第四十四話 書いた字は音がせぬ
天正十二年、長久手。
――第二十六話で、勘十郎はこう頼みました。
「この国には、勝ち戦の書しかござらぬ。書けるのは、貴殿しかおられませぬ」
八年です。
天正十二年、四月。
――《《長久手》》。
羽柴筑前守秀吉と、徳川三河守家康が、ぶつかった。
◆
俺は、その報せを、啓迪院の講堂で聞いた。
――《《立って講義ができなくなって、半年が過ぎていた》》。
床几に腰かけ、若い者を三十人ほど前に置いて、喋る。
それが、今の俺の仕事だった。
四月である。講堂の東側の戸を開け放してあり、庭の躑躅が咲いていた。若い者たちの膝の前に、写しかけの紙が広げてある。
◆
「――《《先生》》」
宗吉が、駆け込んできた。
二十一になっていた。膝から下が土埃で白い。町まで走って戻ってきたのだ。
「――《《尾張で、大きな戦がございました》》」
「――《《数を、言え》》」
――《《これが、俺が最初に聞くことである》》。
「――《《羽柴方に、二千を超える死者が出たとのこと》》」
◆
俺は、目を閉じた。
「――《《将は》》」
「――《《池田勝入さま、討死》》」
宗吉は、そう言った。
「――《《それと、《《森武蔵守さまも》》》》」
◆
――《《森》》。
俺は、その名を聞いて、《《しばらく動けなかった》》。
――《《森三左衛門可成》》。
十四年前、志賀の陣で死んだ。あの人の肩の傷を、俺は縫ったことがある。針を刺しても顔色一つ変えない男だった。
――《《森蘭丸》》。
二年前、本能寺の奥の間で、戸を押さえて死んだ。十八だった。
髷が半分ほどけて、頬に血が流れているのに、姿勢が崩れていなかった。
――《《そして今度は、その兄か》》。
◆
「――《《先生。……いかがなさいました》》」
「――《《なんでもない》》」
俺は、そう答えた。
庭で、鶯が鳴いていた。
「――《《歳を取ると、人の名を聞くだけで、《《いろいろ思い出す》》》》」
◆
その翌週。
俺は、《《ある報せ》》を受け取って、《《手が止まった》》。
◆
「――《《先生。妙なことがございます》》」
宗吉が、そう言った。
「――《《戦場から戻った者に、聞いたのでございますが》》」
――《《この男は、町へ薬種を買いに出るたびに、そういう話を集めてくる》》。
――《《俺が、そうしろと言ったわけではない》》。
「――《《言え》》」
「――《《羽柴方の陣に、《《手当所》》がございました》》」
「……」
「――《《筵を三つに分けて、赤と白の布を使うておったと》》」
◆
「――《《それは、当たり前だ》》」
俺は、そう言った。
「――《《羽柴の手勢には、もともと織田の者が大勢おる》》」
「――《《はい》》」
宗吉は、頷いた。
「――《《なれど、先生》》」
「……」
「――《《《《徳川方にも、ございました》》》》」
◆
――《《俺は、その言葉を聞いて、《《息を止めた》》》》。
「――《《同じか》》」
「――《《ほとんど、同じにございます》》」
宗吉は、言った。
「――《《ただ、徳川方は、《《筵が四つ》》だったとか》》」
◆
「――《《四つ》》」
「――《《はい。……三つに分けた後、《《もう一つ、別の筵がある》》と》》」
「――《《何のためだ》》」
「――《《《《歩ける者》》を、そこに集めておったそうにございます》》」
宗吉は、続けた。
「――《《そして、《《その者らに、他の傷者を担がせておった》》と》》」
◆
――《《俺は、その場で、《《紙を取った》》》》。
「――《《書け》》」
俺は、そう言った。
「――《《先生》》」
「――《《書けと言うておる!》》」
――《《声が、講堂の外まで届いた》》。
◆
――《《一、筵は四つに分けるべし。》》
――《《 赤(すぐ手当てせねば死ぬ者)》》
――《《 白(待てる者)》》
――《《 木陰(何をしても助からぬ者)》》
――《《 ――《《そして、《《歩ける者》》。》》》》
――《《 歩ける者を、ただ座らせておくべからず。》》
――《《 ――《《担がせよ。湯を沸かさせよ。布を煮させよ。》》》》
――《《 人手は、常に足りぬ。》》
――《《 ――《《傷者の中に、《《使える手》》がある。》》》》
◆
俺は、そこまで書いて、《《筆を置いた》》。
――《《俺は、二十七年、これに気づかなかった》》。
浮野でも、桶狭間でも、長篠でも。
俺は、《《軽傷の者を、ただ白い筵に寝かせておいた》》。
――《《起きて、歩けたのに》》。
長篠の朝を思い出した。手が足りず、俺は湯を沸かす者を探して陣中を走り回った。
――《《白い筵に、七十人が寝ていた》》。
◆
「――《《先生》》」
宗吉が、恐る恐る言った。
「――《《これは、《《徳川方が考えたこと》》にございましょうか》》」
「――《《そうだ》》」
俺は、そう答えた。
「――《《俺が渡した書に、《《向こうが書き足した》》のだ》》」
◆
「――《《先生。……よろしいのでございますか》》」
宗吉は、そう聞いた。
「――《《何がだ》》」
「――《《敵に、書を渡して》》」
「――《《敵ではない》》」
俺は、そう言った。
「――《《いや。……今は、敵だな》》」
俺は、少し笑った。
「――《《だが、二十二年前、渡したときは味方だった》》」
◆
「――《《宗吉。よく聞け》》」
俺は、そう言った。
三十人が、こちらを見ていた。写しの手が、止まっている。
「――《《二十二年前、それがしは兄に反対された》》」
「……」
「――《《『あの男はいずれ敵になる。貴様の書は兵を強くする。なぜ渡す』と》》」
俺は、続けた。
「――《《それがしは、三つ申し上げた》》」
◆
「――《《一つ。どうせ漏れる。医術は隠せぬ性質のものだ》》」
「――《《二つ。相手の兵が死ににくいことは、こちらの兵が死ににくいことと釣り合う》》」
「――《《そして三つ目は――《《理屈ではなかった》》》》」
俺は、そう言った。
「――《《病は、旗印を見ぬ》》」
◆
「――《《宗吉》》」
「はい」
「――《《今、尾張の戦場で、《《両軍が、同じ書で人を助けておる》》》》」
俺は、そう言った。
「――《《羽柴の陣でも、徳川の陣でも、《《同じ唄を唄って、同じように傷を洗っておる》》》》」
「……」
「――《《そして、《《徳川のほうが、少し進んでおった》》》》」
◆
俺は、その紙を掲げた。
書きつけたばかりの、墨がまだ乾いていない紙である。
「――《《俺は今日、《《敵から一つ教わった》》》》」
俺は、言った。
「――《《これが、渡した理由だ》》」
◆
六月。
――《《徳川から、荷が届いた》》。
◆
届けに来たのは、三十がらみの武士だった。
名を、《《服部》》と名乗った。
――《《妙な男だった》》。
物腰は丁寧である。だが、部屋に入るとき、まず出口を見た。
そして、俺の背後の障子と、庭の位置を確かめてから座った。
――《《俺が建物に入って出口を数えるのと、同じ癖である》》。
――《《たぶん、目的が違う》》。
「――《《我が殿より、勘十郎さまへ》》」
彼は、そう言って、《《大きな包み》》を置いた。
油紙で二重に包み、その上を細紐で十字に縛ってある。長旅を想定した包み方だった。
「――《《殿は、なんと》》」
「――《《『約定を、果たす』と》》」
◆
俺は、包みを解いた。
紐が固く、指の力が足りなかった。宗吉に切らせた。
――《《書物だった》》。
厚い。
表紙は、柿渋を引いた厚紙である。角が擦れて、丸くなっていた。
――《《使い込まれている》》。
書いて仕舞い込んだものではない。何度も開かれた本の姿だった。
表に、こうあった。
◆
――《《手当書 第六巻》》
――《《 ――《《負け戦の巻》》》》
◆
――《《八年前である》》。
天正三年の正月、俺は浜松で、負けたばかりの徳川三河守に頼んだ。
あの部屋には、炭が一つしかない火鉢があった。あの男は、脇息にもたれて、瞬きの少ない目でこちらを見ていた。
――《《この国には、勝ち戦の書しかござらぬ》》。
――《《なれど、人は必ず負けまする。そして、負けた後のほうが長うござる》》。
――《《書けるのは、貴殿しかおられませぬ》》。
◆
俺は、それを開いた。
――《《靉靆を、鼻に乗せて》》。
字は、太かった。
筆を立てて、一画ずつ押しつけるように書く字である。急いだところがない。
――《《八年かけて書いた字だった》》。
◆
――《《一、退き戦にて、傷者を運ぶこと。》》
――《《 歩ける者を、まず数えよ。》》
――《《 ――《《歩ける者は、荷にあらず。《《人手である》》。》》》》
――《《 二人で一人を支えよ。担架より速い。》》
――《《 ――《《担架は、四人を奪う。》》》》
◆
――《《これだ》》。
――《《宗吉が聞いてきた、四つ目の筵の元は、ここにあった》》。
◆
――《《一、置いていかざるを得ぬ者のこと。》》
――《《 勘十郎さまの教えに従い、寺か堂に預け、銭と米と薬を置くべし。》》
――《《 ――《《これに、一つ加える。》》》》
――《《 ――《《《《その者の名を、書き残せ。》》》》》》
――《《 名と、国と、親の名を、紙に書いて残せ。》》
――《《 ――《《なにゆえか。》》》》
――《《 ――《《後で、《《迎えに行けるからである》》。》》》》
◆
――《《俺は、その頁で、《《手が止まった》》》》。
◆
――《《金ヶ崎》》。
十四年前。
俺は、四十七人を寺に置いてきた。
一人ずつ、顔を見て、「お前を置いていく」と告げた。二人に殴られ、一人に袖を掴まれた。
――《《名は、聞かなかった》》。
いや。
――《《聞く余裕が、なかった》》。
◆
――《《本能寺》》。
二年前。
俺は、十四人を部屋に残した。
――《《一人だけ、名を知っていた》》。
――《《千代丸》》。
三日前に、出口を数えている俺に「はあ」と気の抜けた返事をした少年である。
――《《残りの十三人の名を、俺は知らない》》。
◆
俺は、その頁を、《《長いこと見ていた》》。
――《《書けるはずが、なかった》》。
――《《俺には、書けなかった》》。
――《《なぜなら、俺は、《《迎えに行かなかった》》からだ》》。
◆
俺は、その先を読んだ。
――《《日が、傾きはじめていた》》。
宗吉が、灯りを持ってきた。
◆
――《《一、負けて帰りたる将のこと。》》
――《《 まず、《《飯を食わせよ》》。》》
――《《 次に、《《寝かせよ》》。》》
――《《 ――《《この二つを、何よりも先にやること。》》》》
――《《 人は、負けたことでは、そう簡単に壊れぬ。》》
――《《 ――《《負けた後に、食わず、寝ぬことで壊れる。》》》》
◆
――《《 わたくしは、三方ヶ原にて負けた日、城へ逃げ帰り、湯漬けを三杯食うた。》》
――《《 そして、寝た。》》
――《《 ――《《城の門は、開けたままにさせた。》》》》
――《《 (これは策でもあったが、半分は、《《閉める気力がなかった》》のである)》》
◆
――《《俺は、そこで、《《声を上げて笑った》》》》。
――《《正直な男だ》》。
――《《そして、この一行を書ける男は、めったにおらん》》。
◆
――《《一、負けた将が、その後どうなるか。》》
――《《 三日は、眠れぬ。》》
――《《 十日は、飯が味をなさぬ。》》
――《《 ――《《そして、一月ほどして、《《怒りが来る》》。》》》》
――《《 怒りの向く先は、たいてい《《味方》》である。》》
――《《 あの者が退かねば。あの者が来ておれば。》》
――《《 ――《《これは、《《病である》》。》》》》
――《《 ――《《そして、《《必ず来る》》。》》》》
◆
――《《 ゆえに、負けた将の傍には、《《一人置くべし》》。》》
――《《 ――《《その者に、罵らせよ。》》》》
――《《 ――《《聞くだけでよい。答えずともよい。》》》》
――《《 ――《《一月、それを続ければ、怒りは薄れる。》》》》
――《《 わたくしには、それがおった。》》
――《《 ――《《ゆえに、生きておる。》》》》
◆
――《《俺は、そこで、《《紙を閉じた》》》》。
――《《読めなかった》》。
――《《目が、霞んだ》》。
――《《靉靆のせいではない》》。
俺は、それを外して、袖で拭った。
◆
――《《この男は、書いていた》》。
俺が、二年かけて明智十兵衛に出して、失敗した処方を。
――《《この男は、八年前から、《《書に書いていた》》》》。
――《《そして俺は、それを読まなかった》》。
いや。
――《《この書が届いたのは、今日だ》》。
――《《だが、俺は、《《同じことを浜松で聞いていた》》》》。
◆
――《《天正三年正月、浜松》》。
あのとき、俺は徳川三河守に「言えぬことを言える相手を、一人作れ」と言った。
――《《そして、この男は、《《すでに作っていた》》》》。
――《《絵師に、自分の情けない顔を描かせていた》》。
あの絵を、俺は見せてもらった。膝を抱えて、頬に手を当てて、目だけがぎょろりとしていた。
◆
――《《俺は、あのとき、「見事な処方にござる」と言った》》。
――《《それだけだった》》。
――《《そして俺は、《《明智十兵衛に、同じ処方を出した》》》》。
――《《だが、《《徳川三河守がどうやってそれを続けたのかを、聞かなかった》》》》。
◆
――《《答えは、ここに書いてある》》。
――《《「その者に、罵らせよ」》》。
――《《「聞くだけでよい。答えずともよい」》》。
◆
――《《俺は、明智十兵衛に、罵らせなかった》》。
――《《書けと言った》》。
――《《そして、《《読んで、燃やした》》》》。
――《《返事は、養生の話だけだった》》。
◆
「――《《服部どの》》」
俺は、そう呼んだ。
この男は、俺が読み終えるまで、一言も口をきかずに座っていた。膝も崩さなかった。
「はい」
「――《《殿に、お伝えいただきたい》》」
俺は、頭を下げた。
「――《《《《遅うござった》》、と》》」
◆
「――《《は》》」
「――《《いや、違う》》」
俺は、首を振った。
「――《《それがしが、《《聞くのが遅かった》》のです》》」
俺は、言った。
「――《《八年前に、この続きを伺うておけば、《《一人、助かったやもしれませぬ》》》》」
◆
服部どのは、しばらく黙っていた。
そして、こう言った。
「――《《勘十郎さま》》」
「はい」
「――《《殿より、《《もう一つ》》、言伝がございます》》」
「――《《伺おう》》」
◆
「――《《『書は、いずれ返していただく』と》》」
◆
「――《《返す》》」
俺は、聞き返した。
「――《《はい》》」
服部どのは、頷いた。
「――《《『これは、貸したものである』と》》」
「……」
「――《《『次は、《《勘十郎さまが書き足して》》、返してくださるはずだ』と》》」
◆
――《《俺は、その言葉に、《《笑った》》》》。
――《《笑って、そして胸が痛んだ》》。
「――《《服部どの》》」
「はい」
「――《《それがしは、五十二にござる》》」
俺は、そう言った。
「――《《心の臓が、一度詰まり申した。……次がいつ来るか、分かり申さぬ》》」
「……」
「――《《書き足す前に、死ぬやもしれませぬ》》」
◆
服部どのは、こう答えた。
「――《《殿は、そう仰せになると思っておられました》》」
「……」
「――《《そのときは、こう申せと》》」
彼は、姿勢を正した。
◆
「――《《『勘十郎さまの弟子が、書き足せばよろしい』と》》」
◆
――《《俺は、その場で、《《言葉を失った》》》》。
◆
「――《《殿は、こうも仰せでした》》」
服部どのは、続けた。
「――《《『あの方は、いつも人を作っておられる。……ならば、書は、《《人がおる限り、続く》》』と》》」
◆
俺は、頭を下げた。
――《《深く、深く下げた》》。
畳の目が、目の前にあった。
――《《顔を上げられなかった》》。
服部どのは、それを待ってから、静かに立った。
――《《去るときも、まず出口を見た》》。
◆
服部どのが帰った後。
俺は、その第六巻を、講堂へ持っていった。
三十人の弟子が、待っていた。
――《《俺が半日出てこなかったので、心配していたらしい》》。
◆
「――《《これは、徳川三河守どのが書かれた》》」
俺は、そう言った。
「――《《八年前に、それがしが頼んだものだ》》」
「……」
「――《《『負け戦の巻』という》》」
◆
「――《《この国には、勝ち戦の書しかない》》」
俺は、続けた。
「――《《兵法書も、軍記物も、みな勝った話だ》》」
俺は、若い者たちを見渡した。
「――《《だが、人は、負ける》》」
「……」
「――《《そして、《《負けた後のほうが、長い》》》》」
◆
「――《《これは、医の書だ》》」
俺は、その本を掲げた。
「――《《なぜだと思う》》」
弟子たちが、顔を見合わせた。
一人が、恐る恐る手を挙げた。
「――《《傷者の運び方が、書いてあるゆえ、でございましょうか》》」
「――《《それもある》》」
俺は、頷いた。
「――《《だが、もっと大事なことが書いてある》》」
◆
俺は、その頁を開いた。
そして、《《読み上げた》》。
「――《《負けた将は、三日眠れず、十日飯が味をなさず、そして一月ほどして、《《怒りが来る》》》》」
「……」
「――《《怒りの向く先は、たいてい味方である》》」
俺は、続けた。
「――《《これは、病である。そして、《《必ず来る》》》》」
◆
「――《《よいか》》」
俺は、若い者たちを見た。
「――《《『必ず来る』と書いてあることが、《《医の書である証》》だ》》」
俺は、言った。
「――《《怒るのは、その人が弱いからではない。……《《人が負けると、そうなる》》のだ》》」
「……」
「――《《熱が出るのと、同じことだ》》」
――《《傷を負えば、腫れる》》。
――《《それを、その者の心根の話にしてはならん》》。
◆
「――《《そして、手当ての仕方も書いてある》》」
俺は、続けた。
「――《《一人、傍に置け。罵らせろ。聞くだけでいい。答えずともいい》》」
俺は、そこで一度、言葉を切った。
「――《《一月続ければ、薄れる》》」
◆
「――《《先生》》」
宗吉が、手を挙げた。
「――《《一つ、伺ってもよろしいでしょうか》》」
「――《《言え》》」
「――《《先生は、これを、《《ご存じでしたか》》》》」
◆
――《《俺は、その問いに、《《正直に答えた》》》》。
「――《《半分、知っておった》》」
俺は、そう言った。
「――《《『言えぬことを言える相手を、一人作れ』とは、それがしも言うてきた》》」
「……」
「――《《だが、《《『罵らせよ』とは、言わなかった》》》》」
◆
「――《《それがしは、『書け』と言うた》》」
俺は、続けた。
「――《《紙に書いて、読み返して、燃やせと》》」
「……」
「――《《そして、《《一人、死なせた》》》》」
◆
――《《講堂が、静まり返った》》。
庭の躑躅が、風で揺れた。
「――《《書くのと、罵るのは、《《違う》》》》」
俺は、そう言った。
「――《《書くのは、《《一人でできる》》》》」
俺は、拳を握った。
「――《《ゆえに、《《相手が要らぬ》》》》」
「……」
「――《《そして、それは、《《相手がおらぬまま溜め続ける》》ということでもある》》」
◆
「――《《俺は、それを二年やらせた》》」
俺は、言った。
「――《《効いた。……初めの一年は、確かに効いた》》」
「……」
「――《《雪と書いてきた。次は馬と書いてきた。次は使者だ》》」
俺は、続けた。
「――《《そして、《《碁でわざと負ける近習》》と書いてきたとき、俺は、これは効いておると思うた》》」
「……」
「――《《だが、《《効かなくなった》》》》」
◆
「――《《なぜだと思う》》」
俺は、若い者たちに聞いた。
誰も、答えなかった。
俺は、こう言った。
「――《《《《声に、ならなかったからだ》》》》」
◆
「――《《書いた字は、《《音がせん》》》》」
俺は、そう言った。
「――《《誰も、聞いておらん》》」
「……」
「――《《人は、《《聞かれて初めて、出したことになる》》のだ》》」
◆
俺は、その日、『手当書』にこう書き足した。
――《《手が震えて、字が乱れた》》。
――《《一、溜めておる者への手当てのこと。》》
――《《 「書け」と言うのは、悪くない。》》
――《《 ――《《なれど、それだけでは足りぬ。》》》》
――《《 書くのは、一人でできる。》》
――《《 ――《《ゆえに、《《相手がおらぬまま続けられてしまう》》。》》》》
――《《 そして、《《変わらぬことを、自分の字で確認し続けることになる》》。》》
――《《 ――《《声に、させよ。》》》》
――《《 罵らせよ。聞くだけでよい。答えずともよい。》》
――《《 ――《《人は、聞かれて初めて、出したことになる。》》》》
――《《 ※これは、徳川三河守どのの教えである。》》
――《《 ――《《それがしは、八年前にこれを聞き損ね、一人死なせた。》》》》
◆
その夜、俺は茶々さまへの文を書いた。
――《《月に一度の、返事である》》。
灯りを一つ点けて、背中に荷を積んで、寝床の上で書いた。
◆
――《《茶々さま。》》
――《《今月、それがしの、しくじりを申し上げまする。》》
――《《それがしは、あなたさまに「文を書け」と申しました。》》
――《《――《《あれだけでは、足りませぬ。》》》》
◆
――《《書いた字は、音がいたしませぬ。》》
――《《人は、《《声にして、誰かに聞かれて》》、初めて出したことになりまする。》》
◆
――《《ゆえに、お願いがござる。》》
――《《――《《次にお会いしたとき、《《声に出して》》、それがしを罵ってくだされ。》》》》
――《《それがしは、聞くだけにいたしまする。》》
――《《言い返し申さぬ。》》
――《《慰めも申さぬ。》》
――《《――《《ただ、聞きまする。》》》》
◆
――《《それが、それがしの、《《正しい処方》》にござる。》》
――《《八年、間違うておりました。》》
◆
俺は、そこまで書いて、筆を置いた。
――《《次にお会いしたとき》》。
そう書いた。
――《《だが、俺は、坂も登れぬ》》。
――《《次に会うのは、いつだ》》。
俺は、その一行を、消さなかった。
◆
天正十二年 四月〜六月
長久手。羽柴方の死者、二千を超ゆ。
池田勝入どの、森武蔵守どの、討死。
――《《森の家は、三人である。志賀、本能寺、そして長久手。》》
※両軍の陣に、手当所あり。
――《《同じ書で、同じ唄で、同じように傷を洗っていた。》》
――《《そして徳川方は、筵を《《四つ》》に分けていた。》》
――《《歩ける者を、人手として使っていた。》》
――《《俺は、二十七年、これに気づかなかった。》》
六月、徳川より『手当書』第六巻到着。――《《負け戦の巻》》。
八年前に依頼せしもの。
――《《表紙の角が擦れていた。書いて仕舞い込んだものではない。》》
――《《置いていく者の名を、書き残せ。後で迎えに行けるゆえ。》》
――《《俺は、金ヶ崎の四十七人の名を、聞かなかった。》》
――《《本能寺の十三人の名を、知らぬ。》》
――《《負けた将は、まず飯を食わせ、寝かせよ。》》
――《《人は負けたことでは壊れぬ。負けた後に食わず寝ぬことで壊れる。》》
――《《一月ほどして、怒りが来る。向く先は、たいてい味方である。》》
――《《これは病である。そして、必ず来る。》》
――《《一人置いて、罵らせよ。聞くだけでよい。答えずともよい。》》
※俺は、明智十兵衛に「書け」と言った。
――《《書いた字は、音がせぬ。》》
――《《人は、聞かれて初めて、出したことになる。》》
――《《八年前に、この続きを聞いておけば、一人助かったかもしれぬ。》》
――《《「書は、貸したものである。次は、勘十郎さまが書き足して返される」》》
――《《「書き足す前に死ぬかもしれぬ」と申したところ、こう返ってきた。》》
――《《 ――「勘十郎さまの弟子が、書き足せばよろしい」》》
今回は、感情を外に出すことについての続きです。
第三十三話で、勘十郎は明智光秀に「書け」と処方しました。誰にも見せない紙に書き、読み返し、燃やしてよい、と。
書くことによって感情を整理する方法には、実際に効果が認められています。ですが、それだけでは不十分な場合があります。
書く行為は、一人で完結します。相手を必要としません。これは利点であると同時に、限界でもあります。
誰にも受け取られないまま書き続けると、それは同じ内容を反復する作業になりかねません。状況が変わらないことを、自分の筆跡で繰り返し確認することになるからです。
声にして、誰かに聞かれること。
これには、書くこととは別の働きがあります。言葉にする過程で整理が起こり、受け取る人がいるという事実そのものが作用します。聞く側は、助言をする必要も、解決する必要もありません。ただ聞くだけで足ります。
作中で徳川家康が書いた「一人置いて、罵らせよ。聞くだけでよい。答えずともよい」というのは、そういうことです。
もう一つ、今回触れた「負けた後に来る怒り」について。
大きな喪失や敗北のあと、悲しみより先に怒りが現れることは珍しくありません。そして怒りの矛先は、しばしば身近な味方に向かいます。
これは人格の問題ではなく、経過の一部です。「必ず来る」と知っておくこと自体が、本人にとっても周囲にとっても助けになります。
次話、続きます。
お読みいただきありがとうございました。




