたしは、そう言った。
「――《《人足は、一日じゅう働いてはおらん。……昼に飯を食い、夕に休む》》」
「……」
「――《《《《そのときに、どこにおるか》》を、聞け》》」
◆
――《《だが、その調べが終わる前に、《《五人目が死んだ》》》》。
◆
――《《七日目の、夜明け前である》》。
◆
――《《二十七になる、伊八という男だった》》。
――《《倒れて、九日目だった》》。
◆
――《《最後の二日は、《《うわ言を言っていた》》》》。
――《《母の名を、呼んでいた》》。
◆
――《《わたしは、その傍にいた》》。
――《《手を、握っていた》》。
◆
――《《それしか、できることがなかった》》。
◆
――《《先生は、こう言われた》》。
――《《治せぬときに、逃げるな。》》
――《《治せる病は、誰でも医者になれる。》》
――《《治せぬときに、その場に留まって、頭を下げられるか。》》
――《《――それが、医者かどうかを分ける。》》
◆
――《《わたしは、留まった》》。
――《《そして、《《何一つ分からぬまま、一人死なせた》》》》。
◆
――《《夜が明けて》》。
――《《人足たちが、遺体を運び出しにきた》》。
◆
「――《《宗吉さま。……お運びいたします》》」
「――《《待て》》」
◆
――《《わたしは、そう言った》》。
◆
――《《なぜそう言ったのか、自分でも分からなかった》》。
――《《ただ、《《まだ何も分かっていない》》という思いだけがあった》》。
◆
「――《《清めるのは、それがしがやる》》」
わたしは、そう言った。
「――《《なれど、それは女どもの仕事で》》」
「――《《それがしがやる》》」
◆
――《《わたしは、湯を沸かさせた》》。
――《《そして、その遺体の小袖を、《《全部脱がせた》》》》。
◆
――《《下帯まで、外した》》。
◆
「――《《宗吉さま……そこまでは》》」
弥兵衛が、そう言った。
◆
「――《《弥兵衛》》」
わたしは、そう言った。
「――《《先生は、こう書き残された》》」
◆
――《《一、病の元が分からぬときは、《《全身を見よ》》。》》
――《《 顔を見て、腹を見て、それで終わりにするな。》》
――《《 ――《《見ておらぬところに、答えがあることが多い。》》》》
◆
「――《《それがしは、この六日、《《顔と腹しか見ておらん》》》》」
わたしは、そう言った。
「――《《だから、《《分からんのだ》》》》」
◆
――《《わたしは、湯を絞った布で、その身体を拭きはじめた》》。
◆
――《《首。肩。胸。腹》》。
――《《背中を返して、腰。尻》》。
――《《腕。手》》。
――《《脚。足》》。
◆
――《《何も、なかった》》。
◆
――《《赤い斑のほかは、何もなかった》》。
◆
――《《わたしは、そこで、《《手を止めた》》》》。
◆
――《《いや》》。
◆
――《《まだ、《《見ていないところがある》》》》。
◆
――《《わたしは、その腕を、《《持ち上げた》》》》。
◆
――《《腋の下である》》。
◆
――《《そして――》》
◆
――《《《《あった》》》》。
◆
――《《黒い、かさぶたが》》。
外伝の題材は、ツツガムシ病です。
ツツガムシというダニの幼虫に刺されることで、リケッチアという微生物が体内に入って起こります。日本では信濃川・最上川・雄物川の河川敷で夏季に発生し、「島虫」「洪水熱」などと呼ばれて古くから恐れられてきました。江戸期の文献にも記録が残っています。
今回、宗吉は診断できずに一人を死なせます。
症状を並べただけでは、この病には辿り着けません。高熱、頭痛、発疹、リンパ節の腫れ——これだけなら、いくつもの病が当てはまります。
鑑別として重要なのは、否定の作業です。熱が下がる日がなければマラリアではない。下痢がなければ赤痢ではない。咳と血痰がなければ結核ではない。
そして、それでも分からないとき。
次話、答えは思わぬところから現れます。
お読みいただきありがとうございました。




