第五話 柴田権六の渇き
史実では、この年に稲生の戦いが起きます。織田信勝が兄に敗れ、二年後に殺される、その始まりの年です。
弘治二年、夏。
――史実で、稲生の戦いが起きる年である。
その日、俺は末森城の一室に呼び出された。
待っていたのは、二人の男だった。
ひとりは林秀貞。織田家筆頭家老。細い眼をした、如才ない老獪な男である。
もうひとりは――でかい。
六尺近い巨躯を窮屈そうに折り畳んで座っている。日焼けした四角い顔、太い眉、掌は熊のようだ。
柴田権六勝家。二十代の終わり。
のちに「鬼柴田」「かかれ柴田」と呼ばれ、そして史実では、《《この俺を兄に売る男》》である。
「勘十郎さま。近頃のご評判、それがしどもの耳にも届いておりまする」
林秀貞が、揉み手をするように切り出した。
「傷を治し、疫を鎮め、兵を生かす。まことに、御家の宝にござる」
「恐れ入る」
「――さればこそ、申し上げたきことがござる」
来た。
俺は膝の上で手を握った。
「三郎さま……いや、上総介さまの近頃のお振る舞い、ご存じの通りにござる。うつけの噂は美濃にも駿河にも聞こえておりまする。亡き弾正忠さまの弔いにも、あの装束で参られ、位牌に抹香を投げつけた。……あれで、織田を保てましょうや」
「……」
「家中の総意にござる。《《勘十郎さまこそ、織田の家督を継がれるべきだ》》」
史実の織田信勝は、ここで頷いた。
そして稲生で敗れ、二年後、清洲城で兄に誘い出されて殺された。密告したのは、いま目の前で黙って座っている、この大男だ。
俺は、深く息を吸った。
「秀貞殿。権六殿」
そして、頭を下げた。
「――お断りいたす」
林秀貞の細い眼が、わずかに開いた。
「な……勘十郎さま」
「聞いていただきたい。それがしの《《見立て》》を」
俺は顔を上げた。ここからが、四十年ぶんのプレゼンテーションだ。
「兄上は、うつけではござらぬ」
「しかし」
「兄上が野山を駆け回るのは、地形を頭に刻んでおられるからだ。どの谷が雨で潰れ、どの丘から何が見えるか。あれは遊びではない、下調べにござる」
「……」
「兄上が鉄砲に狂うのは、次の戦の形が見えているからだ。あと十年もせぬうちに、槍働きの数より、鉄砲の数が国を決め申す。そのとき、堺と繋がっておらぬ大名は、皆滅びる」
俺は指を折った。
「兄上が町人や職人と親しくされるのは、銭と物の流れを掴んでおられるからだ。津島と熱田の湊を押さえた織田が、なぜ守護代の分家風情から成り上がれたか。秀貞殿、貴殿がいちばんご存じであろう」
林秀貞が、口を閉じた。
「そして――」
俺は、声を落とした。
「それがしが兄上に弓を引けば、どうなるか。勝っても負けても、織田は真っ二つに割れる。割れたところへ、東から今川、北から斎藤が来る。……《《尾張は、一年で消えまする》》」
「それは……」
「秀貞殿。貴殿が本当に守りたいのは、織田家か。それとも、林家の家格にござるか」
筆頭家老の顔が、みるみる強張った。
――さて。
俺は、視線を横へ滑らせた。
柴田勝家は、ここまで一言も喋っていない。腕を組み、太い眉を寄せ、じっと畳を睨んでいる。
この男が、鍵だ。
史実で信勝を担ぎ、史実で信勝を裏切り、そしてその後、信長の下で二十五年間、鬼のように戦い続けた男。忠義の使い所を、探している男。
俺は、この男を《《診る》》ことに決めた。
「権六殿」
「……なんでござる」
「ひとつ、お尋ねしたい」
俺は、まっすぐにその眼を見た。
「《《近頃、水を飲んでも、飲んでも、渇きませぬか》》」
勝家の眉が、動いた。
「夜中に、何度も厠に立たれよう。それも、たいそうな量が出る。……朝、口の中が乾ききって、貼りついておりませぬか」
「――」
「よく食う。人一倍食う。なのに、この一年で身体が締まった。腹の肉が落ちたと、周りに言われませぬか」
勝家の腕が、ほどけた。
「そして、かすり傷の治りが、昔よりずっと遅い。腿や尻に、小さな腫れ物ができては、なかなか癒えぬ。……違いますか」
部屋が、静まり返った。
巨漢が、額に汗を浮かべていた。夏の暑さのせいだけではない。
「なぜ……それを」
多飲、多尿、口渇、体重減少、易感染性。
問診だけで立つ診断。糖尿病である。この時代の言葉なら、飲水病。
藤原道長を殺し、平清盛を苦しめた病だ。
「権六殿。それは飲水病にござる」
俺は、静かに告げた。
「身体に取り込んだ甘みが、血の中に溢れて、行き場を失う病だ。溢れた甘みは、小便に混じって身体の外へ出てゆく。そのとき水を道連れにする。だから小便が増え、身体が渇き、いくら食っても痩せてゆく」
「……治るのか」
「――放っておけば」
俺は、答えをずらした。
「まず、眼が霞み申す。次に、足の指の先が痺れ、感じなくなる。感じぬから傷に気づかぬ。気づかぬ傷が腐り、黒くなり、足を落とすことになる。膿がまわれば、それで終わりだ。……五年か、七年か。《《戦場ではなく、寝床で死になさる》》」
柴田勝家という男が、生涯でもっとも恐れたのは、おそらく死ではない。
役に立たずに終わることだ。
「だが」
俺は、身を乗り出した。
「《《それがしなら、その日を遠くへ追いやれる》》」
「……なに」
「飲水病は、消せぬ。だが、進みを緩めることはできる。食を変え、量を変え、身体を動かし、傷を毎日改める。それだけで、五年が二十年になり申す。二十年あれば、権六殿は――」
俺は、言葉を切った。
「――二十年後の戦場に、立っておられる」
勝家の喉仏が、ごくりと動いた。
「まず、白飯を減らされよ。麦と粟を混ぜ、豆を食え。汁物と菜を先に食い、飯は最後に、ゆっくり噛んで食え。酒は減らせ。甘葛は断て。毎日、具足をつけて歩け。……それと」
俺は、少し声を和らげた。
「毎朝、足の裏と指の間を、ご自分の眼で見よ。傷がないか、赤くなっていないか。爪は深く切るな。……足が腐るのは、いつも《《気づかなかった小さな傷》》からにござる」
「……勘十郎さま」
大男が、初めて俺を名で呼んだ。
「なにゆえ、それがしに、そこまで」
俺は、少し考えてから、正直に答えた。
「《《医者だからだ》》」
「は」
「それがしの前で、病んでいる人間が座っている。ならば診る。それだけにござる。……謀反の相談ではなく、養生の相談をなされよ、権六殿。それがしは兄上の弟であり、医者であり、それ以外の何者にもなり申さぬ」
勝家は、しばらく畳を睨んでいた。
それから、六尺の巨躯を折り曲げて、床に額をつけた。
「……お恥ずかしゅうござる」
「顔を上げられよ」
「否。……それがし、この一年、己が身に何が起きておるか分からず、夜中に何度も目を覚まし、ひとりで震えており申した。人には言えぬ。言えば、腑抜けと思われる」
そうだろうな、と俺は思った。
病を隠して死んでいく男を、俺は現代でも、うんざりするほど見てきた。
「……勘十郎さま。この権六、家督のこと、二度と申しませぬ」
「うむ」
「それと」
顔を上げた勝家の眼は、赤かった。
「――その、麦飯の炊き方は、いかほどの割合で」
俺は、笑ってしまった。
◆
その年、《《稲生の戦いは、起きなかった》》。
林秀貞は不服そうだったが、勝家が動かなければ兵は集まらない。謀反は、火のつく前に立ち消えた。
後日、俺は清洲城に呼び出された。
信長は縁側に胡座をかき、庭を見たまま、俺を待っていた。
誰が話したのかは、聞くまでもない。史実で信勝を売った男が、今度は、売る内容を変えただけだ。
「勘十郎」
「はい」
「柴田が泣いておったぞ」
「……はあ」
「あの熊が、俺の前で、麦飯の話をしながら泣いた」
信長は、庭石に向かって干し柿の種を吐いた。
「貴様、家督は要らぬと言うたな」
「申しました」
「なぜだ。母上は貴様を推しておる。家老どもも貴様につく。兵を挙げれば、勝てたかもしれんぞ」
試されている、と思った。
俺は、正直に答えることにした。俺の持っている札のうち、いちばん強い一枚を切る。
「兄上。それがしには、天下を獲る才がござらぬ」
「ほう」
「それがしにできるのは、《《目の前の一人を死なせぬこと》》だけだ。国を作ることも、人を率いることも、それがしには向いておらぬ。……なれど」
俺は、兄の横顔に向かって言った。
「兄上には、それができる。それがしは、それをこの眼で見たい。だから、それがしは兄上を生かす。それが、この身体の使い道にござる」
長い沈黙があった。
やがて信長は、庭を見たまま、ぽつりと言った。
「勘十郎」
「はい」
「《《貴様、俺より先に死ぬな》》」
――胸を、突かれた。
この男が、他人に向かってこういう類の言葉を吐くことは、生涯を通じて、ほとんどなかったはずだ。
俺は、深く頭を下げた。
「御意。……兄上こそ、それがしより先に、死なれませぬよう」
「阿呆。俺は人間五十年で十分だ」
「五十では足りませぬ」
俺は、顔を上げた。
「六十でも足りぬ。《《兄上には、七十まで生きていただく》》。そのために、それがしがおりまする」
信長は、初めてこちらを向いた。
あの乾いた眼が、ほんの少しだけ、湿ったように見えた。
――気のせいかもしれない。
◆
その夜、俺は末森城の自室で、紙を広げた。
カルテを、書き始めることにしたのだ。
筆で、ぎこちなく、こう記した。
弘治二年 夏
症例・織田上総介信長。二十三歳。現在、健。
家督相続の障害を除去せり。
主たる予後規定因子は、身体にあらず。家臣の心にあり。
予定される最悪の転帰――天正十年六月二日。
残り、二十六年。
筆を置いて、俺は蝋燭の火を見つめた。
あの謀反は、一日で起きたのではない。
二十六年かけて、少しずつ溜まっていく膿だ。積もった屈辱、擦れ違った期待、切り捨てられた面目。それが一夜にして破裂する。
膿は、溜まってから切るのでは遅い。
《《溜めさせないことこそ、外科の理想だ。》》
そして俺は、まだその男の顔さえ知らない。
明智十兵衛光秀が、織田家の門を叩くのは――もう少し、先の話である。
執刀まで、二十六年。
術前カンファレンスは、まだ始まったばかりだった。
多飲・多尿・口渇・体重減少・傷が治りにくい。この五つが揃えば、問診だけで糖尿病がほぼ診断できます。当時の日本では「飲水病」と呼ばれ、藤原道長を苦しめた病として知られていました。
インスリンのない時代、勘十郎に打てる手は食事と運動と足の観察だけです。しかしそれでも、進行は確実に遅くなる。「治せない病でも、寿命は延ばせる」というのが、この作品の裏テーマのひとつです。
第一章「尾張診療録」は第十二話まで続きます。次話からは、脚気との戦いが始まります。
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