第四話 焼き鏝を捨てよ
※戦傷の処置描写があります。血液・手術描写が苦手な方はご注意ください。
半月後。
尾張と美濃の境で起きた小競り合いから、負傷兵が担ぎ込まれてきた。
城の庭は、すでに騒然としていた。
筵の上に転がされているのは、足軽組頭の男である。三十半ばか。左の太腿に矢を受け、鏃は抜いたものの、血が止まらない。巻いた布はとうに真っ赤で、下の土が黒く濡れている。
男の顔色は、蝋のように白かった。唇も白い。額に玉の汗。
(顔面蒼白、冷汗、頻脈――《《出血性ショック》》だ。もう千五百は出ている)
そして、傍らでは下男が、真っ赤に焼けた鉄の棒を火から引き抜こうとしていた。
――焼灼止血。この時代の、そして西洋でも十六世紀まで主流だった、傷口を焼いて血を止める方法である。
「待て!」
俺は駆け込んで、その腕を掴んだ。
「その焼き鏝を、置け」
「な……勘十郎さま! 血を止めねば、この者は死にまする!」
「焼けば、《《もっと死ぬ》》」
俺は言い切った。
焼灼は確かに一時的に血は止まる。だが高熱で周囲の組織を広範囲に殺す。壊死した肉は細菌の培地になる。数日後に高熱、悪臭、そして敗血症。この時代の戦傷死の多くは、傷そのものではなく、この経過を辿る。
奇しくも同じ十六世紀のフランスで、軍医アンブロワーズ・パレが同じ結論に達している。焼くな、括れ、と。
ならば、尾張でやって悪い道理はない。
「湯を沸かせ! ぐらぐらと煮立てて、それを冷ませ! 布も、糸も、鋏も、全部いっぺん煮ろ! 絹糸だ、細くて丈夫なやつを持て! それから酒――南蛮渡りの強い酒があるはずだ、あるだけ持て!」
「酒を、飲ませるので?」
「飲むのではない。《《傷にかける》》」
周囲がざわめいた。酒は貴重品である。それを傷にぶちまけると言われれば、正気を疑われて当然だ。
俺は組頭の傍らに膝をつき、まず傷口の上流――鼠径部を、拳で強く圧迫した。大腿動脈の走行を、身体が覚えている。
じわり、と出血が細くなった。
「よし。……お前、名は」
「……ご、権蔵、にござ……」
「権蔵。聞け。お前は死なん。《《俺が死なせん》》」
俺は、四十年間、何百回と言ってきた台詞を、五百年前の庭で言った。
◆
煮沸した湯が冷めるまでの間、俺は指示を飛ばし続けた。
筵を厚く敷き、権蔵の足を高く上げる。腹に血を集めるためだ。輸血ができない以上、体位で稼ぐしかない。
意識があるうちに、例の甘い塩湯を少しずつ飲ませる。腸から水分を吸わせて、循環血液量を稼ぐ。原始的な経口輸液だ。
そして俺自身は、井戸端で、爪の間まで念入りに手を洗った。
「勘十郎さま。何を、そんなに……」
「《《手だ》》」
俺は言った。
「目に見えぬほど小さな虫がおる。土にも、糞にも、人の手にもおる。この虫が傷に入ると、肉が腐り、熱が出て、人が死ぬ。……煮れば死ぬ。強い酒でも死ぬ。よく洗っても、だいぶ落ちる」
病原微生物の存在が証明されるのは三百年後、パスツールとコッホによってである。
だが俺は、その三百年を待つ気がなかった。
神仏の祟りだの物の怪だのと説明されるより、「目に見えぬ小虫」のほうが、よほど実用的で、よほど正確な嘘だ。
◆
処置に入る。
まず冷ました煮沸湯で、傷を大量に洗い流す。泥、布の繊維、砕けた骨片。異物は全部出す。《《洗浄こそが最良の消毒》》というのは、いつの時代も変わらない。
次に酒を傷の周囲へ。組頭が呻いた。悪いが、麻酔がない。
鼠径部の圧迫を緩めさせ、俺は傷を開いて出血源を探した。
――あった。
拍動性に噴き出す、一本の血管。大腿深動脈の枝だろう。
「押さえろ、そこだ。動くな」
煮沸した絹糸を、鑷子で血管の下に回し、二重に結ぶ。結紮。
止まった。
嘘のように、視野が静かになった。
「……お、お止まりに」
「もう一本ある。黙って持っていろ」
小さな枝をもう一本括り、それから傷の中を再度洗浄する。汚染した組織を鋏で切り取る。デブリードマンだ。
最後に、創縁を寄せて縫合する。ただし、《《きつく閉じすぎない》》。
汚染創を密閉すれば、内部で膿が溜まる。だから隙間を残し、そこに煮沸した細い布を差し込んでおく。滲出液の逃げ道――ドレーンである。
煮沸した布で覆い、その上から包帯。
顔を上げると、庭が静まり返っていた。
二十人ほどの家人と兵が、誰ひとり喋らずに、それを見ていた。
そして、その一番後ろに、腕を組んで立っている茶筅髷の男がいた。
いつから見ていたのか。
信長は、何も言わなかった。
◆
「よいか、権蔵付きの者ども。ここからが本番だ」
俺は、集まった者たちに向き直った。
「《《傷を覆う布は、毎日、煮た布に替えよ》》。触れる前に必ず手を洗え。傷を素手で触るな。膿が出たら、臭ったら、熱が出たら、夜中でもすぐに俺を呼べ。……治すのは、この場の術ではない。これからの二十日だ」
――そして、権蔵は、死ななかった。
三日目、微熱は出たが、それきりだった。七日目には粥を食い、十日目には冗談を言い、二十日目には杖をついて庭を歩いた。四十日目には、槍を持って走っていた。
焼灼されていれば、広範囲の組織壊死から敗血症で、まず助からなかった男である。
噂は、火のように城下を駆けた。
――末森の勘十郎さまは、傷を焼かずに治す。
――煮た布と、煮た糸と、南蛮の酒で、死人を歩かせる。
――あれは、医の神が憑いたのだ。
俺は、その噂を訂正しなかった。訂正する暇もなかった。
その日から、末森城には人が並ぶようになったからである。
傷口を焼いて止血する「焼灼止血」は、十六世紀まで洋の東西を問わず標準的な治療でした。血は止まりますが、周囲の組織が広範囲に死に、そこが細菌の温床になって、数日後に敗血症で亡くなる。
これを「焼くな、血管を糸で括れ」と変えたのが、同じ十六世紀フランスの軍医アンブロワーズ・パレです。近代外科の父と呼ばれています。
勘十郎は奇しくも、同じ時代に、地球の反対側で同じ結論を実行したことになります。
次話、ついに稲生の戦い――が、起きません。




